ゲーム開発部の面々が先生達と合流し、一通りの挨拶を終えた頃。
先生は、ようやく一人だけ明らかに様子のおかしい生徒へ目を向けた。
アリス達は揃って、急ごしらえながらも十分な厚さのある可愛らしい防寒着に身を包んでいる。
対してカサネが着ているのは、いつものシャーレの制服だけ。
正確には、上着の袖へ両手を隠し、その上からゲーム開発部の部室にあったのだろう毛布を羽織っている。
足元には申し訳程度に冬用の靴が履かされていたが、どうやらミドリかユズのものを借りたらしく、細い足には少しばかり大きい。
吹き抜ける風が毛布の隙間へ入り込む度、カサネの小さな身体は目に見えて震えていた。
ただでさえ白い肌からは、殆ど血の気が失われている。
呼吸も、幾分浅い。
それでも本人はいつも通りの眠たげな顔を作り、寒さなど大したことではないと誤魔化すように、先生のすぐ傍へ立っていた。
「"…ところでカサネ?"」
「……はい」
「"……冬服とか、なかったの?"」
カサネの視線が、ゆっくりと横へ逸れた。
長い白髪が風に煽られ、痩せた頬へ張りついている。
暫く黙ったまま何かを考えていたが、やがて観念したように肩を落とすと、先生へ小さく手招きをした。
「……そのぉ、…ちょっと耳寄せて貰えますか?」
先生が屈み、カサネの口元へ耳を寄せる。
他の生徒には聞かれたくない話なのだろうと考え、カサネの小さな声へ意識を集中させた。
「……どうせ今年の冬まで生きられないだろうと思って、…ブラックマーケットの、お金がない生徒達に全部あげちゃったんです。……今は、制服2着と寝間着2着以外の服は…持ってなくて」
……何処から問い質せばいいのか。
今年の冬まで生きられないと思っていたことか。
所有しているものを、簡単に全て手放してしまったことか。
或いは、その理由が自暴自棄や無関心ではなく、困窮している生徒へ譲るためだったことか。
カサネは、まるで少し買い物を失敗した程度のことを告白するような顔で、先生の反応を窺っている。
「"……そっか…少し時間をかけてでも、来るまでの間に買ってもいいよって、伝えればよかったね"」
「……あ、……そのぉ……お金も、生徒更生支援とか生活支援系の基金やら募金やらに全部…………貯金全額と、毎月の給料から15万程…余った残りのお金は全部、毎月綺麗に使い切ってて、…もし余った時は月末にそれも…」
一つ告白する度に。
先生の表情から、少しずつ笑みが消えていく。
カサネの声も、それに比例するように小さくなっていった。
「……ので、服一式を買うお金もなくてですね…………その、先生?……そんな怖い顔しないでください………」
もちろん怒ってなどいないのだろう。
怒鳴られた訳ではない。
責める言葉を投げかけられた訳でもない。
けれど、先生が何も言わずに見つめてくることの方が、カサネにとっては余程恐ろしかった。
誰かを助けるために使ったのだから、間違ったことではない。
自分にはもう必要のないものを、それを必要としている誰かへ渡しただけ。
使わないまま残るはずだったお金を、生きていくために必要としている誰かへ渡しただけ。
とても合理的で、正しいとも、間違ってるとも言えないからこそ、何を伝えるべきなのかすら手繰るように遠くて、自然と険しい顔を作ってしまう。
「"……エイミ!"」
「……うーん?…どうしたの?先生」
少し離れた場所で装備を確認していたエイミが、ゆっくりと振り返る。
寒冷地用の防寒着を用意したはずなのに、相変わらずただの水着姿でしかなく、やっぱり本人には寒さを感じている様子がない。
「"…今着てる服以外にも、一緒に買った防寒着あるでしょ?"」
「うん、一応持ってきてるよ」
「"……本当にごめんなんだけど、この子に貸してあげてくれるかな"」
先生が片手を添えながら、カサネを前へ押し出す。
エイミの視線が、初めて真っ直ぐにカサネへ向けられた。
「……いいけど、サイズが違い過ぎる気が…」
事実、二人の体格差は一目で分かるほど大きかった。
エイミの身長は167センチ。
対して、カサネは139センチしかない。
ただでさえ小柄な身体は、長い長い消耗によって肉が落ち、今では実際の身長以上に頼りなく見える。
エイミのために用意された服を着せれば、袖も裾も大きく余ることは、試すまでもなく明らかだった。
けれど、エイミの目には、サイズが合わないことよりも。
目の前の少女の顔色が、ただ気になった。
噂の、シャーレ所属の生徒。
先生と同じように、所属する学園を問わず、困っている生徒に手を差し伸べていると聞いている。
実際に会ってみれば、確かにどこか似た雰囲気を持っていた。
目立つことを望んでいるようには見えない。
自分のしたことを誇るような雰囲気もない。
ただ、それが当たり前であるかのように、自分のものを誰かへ差し出してしまう。
そんな、よく見ていた雰囲気。
風に吹かれる度に、小さな唇が僅かに震えている。
寒いだけなのだろうか。
単に体温を奪われているというよりも、もともと僅かしか残されていない熱が、今にも全て消えてしまいそうな。
そんな庇護欲にも近しい不安を覚えさせる顔だった。
ふたりでテントの中へ入ると、外で吹き荒れていた風の音が幾分遠くなった。
布一枚を隔てただけの簡易的な空間。
暖房は置かれていたものの、きっと冷え切った身体をすぐに温められるほどではない。
エイミは荷物の中から本来着込むことを想定されていた自分の防寒着を取り出し、カサネの傍へ置いた。
そのまま置いた服をじっと見つめる。
分厚い上着。
防寒用のインナー。
ズボンに、手袋。
どれもカサネには一回りどころか、二回り以上大きい。
カサネは先生から借りた毛布を身体へ巻きつけたまま、服を見下ろしていた。
「……ごめんね…エイミ。…せっかく先生に買って貰った服なのに……」
「…!……いや、そういう意味で見つめてた訳じゃないよ」
「…そう?」
「…うん、寧ろ使い道があって良かったなって、思っただけ」
カサネは、その答えに少しだけ困ったように笑った。
エイミは防寒着を広げる。
それから、まずは毛布の下に着ている制服を脱がせなければならない。
カサネは一人で着替えようとしていたが、かじかんでいるのか、袖から指先を抜くことすら上手くできていなかった。
きっと力が入らないのだろう。
エイミが手を伸ばし、制服の袖口から覗いた指先を掴む。
触れた瞬間。
「……!……エイミの手…暖かいね」
カサネの赤い瞳が、僅かに見開かれた。
エイミの体温は、普通の生徒よりも、或いは普通の生物よりも遥かに高い。
極寒の地に立っていても、防寒具を、普通の服すらも煩わしく感じるほどに。
握っただけでも、その熱は指先から掌へ、掌から腕へと伝わり、冷え切ったカサネの身体へ染み込んでいく。
カサネの手は、冷たかった。
雪に触れ続けていた訳でもないのに。
生きている人間の手とは思えないほど、冷たく、指先は薄く青ざめていて、エイミが包み込んでも、すぐには熱を取り戻さない。
「……熱くない?」
カサネは答えなかった。
ただ、エイミの手を見つめている。
初めて触れたはずの熱を、ずっと昔から知っているもののように。
懐かしそうに。
ひどく大切そうに。
「…エイミ…?」
名前を呼ばれて、エイミは我に返った。
気づけば、カサネの手を必要以上に長く握っていた。
そのまま着替えを手伝えばいい。
袖を抜き、用意した防寒着を着せればいい。
それだけのはずなのに、なぜか身体が動かない。
代わりに、胸の奥で、説明できないような感覚が広がっていく。
…一目惚れ?
そんな言葉が、ふと頭へ浮かんで、すぐに首を振る。
自分は間違いなくそんな柄ではない。
誰かの姿を見ただけで、胸が高鳴るような人間ではなかったはずだ。
そもそも、胸が高鳴っている訳ではない。
浮ついた気持ちではなく。
もっと切実で。
痛みに似た衝動。
理由は分からない。
名前を知ったばかりで。
言葉を交わしたのも、ほんの僅かで。
どんな生徒なのかも、噂で聞いたことしか知らない。
それなのに。
何となく、抱きしめたいと思った。
抱きしめて、自分の熱を分けなければならないような気がした。そうしなくちゃいけないような気がしたんだ。
この小さな身体をそのままにしておけば、目を離した瞬間に、何処かへ消えてしまう。
そんな予感だけが、まるで何度も思い悩んだかのように切実に。
私は、この人のことを、
きっと守らなくてはいけない。
気づいた時には。
エイミは、カサネの背後へ回っていた。
細い肩の下から両腕を差し入れ、逃がさないように胸元へ抱き寄せる。
「……っ!…………エイミ……?」
二人の身体が重なる。
28センチの身長差。
カサネの頭は、エイミの胸よりも低い位置にある。
背中から包み込めば、その身体はエイミの腕と胸の中へ、すっぽりと隠れてしまった。
あまりにも小さい。
抱きしめた腕の中に、殆ど抵抗がない。
脱ぎかけた制服のその下にある肩や腕の細さが、ひたすらに分かる。
強く力を込めてしまえば、壊してしまいそうで、けれど離してしまえば、その方がもっと簡単に壊れてしまうようにも思えた。
エイミの胸元から伝わる体温は、きっと暖かいという表現では足りないほど高いだろう。
押し当てられた身体は、まるで大きな湯たんぽのように熱を発し、カサネを包んでいく。
冷え切っていた首筋へ、どこか落ち着かないエイミの呼吸が触れ、それを後ろから眺めるのすらも心地良い。
腕。
背中。
肩。
お腹。
触れ合っている場所の全てから熱が流れ込み、白い肌へ僅かずつ赤みを戻していく。
始めのうち、カサネの身体は驚いたように固まっていた。
けれど。
その熱が、知っているものと同じだと気づいてしまった瞬間。
ゆっくりと力が抜けていく。
エイミの腕へ、小さな身体の重みが預けられた。
「……!……えへへ、……暖かい」
嬉しそうな声で、幼げな声で、
そして、ほんの少しだけ、泣いているようにも聞こえる声。
初めて会ったはずなのに。
初めて抱きしめたはずなのに。
どうしてこの姿が、これほど身体に馴染むのだろう。
どうして腕の中へ戻ってきた彼女を、二度と失いたくないとまで思ってしまうのだろう。
「…なんでだろ………私達、どこかで会ったことある?」
「…………」
カサネは、すぐには答えなかった。
熱いくらいの腕に捕らわれたままで、ゆっくりと目を閉じる。
温度も。
声も。
抱きしめ方も。
何一つ、違わなかった。
違うのは、今のエイミが、自分のことを知らないということだけ。
それを寂しいと思うのは、きっと身勝手だ。
この世界のエイミへ、別の世界での記憶を求めるべきではない。
それでも。
多次元解釈バリアが近くに存在するせいか、
あの世界でエイミから受け取ったものが、きっと私の中に残っていて、……そして、もしかしたら、彼女にもそれが伝わってしまったのではないかと。
触れ合う肌から、体温が伝わってしまうようにと。
そう思いたくなってしまった。
「……うん。……エイミも、この世界も知らないけれど…、……私以外の誰も知らないけれど。…前にも、君がこうしてくれたこと、……沢山あるよ」
「……………そう、…なんだ。……なんか、身体が勝手に、………いきなりごめん。…熱かったよね」
エイミの腕が、僅かに緩む。
離れようとしたのだろう。
けれど、カサネの手が、胸元へ回されたエイミの腕を弱々しく掴んだ。
「……確かに少しだけ……いや、かなり熱いけど、……けど」
「エイミの気持ちがたくさん伝わってくるような気がして、前からこうされるの、すごく好きだったんだ」
「…っ!……………………その、…その話はさ、……付き合ってた、とかじゃないよね…?」
「…うん?……違うよ?」
「………そう」
意味もわからず、けれどそれを聞いて僅かに落胆した自分へ、エイミ自身が一番戸惑ってしまう。
……やっぱり先生みたい。
エイミは、カサネの身体からゆっくりと腕を離し、そして、振り返ったカサネの正面へ回る。
カサネは、突然解放された熱を惜しむように、僅かに身体を震わせた。
その姿を見て。
今度こそ、迷わずに。
片膝を地面へつく。
立っていれば見下ろすほど小さなカサネと、同じ高さまで身体を落とした。
それでもエイミの方が僅かに高い。
それから、カサネの細い肩へ顔を埋めるようにして、何も言わずに真正面から強く抱きしめた。
「……っ」
先程とは違う抱擁。
今度は、カサネを温めるためだけではない。
寧ろエイミの方が、カサネの存在そのものを求めるように。
両腕を背中へ回し、逃がさないようにと抱き寄せる。
頬へ触れる白い髪は、雪よりも柔らかい。
細い肩へ額を押しつければ、その下にある骨の形まで分かってしまう。
身体の大きさは、やっぱり全く違う。
エイミが屈み、膝をついているにもかかわらず。
カサネは、その腕の中へ簡単に収まってしまう。
けれど今は。
大きなエイミが、小さなカサネへ縋りついているようにも見えた。
カサネは驚いたように両腕を浮かせたまま、暫く動かず、しかしやがて、
細い腕が、おずおずとエイミの背中へ回される。
力は殆ど入っていなくて、
それでも、確かに抱き返していた。
用意した防寒着は、未だ二人の横へ置かれたまま。
着替えさせるという目的など、二人とも完全に忘れて、外ではただ、風が吹いている。
薄いテントの布を叩き、時折、骨組みを僅かに軋ませるほど強く。
二人の間には、その音さえ届いていないようだった。
エイミの腕は、少しずつ強くなる。
カサネを傷つけないようにと、
細すぎる身体へ負担をかけないようにと、
そう気をつけているはずなのに、そろそろ離れないといけないなんて考える度、腕が反対に彼女をもっと強く抱き寄せてしまう。
時折少し膝を伸ばして、小さな頭を自分の胸元へ押しつける。
すると、大きな胸に窒息するみたいに顔を埋めたまま、なんとか小さく呼吸をする度、カサネの身体が僅かに持ち上がって、そしてまた自分の中へ沈んでいくような様子を見ることができた。
その小さな動きすら、愛おしく感じられた。
また膝を少しだけ畳んで、それから白磁のような首筋に顔を埋めて、
それからその匂いを確かめるように、エイミはゆっくりと息を吸う。
カサネは蒸すような体温にあてられてじんわりと汗をかいていて、くらりとするような甘い匂いがする。
可哀想だから。
放っておけないから。
守らなければならない人な気がしたから。
そういった建前の先で、
誰にも渡したくない。
自分だけが、こうして抱きしめていたい。
この身体が温もりを求める時、真っ先に思い出される存在でいたい。
そんな、今まで縁遠かったはずの欲が、確かに生まれていた。
或いは、彼女の言うことが本当ならば、取り戻しているだけなのかもしれない。
カサネの身体は、エイミの熱に溶かされていくように、完全に脱力し、体重を預けていた。
その様子すらも独占欲を煽ってくる。
いつか、この腕の中を、過去の誰かを思い出すための場所ではなく。
彼女にとって、ただ大好きな人の傍になるように。
そんな独占欲は、少なくとも出会ってすぐである彼女に伝えることなんて当然のように出来もせず、
ただ、カサネの背中を撫でる手に。
首筋に軽くキスを落とす仕草に。
彼女が僅かに身じろぐ度、逃がすまいと胸が潰れるくらいに強く抱きしめ直す腕に。
確かに、抑えきれないほど滲み出ていた。
そして意外にも、
カサネは、それらを拒まなかった。
むしろ心地よさそうに目を閉じ、エイミの首元へ顔を寄せる。
熱すぎる体温に頬を真っ赤に染めながら、それでも離れようとはせず。
二人の間にあったはずの境界が。
呼吸を重ねる度に。
温度を分け合う度に。
少しずつ、曖昧になっていくような感覚。
数時間にも感じるほどの数分間。二人はただ、互いの身体へ強く腕を回し続けていた。
暫くして。
ようやく本来の目的を思い出したエイミによって、カサネは防寒着へ着替えさせられた。
厚手のインナーを重ね。
ズボンの裾を何度も折り返し。
大きすぎる上着の袖も捲り上げる。
それでも肩幅は余り、腰回りもぶかぶかで、少し動くだけで何処かがずれそうになるほどには大きい。
エイミがベルトや余っていた固定具を使い、どうにか動ける程度まで調整した頃には、随分と時間が経っていた。
二人がテントから出ると。
先生は、カサネの姿を見て僅かに目を見開いた。
「"……おぉ……可愛いね………やっぱりダボダボだけど、…さっきよりは…"」
先程までの制服と毛布だけの姿に比べれば、遥かにましだった。
服の大きさは、もちろん全く合っていない。
上着の裾は膝近くまで届き、折り返したのだろう袖も、それでも指先までを覆ってしまっている。
それでも、外気へ晒されている部分は殆どなくなった。
顔色にも、ほんの僅かではあるが血の気が戻っている。
先生は安堵しかけて。
そしてそのまま、何も言えなくなる。
「"………"」
何故なら。
エイミはテントから出た後も、カサネの背後にぴったりと寄り添い、腰の辺りへ両腕を回したまま離れようとしなかったからだ。
正確には、カサネを後ろから抱き抱えていて、
傍目には。
大きな服を着せられた小さな人形を、大切そうに抱いているようにしか見えない。
カサネも、最初は気にしていなかった。
エイミの体温が上着越しにも伝わり、先程より遥かに暖かくなったため、そのまま受け入れていたのだろう。
けれど。
先生が黙ったまま二人を見つめていることに気づき。
それでようやく今の状況を疑問に感じたらしい。
「……その、エイミ?…」
「何?」
「…えと、…私、なんでまだ抱きしめられてるの?」
「嫌だった?」
「…えーと、…もちろん嫌じゃないけど」
「"……もう打ち解けたんだね"」
先生の声には、驚きよりも諦めに似た響きが混ざっていた。
エイミは、相変わらずカサネを抱きしめたまま。
カサネも、困ったように先生を見つめながら、結局その腕から抜け出そうとはしなかった。
先生は、二人の姿を暫く眺める。
初めて会った生徒から、数分後には抱きしめられている。
しかも、その相手は普段、他人との距離が比較的遠いはずのエイミで。
そしてカサネ自身は、何故こうなったのか全く理解していないような顔をしている。
その様子に。
先生は、心の中で小さく息を吐いた。
……相変わらずだなぁ。と。
おまいう