「"本当にやるの…?もしも君の姿を知っている生徒に見られたら……"」
スマホから聞こえるやや心配そうな声。砂混じりの乾いた風がサラサラと私の髪を攫おうとする。無数の刃物でめちゃくちゃに地上を刺すような輝きをもって余す所なく砂漠を照らすお日様は、どうやら天上を過ぎて、いつの間にか昼下がりに差し掛かった。そんな日常の一幕。
「もちろんです!ていうか、ヴェリタスの皆ももうスタンバってますよ?」
明るく溌剌な声は前の世界よりも随分調子がよくて、肌を照りつける砂漠の洗礼も、少し汗ばんでしまいはすれど、それすらもなんだか心地が良い。傷のない身体に、徹夜明けでは無い瞳。随分久しぶりに感じる万全の身体のせいか、この世界が楽しくて仕方がないというような私の声に、何か思うことがあったのか、先生は軽くため息を吐きながら、その声音はどこか嬉しそうだった。
「"…じゃあ、始めるよ"」
そんな声と同時に通話が切れる。
そして、先生としての、
私の最後の仕事が始まろうとしていた。
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「……」
幽世を彷徨い歩くような足取りはいつもの事のように、酷く重い。この身に課せられるはずだった罪の重さすら感じられず、ただ無意味に、闇雲に存在だけはしている。
そうだ。存在しているだけ。今の私はきっと生きているとは言えない。
誰より大切な人だった。それを自ら殺さなければならなくなって、そして子供のように駄々を捏ねてそれを拒んだ。だってそれだけは無理だったんだ。どうしてもそれだけは出来なかったんだ。
結果、私はカサネの事すらも失って、そして今ものうのうとここにいる。
何度も死んでしまおうと考えた。
何度も自分を罰しようとした。
でも他ならぬカサネの言葉がどうしても頭をチラついて、あんな壮大なことをしでかしてまで私に「貴女のせいじゃないよ」と伝えてくれたそれをどうしても無駄には出来なくて。
自分を責める言葉が思い浮かぶ度に、彼女が私にしてくれた最期の授業が、折り鶴に託された素朴で、当たり前で、そしてひたすらに優しい祈りが。
昼下がりを歩くような容易さで私の自罰を否定していく。
DUの外郭地区を彷徨う。何か考えがあった訳では無い。気が付けば足が向かっていた。ビル群と蠢く人々。ガラス窓には無数の広告が映し出されている。人々は今日の夕飯だとか、明日の試験の事だとか、そんな日常を語りながら普通を享受して生きている。コンクリートと鉄筋で形作られたジャングルは、キヴォトス屈指の危機が訪れていた事など嘘のように日常で包まれていて、それが羨ましくも、そして虚しくも感じてしまう。
……カサネには悪いけれど、
でもどんなに頑張ったって、
君の居ない世界で生きるなんて無理だよ。
嫌だよ。取り残されるのは。
私も一緒に死にたかったよ。
君となら死ぬ事さえも、
一緒ならまぁ悪くないかもなって思えるんだもの。
光の届かない深海のように暗く、そしてきっと悪い方向に向けて澄んだ、澄んでしまった、そんな感情。
…あぁ、こんな事を思う為に救ってくれた訳ないのになぁ……
嫌味のように透き通った空を忌々しく見上げていると、ビル群に映し出されていた広告の全てが突然真っ黒に染まった。
人々がざわめき、そしてチャンネルを切り替えるような、ブツっというサウンドと共に映像が切り替わる。
そこに映っていたのは、
いつの間にか私の髪よりも真っ白になっていた癖のない長髪。ワインレッドという言葉がこれ以上ないくらいに似合う美しく瀟洒な瞳。ニンマリとした笑顔を優しく浮かべる小さな口。優しげで、そしてどこか儚い表情を浮かべた整った顔立ちは。
「……っ!……カサ……ネ……?」
【…んぇ?……もう回ってるんですか…?……】
沢山のスピーカーから鳴り響くどこか抜けていて。そして溌剌とした優しい声。カサネの声がする。それだけで、私の五感が急速に冷えて、そして熱く早まる。
生きていた。生きていたんだ。生きていてくれたんだ!!
【……コホン……親愛なる君へ、あの日約束した場所で待っています。…………あ!慌てなくていいよ!…のんびり待ってますからね】
ブツリという音が響いた後、喧しい広告の群れが再びやってきて、なんでもないように非日常は日常に戻っていく。人々のざわめきも次第に、ちょっとした騒動を忘れたように、日常の喧騒を取り戻していく。
沢山の感情が、想いがあって、でもそれ以上に単純で強い1つの思いが私の体を突き動かし、そして堪らず走り出した。
会いたい。
もう一度会いたい。
君に会いたい。
もう一度だけでもいい。
人混みを避けてひたすらに走る。ビルの間を縫うように駆けて、人々の隙間をするすると駆け抜けていく。
モノクロに堕ちていた視界は急激に色を取り戻して、そして通り過ぎていく視界の中でさえ、カサネとの大切な日常を次々に呼び起こしていく。
あぁ、あの建物はカサネと一緒に水着を買いに行った店だ。初めてのサバイバルに心躍らせていた私を見て、いつの間にか選んでいたらしいシュノーケルを私に買ってくれた。
あの交差点は、私が偶然を装ってカサネに話しかけた場所だ。キヴォトス縦断の下見ということにして、こんな遠出をしてまで君に会いに行った場所だ。
あのコンビニは、あの信号機は、
あそこは、ここは、
DUを駆け抜け、アビドスの街中を走り続ける。初めて会った場所。結局一緒に走って向かうことになったスーパー。自転車に乗りながらモモトークを送った交差点の曲がり角。
世界のどこをとっても私の思い出にはいつもカサネがいる。
あの日、ホシノ先輩に拾われて、砂狼シロコは初めてこの世界に生まれた。
そしてカサネに会った時、私の物語は始まったんだ。君なんだ。私の世界が始まったのは、君に会ってからなんだ。
「……ハァ……ッ……ハァ……!」
走る。ひたすらに。
吹き抜ける風の在処を追うように。
そうして、数時間かけて辿り着いた場所。
息を整える暇もなく階段を駆け上がり、約束の場所に辿り着く。
アビドスを一望できるちょっとした広場。いつかアビドスだけじゃない沢山のモノを一緒に見て回ろう。そんな慈愛に満ちた約束を結んだ思い出の場所。
コツコツと鳴る自分の足音が掻き消える程に心臓が五月蝿い。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息が苦しい。
それでも歩き続け、進み続け、
そして展望広場のフェンスに寄りかかるように、彼女はいた。
冬の冷気に溶けてしまいそうな程に儚くて、それでいて、誰よりも強い心を持っている少女。
世界を焼くような夕焼けは、溶けてぶちまけられたザラメのような色彩をもって世界を染め、少女の端麗な横顔をオレンジに染めていた。
少女と目が合った。
こちらに振り向く少女はふわりと、或いはくしゃりと笑みを浮かべ、ゆっくりと両手を広げる。彼女の些細な行動にはいつだって沢山の愛情が込められている。優しげな笑みと一緒に、福音を告げる聖女の様な神聖さすら感じられる透き通った声で、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
「…おいで」
一言に込められた万感の想い。
偽物だったらどうしよう。幻だったらどうしよう。或いは本当は死んでいる私が見る都合の良い夢だったら……
そんな疑いを初めから無かったかの様に溶かしてしまうほど、優しさと愛に満ち溢れた一言。聞き慣れた声。嗅ぎなれた匂い。見慣れた表情。
「かさねっ……!!かさ……ね…!!」
私は飛びかかるかのように抱きついた。頭一つ分以上小さな彼女の胸に顔を埋めて涙をひたすら零す。優しく頭に添えられた小さな手が、ゆっくりと私の髪を梳いて、心さえも解きほぐしていく。鼻をくすぐる彼女の髪。優しく抱きとめてくれる小さな手。
暖かくて、柔らかくて、いい匂いがして、安心する。
優しく抱きとめられたまま、私は彼女にしがみつき続けて、…そうしてどれくらいたっだろう。
「生きて……たんだ……」
「…うん」
「……よかった……!!ほんとうに……!」
思わず零れる言葉。
名残惜しくてたまらないがゆっくりと彼女から離れる。そうだ、だって私にそんな資格は無いのだから。
カサネはきっと否定する。資格なんて必要ないと。当たり前のように私の自罰を連れ去ってしまう。
青空を喰い尽くすオレンジ色の虹彩が、私を睨みつけるかのように辺りを刺す。
生まれて来なければなんて思わないでと。他ならぬカサネが言うのだから、それは正しいことなのだろう。でも、
私にはどうしても、私の生まれた意味が分からないんだ。私の生きた意味が分からないんだ。
「……カサネ……私は……私の生きた意味は……私は何も……」
まただ、結局私に出来るのは駄々を捏ねるだけ。あの時のように赤子のように蹲って座り込むだけ。
生き物が生まれる事はきっと祝福すべきことだ。
であるなら私が生まれた事を否定するのが間違いであるのは理解出来る。
でもきっとそこに意味は何1つとして無かった。生まれた意味。生きた意味。虚しい響きに溢れたそれらは、きっと存在していなかった。
ホシノ先輩が列車砲を破壊して死んだ時。そこにはきっと意味があった。アビドスだけじゃない。後輩だけじゃない。先輩はキヴォトスそのものすら守って死んだんだ。本人は、今は亡き先輩の意思を守るためだけに行動していたけれど、それだって立派で、大切な生きる意味で、そして死ぬ意味だった。
セリカが行方不明になった時。そこには意味があった。74日もかかってようやく見つけた彼女の遺体は、傷だらけに干からびていて。それでも歪んだ愛銃からは、全ての銃弾を使い尽くした後でも最後まで生き足掻く抵抗の跡が見て取れた。干からびたその姿でさえ、彼女は不敵に笑って死んでいた。私達の居場所を護らんとする不屈の根性には、きっと沢山の意味があった。
アヤネが生命維持装置を外した時。そこには意味があった。私とノノミが戦闘中にアビドス校舎が襲われた。元々戦闘慣れしていない彼女は、私達が急いで戻って来た時には意識不明の重体だった。彼女の生命を繋ぐことを担保に、私達のアビドスを奪おうとする大人に対して、アヤネは、頑張ってと、そんなメッセージを残して自ら生命維持装置を外した。自らを犠牲にして、全てを託してまで、大切なものを護ろうとした彼女の生き様は、その死に方には、戦いの強さなんて関係ない本当の強さが、大切な意味があった。
ノノミがアビドスの砂漠で自殺した時。そこには意味があった。彼女の持つゴールドカードは、恐ろしい程の権限を携えたもので、力を得るために沢山の大人がこぞってそれを求めようとした。悪い大人の手に渡り、そして列車砲の様な力を手にする大人が現れてしまえば。そんな危惧を晴らすために、彼女は災厄のカードとそれを扱えてしまう自分自身を大砂漠の何処かへと葬った。自分がどうなろうとも、大切なものを護るために死ぬ事さえ恐れないその強い意志と勇気には、その生き方と死に方には、ホシノ先輩から継いだ、大切な意味があった。
……
…………
………………
……そうだ。
私には何も無い。
生きる意味。生まれた意味。
たったの1文字すらも綴れない。
全くの空白だ。
結局、私に出来るのは泣きつくだけ。私よりも幼い彼女に、みっともなく教えてよと、先生としての重責を押し付けるだけ。
「……カサネ……教えて……欲しい…」
水滴のように零れ落ちた言葉。カサネはゆっくりとその言葉を、私の絶望を噛み締め理解しようとし、
そして、その小さな口を開いた。
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「私はね、大人になるっていう事はただ歳を重ねることじゃないと思うんだ。」
回答になっていないそれは、彼女の呪いを解くために必要な私の綺麗事。方舟でのあの時のようなそれは、今度こそ彼女を救ってみせるという誓いの言葉でもある。
結局私は子供に過ぎない。もしかすると先生ですら、まだ大人を追っている旅路の最中かもしれない。
「……私達は一生をかけて、自分の生きる意味を探してる」
祈りにも似た、最近になってようやく気付けた、或いは教えてくれた大切なこと。
私の言葉を理解しようと努める彼女が、いつかあの日の願いを込めた夏空に辿り着けますようにと、そんな素朴な想いを込めてゆっくりと言葉を紡いでいく。
「それを見つけられた時、きっと私達は初めて大人になれるんだ」
生きる意味。
その意味を見つけた時、私達はきっと誰よりも強くなれるから。
背負わなければならない沢山のものにだって負けないくらいに。
この世界に生まれた意味。
この世界で無様に生きる意味。
そしていつか、無慈悲に死ぬ意味。
それらを教えてくれる大人はきっといない。先生にだってその答えは分からない。
だって、私には私の答えが、シロコにはシロコの答えがある筈だから。
だから、ただひたすらに、それを探し求めるしかないんだ。
探して、足掻いて、
その過程がどれだけ辛くても、
いつかそれを見つけられる時を願って、
大人になれる時を想って、
生きていくしかないんだ。
「……それは……私には……」
「だからね……シロコ」
綺麗事でも屁理屈でもいいさ。大人はそんな高尚な存在じゃないっていうのは、悪い大人をうんざりするほど見てきた私にだって分かってる。
それでも私は、私の憧れる大人になるために、この綺麗事を信じることにしたんだ。
私の答えを待っていたシロコには残酷な、自分で答えを探すしかないという現実。
打ちのめされる彼女に、しかして私は手を伸ばす。
蹲る彼女に、私を見上げる彼女に、
大丈夫、と声をかけるように。
初めて会った時の焼き直しのようで、
そして、あの時とは逆だった。
「……この世界に私達が生まれた意味を……あの約束の彼方を……一緒に探してみよう?」
あの日、シロコに差し伸べられた手を取ったとき、私の、そして或いはシロコの物語は始まった。沢山の幸せと苦難に満ちた青春の物語は、避けられない破滅の終着点に辿り着き、そして、もう一度始まる。
私は、何より憧れた先生という夢を追うために。そして、背負わなければならない、今はまだ先生に預かってもらっている重すぎる責任と、いつかしっかりと向き合う為に。
シロコは、親愛なる始まりの君がくれた、2度目の始まりを、その足で確かに歩むために。そしていつか、大切な祈りが込められた、約束の彼方と言える場所に辿り着くために。
世界を焼くような夕焼けは、夜の訪れを告げる闇の群れに喰いつかれ、辺りは帳を下ろしたように暗くなってゆく。
差し伸べた私の手を取った彼女の表情は、未だ不安に彩られている。
私にそんなことができるのだろうか。
私にそんなことが許されるだろうか。
痛いくらいによく分かるその思いは、実は私も抱えている。
それでも私達は、
いつかを夢見て今日を足掻く。
そして明日を変えるために前を向く。
だから、
「もう少しだけ、……一緒に生き足掻いてみよう?」
柔らかで、晴れやかな笑顔でそう告げる。
繋がれた手から伝える、夜に沈むあの太陽よりも暖かい36度の想い。
まだまだ苦難に満ちているかもしれない。
果てしない旅路かもしれない。
先生にだって見つけられてないのかもしれない。
それでも私達は前を向いて歩いて行く。
残酷なこの世界に宣言するように、未だ地平から此方を覗き見ている太陽を見据える。
宵が訪れるアビドスの街並み。
数え切れない思い出に溢れていて、それでいて少しだけ違うこの世界。
崩壊した方舟から零れ落ちた、何かの破片が、まるで流れ星のように、長い尾をひいて遠い遠い空を彩った。
御伽噺の一節の様に果てしない空を裂きながら駆け抜けるそれを、君と一緒に見上げる。
小惑星の様な大きさを誇る方舟は、ボロボロの姿でキヴォトスの空に未だある。
間違いだらけの小さな先生が紡ぐ物語は終わり、そして、奇跡の始まりを宣言するかのように繋がれた2人の手から、
方舟から飛び出して、
空に向かって燃え上がるあの彗星のように、
私達の青春の物語が、もう一度始まる。
小説家みたいな事をしたくて、親愛なる始まりの君というのが、実はカサネからシロコへではなくシロコからカサネに向けられる言葉だったというミスリードをしてみました。
これにて完結です。ご高覧ありがとうございました。
追記、作中で永遠の彼方ではなく約束の彼方にしているのはわざとなんですが、タグも約束になってるのはなんか違う気がしてきたのでしれっとこっそり直しときます。✌︎