ダメ人間、海に出る   作:仮置き太郎

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ダメ人間、海に出る

 日は沈み、月も出ない夜更けのこと。

 シャボンディ諸島三番グローブの繁華街は、恥と諦めを知らない客引きと、呂律の回らない酔っ払いで混み合っている。建ち並ぶ店は目に突き刺さるような原色で彩られ、ギラギラと夜道を照らした。

 そこで歩みを進める人々もまた、鮮やかに輝く黄金で首を彩り、大豆ほどの大きさがある真珠を耳に揺らしていた。彼らの向かう道の先には、希望を賭ける夜の娯楽、カジノが聳え立っている。

 

 この賭け事の街にあるのは、何も貴族や金持ちが集うような店ばかりではない。一攫千金を狙う者たちが集う、場末の賭博屋も多くある。

 賭け事に溺れ全財産を失った敗者たちが、行くあても無く道に這い蹲る前を、数多の愛人を侍らせた勝者が踵を鳴らして去って行く。

 それが、ここの日常風景なのだった。

 

「あーあ……まァたスカンピンだよォ……」

 

 この男も、賭博に魅入られた者の一人である。

 派手な街中でも一際目立つローズピンクの髪に、耳にぶら下がる大量のピアス。着崩されたシャツはオーバーサイズ、と言ってしまえば聞こえはいいが、要は古着屋の安売りワゴンから今し方掴み取ってきたばかりのように見えた。

 ともすれば醜悪なセンスだと捉えられかねない出で立ちをしているのに、その全てを「一周回ってカッコイイかも」と思わせてしまえるだけの、何よりも優れた美貌を、彼は持っていた。

 彼とすれ違った者は皆、まずその整った顔を見て息を呑み、光すら差しそうな背中を目で追いかける。

 薄い唇から吐き出された煙草の煙は、彼の白磁の肌に幻想的な影を落とした。

 

「いい波がきてたんだ。もうちょい、あと一回でもできりゃァ、絶対当たったはずだってのに……」

 

 男がボソボソと独り言ちる言葉は、見惚れている通行人には聞こえていない。不機嫌故にシワがよった表情さえも、彼らは頬を染めるのだ。

 小さな舌打ちに、近くを通った野良猫だけがビクリと体を震わせた。

 

「こちとら無職ニートのギャンブル中毒ヒモ男として何年生きてると思ってんだ。畜生!!」

 

 短くなった煙草を咥え、男は途方に暮れていた。賭博以外に金の稼ぎ方を知らないのだ。元金は、何人かいるガールフレンド達から貰っていて、彼はそれも収入の内だと思っている。

 

「……飯食いに行こ」

 

 男の口に咥えられていた煙草は、柔らかな芝生の上に投げ捨てられた。当然火はついたままだったが、彼は振り返りもせずに歩き去る。

 地面から絶え間なく浮かび上がるシャボン玉の一つが、彼の代わりに吸い殻を湿らせて、中に包み込むと、ふわりと空へ舞い上がっていった。シャボン玉が割れた後のことなど、もはや誰にも分からない。

 男は騒がしい繁華街を抜けて、七十番以降のグローブに繋がる橋へと足を進めた。

 そこは海軍駐屯地のある六十番台のグローブも近いため、比較的治安の良いホテル街が広がっている。ガールフレンドの一人が、彼のためだけに、部屋を一つ借りているのだ。

 

「おい、ダミーじゃねェか! この間の合コン、当日にドタキャンしやがって!」

「……」

「お前目当ての女共をその気にさせるのがどんだけ大変だったか知らねえだろ? ったく……遊び歩く暇あんならウチ来いよ、ちょうどヘルプが一人辞めたんだ」

 

 ホテルに住んでいるも同然の男、それに加えてルックスの良い男である。この街で有名にならない訳が無い。

 そう考えれば、ダミーにホストクラブのバイトを頼むこの男の適任を見極める能力だけは、高いのかもしれない。どんなに不機嫌であろうとも、そこに黙って立ってさえいれば、客から寄ってくるようなものなのである。

 だがしかし、タイミングが悪い。ダミーの機嫌は適当な客を相手して、良くなっていくようなものでは無かった。強いて言うならば、こうして頼み込んできた男の対応すらも、ダミーからすれば億劫なものであった。

 

「お前のドタキャン、これでチャラってことで良いからさ」

「……うっせェな」

「あ゛!?」

 

 青筋を浮かべる男などどこ吹く風で、ダミーは大きな欠伸をする。

 

「ピーピー騒ぐなよ。さっさと家帰って親にオムツ変えてもらえば機嫌治る?」

「なんだとテメェ!!」

「ちょ、お前何やってんだよ。店の前で面倒ごと起こすな!」

 

 鬱陶しく、男が腕を掴んでくるまで、ダミーはシカトを決め込んでいた。自分の好きなようにだけ、勝手気ままに生きたい人間なのである。例え儲かるとしても、仕事の紹介など、お節介にも程があるのだ。

 仲間に止められながらも怒りを露わにした男に対して、ダミーは静かに中指を立て、その場から走り去った。

 

「……」

 

 ダミーが入り口をくぐったホテルは、派手な蛍光色でベタ塗りされたようなホテルではなく、萎びた洋館のような質素なものであった。

 ホテルのロビーには、適当に用意されたであろう机と丸椅子に座る老婆が、濃い紫色の枠組で飾られた老眼鏡を身につけ、ひっそりと本を読み進めている。骨ばった手は多少の震えがありながらも、しっかりと分厚い本を支えていた。

 

「婆さん、鍵頂戴」

「また、アンタは女を変えたのかい」

「みーんなおれの顔が大好きだからねェ」

「……くれぐれも部屋で殺されんじゃないよ。事故物件扱いじゃ、商売もまともにできやしない」

 

 ダミーがどれだけ愛想のいい笑みを浮かべようと、この老婆が靡くことはない。彼の部屋に入れ替わり立ち替わり別の女達が入っていく所を、日々見ているからである。

 だがしかし、この男のガールフレンドたちが、このホテルに金を落としているのは事実であった。だからこそ、老婆も彼のただれた交際関係に文句は言わなかった。

 

「はいはい」

 

 老婆から投げて渡された鍵を手で弄びながら、ダミーは小綺麗に管理させれたホテルの廊下へと足を踏み出した。

 “103”の宿泊部屋、それがダミーの宿泊部屋である。

 

 焦茶色の木製扉に、薄暗い廊下を照らすペンダントライトの淡い光を反射して、金色の縁取りが施された”103”の文字が浮かび上がっている。

 木札がぶら下がった鍵を、扉の鍵穴に差し込み手首を撚れば、すんなりと扉は開いた。入り口は細く、所々に浮かんだシャボン玉に入れられている光源で、部屋の明るさが保たれていた。

 

「あー……」

 

 部屋の中央に置かれたローテーブルには、布地のフードカバーとキンブラーグラス、近くには、可愛らしくデフォルメ化された犬とオレンジがラベルに描かれた、オレンジジュースの瓶が置かれている。

 フードカバーに覆われていた食事は、ガールフレンドが作った手料理だった。

 

 長時間、この男の帰りを待っていたのか添えられたオニオンスープは冷めきっていた。主食であるオムライスには小さな旗が掲げられ、中に詰められたチキンライスは薄焼き玉子で綺麗に包まれている。

 オムライスの上に大きく描かれた"愛の印"を見ても、彼女が彼氏を想っての行動である事は一目瞭然である。

 しかし、ダミーは気分を悪くしたように眉間に皺を浮かべていた。

 

「おれ、他人の手料理嫌いなんだよなァ」

 

 顔を顰め、口をキュッと結んだその姿は、まるで子供のようだった。

 顔がいいからこその悩みなのか、ヒモであるからこその悩みなのか、彼にはガールフレンドの手料理で碌な思い出がない。怪しい惚れ薬、法的にアウトな媚薬、シンプルに下剤、髪の毛、唾等……手料理だと言って渡された食事に異物が混入していないなど彼の人生、一度も無かったのだ。

 このようにして、訝しげに匂いを嗅ぐ仕草も、一種の自己防衛のようなものである。

 

「今の気分はフルーツだし」

 

 第一、何が入っているかわからないこと、そして、男の食べたい物ではなかったこと。ダミーが手料理を放置する選択を取るには、十分な理由だった。

 食べられることをフードカバーの下で待ち続けた食事達は、誰の口に入ることもなく、もう一度フードカバーが被せられた。

 

「お、ラッキー!」

 

 ダミーが食事から視線を動かした先は、部屋の角にあるコンパクトキッチンであった。洗い終わった皿は棚へと綺麗に並べられ、ワークトップには、ガールフレンドの誰かが買ったであろう果物がバスケットの中に積まれている。

 

「林檎……か?」

 

 積まれた果物の中で一際目立つ真っ赤な林檎には、側面に渦巻き型の模様が焼き付けられていた。変わった部分といってもそれくらいで、林檎から香ってくる甘酸っぱい匂いからは、何も変わった様子はない。

 ダミーという男は、他人の手料理には口も付けないくせに、果物に対する信用は妙に厚いらしい。何の躊躇もなく変な(・・)林檎にかぶりついたのが良い証拠だろう。

 

「……マズっっ!!」

 

 果肉を咀嚼する音は、まさに林檎であったのだが、問題があるのは味であった。

 口に入れた瞬間に広がるのは、林檎特有の甘酸っぱさや爽やかな香りなんてものではなく、林檎とは思えないような”まずさ”である。

 果物特有の甘酸っぱさはどこに置いてきたのか。ダミーはローテーブルに出してあったオレンジジュースを、口に残る果肉と共に流し込んだ。

 

「うえ……気分(わり)ぃ」

 

 先ほどまでは、満面の笑みを浮かべてかじりついていた林檎だというのに、不味いと分かった果物への視線は冷たい。

 かじりついた跡の残る林檎をゴミ箱へと投げ捨て、なんともいえない後味に口元を歪めていた。

 

「……煙草吸うにもここじゃ、婆さん(ババア)がうるせぇし」

 

 イラついたように頭をかき、大きなため息を吐くダミーの指の間には、新しく取り出された煙草が挟まれていた。

 悪態をついてはいるがライターに火をつけずに廊下へ向かおうとする所、婆さんをうるさくさせる気はないのだ。

 

「今日クソすぎねェ?」

 

 誰に同意を求めるわけでもなく、ダミーは部屋の扉を蹴り上げて、薄暗い廊下へと足を踏み出した。

 

 

**

 

 

 静かに波打った海は月明かりに照らされて、星の輝く夜空を映し出した。海の上での明かりというのは何とも心許ないモノで、航路の先を見つめようと、そこに広がるのはただの闇である。

 海を巡る者たち__海賊にとっての光とは、扱いにくいモノであった。しかし、()の存在はその”扱いにくさ”すらも覆うような価値がある。一体を真っ赤に染め上げる()は彼らに恐怖と力を与え、暖かく周りを照らす()は彼らに不安と安心を与えたのだ。

 そして、その価値に例外というものは、存在しないのである。

 

「シャボンディが見えたぞ!」

 

 見張り台から告げられた言葉に船員たちは、喜びの声を上げた。

 まだ夜は明けていない、闇に包まれた島に見えるマングローブの木々の間から漏れる光は活気に溢れている。久しぶりの島上陸、という訳でもないのだが、ここまで発展した島に上陸するのはそうそう無い。

 夜が更けてから時間が経ったというのに、殆どの船員が甲板に出てくるのも、その興奮からである。

 

 そんな心を踊らせる船員らを乗せた、大きな鯨を模したような船体は、十字と尖ったU字を組み合わせたような海賊旗を掲げていた。

 四皇、エドワード・ニューゲートが率いる海賊団、白ひげ海賊団の船である。

 

「夜だってのに、明るいな……」

「あれって観覧車じゃねえか!?」

「子どもかよ、お前」

「いつも頑張ってるオレ達のために、女買ってくれよ、隊長ぅ〜!」

「バッカだなお前、死に物狂いで手に入れた自分の財宝で買った女の方が__やっぱ変わらねえな、なあ隊長ぅ〜!!」

 

 思い思いの言葉を溢し、この船に数個しかない双眼鏡を奪い合う。キャッキャと騒ぐ彼らは十代でもなければ、可愛げのある男女というわけでもない。目つきの悪い、四十路の男たちである。

 

「コーティング職人って五十番辺りだよな……あ?」

「このまま行けば、七十二番GR(グローブ)だ! 海軍駐屯地も近えし、迂回を__」

「おいおい、あそこ見ろよ。若いカップルの修羅場だぜ! 行け、そこだ、ジャブジャブ、ストレート! アッパー!」

「お前、この前の島で女に張り手で海に落とされたくせに、他人事になるとイキイキしやがって……喧嘩ぐらい普通にさせてやれよ……」

 

 見張り台から双眼鏡を覗く船員達は、海軍船が出ては居ないかとヒヤヒヤしていた。島からの光が目立っているように、彼らの船の上の灯りもかなり目立つのだ。そしてここは海軍本部も近いシャボンディ諸島、警戒をしておいて損はない場所である。

 だがしかし、”面白いもの”には興味を示すのが海賊であった。自分ではない誰かが繰り広げる小競り合いもまた、一つの”面白いもの”であるのは……まあ、人によるだろう。

 

「よく見ろって、ありゃ上物ペアだ!」

 

 あの男女のために用意されたかのようなライトアップは、辺りに浮いたシャボン玉を輝かせ、その修羅場にすら”美しさ”を生まれさせた。またそれも、男女の顔の良さもあるだろう。まるで一つの劇のように、風に揺れる髪すらも美しく見せたのだ。

 少し異様に感じる部分といえば、女が男に近づくごとに、男はその女から距離を取るように一歩一歩下がっている部分だろうか。

 

「……あそこまで顔が良けりゃ、女には困らんだろうなァ……あぁ、クソォ……!」

「んまぁ、待て。アイツは女からのアプローチにゃ、弱い男らしい。オレたちの方が一枚上手じゃねえか」

「一枚上手でも、女が寄って来なけりゃ話にならねえだろうが!!」

「あぁ? 大事なのはハート()だ、ハート()!」

「海賊に愛を語られちゃ、世話ねえよ……」

 

 二人の注目は、詰め寄られている男に向けられていた。遠くからでもよく目立つローズピンクの髪に、絶妙にダサいシャツを着こなす整った容姿は、二人が羨ましがるのも頷ける。

 現に、なんの理由であれ美女に詰め寄られているのである。

 

「人間、顔だけじゃ決まらねえと__ちょっと待て」

「……あの女! 刃物持ってやがる!!」

「さ、刺された!!」

「うわ、場所が(わり)い……激痛だぞ、あれは」

 

 ケラケラと笑い合っていた船員二人の顔は、次に双眼鏡を覗いた瞬間に、引き攣った笑みに変わっていた。

 美女の手の中には、小型の包丁が握られていたのだ。二人が騒ぎ始めた時には、女の手から包丁は離れており、男が痛みに蹲っている。

 

 少しして肩で息をする女が、動かなくなった男を置いて、その場を走り去っていった。

 

「……胸糞悪いなァ」

「……おれらは、懸賞首じゃねえ。勝手に島行っても怒られねえよ、多分」

「……アイツに借り一つ作っとけば、いい女も紹介して貰えそうだしな」

「あの現場を見てそう思えんなら、尊敬するよ、お前のこと」

 

 あの男が何をしでかしたのかは、この見張り台に立つ二人が知る由もないのだが、今にも死にそうな男を見捨てられる程、根が腐ってはいなかった。

 二人は見張り台から飛び降りると、近くに置いてあった偵察船を掴み、まだ流れの緩やかな海へと飛び出した。

 

 この二人が自らの隊長に、こっ酷く叱られたのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

**

 

 ダミーの脇腹に触れる尖った刃物は、薄い肌を突き破ろうと押し込められ、ダミーは思わず呻き声を上げる。彼は、ここ何年もガールフレンドの取っ替え引っ替えをやってきてはいたが、彼自身に刃物を突き立てる彼女(ガールフレンド)などいなかった。

 この女は全くのニュータイプであったのだ。

 

 ヒステリックな叫び声を上げる女は、狂ったように謝罪を続け、自分で刺したくせに「死なないで!」などと戯言を吐いている。

 

「わ、私が、たすけ、るから! お願い、お願い!!」

 

 その願いすらも、気絶した彼には届いていないというのに。走り出した彼女の頭には、彼の容態を見るほどの余裕はなかったのである。

 

**

 

 

 

 暁の爽やかな黎明(れいめい)が、夢の世界に終わりを告げる。窓から差し込む暖かな光が、忙しなく動き続ける船員たちの頬を撫で、朝の始まりを知らせていった。

 船乗りというのはどこも朝が早いようで、よほど疲れていない限りはさっさと眠りから覚めるらしい。

 

 ダミーが眠りから覚めたのは、その三時間後である。彼が眠りについていたそこは、モビーディック号の甲板、足取りもおぼつかなくなった酔っ払いが寝る場所であった。

 

「イ゛ッテェェェェーーッッッ!!」

 

 船員達が行き交う足音がうるさくとも、人間の叫び声はよく通る。

 つい昨日、見張りの問題児共が連れて帰って来た男__ダミーが、飛び起きて喚き始めたのだ。動き回っていた船員達も思わず足を止めて、声の主の居る甲板の中心を盗み見る。部外者といえど、寝起き早々おやじの前に置かれている男であった。注目の的にならないはずがない。

 

「……痛くねえだろい、お前の体に外傷も何もねえんだ」

「いっ……?」

 

 喚いた男の体には、不思議なことに傷一つ(・・・)ついていない。

 しかし、彼は昨日の夜、確実にガールフレンドであった女に刺されていた。その証拠に、身につけていたシャツの腹部分が破れている。奇跡的に彼女の包丁を避けたというのでは、この破けたシャツの説明がつかないだろう。

 

 大した怪我が無かったことというのは、有り難く思うべき事なのだろうが、ダミーにとって、今心配すべきはソレではなかった。

 

「……あ、あぁ……えー、アンタ、誰だっけ……思い出した! 借金取りのジョージだろ? 三年踏み倒してたところ悪ィけど金はねェんだ、今回も見逃してくれ!」

「何の話だ。おれとお前は今日が“初めまして”だよい」

「エッ、それじゃあやっぱり……」

「刺されなかったと言えど、恋人にここまで命を狙われるような奴は、おれの知り合いにいないしねい」

「! なんだ、アンタは“彼氏サン”じゃねえのか。なーら、安心だ」

「見張りの話じゃ、女の彼氏はお前だって……まあ、いいよい」

 

 彼の交際関係というのが純粋であった事は一度もない。彼氏持ちの彼女だろうが、彼が「丁度いい」と思えば付き合う、なんとも不純な交際であった。

 それ故に、彼氏からの恨みを買う事だって多いのである。

 安心したように息をついたダミーは、やけにひらけた空を見上げて「空が見える……?」などと言って首を傾げた。

 

「んあァ? 何処だここ……誰だよ、アンタ!!」

「その件はさっき終わったんじゃねえのか……ここはモビーディック号、白ひげ海賊団の船だよい」

「アンタが白ひげ? 白ひげなのに髭ねェじゃん!!」

「なんでそうなるんだよい!!」

 

 ダミーの視線の先にいるのは、先ほどまで容態を見ていた船医である。ダミーは「“白ひげ”というくらいなら、白い髭があるのかな」とか「海賊ってのは犯罪者で……」というような思考を巡らす事はない。相手が言ったことの八割を聞き流し、残りの二割を鵜呑みにする人間である。

 黙って二人の会話に耳を傾けていた一人の船員が、「何処を見たら、そいつがおやじだと思うんだ!」と騒いだことでダミーの意識が、甲板全体に向けられた。

 

「あれが、例の”美青年”かァ?」

「はァー! ありゃ相当な美形だぜ」

「彼女の方も美人だったって話じゃねェか、どうせならソッチも見たかった!」

 

 何もかもが無思慮(・・・)の男でも誰が頭であるのかは、すぐに理解できた。口元に生える白い髭に頭に撒かれたバンダナからのぞく瞳は、騒ぎの中心人物である部外者(ダミー)を捉えている。

 ここはモビーディック号の上甲板、船長の白ひげ、エドワード・ニューゲートが鎮座する場所。その周辺には、見張りの奴らが美青年を拾ってきたと噂を聞きつけた船員たちが輪を作っていた。

 

「……挨拶くらいしろい」

「い゛、口で言えよ、口で!!」

 

 唖然として周りを見つめるダミーに対して、痺れを切らした船医がダミーの頭を掴み甲板の木板に押し込んだ。容赦無く叩きつけられた頭と木板がぶつかり合う音は痛々しく、取り巻きを担う新人の船員たちも何やら思い出した事でもあるのか、ダミーに同情するように顔を顰めた。

 

「……どうも、ダミーって言います」

 

 ダミーがどんなに頭へ力を込めて押し返そうと、一般人が海賊に叶うはずもなく、その押した力の倍で返される。渋々ではあるが、地に頭をつけたまま、彼は挨拶をすることとなっていた。

 挨拶が終わったことで船医の拘束から解放されたダミーは、顔を上げて「おれの顔が傷ついた」などと騒いでいる。……その顔は腫れ上がってもいなければ、赤く血が滲んでいる訳でもない、全くの無傷(・・)だというのに。

 

 一部始終を見ていた船員たちは、どよめいた。手加減をされた可能性があると言えど、無傷であるのはおかしいと。嬉々としてその状況に笑みを浮かべていたのは、癖毛の目立つ黒髪に日に焼けた肌を持った大柄な船員のみである。

 

「質問でも、__いって、イッダッッ!! 殴られた、殴ってきた!!」

「……」

「おいおい、やめろティーチ! そいつはまだ敵って訳じゃねェ!」

 

 新たな玩具でも渡された幼い子供のように、黒髪の船員は甲板の中心へと駆け出した。走りながらも力の込められたその拳には、標的が定まっている。そう、美青年の彼であった。

 無抵抗にも拳をぶつけられたダミーの体は、甲板を滑りデッキの手すりに打ち付けられる。海に放り出されはしなかったものの、体が打ち付けられた手すりは大破し、木板が折れ曲がった。

 周りからの静止をものともせず、黒髪の男、ティーチはダミーの肩を掴み、強引に服を脱がした。

 

「な、何? ぇ、ちょ、エッチ!! おれの肩には三十万ベリーの価値があんだぞ!?」

「……こいつァ能力者だ。船に乗せようぜ、おやじ!!」

 

 ギャアギャアと騒ぎ立てるダミーのはだけた服からは、甲板との摩擦の影響もなく、ツルツルとした青年の肌が見え隠れしている。

 ティーチが大きく口角を上げて放った要望に、船員たちは目を見開いた。ティーチは今まで、仲間を増やそうなどという我儘を言ったことがない。……突然、奇行に走ることはあっても、だ。

 

「この前も十万ベリーで靴を舐めたいってレディが__」

「勝手なこと言うんじゃねェよい! そもそも、そいつが乗船を望んでる訳でもねェのに……」

「この島にいりゃ、人間屋(ヒューマンショップ)で売りに出されるのも時間の問題だぜ。美形で能力者……こんな上物、あいつらが放っておくわけがねェ!」

「……能力者ァ? ヒューマンショップなら知ってるぜ! アンタら何の話してんの?」

 

 一人、自分の値打ちについての話を進めているダミーであったが、言い合いを続ける二人の知らない言葉には興味があったらしい。大方自分の話なのだが、他人事のようにヘラヘラと笑っている。

 

「この船に乗ってんのに、不足はねェはずだ。カノジョに刺されることもまずねェ!」

「借金取りに追われることもない……ってコト!?」

「海賊だからなァ、借金なんて言ってられねェよ」

「お、おれをこの船に乗せてください……!!」

「馬鹿言ってんじゃねェよい!!」

 

 船医に何を言おうと変わらないと察知したのか、ダミーの説得に回ったティーチというのは、なんともタチの悪い存在である。その説得で、ダミーがその気になったことも彼の口軽さを体現しているようで、船医にとっては癪であった。

 そんなことで言い合いが止まることもなく、気まずさに船員たちがざわつき出した頃、大きな笑い声が甲板に響いた。

 

「グラララ! 滅多に我儘を言わねェ息子にここまで言わせるたァ、ご立派な小僧じゃねェか……お前は乗りたいんだな?」

「そりゃァ、ただより美味い飯はねェって__ああ、すごく乗りたい!!」

「おやじ!」

「一人生意気な息子が増えようが、お前らで静かに出来んだろう?」

「おやじ……」

 

 不純な動機であろうと、家族になろうとする者を拒む理由にはならない。何十年も”おやじ”をしている身であるからこそ、ここまで寛大な心を持っているのかもしれない。

 船医が不満そうな目線を向けるのも、おやじへの心配からである。

 

「お前は今日から、おれの息子だ!」

 

 招かれた息子というのは、喜びにニコリと笑ってみせる。その喜びは、安定した衣食住への期待からなのだが、ここにいる船員()たちが分かる訳もなく、彼らは新たな兄弟を祝って手を叩いた。

 

 末っ子として迎えられたダミーが、かなりのクズ男であることに、周りが頭を抱えるのもそう遠くない話である。

 

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