22.5 幕間/眼劇
帝国職安組合の建物には様々な施設が複合されている。
医務室と入院設備、酒類も提供する格安の飲食店はどこも共通。そしてドゥーベルの場合、ギルダーなら自由に利用できる銭湯が特色だ。
「ふぅーっ。いいお湯ですの」
時間が少し早いせいか、誰もいない広い湯船を独占したセキシスは上機嫌だ。鼻唄でも口ずさみたいぐらいだが、さすがにいつ人が来るとも分からないので自重している。
「娯楽や快楽は、やっぱり下層世界の方が強烈ですの。これも生身の身体があってこそ……ふひぃ〜」
「何を呑気に寛いでいる!? 風呂に浸かっている余裕が貴様にあるのか! あ?」
「……気のせいかと思えば、やっぱりあなたでしたの。お久しぶりですの、営業部長殿?」
混入された薬剤で白濁とした湯面が、セキシスの重い溜め息に揺れた。その波紋が湯船を飛び出して周囲一体に拡がりながら、一切の光を呑み込んでいく。
後には闇が残るだけ。湯船すらも消失し、セキシスの姿も金色に輝く双眸だけが切り取られたように揺らめいていた。
レティが言うところの『暗黒空間』であり、世界の外側にあるエルドリッチ・ドリームワークスの領域だ。
「もう納期が目前だというのに、まだシナリオが完遂されていない! 貴様の怠慢が招く損害が分かっているのか!? 会社の存続すら危うくなるのだぞ!」
天から降ってくる金属質の声にがなり立てられて、金色の双眸は心底ウンザリした様子で目を細める。
やがて闇を裂くような亀裂が走り、空間を上下に押し開げて橙色の眼球が姿を現す。
黒眼部分をギュッと引き絞った橙の眼球は、周囲へ投影型ディスプレイをいくつも展開させていく。
「代表からの辞令だ! 品質管理部門は解体! 貴様も今日付けで総括から営業部の一般業務へ転属だ! 今後は俺の部下ということだ!」
「解体?」
「ぬはは! 上司が無能だと部下は苦労するが、代表は品質管理部門そのものに見切りをつけた!! もともとバイトでも出来るような仕事に、わざわざ社員待遇の部門など不要とのことだ! 実に合理的な采配だと思わんかね?」
「んな大声出さなくても聞こえてますの。で、そのバイトでも出来る仕事をするべく、わざわざ営業部門総括様が次元を超えてやって来た、と。ありがたくって涙が出ますの」
「……チッ。そのナメた態度、下層世界で揉まれても変わらんか。クズは屑データで遊んでいるのがお似合いだ」
両者の間に視えない火花が散る。
だが、金色の双眸はすぐ興味が失せたように自分の周りにもディスプレイを展開し、転送された辞令書に目を通した。
橙色の眼球は全体を血走らせ、高圧的にやかましく、一方的にまくし立てる。
「プロデューサーも更迭され、今は代表自らがプロジェクトを指揮している! これ以上『パッケージ』化は延ばせんと、さすがに焦っておられる! リソースも限界が近い! 偏に貴様の無能と怠慢が招いた危機だ!」
「それ言い出したら、レティみたいな使い難い主人公を選出した代表がそもそもの発端ですの」
「それでも結果を出すのが貴様の業務だろうが! 貴様一人が無様を晒すだけなら良かったがな、グループの上層部や株主からもエルドリッチは無能の巣窟のように思われているのだぞ!?」
「だから新しい『主人公』を配置して一から作り直す、と?」
「調整が効かない駒などゴミだ。それでも我が社の貴重なリソースだと思えば生かしておいたが。それにしても……くくっ、たかが下層世界の屑データを名前で呼ぶとは! やはり貴様には、この下卑な世界と戯れているのがお似合いだ。いっそ、この世界に骨を埋めるか?」
金色の双眸が、ほんの僅かにだが険しくなる。対面している橙の眼球にも気付かれないほどの、小さな変化だ。
もっとも橙の眼球が他人の顔色を気にするのは、上司の機嫌を伺っている時だけだが。
「リリースが間に合わないとなれば、我が社の信用は失墜する! 次の総会で代表の不信任決議が可決されて、エルドリッチはおしまいだ!」
「自転車操業で商売してたツケですの。代表が本当に優秀なら、こういう時の備えだってしてるハズですの」
「き、貴様……ッ!! な、なんと恐ろしいことをぉ!?」
寸前までの激情が瞬時に引っ込み、真っ白になって取り乱す橙の眼球は、代表とやらに睨まれるのがよほど恐い様子。
「狗畜生が」という嘲りを、金色の双眸は危ういところで飲み込んだ。
「と、とにかく! まずはリリースを最優先だ! 出来損ないの主人公は即刻廃棄、お前も以降は俺の指示なしには動くな!」
「はぁ。で、新しい主人公、本当にコイツでいくんですの?」
「指示書は全て代表のお言葉だ! 疑念を挟まず従え!!」
その怒鳴り声を最後に、展開されていた暗闇空間は消失。元の湯船の景色とともに、金色の双眸もセキシスのアバター姿を取り戻す。
しかし、完全に元通りではない。
独占状態だった広い湯船に追加された、緑の髪の少女の姿。タウラ・アルバランが、セキシスのすぐ隣で湯面に胡座を掻いて険しい表情でいる。
その姿が、頭頂部から急速に薄れていく。
「いいか、これが最後の休憩だ! 俺の目が黒い間は、怠慢も独断専行も二度と許さん!! 所詮、貴様も屑データどもと同じ、代えの利く道具に過ぎんのだ! 会社に捨てられたくなければ、存分に尽くすんだな!」
タウラは血走ったままの橙の瞳で、口を動かさずに金属質な男声で一喝すると、最初からいなかったかのように姿を消した。
わざわざアバターの姿を現してまで念押ししてきたタウラの中の人の必死さに、セキシスの口許が歪む。
「代えの利く道具はお前もですのよ? それにも気付けないゴミをわたくしの代わりだなんて。代表は陛下の爪の垢でも飲めばいいですの。くくっ♪」
込み上げる嗤いを隠しもせず、うんと伸びをしたセキシスは、行儀悪く頭頂部まで湯に潜った。
金色の双眸が、濁ったお湯の中で物理的にもぼんやりと光った。
「でも、もうとっくに手遅れですのよ、代表? エルドリッチ・ドリームワークスの崩壊は確定路線。このわたくしを怒らせた時からね♪ 空調の利いた部屋で、自分の牙城が壊れていくのに恐怖してるがいいですの♪ くく、くくくガヴォガヴァベ!?」
とうとう堪えきれず水中で笑い出したセキシスは、うっかり膝の上の浅さの湯船で溺れかけたのだった。