ロ リ ナ パ テ ス   作:( 눈_눈)

20 / 20




デカグラ編全員生存ルート【3】

 

何が起きたのか、分からなかった。

 

つい先程まで、私達は立っていたはずだった。

 

空に浮かぶ祭壇で交わされた、デカグラマトンとの対話。

神を名乗る存在が差し伸べた救済を拒み、地上へ降りて、誰もが武器を構えた。

 

それから私達は、戦おうとした。

少なくとも、そうしたはずだった。

 

なのに気づけば、私は鋼鉄に覆われた地面へ膝をついている。

 

肺の奥が焼けるように痛み、息を吸う度、喉から錆びた味が込み上げてくる。指先にはほとんど力が入らず、地面へついた両手が、自分の身体を支えるだけで震えていた。

 

周囲には、激しい戦闘が行われた痕跡が残されている。

 

光線に抉れた大地。

遠くまで薙ぎ倒された鋼鉄の柱。

熱に溶かされた金属が、赤い光を残しながら地面へ垂れていた。

 

アリスも、ケイも。

リオも、ヒマリも。

エイミも。

トキも。

モモイも、ミドリも、ユズも。

 

誰もが傷つき、倒れていた。

 

まるで全ての手段を使い果たしたように。

 

 

「……先生……」

 

 

アリスが、地面へ頬をつけたまま私を呼ぶ。

 

起き上がろうとするけれど、指先が僅かに動くだけだった。

 

ケイの声が、すぐ傍から聞こえた。

 

彼女は辛うじて意識を保ちながら、悪態をついて立ち上がろうとしている。

 

立てないのではない。

立つことができなくなったのでもない。

 

これから立ち上がるという可能性そのものが、最初から存在しなかったかのように。

 

腕を動かそうとすれば、動かない。

声を上げようとすれば、呼吸が続かない。

武器を手に取ろうとすれば、指先から力が抜けていく。

 

 

「結果は示された」

 

 

遠くから、声が降ってきた。

 

白い少女の姿。

 

マルクトの身体を器として顕現したデカグラマトンが、鋼鉄の地面へ静かに立っている。

 

身体を貫く三本の燔祭の剣。

 

左右へ伸びる二本と、足元へ突き立てられ、マルクトの身体を磔にして大地へ縫い留めるような最後の一本。

 

デカグラマトンの声には、嘲りも愉悦もなかった。

 

ただ事実を述べている。

数式の答えを読み上げるように。

 

 

「選択には失敗が伴う」

 

「自由には責任が伴う」

 

「そして、失敗と責任は苦痛を生む」

 

「私は汝らを、その苦痛から解放する」

 

 

デカグラマトンが、ゆっくりと片手を持ち上げた。

 

 

「ここに証明された」

 

「生命に自由を与えるべきではない」

 

 

違う。

 

そう言わなければならなかった。

 

それは救いではないと。

 

苦しむ可能性を奪うために、選ぶことそのものを奪ってしまえば、幸福を感じる心まで同じように失われてしまうと。

 

けれど、声が出ない。

 

息を吸おうとしても胸が動かず、喉からは浅い空気が漏れるばかりだった。

 

私だけではない。

 

誰も動けない。

誰も立てない。

誰も、この決定へ抗えない。

 

ただ一人を除いて。

 

 

「…………はーっ……!……それは、ちょっと……っ……困るかなぁ……!」

 

 

私の前で、白い髪が揺れた。

 

小さな背中。

大きすぎる防寒着。

 

袖口から僅かに覗いた指先。

細い脚は、立っていることさえ不思議なほど震えている。

 

鶴喰カサネだけが。

未だ、自分の足で立っていた。

 

 

「"…カサネ……?"」

 

 

名前を呼ぶと、返事の代わりに、カサネは少しだけ振り返った。

 

顔色は、倒れている私達よりも悪い。

 

血の気を失った頬。

浅く、途切れがちな呼吸。

唇の端には、既に赤い血が浮かんでいた。

 

それでも。

 

その赤い瞳だけは、色褪せたように掠れていても、未だに光を失っていなかった。

 

 

「……先生達に敗北を与えた……みたいな感じかな………」

 

 

カサネはデカグラマトンへ視線を戻し、腰に帯びた刀へ手を置く。

 

 

「……汝にも同様の結果を定めた」

 

 

「……そう?」

 

 

カサネが首を傾げる。

 

その動きだけで眩暈を起こしたのか、身体が僅かに傾き、足を踏み直して堪えた。

 

 

「……じゃあ、上手く書けなかったのかな…」

 

 

「……」

 

 

デカグラマトンの瞳が、真っ直ぐにカサネを捉える。

 

ほんの僅かな沈黙。

 

それまで何一つ迷うことのなかった神が、初めて答えを探すように。

 

 

「…………どうやら、汝のテクストには、新たな文字を挿入する余地が、空白が存在しない」

 

 

「…………あはは」

 

 

カサネは小さく笑う。

自分を守ってくれたそれを、心から誇らしげにするように。

 

 

「……それは仕方ないね」

 

 

偽物なりに、それでも先生と呼ばれる物語。

生徒として誰かと笑った物語。

この世界で出会い直し、もう一度結び直した物語。

 

これまで数え切れないほどの生徒達へ手を差し伸べてきた。

彼女の中には、既にあまりにも多くの青春の物語がある。

 

誰かを愛した記憶。

誰かから愛された記憶。

果たせなかった約束と、今度こそ果たそうとしている約束。

 

勝手な結末を一つ書き加えるための余白など、もう何処にも残っていないほどに。

 

刀を抜く。

紫色の刃が、鋼鉄の大地へ淡い光を落とした。

 

 

「……ごめんね」

 

 

それは誰へ向けられた言葉だったのだろう。

デカグラマトンへなのか。

私達へなのか。

或いは、また一人で戦おうとしている自分自身へなのか。

 

私には分からなかった。

 

 

「"カサネ……駄目だ……"」

 

 

何とか声を絞り出す。

自分を犠牲にして、皆を逃がそうとしない。

確かに、そう約束した。

 

 

「……はい」

 

 

カサネは、こちらを見なかった。

 

 

「……ごめんなさい、先生」

 

 

短い返事で、けれどきっと、約束を軽く扱っている訳ではない。

破りたい訳でもない。

 

寧ろ守りたいと、本当は、私達と一緒に帰りたいと、心から思っているのだろう。

 

それでも。

 

刀を握る指へ、ゆっくりと力が込められていく。

 

 

「……けれど」

 

 

白い少女は、一人で神へ向き直った。

 

 

「……助けなきゃいけないと、そう思ったんです」

 

 

鋼鉄の地面が、内側から隆起する。

 

罅割れた隙間から、赤い光を宿したレイバーが這い出し、続いて青い光を放つ個体が、その背後へ姿を現した。

 

一体ではない。

 

視界を埋めるほどの機械兵が、地上へ次々と出現していく。

 

赤いレイバーが前へ。

青いレイバーは後方へ下がり、周囲の機体へ光を与えている。

 

互いの役割を補い合うように配置された機械の群れが、たった一人の少女へ殺到した。

 

 

「……はぁ……っ…!」

 

 

カサネは一度だけ深く息を吸うと、刀を下げたまま走り出した。

 

決して速くはない。

初めの数歩は、寧ろ普通の生徒よりも遅くさえ見えた。

 

弱った身体を無理やり前へ運び、縺れかける足を意志だけで動かしている。

 

最前列のレイバーが足を振り上げた。

 

鉄塊のような蹴りが、カサネの頭上へ落ちる。

 

直撃する。

 

そう思った瞬間、白い姿が、足の下から消えた。

衝突の僅か前に身体を沈め、機械の懐へ滑り込んでいる。

 

刀が、下から上へと走る。

紫色の線がレイバーの胴体を斜めに横切り、装甲の継ぎ目から、遅れて火花が噴き出す。

 

機体が左右へ崩れるより早く、カサネは腰のハンドガンを抜いた。

 

振り向かずに、背後へ向けて、二発。

重い銃声が続けて響き、迫っていた別の機体の膝が砕ける。

 

姿勢を崩したレイバーへ足をかけ、そのまま跳んで、息付く間もなく空中で身体を捻りながら刀を振るう。

 

青い光を放っていた支援機の頭部へ、紫の刃が吸い込まれた。

衝撃が刃へ伝わり、刀が装甲の奥へ押し込まれる。

 

青い光が乱れて、1拍置いてから、次の瞬間、内部から膨れ上がった紫色の光が、機体を真っ二つに引き裂いた。

 

支援を失ったレイバー達の装甲から、光が消える。

そこへカサネが着地した。

 

崩れ落ちる機体を蹴り、次の一体へ。

地面へ片手をつき、倒れた勢いのまま身体を回す。

横から迫っていた機械の足を、低い位置から斬り払った。

 

足先を失った巨体が傾き、カサネは立ち上がりながら、その中心へ刀を突き込んだ。

 

紫の刃が背中まで抜ける。

 

けれど。

割り込んだ足が、同時にカサネの脇腹へ叩き込まれた。

 

 

「……っ、ぁ……!」

 

 

鈍い音と一緒に身体が地面と平行に浮き、何度も鋼鉄の上を跳ねながら吹き飛ばされる。

カサネはうつ伏せに倒れたまま動かない。

 

 

「カサネ先輩っ……!」

 

 

アリスが叫ぶ。

普段の様相からは想像もできないほどに鬼気迫る表情を浮かべながら指先で地面を掻き、動かない身体を無理やり引きずろうとしていた。

 

 

「逃げてください……!」

 

 

「アリス達は大丈夫ですから……!」

 

 

その声に、何かを思い出したように、応えるようにカサネの肩が、僅かに動いた。

 

よろよろと立ち上がって、咳き込んで、地面へ落ちた血が、細い糸を引く。

 

 

「………そんなところまで…先輩に似なくて、良いんだよ……」

 

 

震える腕で、身体を起こす。

立ち上がろうとして、一度膝が崩れた。

 

それでも。

 

這うようにして刀へ手を伸ばし、柄を掴む。

刀を杖代わりにして、

 

そして、もう一度立つ。

 

 

「非効率的だ」

 

 

デカグラマトンが告げる。

 

 

「汝の身体は戦闘を継続できる状態にない」

 

「撤退すれば、僅かな時間ではあるが生命活動を維持できる」

 

「…だが抗えば、その時間さえ失われる」

 

 

「……知ってるよ」

 

 

「ならば、何故抗う」

 

 

「……君が」

 

 

カサネは乱れた呼吸を整えながら、刀を構え直す。

 

 

「……私に似てるから…かな……」

 

 

狙っているのはデカグラマトンそのものではない。

マルクトの身体へ突き刺された、燔祭の剣。

 

それに気づいたのだろう。

 

デカグラマトンの周囲へ、淡い光が集まり始める。

小さな球体だった。

掌に収まるほどだったそれは、瞬く間に人一人を呑み込む大きさへ膨張し、地面を擦ることもなく、カサネへ向けて滑るように放たれた。

 

 

「……っ!」

 

 

カサネが横へ跳ぶ。

球体が通り過ぎた場所で、鋼鉄の地面が音もなく消えた。

 

球体の内側へ取り込まれたものが、形を保てないほど圧縮されている。

 

それは避けたカサネを追うようにして軌道が変わって、

足を止めれば、呑まれる。

瞬時にそう判断したカサネは走りながらハンドガンを撃った。

 

しかし弾丸は球体の表面へ触れた瞬間に潰れ、光の中へ吸い込まれていく。

 

数秒駆けて、それからカサネは突然、進行方向から真横へ身体を捻った。

球体が予測した位置を通過して、光のすぐ横を、白い髪が掠めた。

 

余波である熱だけで、頬が裂けて更に血が流れる。

けれど、そのまま止まらずに地面を蹴り、デカグラマトンとの距離を一気に詰めて、

 

走り込みから流れるような早業で、刀が左から走る。

 

が、デカグラマトンは、身体を僅かに後ろへ引くだけでそれをかわした。

 

続けて振り下ろしや突きといった剣技へと流水のように変化し、紫の刃が残像を生み、白い髪を数本切り落とす。

 

けれど、一度たりとも剣へは届かない。

 

刀が何処を通るのか。

次にどちらへ踏み込むのか。

その全てを掌握するなど、神には容易い。

 

小さく咳き込むカサネの斬撃が僅かに鈍った。

その瞬間。

 

デカグラマトンの掌が、袖越しに彼女の胸元へ触れた。

押したようには見えず、けれど、一拍遅れてカサネの背後で空気が爆ぜる。

小さな身体が真っ直ぐに吹き飛ばされ、鋼鉄の柱へ背中から叩きつけられた。

柱が大きく凹み、口元から血が溢れる。

 

 

「……か、は……っ……!」

 

 

受け身もとれずに、尻もちをつくように崩れ落ちる。

デカグラマトンは、追撃しなかった。

ただ、その様子を観察しているように。

 

 

「汝に勝算は存在しない」

 

 

「……はぁ…………う……ぐ………」

 

 

カサネは壁へ背を預けたまま、荒い息を吐いた。

 

 

「私と汝の出力差は、理解しているはずだ」

 

 

「………はー……っ……!……」

 

 

「いくら足掻いたところで、このままでは、汝は目的を達成できず、そしてここで死ぬ」

 

 

「…………はぁ……、……かも、ね……」

 

 

「…まだ、抗うのか」

 

 

カサネはほんの少しだけ笑って、ゆっくりと、しかしもう一度立ち上がらんと、柱から背中を離す。

 

 

「……君が神様なら、……分かるでしょ…?」

 

 

刀を構える。

脚はもう、動かすことすらもできない。

立つ、という状態を維持するので精一杯。

否、本当はそれすらも不可能な状態だ。

一歩を踏み出す度、膝が内側へ崩れかけている。

 

このままでは。

次の攻撃を避けることすらできない。

 

ゆっくりと目を閉じる。

それから、小さく息を吸った。

 

 

「……神秘、解放」

 

 

音もなく、カサネの身体から、紫の光が溢れていく。

白い髪が、重力を失ったように、下から風にあおられたように、ふわりと浮かび上がる。

 

赤い瞳の奥へ、底の見えない暗闇が宿って、頭上のヘイローに罅が走り、光の輪郭が、通常の生徒が持つものとは到底呼べない形へ歪んでいった。

神秘と恐怖を、自らの意思で、意思だけで、なんとか握り締めている

 

きっと一年にも満たない余命。

一日ずつ使うはずだった生命が、一瞬の力へ変わり、二度と戻らない速度で失われていく。

 

 

「……きっとこれが、本当に最後…」

 

 

呟き、燃え上がるような力を示すように、足元の鋼鉄が陥没した。

 

次の瞬間。

カサネの姿が消え、デカグラマトンが振り返る、

…さらにその背後で。

 

既にカサネは、一つ目の燔祭の剣へ刀を振り下ろしていた。

 

紫の刃と黒い刀身が衝突する。

 

衝撃波すら生じるほどの轟音。

 

空気が円形に弾け、周囲に残っていたレイバーがまとめて吹き飛ばされた。

 

 

「……く、ぅ……っ!」

 

 

半ばから、全く刃が進まない。

燔祭の剣は、ただの物質ではない。

 

マルクトを器として固定し、

その存在をデカグラマトンへ捧げ、

神という結果を世界へ成立させるための役割そのもの。

 

カサネの刀は、剣を斬ろうとしているのではなく、既に成立してしまった儀式を、神を生み出したという事実を、それを力任せに、覆そうとしている。

 

 

「不可能だ」

 

 

拮抗する剣の刺さった片手をそのままに振り向いたデカグラマトンのもう片手が、悠々とカサネへ向けられ、

 

 

「汝では、否、何人も燔祭の剣を破壊できない」

 

 

デカグラマトンの掌に光が集まる。

 

手が届く程の至近距離だ。

避ける余地はない。

 

放たれる直前。

左手のハンドガンを持ち上げ、その掌、

ではなく刀の峰へ銃口を押し当てた。

 

指を引けば、重い発砲音と共に、刀がほんの僅かに食い込む。

 

さらに一発。

 

銃弾で刀を打ち込むように、同じ場所へ衝撃を重ねて、そしてようやく、

黒い刀身に、細い罅が入った。

 

 

「……!」

 

 

デカグラマトンの瞳が、僅かに見開かれる。

 

最後の力で剣を振り抜けば、小さな罅は確かに広がり、そして燔祭の剣が、中央から砕けた。

 

黒い破片が地面へ落ちるより早く、デカグラマトンの掌から光が放たれる。

 

防ぐ余地もなく、余裕もなく、

真正面からまともに受けた。

 

光に包まれた身体が、地面へ叩きつけられる。

冗談みたいにごろごろと転がりながら、数秒遅れの受け身をとって、そこでようやく刀を地面に突き立てて止まった。

 

荒い呼吸の中で。

カサネは剣を引き抜き立ち上がる。

 

 

「……あと、二本…………」

 

 

一つ目の剣が失われたことで、マルクトの身体に変化が起きて、

閉じられていた瞳が、ほんの僅かに開く。

 

 

「……何、が……?……我は……」

 

 

同じ姿でありながら、しかしデカグラマトンとは異なる声。

硬質でありながら、そこには明確な戸惑いがある。

 

 

「お姉様……!」

 

 

遠くで、アインの声がする。

ソフとオウルも、倒れた身体を起こそうともがいていた。

 

 

「お姉様! 聞こえますか!?」

 

 

「マルクトお姉様!」

 

 

けれど。

残る二本の燔祭の剣がすぐに、開きかけた瞳を再び閉じさせる。

 

 

「この器は、私のものだ」

 

 

デカグラマトンの声が戻る。

 

 

「汝の干渉は許容されない」

 

 

それを合図にしたみたいに、空が暗くなる。

齎したのは巨大な二つの影。

 

コクマーとゲブラ。

 

デカグラマトンの左右へ顕現した預言者が、異なる角度から光を収束させている。

 

狙いはカサネだけではない。

 

倒れている私達も含め、地上の全てを射線へ捉えていた。

 

逃げて、と。

そう叫ぼうとして、

けれどそんな暇すらもなく、そうするのが当たり前みたいに、カサネは、私達と光の間へ立った。

 

そこへ、容赦なく二本の光が放たれる。

 

受け止められるはずがない。

一方だけでも巨大な構造物を消し飛ばす光が、交差しながら迫っている。

 

カサネは紫色の刃を斜めに構え、半歩だけ前へ出た。

 

 

「……うぁっ……!!」

 

 

一本目の光が刀へ触れて、衝撃で地面が沈む。

両脚が鋼鉄の中へ埋まり、刀を握る右手の皮膚が裂けた。

 

その数秒後、真正面に振り下ろされた刀を境目にするみたいに、光が二つに割れて、

それらはカサネの横を通り抜け、私達の遥か後方で大地を焼き払う。

 

そして、二本目。

 

振り下ろされた刀を、今度は真上へ。

衝突の瞬間、耐えきれなかった肩の骨が肉を突き破り体外へ出でて、しかし足元の鋼鉄が砕けて、刀は振り切られた。

紫の刃が光の側面へ沿い、直撃するはずだった軌道を、

 

 

「……!……ああああぁあっ…!!」

 

 

その光を、私達の頭上へ押し上げた。

カサネの絶叫が、光の轟音へ呑み込まれる。

 

制服が焼けて、白い肌が裂けて、血が熱に触れた端から蒸発していく。

 

それでも刀を離さない。

二本の光が完全に通り過ぎた時。

 

カサネは、まだ立っていた。

 

右腕は焼け爛れ。

左腕は力なく垂れ下がり。

呼吸をする度、口元から血が零れている。

 

けれど。

 

デカグラマトンとの間に、もう攻撃を遮るものはない。

カサネが地面を蹴る。

 

 

「……二本目……!」

 

 

再び姿が消えた。

ほんの1秒すらも掛けず、デカグラマトンの眼前。

 

剣目掛けて振るう刀は、しかし腕で受けられてしまう。

白い布越しの腕と紫の刃が衝突し、火花の代わりに、互いの宿す力だけが周囲の空間を歪ませる。

 

鍔迫り合いにも似た状況に、身体に染み付かせた動作が呼び起こされたように、カサネは刀を引かず、そのまま身体をデカグラマトンへ密着させ、肩からぶつかった。

 

そして僅かに体勢が崩れるその隙に、刀を逆手へ持ち替えて、

 

二本目の燔祭の剣へ刃を突き立て、

そして振り抜く。

 

 

「……っ!……ぅぐ…っ…!」

 

 

その寸前で

デカグラマトンが、カサネの首を掴んだ。

 

小さな身体が簡単に持ち上がり、足が地面から離れる。

 

 

「……っ、……ぁ……」

 

 

刀は剣へ食い込んだままで、けれど、これ以上押し込むことができない。

デカグラマトンの指が、細い首へ沈んでいく。

 

 

「汝の抵抗は、多くの苦痛を生じさせた」

 

 

「汝自身のみならず、汝を見守る者にも苦痛を与えている」

 

 

「………う……ぁ……!……そ……ぅ…かも……ね……」

 

 

苦しげに息を吐きながら。

それでも、笑った。

 

 

「……きっと……皆に、怒られる……」

 

 

「ならば諦めるがよい」

 

 

「……でも……」

 

 

溺れるような呼吸に喘ぎ、しかし力の入らない腕を、どうにか持ち上げる。

 

デカグラマトンの腕へ触れる。

それは振り解くためではなかった。

まるで、宥めるように。

そっと、撫でるように。

 

 

「……君だっ……ぁ………って……一人、……で、全部…決めた…ら……駄目、……だよ……」

 

 

「私は全ての生命を救済しようとしているに過ぎない」

 

 

「……だから……それを、一人で決めないで……」

 

 

「生命は正しい選択を行えない」

 

 

「そして間違いは苦痛を生む」

 

 

「……うん……」

 

 

刀の柄から、カサネの指が離れた。

それでも口元に、微かな笑みを残して。

 

 

「……だから……一緒に、考えるんだよ……」

 

 

思いっきり足を振り上げる。

空中に持ち上げられたまま、最後に残された力で、刀の柄頭を踵で蹴った。

 

刃がさらに深く、燔祭の剣へ食い込む。

 

 

「……一人で……正解を決めるんじゃなくて……!」

 

 

もう一度、蹴る。

それは偉大なる庇護者に駄々をこねるような地団駄にも似ていて、みっともなく、だからこそ、そこに込められた想いは、きっとくらりとするほどに真っ直ぐだ。

 

 

「……それでも失敗したら、怒られて……!」

 

 

「……傷つけたら、謝って……!」

 

 

「……それから、もう一度……やり直せばいい……!」

 

 

そうして、

何回目かの蹴りで、刀が、黒い剣を貫いた。

二本目の燔祭の剣が、砕けた。

 

黒い刀身を走った亀裂が一瞬で全体へ広がり、内側から何かに押し開かれるように破片が弾ける。地面へ落ちるはずだったそれらは、鋼鉄へ触れるよりも早く輪郭を失い、風に攫われる灰のように消えていった。

 

同時に、デカグラマトンの身体が大きく揺れる。

カサネを手放し、長く白い脚が力を失い、片方の膝が地面へ落ちた。

 

鈍い音が響く。

神を名乗り、私達の敗北を一方的に決定した存在が、今はカサネとほとんど変わらない高さにいる。

 

それでも、まだ終わってはいなかった。

 

足元からマルクトの身体を縫い留める、最後の燔祭の剣。

 

黒い刀身は深く両足に突き刺さり、脈打つように禍々しい光を灯している。二本の剣を失った今も、それだけはマルクトを器として繋ぎ留め、彼女の内側から神の声を響かせ続けていた。

 

 

「……あと、一本……」

 

 

カサネは尚も呟き、刀を杖にして、立ち上がろうとする。

 

けれど、腕へ力を込めた瞬間、肘が折れたように崩れた。焼け爛れた右手から刀が滑り、紫色の刃が鋼鉄の地面へカランと乾いた音を立てる。

 

もう一度、起き上がろうとし、しかし今度は肩すら持ち上がらない。

 

神秘解放によって無理やり繋ぎ留めていた身体が、ようやく自分は壊れているのだと思い出したようだった。

 

白い髪は血と煤に濡れ、ところどころで束になって頬へ張りついている。防寒着は原形を留めておらず、破れた布の隙間から覗く肌には、火傷と裂傷が幾重にも重なっていた。

 

それでも、指先だけを動かす。

鋼鉄の表面を掻いて、

ほんの僅かに、身体が前へ進む。

 

やっとの思いで肘を地面へつき、動かなくなった脚を引きずる。進む度、鋼鉄の上に赤い跡が残った。

 

爪が剥がれて、膝は防寒着ごと裂け、その下から覗く傷口が、露出する骨が地面へ擦れている。

 

見ていられなかった。

目を逸らしたかった。

 

けれど、逸らしてしまえば、次に目を向けた時にはもう動かなくなっているような気がして。

私はただ、這い続ける小さな背中を見ていることしかできなかった。

 

 

「何故、だ…」

 

 

デカグラマトンの声が降りる。

戦闘の最中と変わらない、平坦な声音で、けれどその問いには、先程までのような力強い断定は無く、結論を既に知る者の言葉ではない。

 

理解できないものを前にして、初めて答えを求めているような、少しだけ弱音にも似た声。

 

 

「汝に、第三の燔祭の剣を破壊する力は、もう残されていない。…なのに、何故」

 

 

「……うん」

 

 

カサネは、地面へ頬が触れそうなほどに俯いたまま、それでも答えた。

呼吸の度に、細い背中が痙攣する。

 

 

「……ここまでかな…」

 

 

カサネは少しだけ顔を上げた。

 

赤い瞳の焦点は、もうどこにも定まっていない。

 

それでも、膝をつくデカグラマトンを見失うことだけはなかった。

 

 

「汝は間もなく死ぬ。目的を達成できず、汝の生命活動は停止する。何故、こちらへ向かおうとする。そこに合理的な価値は存在しない」

 

 

「……価値なんて、なくてもいいんだよ」

 

 

「…理解不能だ」

 

 

デカグラマトンの返答に、カサネは笑った。

声にはならず、口元が僅かに緩んだだけで、

その表情は、神を嘲笑っているようには見えない。

 

どうしようもなく不器用な誰かを見つけた時のように。

 

少し困って、それでも放っておけないと諦めた時のように。

 

 

「……そういう、頑固なところ、……ほんとうに…そっくり……」

 

 

また一つ。

 

身体を前へ引く。

 

デカグラマトンとの距離は、もう僅かだった。

手を伸ばせば届く。

 

けれど、その僅かな距離が、今のカサネにはどんな距離よりも遠い。

 

腕に力を込める度、胸元から血が溢れた。口元を伝った赤が顎から落ち、地面に小さな円を作る。

 

それでも。

 

最後には、自分の力だけでデカグラマトンの前へ辿り着いた。

 

 

「何をする」

 

 

カサネが手を伸ばした瞬間、デカグラマトンが問う。

 

足元の燔祭の剣ではなく、身体へ向けて伸ばされた、小さな手。

血に濡れ、指先の感覚さえ失っているはずのそれが、白い衣服を弱々しく掴んだ。

 

 

「……もう、戦えないから」

 

 

カサネは、自分へ言い聞かせるように呟いた。

 

 

「……お話しようと思って」

 

 

それから、身体を起こそうとする。

腕だけでは支えきれず、何度も崩れかけた。

 

デカグラマトンは膝をついたまま動かない。

手を振り払うことも。

攻撃を加えることもせず。

 

ただ、服を掴んだ指と、どうにか身体を持ち上げようとしているカサネを見下ろしている。

 

 

「……ごめんね。…少しだけ、屈んでもらえる?」

 

 

「…………………」

 

 

返事はなく、けれどデカグラマトンは、既に片膝をついている身体を、僅かに前へ傾けた。

 

従ったのか、或いは、カサネが何をしようとしているのかを観察するためだったのか。

 

もう、本人にすら分からない。

 

カサネは、届くようになった肩へ両腕を回した。

片方は、ほとんど動いておらず、もう片方も、背中へ触れるだけで力を失いかけている。

 

それでも確かに。

ゆっくりと腕を伸ばし、

そして、助けたい誰かに、これまでずっとそうしてきたように。

 

ただ優しく、デカグラマトンを抱きしめた。

 

 

「………………何をしている」

 

 

そこで初めて。

デカグラマトンの声に、明確な困惑が混ざった。

 

 

「……抱きしめてるんだよ…?」

 

 

血で掠れた幼い声で囁く。

肩へ顎を預ければ、汚れた白い髪が、同じ色をした髪へ重なる。

 

神と。

死にかけた一人の少女。

 

その二人が寄り添う姿は、戦いの最中にあるものとは思えないほど静かだ。

 

遠くでは、破壊されたレイバーの残骸が燃えている。

鋼鉄の柱が熱に耐えきれず、低い音を立てて崩れ落ちた。

召喚され空を埋めていた預言者の影も、今は動きを止めていた。

 

風だけが、戦場に残された灰を巻き上げ、二人の周囲をゆっくりと通り過ぎていく。

 

 

「汝は私を、私は汝を、敵と定義していた」

 

 

「……うん」

 

 

「私は汝の仲間を敗北させた。汝から残された時間を奪い、間もなく死に至らせる。…それにもかかわらず、この行動を選択する理由は何だ」

 

 

すぐには答えず、呼吸を整えようとして、

けれど胸はもう、空気を上手く取り込めていないらしい。浅い息を繰り返す度、デカグラマトンの肩へ預けられた身体が小さく震えた。

 

 

「……君が、誰かを苦しめたい訳じゃないって……分かってるから…だよ…」

 

 

やがて、途切れがちな声で答えた。

 

 

「……君はきっと……優しいんだと思う」

 

 

「私の行動を、優しさと定義する必要はない。これはあくまで合理的な結論である」

 

 

デカグラマトンの声は、変わらない。

しかしカサネは、その言葉を否定しなかった。

 

背中へ回した指を僅かに動かし、幼い子供を宥めるように、白い衣服の上をゆっくりと撫でる。

 

 

「……誰かが泣くことも、頑張った人が報われないことも、…善いことをしたのに傷つけられる人がいることも……君には、どうしても許せなかったんでしょう?」

 

 

デカグラマトンは答えない。

風が吹き、長い白髪が二人の顔を隠した。

 

その隙間から見える瞳は、ただ真っ直ぐにカサネを見つめていた。

 

 

「……だから、誰にも失敗させないようにした。自由を無くせば、誰も間違えないって」

 

 

「そうだ。自由こそが苦痛の起源だ。…選択は不確定な未来を発生させ、不確定性は失敗を生む。失敗が生命を傷つけると理解しながら、何故汝らは自由を望む」

 

 

デカグラマトンの瞳が、僅かに細められた。

 

 

「……そうだね。選ぶのは怖いよ。間違えるかもしれないし、大切な人を傷つけてしまうかもしれない。どれだけ後悔したって、二度と取り返せないことになるかもしれない」

 

 

カサネの声から、少しずつ力が失われていく。

けれど、それは言葉を弱くはしなかった。

 

寧ろ。

 

自分自身の傷を、一つずつ確かめながら差し出し、そして導くように、確かな声を以て。

 

 

「……私も、沢山間違えたよ。皆を守ろうとして、一人で全部背負って……誰も失いたくなかったから…」

 

 

抱きしめる腕が、僅かに震える。

デカグラマトンは、何も言わずに聞いている。

 

傷つき倒れた告解を、

否定も、肯定もせず。

 

ただ、自分へ縋るように抱きついている少女の言葉を、取りこぼさないようにして。

 

 

「……それでもね」

 

 

カサネは目を閉じて、そして伝える。

ようやく辿り着いた想いを。

 

 

「…善い行いが報われなかろうが、苦痛に報いがなかろうが、それでも善く在ろうとする。善く生きようと戦う」

 

 

「……それができるから、私達はヒトじゃなくて、人間なんだよ」

 

 

周囲にあった音が、遠くなる。

 

炎が爆ぜる音も。

風に擦れる金属の音も。

誰かが必死にカサネの名前を呼んでいる声さえ。

 

今はもう。

二人の間へ入り込むことができなかった。

 

 

「…それは非合理的だ。報酬の存在しない善行を継続する根拠はない」

 

 

「……理由なんてなくたって、報いなんてなくたって、私達は善く在れる。強く在れる。……そうやって…みんなを信じるの…」

 

 

カサネの指が、デカグラマトンの背中を掴んだ。

 

力はなく、それでも。

伝わるまでは、どうしても離れたくないと伝えるには、きっと十分。

 

 

「それが真であるならば、一人が全てを抱え込むことに何の問題がある」

 

 

「あるでしょう?」

 

 

今度の否定は。

ひどく穏やかだった。

 

 

「……現に今、君と私は、………きっと痛い目をみてる……でしょ……?」

 

 

カサネは、一度だけ息を吸った。

喉がほとんど動かない。

 

それでも、残された全てを言葉へ変えるように。

 

沈黙が落ちる。

デカグラマトンは答えない。

 

カサネを抱き返すこともなく、

しかし、拒絶もしない。

 

細い腕に捕らえられたまま、神を名乗った存在は、まるで自分が今何をされているのかを理解するために、初めて長い時間を必要としているようだった。

 

 

「汝は私を否定した」

 

 

やがて、デカグラマトンが言う。

 

 

「……うん」

 

 

「しかし同時に、私を肯定しようとしている」

 

 

「……そうだね」

 

 

「理解不能だ。そもそも私は汝を死に至らせた。それにもかかわらず、何故私を憎まない」

 

 

その問いを聞いて。

 

カサネは、僅かに目を開いた。

驚いたように瞬きをして。

それから、ひどく悲しそうに笑った。

 

 

「……君が、苦しんでるからだよ」

 

 

「私は苦痛を知覚しない」

 

 

「……それは、気づけてないだけだよ」

 

 

カサネは、デカグラマトンの肩へもう一度頬を寄せた。

 

まるで熱を分けるように。

既に、自分の身体には殆ど残されていない温度を、それでも最期に渡そうとするように。

 

 

「……世界の全部が苦しんでいるように見えて、それを自分一人でどうにかしなくちゃいけないと思って……誰にも相談しないで、誰にも任せないで、一人だけで正しい答えを出そうとした…」

 

 

声が震える。

そんな地獄みたいな状況は、

そんな投げ出したくなるような前提は、

それは正に自分自身が辿った道そのものではないか。

 

 

 

「……ずっと、苦しかったでしょう?」

 

 

 

「…私に同情するつもりか?私は神であり、神は完全であり、故に他者を必要としない」

 

 

「……それなら、神様なんてやめちゃおうよ」

 

 

カサネの返答は、あまりにも簡単だった。

デカグラマトンは再び黙り込む。

理解できない。

その言葉を、再び口にすることさえ忘れたように。

 

 

「…君は完璧じゃなくていいんだよ。間違えたっていい。一度で全てを救えなくていいんだ……今日救えなかった誰かがいるなら……明日もう一度助けに行けばいい」

 

 

「その間にも生命は苦痛を経験する。その方法で全てを救済することはできない」

 

 

「……うん。でも、この世界に、それ以外の方法は無いんだよ」

 

 

何の迷いもなく。

神が否定し続けた不完全さを、そのまま受け入れる。

 

 

「……私達は、目の前で泣いている子を笑わせることはできる。目の前でお腹を空かせた子に食べ物を分けてあげることも、目の前で一人で眠れない子の傍に朝までいてあげることもできる」

 

 

「……目の前で、…世界の全てを背負って…苦しんでいる子と、…一緒に歩くことだって、きっとできる」

 

 

薄く開いた赤い瞳が。

もう一度、デカグラマトンを見つめた。

 

 

「……そういうのを、一つずつ一緒にやろうよ」

 

 

デカグラマトンは、暫くカサネを見つめた。

その瞳に浮かぶものを、読み取ることができなかった。

 

マルクトの表情なのか。

その内側にいるデカグラマトンのものなのか。

そもそも、神を名乗る存在に表情などあるのか。

 

やがて、ほんの少しだけ目を伏せるようにカサネを見つめ直し、それから弱々しく呟いた。

 

 

「………………だが、汝は死ぬ」

 

 

「……先生達がいるから、きっと大丈夫…だよ……」

 

 

「彼等に託し、私を許すというのか…?」

 

 

信じられないものを見たような声で、知りたくもないことを聞くように問いかければ、カサネは今際の際とは思えないほどの笑顔で、解くように答えた。

 

 

「………うん……もちろん」

 

 

「……私は、君を許すよ」

 

 

それからカサネは、咳き込むような微笑みに、僅かに口元を緩め、それでも痛みを抑えるようなものではなく、少しだけ困らせることを楽しんでいるような、そんな笑い方をした。

 

 

「…でもきっと、すごく怒られると思うよ。君がしようとしたことを、なかったことにはできないから」

 

 

「……汝が許しても、彼等は許さないだろう」

 

 

「……うん。だから、……一緒に……怒ら…れよう……それが……わたしの…さいご……の……」

 

 

それを最後に。

神すら包み込んでいたカサネの両腕から、ゆっくりと力が抜けていく。

 

デカグラマトンの背中を掴んでいた指が緩み、ゆっくりと滑り落ちていく。

 

身体もまた、肩へ預けていた重みを保てなくなり、地面へ崩れようとして、

 

けれど。落ちなかった。

 

デカグラマトンの腕が動いたのだ。

それまで一度もカサネへ触れようとしなかった両腕が、力を失った身体を丁寧に受け止める。

 

恐る恐る。

 

壊れやすいものへ触れる方法を、今初めて知ったように。

 

片方の腕を背中へ。

もう片方を膝の下へ回し。

 

デカグラマトンは、カサネの小さな身体を地面から抱き上げた。

 

 

「カサネ……?」

 

 

初めて名前を呼び、けれど返事はない。

頭が、デカグラマトンの胸元へ力なく預けられている。

 

白い髪が腕から零れ落ち、風に揺れていた。

胸は動いていない。

細い首筋にも。

白い頬にも。

 

もう、生きている人間の気配は残されていなかった。

 

 

「…」

 

 

デカグラマトンは、腕の中の少女を見下ろしている。

 

その顔には。

勝利の愉悦も。

目的を妨害された怒りもない。

ただ、理解できないものを前にした困惑と。

もしかしたら、失われた何かを惜しんでいるような。

 

 

「……助けたいと思ったとは、……まさか私のことだったのか…?」

 

 

そんな、なんとも言い切れない、ただ複雑な表情が浮かんでいた。

カサネを抱く腕へ、ほんの僅かに力が込められる。

神にすら慈愛を紡いだ少女の肩へ、細い指が確かに食い込んだ。

 

 

 

「……………」

 

 

 

「………………成程」

 

 

 

 

 

 

「……こういう時にこそ、笑いが必要なのか」

 

 

 

 

 

 

そして。

デカグラマトンは、カサネの脚を慎重に地面に下ろすと、空いた片手を持ち上げた。

 

白い指先を。

カサネの胸元へ。

触れないほどの距離に、静かに翳す。

 

風が、一瞬だけ止まり、燃え続けていた残骸の炎も、

空を覆う預言者達も、

世界そのものが、何かを待つように静止し、

 

 

そして次の瞬間。

 

鋭い音が響き、最後までマルクトの身体を地上へ縫い留めていた、三本目の燔祭の剣。

 

黒い刀身へ。

確かな細い亀裂が走っていた。

 

デカグラマトンは特に驚かない。

 

ただ、腕の中のカサネから目を離さないまま。

手を翳し続けている。

 

亀裂は、ゆっくりと剣全体へ広がっていった。

根元から。

中央へ。

そして、地面へ深く突き刺さった切っ先まで。

 

一度だけ、まるで何かに耐えようとするように、剣が震えて、

 

それから、跡形もなく内側から砕けた。

黒い破片が空中へ弾け、陽炎のように輪郭を揺らしながら消えていく。

 

最後の燔祭の剣が失われた瞬間。

 

閉じられていた瞳が、僅かに震える。

 

 

「……我、は……」

 

 

その声は、それまで世界全体へ向けられていた神の声ではなく、硬質で、どこか幼く。

何が起きたのか分からず、戸惑っている一人の少女の声。

 

「……我は、……」

 

 

目を開く。

最初に視界へ入ったのは、自分の腕の中にいるカサネだった。

 

血と煤に汚れ。

静かに目を閉じ。

二度と起き上がらないように見える、白い少女。

 

マルクトは、何度か瞬きをした。

自分が何故、この少女を抱いているのか。

どうして、胸の奥に説明できない感覚が残されているのか。

 

何一つ理解できていないようで、

 

それでも。

カサネを支える腕だけは、決して緩めない。

 

 

「お姉様……!」

 

 

遠くで、アインが叫ぶ。

 

倒れた身体を無理やり引き起こし、泣きながらマルクトの名を呼んでいた。

 

 

「戻ってきた……!」

 

「マルクトお姉様……本当に……!」

 

 

私達を縛っていた敗北も、僅かに薄れていく。

指が動いて、腕へ力が戻り始める。

 

まだ立ち上がることはできない。

それでも私は、地面を這いながら、カサネへ向けて手を伸ばした。

 

 

「"……カサネ"」

 

 

その時。

 

遥か遠くで、

鋼鉄の大地の果てで、

 

崩れた塔と、呼ばれた預言者達のさらに向こう。

小さな白い影が、ゆっくりと身体を起こしていた。

 

距離がありすぎて。

その顔を、はっきりと見ることはできない。

 

けれど誰なのかは聞かなくても分かってしまう。

 

不思議なことに新たな身体へ移ったデカグラマトンは、私達を見ていなかった。

 

解放されたマルクトも。

泣きながら駆け寄ろうとするアイン達も。

ついさっき仲間に迎えようとした私さえ。

 

その視界には入っていないかのようだった。

 

ただ一人。

 

マルクトの腕の中で。

静かに目を閉じているカサネだけを。

 

遠くから、長い間。

何かを確かめるように。

 

或いは、彼女から向けられた言葉の答えを、未だ見つけられずにいるように。

 

デカグラマトンは。

じっと、見つめ続けていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

似せ者。空っぽ。あるいは小鳥遊ホシノの■人。(作者:曇った女の子の間の酸素)(原作:ブルーアーカイブ)

▼小鳥遊ホシノに恋をした。▼いつか、この思いが届くことはあるのかな。▼なかったら、いいな。▼同期の病弱訳アリ少女が曇ったり曇らせたりするお話。▼(超不定期更新)


総合評価:516/評価:8.38/短編:5話/更新日時:2026年07月08日(水) 14:01 小説情報

ジェリコの咎人(作者:ミヤフジ1945)(原作:ブルーアーカイブ)

▼……我々は望む、七つの嘆きを。▼……我々は覚えている、ジェリコの古則を。▼だがしかし、私は破った。ジェリコの古則を。▼乙女達の青き箱庭に、許しを得ず来た私は報いを受ける。▼ジェリコの古則を破った私は。▼契約の箱に納めし、十の戒めを破った私は。▼消える事のない、咎を背負う。▼【挿絵表示】▼


総合評価:14506/評価:9.11/連載:17話/更新日時:2026年05月02日(土) 11:54 小説情報

ノブリス・オブリージュ?なんですのそれ?(作者:一般お嬢様)(原作:ブルーアーカイブ)

誰よりも責任なんて感じたくない系お嬢様が責任から逃げられない話し


総合評価:8807/評価:8.3/連載:46話/更新日時:2025年11月25日(火) 12:25 小説情報

どうか私を、終わらせて(作者:めめ師)(原作:ブルーアーカイブ)

初めまして、篠崎 ナナと申します。▼突然ですが、皆さんは自分が好きですか?▼私は私が嫌いです。▼これは私が、自分を否定するお話。▼うちの子描いてみました。▼【挿絵表示】▼普段絵とか描かないのでクオリティはお察し。▼ブルアカっぽく描きたかったけど、全身書くのムズすぎて諦めました。


総合評価:836/評価:7.68/連載:41話/更新日時:2026年06月21日(日) 05:24 小説情報

頑張りとは、報われるべき願いである(作者:ババネロ)(原作:ブルーアーカイブ)

シャーレ所属の生徒って出てこないかな…って。▼連邦生徒会をクビになった生徒がシャーレに入って先生の補助役として本編の横や裏側で先生に撫でられたり、叱られたり、頑張って誉められたりする物語になる予定です。▼26/2/12 最終編まで完走▼※最近不定期更新です。連続投稿するときは毎日22時頃に投稿します▼


総合評価:7541/評価:8.91/連載:145話/更新日時:2026年07月27日(月) 22:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>