森を背にして小高い丘に建てられた、野球場よりも広そうな屋敷を前にして、深夜まで休憩していた我々です。
森の中で息を殺し、微かな月と星の光に……いや、なんか今夜はめちゃめちゃ月が明るいですね。曇りの昼間ぐらいありますよ。
「作戦を確認する」
月光の下で、監督官が屋敷の見取り図を広げました。
入り口は複数あるものの、突入口として使えそうなのは一箇所だけ。森の木々から辛うじて飛び移れる塔の壁をよじ登り、最上階の窓からお邪魔するのです。
……でもですね。その足場として利用する30メートル超の針葉樹から、件の塔までって目測12〜3メートルはあるんですよね。
木登りの態勢からこの距離をジャンプする……地球人類の運動能力だったら不可能でしょう。
じゃあ、こっちの世界の人間だったら?
「すみません、監督官。あの距離を跳ぶのは人間業じゃありません」
はい、無理ですね。体感的に身体能力が地球人より高い感じはしますけど、助走無しで10メートル以上もの幅跳びは不可能です、常識的には。
「お前達は――」
「あのですね、みなさん。今日まで何を学んできたんですか?」
監督官の発言を遮って、私は他の三人へ煽るような声を掛けます。……勝手に発言したので背後から拳が飛んできましたが、手加減されてたのか見ていなくても回避余裕でした。
「こういう時の移動方法ぐらい、身に着けていると思うのですが」
「……いや、心当たりないけど……」
赤髪がこう、裏返したゴキブリの腹でも見るような目を私に向けます。なんですか、その顔は? こんな美少女を前にして。
けど、黒髪眼鏡と優男もピンとこないようです。ので、手っ取り早く実演してやることにしました。
まずは針葉樹の天辺まで登りましょう。高さは出来るだけキープしておきたいです。
ブーツを脱いで腰ベルトに引っ掛けたら、そこから塔に向かって全力ジャンプ。鍛えられた靭やかな脚力で、月をスクリーンに美しき獣が宙に舞う!
そこですかさず風防マントを両手と両足の指で掴んで広げ、パラシュートにして滑空態勢に入ります。
これぞ忍法ムササビの術。頑丈なマントと、私の小柄で可愛らしい体格を合わせて可能となる滑空技能なのでした。
高度が予定より高くて壁に顔面をぶつけましたが、概ね問題なく窓をこじ開け潜入に成功しました。
窓から地上を見下ろすと、監督官を含めた全員が、ハイキング中にヒバゴンでも発見したような顔でこっちを見上げていました。そこは尊敬の眼差しを向けるべきでしょうが、こら。
他のみんなが来るまで暇ですので、侵入した部屋でも物色……しようと思いましたが、大したものは無さそうです。
事前に確認した見取り図によれば、ここは幽閉塔だそう。屋敷に建てられる塔なんて見張り用途か軟禁用途のどちらかでしょうがね。
そこそこ高級そうな家具や寝具が埃を被って放置されています。広さは学生寮の四人部屋よりも大きく、前世で住んでいたワンルームマンションと比べても三倍はあります。
ここに住まわされるのは、家族や社会から隔絶する必要があり、かつ身分の高い人物です。地球の歴史であれば、フランス革命後のルイ16世一家とか、清王朝末期の光緒帝とかが有名ですね。
野放しには出来ないけど政治的な影響力の強い者。要人でなくとも、例えば家の問題児とか、精神や身体に異常を持った者を、臭いものに蓋をするように閉じ込めるわけです。
読書や芸術活動といった自由はあったでしょうが、外界と隔絶された強制引きこもり生活とか辛すぎる。最低でもパソコンとゲーム機は欲しいですよ。
懐かしいことを思い出していたら、針葉樹から何者かの跳び立つ気配がました。あれは赤髪くん!
そこそこの脚力を見せてくれましたが、半分過ぎたぐらいで失速。そのまま地面へ一直線に下降を始めますが、そこで取り出しますは潜入7つ道具の一つ、鉤爪付きロープ。
ロープと言っても太さは絹糸ぐらい。ですが張力は体重200キロの人間でも吊るせました。小柄で可愛い私は当然ながら、赤髪でも余裕でしょう。
鉤爪が屋上の縁に引っ掛からなかった時は焦りましたが、潜入口に定めていた窓に引っ掛かってくれました。ふー、危機一髪。
振り子となって塔の中腹の壁に着地を決めたら、後はロープをよじ登って窓からIN! 見事。
「結構なお手並みですねー」
息を切らせた赤髪くんを出迎えると、彼は引きつった笑い顔を上げました。
「……君ほどじゃないよ。空を飛ぶ方法なんて、どこで習ったんだ?」
「発想は児童向けの絵本から。実現には試行錯誤。真面目にコツコツやれんなら、誰にだって出来る術ですよ」
「天才かよ……」
「ノンノン♪ 私は非常に優秀なだけですよ。ま、確かに? そんじょそこらの天才なんかにゃ負けませんがね」
ポヨンと胸を張ってる間に、優男と黒髪眼鏡も到着しました。やっぱり鉤爪ロープで。
「ゴクローさんです。……あれ? 監督官は?」
てっきり一緒に入ってくるかと思っていましたが、違うようでした。窓から外を覗いても、地面にも枝の上にもいらっしゃいません。
疑問に思っていると、ロープをしまいながら優男が答えます。
「監督官は別ルートから潜入するそうだ」
「別ルート? あったんです、そんなもん?」
見取り図と周辺の地形を頭の中で重ねますが、ここが潜入できるギリギリの箇所だったはずです。
内通者がいるとか、隠し通路でも知ってるなら別ですがね。諜報員だったら、そういう根回ししててもおかしくないでしょう。
けどま、いないならいないで好都合。私も早速行動に移りましょう。
突然ですが、本邦初公開! この世界における魔法、『五行術』について解説します!
木火土金水の五行思想を根幹とする、エネルギーの操作技術がそれです。小難しい話ですが、そうなんだから仕方がない。
こっちの世界じゃあらゆる物質に『エーテル』と呼ばれるエネルギーが宿っています。自然にも、建物にも、大気中にも、もちろん生物にも。
特質するべきは、人間の場合は肉体のみならず、精神にもエーテルが宿っていること。それが五行術の要であり、精神の中のエーテルで外界を操作し、超自然的な物理現象を引き起こす。それが五行術の全容にして真髄なのです。
……意味が分からない? 感じろ。
心の中でイメージした現象を、肉体を通じて外界に出力させる。知識と訓練を重ねれば、それこそ擬似的な生命体をも創造できるそう。
とはいえ、才気煥発で将来性の塊とはいえ、まだまだ低レベルな私に使える術は土属性の『シールド』唯一つです。
「ほごっ!?」
「うげっ!」
これはエーテルを結晶化させ、文字通り盾にする術です。
見た目はガラスのようですが意外と頑丈で、背後から一殴りすれば年上の男性を気絶させる鈍器になります。物は使いようです。
「え……っ!?」
うめき声を上げて倒れた赤髪と優男に、黒髪眼鏡が目を見開きます。
そんな隙だらけにも程がある彼女にそっと近づき、背後に回って裸絞めで意識を奪ったら、三人まとめて拘束です。後ろ手に両手首を縛って、両足首も縛って、ついでに口も塞いで……っと。
こうやっとけば邪魔にはならんでしょう。誰かに見つけてもらえなかったら餓死しかねませんが、そこは彼らの運次第。
「これでよし、と」
見事な縛りっぷりに我ながら惚れ惚れしていましたが……なんと! このとき私の後頭部には、風を切る音もなく投げナイフが迫っていたのでありました!