第66話 秋の季節と芋でやらかした話
第66話
さて、塩顔イケメンこと菅原傑が風見神社に訪問してから、早くも半年の月日が流れて行き、今私こと風見幽香は芸術や美食の季節である秋を堪能する日々を過ごす為に、今積極的に活動している最中である。
つまりどういうことなのかと言うと、首元に赤いマフラーを巻いている巫女服姿の華扇と共に、今私は米花町の商店街に赴いて居るところである。
来た目的は境内の掃除で集まった落ち葉を用いて、焼き芋をしたいと言う私の気まぐれによって、偶然今日の買い出し当番であった華扇を引き連れて、新鮮な薩摩芋を買う為の寄り道をしているのがことの顛末である。
「うふふ楽しみね、甘くて美味しい薩摩芋を買って、境内で焼き芋にして、早く食べたいわ」
「はぁ…そうですか幽香様、えぇまぁ目当ての美味しい薩摩芋が買えるといいですねぇー」
と私は今から寄り道して買いに行く薩摩芋を、境内の掃除にて集まった落ち葉を利用して、焼き芋にして美味しき食べている光景を思い浮かべながら、機嫌よく呟くと、華扇は私のそんな様子を見て、呆れたような表情を浮かべながら、薩摩芋が買えるといいですねっと無難で素っ気ない返答を返して来る。
何か私の様子に対して呆れているようだが、半年以上前に米花町のお団子専門店で、様々な種類の串団子を一人で嬉しそうに食べている華扇のことを、私は式神の視界共有で覗き見で知っているのである。
だけど華扇が一体どれくらい食べていたのかについては、凡そ100本以上食べ切った辺りから、私は数えることを辞めてしまったので、その日の内に一体どれだけの数の串団子を食べていたのかは私も知らない、多分数百本くらいは食っているだろうけど。
「なんだか素っ気ない反応ね、華扇は焼き芋食べたくないのかしら?」
「いや、だって私的にはただ焼いただけの薩摩芋よりも、蜂蜜をかけた甘い大学芋の方が好物ですし」
と私は素っ気ない反応に対して、もしかして焼き芋が食べたくないのかと問うと、華扇はニヤニヤと食欲顔になりながら、ただ焼いた薩摩芋よりも、蜂蜜を掛けた甘い大学芋の方が好物だと言われてしまう。
《大学芋》とは油で揚げた薩摩芋に蜂蜜や砂糖を絡めた揚げ菓子であり、その起源は大正から昭和にかけて、日本の大学生などが好んで食べて居た物であったのが、前世における大学芋の歴史だったのだが、この世界に置いてはかなり違う歴史を辿ることになった料理の一つで。
大学芋の素材となる薩摩芋は、前世の歴史では17世紀の初めに、中国から琉球を経由して薩摩藩、現代の鹿児島県へと伝わり、そこから西日本の大飢饉よって薩摩芋の重要性が増したことにより、飢饉対策に力を入れていた江戸幕府8代将軍である徳川吉宗の命によって、東日本各地へと広まったことで日本全土で薩摩芋が栽培されるようになっていた。
ただこっちだと薩摩芋が伝来時期が違っており、何と5世紀ぐらいに関東の米花町辺りから伝わっており、そのまま救荒作物として利用できる点から、古墳豪族間で薩摩芋についての話が広がるごとに東から西へと栽培される地域が増えて行き、そして時の権力者である聖徳太子からの命により、本格的な薩摩芋の栽培が普及した。
と言った感じの内容が大真面目に歴史の教科書によっているのだが、名前などの由来についてはかなりの混乱と異説が飛び交う混沌とした事態になってしまっており。
何故西日本から広がり伝わったのではなく、大陸との交流が無かった関東地方と言う離れた場所から分布して伝わったのか、何故関東から伝わったにも関わらずに、芋の名が薩摩芋と言われているのか、なぜどの地方でも薩摩芋を伝えたのが幽香神だと、一番古い古事記や日本書紀に記載されているのか。
未だに日本の歴史学会や、海外の農耕技術の伝達経緯を研究する機関でも、人類史における矛盾した例として注目されてしまった、そう当時の私は完全にやらかしたのである、ちょっと軽い気持ちで、あぁ焼き芋してねぇなぁ、分身体を大陸に向かわして、薩摩芋を手に入れるかぁとか、えぇ稲作が凶作して大変?ならこの薩摩芋を上げるわとか。
まぁそんな感じで気軽にそんなことをした結果、東日本から薩摩芋が物凄い勢いで広まって行き、気づいた時には聖徳太子よる農耕改革が勃発したりと、ちょっと洒落にならない歴史変化が起きて、平安時代の日本の人口がすでに2000万を超えてしまっていたり。
その結果に、源平合戦時での双方規模が合計で15万ほどにまで膨れ上がる内乱になったし、元寇襲来の時期では、鎌倉幕府及び他の武家団の合計兵力が余裕で30万を超えていたので、上陸して来た元軍が前世と違い、僅か一か月ほどで叩き潰されて追い出されていたりと、結構な違いを生む結果になったわ。
そして本題である大学芋も前世とは違う経緯を辿り、安部清明が陰陽師の大学院で好んで食べていた高級菓子として広まり、そして時の権力者である藤原道長も好んで食べていたと言う記録が、学校の教科書に載っていたわ。
いやぁまぁ実態にあいつらが好んで食べていたのは知っているし、何なら当時の私に最近尿が痛くて、どうにかならぬかと、世間話ついでに相談されてたから本当なのだけども。
何で男どもの糖尿事情に詳しくならっといけないのかと、当時の私は溜息を出していたことは良く覚えているし、術の研究の為に陰陽寮に赴いた時は、いつも安部清明が片手に薩摩芋の菓子を食べていたことが多かったのも覚えている。
「蜂蜜をかけた甘い大学芋ねぇ、ならついでだし材料買って、家の厨房に大学芋を作らせてあげるわよ」
「うぉマジですか!!やったぁー感謝します幽香様まぁ!」
と私は大学芋と聞き、平安当時のことを思い浮かべながら、なら材料買って帰ったら大学芋を作ってあげると告げると、華扇は嬉しそうに感謝の言葉を告げながら、食欲に満ちた笑顔を浮かべて涎を啜っており。
そんな華扇の様子を見た私は、かつて茨木童子として、京の都の貴族や術師から恐れられてた鬼女が、式神になってから僅か3年ほどで、ここまでの甘党で大食いな鬼女になってしまったことに、思わず苦笑いを浮かべてしまうのであった。
と言ったところでここまでです。
どうだったでしょうか、オリ主こと風見幽香とこの世界における茨木華扇の会話。
緩い上下関係による気楽な会話をイメージして書いてみたけど、面白いかったどうかは不明ですw。
そして芋でやらかしたことの話はどうでしたか、よくある定番ネタである、ちょっとしたことで歴史が大きく変わってしまう系のことですが、芋に関する話を思いつき勢いで書いただけです。
そして誰かを比較する際によくゆうかりんが安部清明を引き合いに出すのは、知り合いだったからであり、以前藤原氏との関係を匂わせてましたが、そりゃあ安部清明との関わりがあるなら、必然的に藤原道長とも接点が出来るだろうと思い、話に出しました。
ちなみに安部清明に関する話はちょくちょく出す予定です。何故かと言うと登場予定があるので、だって安部清明に関する逸話調べてたら、あれこいつ現代まで生きれるなって思ったし。
ゲゲゲの鬼太郎を追加させたいけど、どの程度混ぜて良い?*6月20日まで。
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①鬼太郎と目玉親父だけ参加。
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②↑+猫娘などの主力メンバーも参加。
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③↑+アニメで語られた話も追加。
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④妖怪達の設定だけ参考にする。
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⑤追加も参考も例外なく全部ダメ。