Ghostship May Cry   作:竹河参号

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 神通嫁艦の友人に捧げる。


舟幽霊のソウル
 深海棲艦の船体を構成する物質のひとつ
 撃破すると(あお)い光として残留し、掴むことで吸収される
 燃料の類として利用していたようだ

 舟幽霊とは、水死した亡者たちの怨念である
 船を捕まえ、柄杓で海水を汲んで沈めるという
 海に棲む妄念も、同胞を求めるのだろうか



二ツ華、大洋に咲く

「――神通(ジンツウ)!」

 

 がたん、と欄干を叩く司令官ネロの視線の先で、軽巡洋艦神通の巨大な船体が、大きく傾いだ。

 

 

 その光景を、青白い陽炎を纏う鉄塊が見つめていた。

 ――のちに“戦艦タ級”という識別名称を与えられる存在。しかしこの時は、未だ海上自衛隊も捕捉していなかった未知の脅威であり、新米の“艦霊提督”ネロの率いる水雷戦隊にとって、あまりに強大な敵だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 “深海棲艦”。昏い水底より這い出した怪物は、そう名付けられた。

 既存兵器による攻撃の一切を受け付けず、無尽蔵に沸き続ける怨霊たちは、瞬く間に各国のシーレーンを破壊し、世界に深刻な被害を生み出した。そしてそれは、今もなお止まることなく進行している。呪いと海に底はなく、故に全てがやってくる――どこかで生み出され、そして打ち捨てられた警句が指し示すがごとく、深海棲艦たちの現出は止まることを知らない。

 最も影響を受けている国家のひとつが、日本だ。

 島国ゆえに自国での原料生産能力が低く、大半を海外からの輸入に依存している日本にとって、シーレーンの防衛は最重要要件の一つであり、つまりその崩壊は国家存続の危機をもたらした。もとより、狭い国土に対して異常なほどの人口密度を誇る先進国である。食料品を中心に原価は高騰し、国民は飢餓と資源不足に喘ぎ、第二次世界大戦(WW2)から現存する国家としてはソ連の次、21世紀に入って最初に滅ぶ国家として真っ先に挙げられるほど、窮地に追い詰められた。

 

 

 ――だが。

 未知なる脅威が海からやってきたのと同じように、その逆境を覆す希望もまた、海からやってきた。

 “艦霊”、あるいは“艦娘”。(ヒト)(フネ)の二つの姿をもち、深海棲艦に対抗する戦力を有した彼女たちは、各国の、なにより日本の希望として迎え入れられた。最新鋭の兵器の一切が通用せず、深海棲艦に蹂躙されるばかりだった海上自衛隊は、艦霊たちを基軸に再編された。人類はついに、反攻の機を獲得したのだ。

 

 

 ただ、制約も多い。

 まず、“艦霊”の名が指し示す通り、彼女たちは本質的に幽霊の類である――つまり、過去存在した軍艦に基づいて成立している。日本の場合は、旧日本軍が保有していた各軍艦だ。各国は、半世紀以上前の海戦理論に基づいて建造された――言葉を選ばなければ、“時代遅れの兵器”への依存を余儀なくされた。当然、最新鋭の電子技術で構築された海防設備など使い物にならず、ほとんどが最前衛から外された。

 また、幽霊の類である以上、彼女たちを現世に留め置くための楔――彼女たち曰く“提督”なる存在が必要となる。この提督とやら、当然艦霊たちの海戦に同行する必要がある上、誰でもいいという訳ではなく、何やら陰陽術じみた適性が必要らしい。日本政府は速やかに“艦霊鎮守府”を特設し、全国から提督候補者を探し求めた。

 

 

 そして白羽の矢が立った一人が――たまたま“仕事”に日本まで来、そして深海棲艦のせいで帰路を奪われていた悪魔狩り(デビルハンター)、城塞都市フォルトゥナのネロである。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ――失敗だった。比類なきデビルハンターであるネロは、しかし艦隊指揮官としてあまりに未熟だった。

 無論、“艦霊提督”の大半が元一般人であり、海戦の素人である。海上自衛隊のサポートを最大限に受けながら、少しずつ深海棲艦を掃討している状況であり、ネロ個人が特段に劣っているわけではない。

 だが相手が悪かった。

 この戦闘ののち、“戦艦タ級”という識別名称を与えられる存在。これまで海上自衛隊がたった一度しか遭遇してこなかった、“戦艦級”の強敵である。ネロの自慢の剣も銃も届かない、彼方の強敵。それを前に、未熟なネロ艦隊ができることなど、何もなかった。

 さらに悪いことに、“空母ヲ級”まで同道している。海上だけでなく上空から艦載機で攻撃する“空母級”深海棲艦は、これまで制海権奪還における最大の脅威として認識されていた。海上自衛隊では、すべての探知機器を利用して空母ヲ級の所在位置を捕捉し、対空装備に特化した艦霊艦隊を派遣して先制攻撃を仕掛けるための専属部隊が設置されるほどである。

 未知の脅威に、既知の難敵――真っ先に捕捉されたのが、ネロ艦隊第二艦、神通だった。高射砲を用いて空母ヲ級の迎撃に腐心していたところに、戦艦級の一撃を食らい、中破へと追い込まれた。

 

 

 ネロ提督の耳には、後方の海上自衛隊による支援艦隊からの撤退要請が、ひっきりなしに飛んでくる。ほとんど悲鳴と変わりなかった。煩わしくなったネロは、ヘッドセットを掴んで投げ捨てた。それだけだった。忸怩たる思いに両手をぎりぎりと握り込んでも、事態は何も変わらなかった。そしてそれは、艦隊の構成艦霊たちにとっても同じだった。強敵との遭遇による動揺、“艦霊提督”ネロから伝わってくる焦燥。それらが、一同に致命的な停滞を産んでしまった。

 それを覆したのは、当の神通からの通信だった。

 

『じんつ――』

『ねえ、さ、』

 

 旗艦川内からの通信に、満足に返事も叶わない窮地。それでも、その言葉に載せられた神通の意志を、彼女は確かに受け取った。

 

『――“提督”! 撤退するよ!』

「はぁ!?」

 

 咄嗟に叫んだ川内からの言葉に、誰よりもネロが驚愕した。

 

『川内ちゃ――』

『殿艦は神通! 全艦取り舵、全速力で後退せよ!』

川内(センダイ)――お前、何言ってやがる!」

 

 僚艦こと那珂の言葉をも遮り、全艦に川内の通信が飛ぶ。有無を言わさぬ力強い言葉に、反攻できたのは提督ネロだけだった。

 

「今撤退なんかしたら、神通(ジンツウ)が――」

『だからこそでしょ! あっちの戦艦級はともかく、空母ヲ級の爆撃はどうしても防がないといけない! 神通は高射砲を積んでるから、それでヲ級の艦載機を減らしてもらう!

 その間に、私たちは鎮守府まで全速力で撤退! ヨソから戦力引っ張ってでも万全の態勢を整えて、どんな手を使ってでも擂り潰す! いいね!』

「――ふざけんなよ、お前!」

 

 心ない言いように、ネロの堪忍袋の緒が切れた。がんと川内の欄干を叩き、鉄の板がひしゃげるほどの嚇怒として顕現した。

 

「妹を見殺しにする気か!? それでいいのか、お前は!」

『――いいわけないだろ、この馬鹿!』

 

 ネロの怒号に、川内が吼えた。船体をびりびりと震わせる気迫が、ネロの反論を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ――いいわけない。そんなこと、提督(こいつ)に言われなくても分かってる。

 世界の裏側から這い出した深海棲艦、それと呼応するように目覚めた艦娘。魂すら宿らぬ無機質な鉄の塊だった私たちは、そんな摩訶不思議な因果によって、人に近しいカラダとココロを得た。戦い、敗れ、そして沈んだはずの軍艦(わたし)たちが、時を超えて蘇り、人の体躯を得て化物と戦う。恐ろしくタチの悪い冗談だ。こんなふざけた運命を仕組んだ者がいるとしたら、ありったけの魚雷を食らわせてやりたい。

 ただ、悪いことばかりではなかった。

 設計上の近親関係、書類上の分類でしかない“姉妹艦”という関係に、意味が与えられた。私は名実ともに“姉”になり、二人の“妹”を得た。何となく、自分に近い性格なのかなーと思っていた私は、出会った二人に大いに面食らった。上の妹は大人しいを通り越して引っ込み思案だったし、下の妹は何故か“アイドル”なるものに目覚めていた。水雷戦隊の旗艦を務めた姉妹として協働し、(主に夜戦で)ガンガン戦線を盛り立て、深海棲艦どもを薙ぎ倒していく予定だった私は、うっかり毒気を抜かれてしまったものである。なおそのことを話すと、決まって「川内ちゃんの夜戦バカも変だよー」などと言われる。いや那珂の方が変だと思うけど。なにさ艦隊のアイドルって。

 曰く、人間の兄弟姉妹であっても、性格が近いとは限らないらしい。同じ釜の飯を食おうと決して同じ人間になれないように、生まれ持った感性というものはなかなか強烈に焼き付くものなのだと、私は身をもって理解した。ましてや艦娘、血という繋がりのない私たちでは、似せようと思って似せられるものでもないのかも知れない。

 それでも、私は二人のことが大好きになった。姿も形も性格も違うけど、どちらもかわいい妹で、目に入れても痛くないと本気で思っている。姉としての体面上、絶対に言わないけれど。

 

『――それでも、』

 

 本当は、今すぐ神通のもとに駆け寄ってやりたい。あんな連中に、これ以上傷付けられたくない。なりふり構わず突っ込んで、ありったけの砲弾と魚雷を叩きこんで、二度と浮き上がれないくらい痛めつけてやりたい。

 でも、それは出来ない。

 それが川内(わたし)の弱さであり、神通の弱さであり、那珂ら僚艦たちの弱さだった。今の私たちでは、奴らに勝てない。空母ヲ級と未知の戦艦級という脅威を前に、私たちはあまりに未熟だった。

 捨て身の特攻すら、戦力差を覆す一手にはならない。そんなものでは窮状を変えられなかったのが、旧日本海軍たる私たちの最期だ。ここで激情のまま暴れたところで、歴史の焼き増しにしかならない。そんな業腹な現実が、私の足を止めていた。

 

 

 何より、神通自身が。ここで捨て石になることを決意した。

 ――一時の敗走を飲み込んででも、この提督を生かすために。すべては、やがて来るべき暁に勝利を刻むために。

 その意志と覚悟に、私は逆らえなかった。

 

『それでも、ここで全滅するわけにはいかない! 提督(あんた)を失うわけにはいかない! 勝つためには、日本を救うためには、ここで切り捨てるしかないんだ!

 犠牲を飲み込んで! 涙をこらえて! 失ったものを振り返らずに突き進む! いつか必ず勝利をもって報いるために! それが、――それが、戦争ってものでしょ!』

 

 それをやり通すのが軍艦(わたしたち)で、それを命じるのが提督(あんた)だ。結局のところ私たちは兵器で、感情のままに動くことなど許されない。

 だから従え。従ってくれ。お願いだから逆らわないで。私たちを否定しないで。この胸の痛みを思い知らせないで。

 

 

 ――だれか、たすけて。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 血を吐くような言葉の節々に込められた思いを、“提督”ネロがどこまで汲み取ったことか。

 

「……冗談、じゃねえ」

『冗談でも何でも従え、この新米! 駄々こねて戦争に勝てるなら、誰も苦労しないよ!』

 

 絞り出すようなネロの言葉を、川内が無理矢理に叩き伏せた。艦霊と提督、旗艦と司令官、その関係性を逆転させるような怒号を、しかし川内はお構いなしに叫んだ。未だ数少ない“艦霊提督”、ここで失うわけにはいかない。そのためなら、どんなことでもやり尽くさないといけない。

 

「――やだね」

『あ!?』

「敵を前にケツまくるなんて、俺の主義じゃねえ!」

 

 だがそれは、ネロには届かなかった。

 きっと顔を上げたネロは、意地の悪い笑みを浮かべると、甲板から迷いなく飛び出した。あっと思わず叫んだ川内を尻目に、その右手を覆っていた帯を解くと――鱗状の異形の腕から、光が迸る。それは第三の腕のようなものを形成すると、中空に浮かぶ光を掴み、あっという間にネロを彼方へと連れ去った。

 あとに残されたのは、思わず呆然とする川内と、おろおろと狼狽えるばかりの僚艦たち。

 

『せ……川内ちゃん、どうする……?』

『……あの、()()()()野郎――!』

 

 “艦娘”川内史上初めての――あるいは唯一かもしれない――悪態をつきながら、川内の心境は苦渋に満たされた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 だんと甲板に着地した時、神通の動揺が伝わった気がした。

 

「よう、神通(ジンツウ)。なかなか快適な船旅だな?」

 

 艦霊人格の顕現もできない神通に対し、ネロは皮肉を投げた。砲撃と波浪によってゆらゆらと揺れる甲板には、砲弾や爆撃の痕が刻まれ、とても快適とは言い難い。

 砲撃と爆撃の雨を掻い潜りながらの、500m以上の空中機動。それは悪魔狩りを生業とするネロをしてなお、恐るべきスリルを与えた。もちろん、翼をもたないネロがひとっ飛びで行ける距離ではなく、ネロが“グリムグリップ”と呼んでいる謎の物体を掴んで乗り継ぐことで、ここに至っている。

 思えば、あれは何なのだろう。間違いなく悪魔の力の一端であるはずなのだが、本来この海上にそんなものがあるはずがなく、何より明らかにネロに都合が好すぎる。“レディ”という同業者は見たことがないと言うし、悪魔共が利用している様子もない。使えるものは使う主義のネロだが、ここまでくると不気味なものを感じずにはいられなかった。

 

『てい、とく……ど、して――』

「生憎、ひねくれ者でね。捨てろと言われて捨ててやるほど、お利口じゃないのさ」

 

 息も絶え絶えといった様子の神通の言葉に対し、にやりと笑ったネロが右腕を掲げる。レディの伝手で得た封印の帯、それを解かれた悪魔の右腕(デビルブリンガー)が、爛々と(あお)い光を放っていた。

 ――こいつは賭けだ。

 悪魔の右腕(デビルブリンガー)。数年前の事件、のちに“フォルトゥナ事件”と呼ばれる騒動を経て覚醒したその異形の右腕は、悪魔の力を取り込んで我が物とする異能を持っている。その力を艦霊に応用することができれば、傷付いた神通の魂と同調し、ネロの裡に取り込むことができるはずだ。

 ネロ自身、これから行うことに確証はない。そもそもネロ自身の意志で行ったことは一度もなく、この悪魔の右腕(デビルブリンガー)が勝手に反応してきたことだ。うまくいくかどうかも、そもそもできるかどうか自体も分からない。

 

「それで? “どうせできやしない”って、言われるがまま諦めろって? ――冗談じゃないね」

 

 ネロは不敵に笑うと、輝きを放つ右腕を甲板に押し当てた。

 

 (あお)い光が空と海を呑みこみ、一人と一隻は消失した。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

――ああ、うらめしや。

 

 沈むネロの意識に、声が降り注いだ。

 

――ああ、ああ、ああ。

――青い目の指揮官。

――鬼畜米英の徒が、おれたちの神通を穢している。

 

 ざわざわと暗闇がうごめく。ネロという侵入者を認め、取り殺さんと鎌首をもたげる。

 なんだこれは? 俺は、神通(ジンツウ)の魂と同調しているはずだ。あの神通の内側に、こんなものが棲んでいたのか?

 

――呪ってやる。

――滅ぼしてやる。

――我ら華の二水戦、夷狄に神通の誇りは奪わせぬ。

 

 呪詛の濁流がネロを襲った。怨念に四肢を締め上げられる中、ネロの思考はその正体に行き着いた。

 

(こいつらは――神通(ジンツウ)の、乗組員か)

 

 正確には、その死霊。

 考えてみれば、当然の話だ。元は物言わぬ鉄の塊、それが意思を持ちヒトの姿を得るのなら、その中核となる部分があるはず。人類史においても数少ない“居住する兵器”たる軍艦ならば、乗組員の魂で形作られていても不思議ではない。特に神通は、戦闘で沈没し、乗組員もろとも没した軍艦のひとつである。艦霊として成立した際、彼らを取り込んだ可能性は高い。

 問題は、その彼らがネロに牙を剥いていることだ。神通を助けにここまで来たのに、その神通の乗組員に取り殺されるなど、笑い話にもなりはしない。ひとまず、こいつらをねじ伏せなければ。

 

――だが。

――こいつは、おれたちの神通を見捨てなかった。

 

 そんな中、ふとこぼれた一念があった。

 

――おお、そうだ。

――そうだ。そうだ。そうだ。

 

 それに呼応するように、ざわざわと怨霊たちがうごめく。

 怨念の濁流に呑まれていたネロの魂が、わずかに解放される。しかし、一向にこちらを顧みない身勝手な怨霊たちに、ネロは思わずカチンときた。相手が死霊だとか何とかは、知ったことではない。こちらを無視して話を進められるのは癪なのだ。

 

“ごちゃごちゃうるせェんだよ、亡者ども”

 

 ぐわんぐわんと喚く怨霊たちを、ネロの言葉が切り裂いた。声なきそれは、しかし確かに怨念の海に響いた。

 ネロは、彼ら日本海軍のことを知らない。立場的には彼らの敵の末裔だし、それを差し引いても戦後の遥か遅くに生まれた身だし、彼らの言う武士道(ブシドー)の精神性もさっぱり理解できない。クレイジーな民族の自爆特攻(カミカゼ)なんぞクソ食らえ、である。

 ――ただ、彼らの根底にあるものは、ネロにも理解できる。

 祖国のために。家族のために。あるいは、共に戦う仲間のために。そのために戦場を駆け、水底に沈んだ。そしてこんな怨霊に堕してなお、彼らの誇りである神通を守ろうとしている。

 本質的には、大差ないのだ。ネロが戦う理由も、彼らが戦った理由も。

 

“四の五の言ってねーで、()()()

 

 だからネロは叫ぶ。怨霊共全員に届くように、力の限り言い返す。

 守ってやる、なんて言わねえ。背負ってやる、とも言わねえ。守りたいものがあって、守ろうとする意志があるなら、()()()()()()()()()。惚れた女が傷付いてるのを、指くわえて見てるだけなんて、男のやることじゃねーんだよ!

 ネロの咆哮に威圧されたのか。四肢を締め上げる怨念が、その圧を弱めた気がした。

 

――青い目の指揮官。

――おまえは、何のために戦う。

 

 闇の一角から、声が響いた。初めてこちらに向けられた意識に対し、ネロはにやりと意地悪く笑う。

 

“愛する家族を守るため。()()()()()()()()

 

 その答えは期待通りだったのか、あるいは予想外だったのか。ネロを取り巻く怨念の圧は、完全に消失した。

 

――いいだろう。

――第二水雷戦隊、旗艦神通。これより、貴様の指揮下に降る。

 

 ざわざわと暗闇がわなないた。それは今までのような怨念の乱舞ではなく、隊伍を組むような整然さを成していく。無秩序に離合集散していた魂の濁流が、その荒ぶるままに秩序だった運動を形成していく。さながら、生前の艦隊運動を再現するかのように。

 

――さあ、探照灯を焚け。照明弾を打ち上げろ。

――おまえが暗闇を(はし)るなら、我らがその海路を照らす灯となろう。

 

――砲弾を運べ。魚雷はあるか。夜偵の出撃準備をせよ。

――コロンバンガラを続けるぞ。おれたちの戦争(れきし)は、まだ終わっていない。

 

 闇の内より迸る閃光が、ネロを暗黒の海から追い出した。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 最初に気付いたのは、一つの渇望だった。

 

――力を。もっと、力を。

 

 身を竦ませる威圧に、神通は恐る恐る目を開いた。

 そこにいたのは鬼だった。

 (あお)い炎を纏い、二本の角を生やし、大太刀を携えた、異形の大鬼。炯々たる眼光が神通を射抜くが、不思議と恐ろしさがなかったのは、煮えたぎるようなその激情が、こちらを一顧だにしないことに気付いていたからかもしれない。

 

(……提督の裡に、こんなものがあったなんて……)

 

 青い目の指揮官。いまだ成人には早く、しかしそう思わせないほどに獰猛な瞳は、神通をして委縮せしめるのに十分だった。“生前”の後悔から、とても快活とは言い難い人格を形成した神通にとって、己の姉妹とは別方向に苦手な人物として映っていた。

 あれは軍人ではない。武士(もののふ)でもない。自ら獲物を探す、獰猛な猟犬だ。終戦から久しい21世紀、長らく平和を謳歌してきた日本では、決して産まれない生態だろう。艦霊として契約を交わした、いわば第二の父のような存在でありながら、神通はずっと彼に対する不気味さを拭えなかった。

 ――その正体が、これか。人の身には決して宿らない、魔性の怪物。おぞましき暗闇を飼う人外の尖兵。

 人ならざる者への畏怖が、神通の身を竦ませる。だがそれ以上に、一つの疑問がその胸を満たしていた。この怪物が放つ激情は、しかしどこまでも内に向いている。神通という異物を前にしても、まるで排除する姿勢を見せない。それは無心に力を求める求道者のようでもあり、ひたすらに己を苛む自罰者のようでもあった。

 

(……これは――後悔……?)

 

 巨大な幽鬼を構成する感情の正体を、神通はついに看破した。無力ゆえの罪業。無力ゆえの喪失。無力ゆえの犠牲。それらを拭い得ぬ過去として理解し、悔恨と贖罪のために稼働する激情の化身――その情があまりにも人間臭くて、その風貌と不釣り合いなものだから、神通はおかしくなって、思わず吹き出した。

 そして、堪らなく胸が暖かくなった。この荒魂(あらみたま)は、どうしようもない優しさで出来ている。目の前の理不尽を許せなくて、悲劇を覆したくて――そういう暖かな優しさが、自ら傷付くことをも厭わない激情となって出力される。剣を執る力を、銃を握る力を与えている。ネロ自身が素直に認めるのかは知らないが――その根底にある感情は、きっと“愛”と称されるものだろう。

 ふっと吹き出した神通に初めて気付いたかのように、大鬼の意識が彼女に向いた。心胆を潰すような圧を伴いながら、しかし決して敵意を示さない双眸が、神通に問いかけた。

 

――おまえは、どうしたい。

 

 その問いかけは、何に対するものか。多くを語らず、ただ突き付けるだけの大魔を前に、神通はしばらく逡巡した。

 

“……私は……”

 

 やや間をおいて、神通はきっぱりと顔を上げた。彼の心に、その本性に触れた今、言葉を迷う必要などない。

 

貴官(あなた)とともに。あなたとともに戦い、あなたとともに傷付き、あなたと同じ敵を討ちましょう”

 

 ――いいや。きっと、最初から決まっていた。艦霊として成立し、あなたに出会ったその時から。

 

“私たちの提督。あなたの守りたいものが、私たちの守りたいものです”

 

――いいだろう。

 

 闇の内より迸る閃光が、神通の視界を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 光が消失したとき、そこには何も残らなかった。

 そこにあったはずの、横っ腹に致命的な一撃を受けて傾いでいたはずの、軽巡洋艦神通の姿はない。小型の連装砲、高射砲、魚雷発射管を備えた巨大な鉄塊の姿は、どこにもない。撃滅と沈没を表す黒煙すらない。

 代わりにそこにいたのは、(あお)い光を纏うネロだった。

 ()()()()()()()()。海戦の衝撃で揺れる波、びょうびょうと吹き荒ぶ海風にも臆することなく、しっかりとその水面に屹立している。その背に戴くのは、大太刀を備えた幽鬼ではなく――ひとりの少女。連装砲と高射砲、そして魚雷発射管を備えた艦霊――軽巡洋艦、神通である。

 淡い光を纏う神通は、ゆっくりと目を開いた。自らを構築する全てが曖昧になっていながら、しかし確かな実感を伴っている。“提督”という楔が、その絆が、彼女に力を与えてくれる。

 

「いくぜ、神通」

『はい』

 

 提督(ネロ)の短い言葉に、神通は迷いなく返した。今の彼らに、それ以上の言葉は不要だった。

 悪魔の撃鉄(デビルトリガー)は引かれた。いまや彼らは、人艦一体。昂る激情を阻む者など、どこにもいない。

 

さぁ、遊ぼうぜ(Let's Rock, Babe)!!」

 

 叫び声と共に、ネロは勢いよく跳躍した。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 広大な、しかし決定的に歪んだ甲板。その上に、空母ヲ級の艦霊人格は屹立していた。

 頭蓋に巨大な怪物を戴き、錫杖のようなものを構える彼女の瞳には、今まさに迫りくる人間の姿を捉えている。片刃の大剣を背負い、拳銃を構え、そして(あお)い艦霊を戴く戦士――ネロの姿を、しっかりと捉えていた。

 高く跳躍したネロに向かって、ヲ級が錫杖を構えた。その動作ひとつで、歪んだ姿の艦載機が飛翔し、()()を始末すべく襲い掛かる――はずだった。

 爆音と衝撃がぼぉと拡がり、艦全体を揺らした。ぐわりと艦載機たちが押し流され、ヲ級自身も揺るがされる。

 

『――ッ!?』

 

 この衝撃には覚えがあった。()()()()()()音だ。だが、いったいいつ――戦場の空を制する空母は、その空に舞い上がったネロに気を取られ、足元を見過ごしていた。

 その動揺を見逃すほど、歴戦のデビルハンターは甘くない。

 

「おらァ!」

 

 振りかぶった右手と同時に、(あお)い光が巨大な錨を形成し、ヲ級へと襲い掛かった。ごく単純で強力な質量攻撃が、空母ヲ級の甲板へと衝突し、どごんと低い音を立ててひしゃげさせる。ぐらりと傾いだヲ級に向かって、ネロは拳銃を突き出した。

 

すっこんでろ(Back off)!!」

 

 (あお)い魔光でぎちぎちと軋む銃身が、小砲とばかりの爆音を炸裂させながら銃弾を放つ。同時に神通が構えた連装砲が火を吹き――計四つの砲弾が、ヲ級の艦霊を貫いた。暴走する魔力がその五体を疾走し、ヲ級の悲鳴さえ呑み込んで、爆炎と共に炸裂する。炎上し大きく傾く甲板に、だんとネロは着地した。

 ――その爆炎を突き破って、砲丸が飛来した。

 咄嗟に飛び退いたネロのすぐそばを、巨大な質量が通過していく。もはや空母としての価値を失ったヲ級の甲板を蹂躙し、破砕音と衝撃がネロを吹き飛ばした。紙屑のように吹き飛ぶネロは、即座に巨大な錨を形成し、その向こう側――海上に聳える鉄塊、戦艦タ級の艦体へと突き出した。

 ごおん、と轟音が響き、(あお)い錨が艦体に衝突する。引き寄せた勢いに乗って、ネロはぎゅんと飛翔した。頑強な砲撃の殴り合いを前提とした戦艦、これだけでは甚大なダメージを与えることができない。だが小回りの利かない巨躯を掻い潜り、ネロはだんと甲板に着地した。

 そこにいたのは、一人の女だった。

 (あお)いマントをたなびかせ、幾多の装甲に身を包んだ艦霊人格。取り囲む多数の連装砲は、ネロという侵入者を油断なく捉えている。逃げ場はない。逃がす気も、逃げる気も、お互いに無い。沈黙は一瞬だった。

 タ級の砲が火を吹き、砲弾がネロへと殺到した。ひらりと躱したネロと神通も、応報とばかりに銃弾を撃ち返す。咄嗟に掲げられた装甲に弾かれ、小砲弾が炸裂した。一瞬の空隙を突いて、ネロは迷いなく吶喊した。

 再装填されたタ級の砲弾を、ネロのレッドクイーンが弾き、神通の砲弾が相殺する。さらに踏み込んだネロが、(あお)い錨を振りかぶった。ぎゅんと風を切る音を走らせながら、横殴りにタ級へと衝突する。がぁん、という轟音とともに殴られ、思わずよろめくタ級。そこに向かって、レッドクイーンが爆音とともに機構を回し、赤い火焔を噴き上げて迫った。

 

吹き飛べ(Blast off)!」

 

 ネロの気炎とともに、燃え上がる鉄塊がタ級をかち上げた。吹き飛び大きくのけ反ったタ級の視界に映ったのは――

 

『――次弾、装填済みです!』

 

 魚雷発射管を構える神通と、そこから発射される魚雷の黒い弾頭だった。

 四つの酸素魚雷がタ級に衝突し、その信管が中空で大爆発を起こした。逃れようのない直撃に、タ級が絶叫を上げる。

 

こいつでどうだ(How's this)!」

 

 振り下ろされたレッドクイーンが、その爆炎ごとタ級を斬り裂いた。

 霊格の崩壊に伴うかのように、戦艦の巨大な艦体がぼろぼろと崩落していく。ごうごうと火焔に呑まれる艦体を背に、ネロと神通が最後に聞き取ったのは、

 

『――イイ、ナァ……』

 

 人ならぬ深海棲艦(バケモノ)の、小さな小さな呟きだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 とはいえ、損傷は損傷だ。主力軽巡洋艦が一艦中破、その他五艦とも小破という大打撃を受けたネロ艦隊は、即座に回れ右して鎮守府へと引き返し、すべての船渠(ドック)を開放して順次入渠する羽目になった。

 艦体へのダメージは、艦霊人格にもフィードバックされる。また、提督ネロと一時的な霊的融合を果たした神通については、普段よりも慎重な修復と検査が行われた。これらの作業は全て“妖精さん”なる不可思議存在によって行われ、常人を遥かに超える高効率で進められるのだが、それでも面会可能になるまでまる二日かかったのだから、関係者(人外を含む)の慌てぶりは推して知るべしというところだろう。

 その間、ネロは書類作業に忙殺されていた。新種の深海棲艦に、提督と艦霊人格の霊的融合。元より、片田舎のアメリカ人でしかないネロにとっては翻訳機越しの作業だ。海上自衛隊の各部隊関係者から矢継ぎ早に請求される戦績報告と質問回答に、ネロは多いに苦しめられた。秘書艦五月雨に曰く、「日本人の仕事中毒(ワーカホリック)ぶりは噂以上だ」と苦い顔をしていたとか、何とか。

 そんな提督ネロのもとに最初に現れた艦霊は、誰あろう旗艦川内だった。

 

「――提督。この度は、誠に申し訳ありませんでした」

 

 真っ先に修復を終え、急いで衣服を整えて執務室へやってきた川内は、開口一番そう切り出した。

 神妙な顔つきで敬礼する彼女の視線の先にいるのは、机に足を乗せ、胡乱げな表情を浮かべる提督ことネロ。

 

「上官への暴言、勝手な艦隊指揮、命令違反。いかなる処罰も覚悟しております」

「やめろ、やめろ。思ってもねーこと聞かせんな、堅苦しいハナシは勘弁だ」

 

 普段とは打って変わって真面目くさった川内の言葉を、ネロはひらひらと手を振って遮った。自慢になる話ではないが、不真面目な方だという自覚はある。ただでさえ自衛官共の形式ばったやり取りで疲弊しているというのに、部下とまで面倒臭い会話などしたくない。

 一方、川内もそれを聞き届けるなり、即座ににへらと相好を崩した。こういう表情は、なるほどあの那珂(ナカ)と同じ面影があるな、とネロは思った。それにしても、二人とも神通(ジンツウ)とはまるで似ていない。あるいは、彼女もいずれ、こういう表情を見せてくれるのだろうか。――それはそれで()()な、とネロはひとり閉口した。

 ――義姉妹。“家族”という肩書を後付けで負わされたところで、似ないものは似ないだろう。ネロ自身、心当たりのあることだ。

 

「……俺には、兄貴分がいてさ」

 

 ぽつり、と。独り言のように始まった上官(ネロ)の言葉に、川内は無言で首を傾げた。

 

「血が繋がってるわけじゃない。俺は孤児で、アイツは俺がいた孤児院の息子だった。両親が悪魔に殺された後は一人で支えて、成人したら騎士団に入って、団長になって……俺が騎士団に入った時も、相当にしごかれた。だからまあ、兄貴分で、親代わりで、師匠――そんな感じのやつ」

「……騎士団? 今、21世紀でしょ?」

「そういう街なんだよ。古臭い、かび臭い街だった」

 

 思わず呆れる川内に、ネロもまた同調した。魔剣士スパーダという辺鄙な信仰、それに拘泥する教団と騎士団が支配し、古臭い因習にばかり固執する街。とはいえ、それがネロの生まれ育った故郷だ。捨てようと思って捨てられるものではない。

 

「それにしても、提督の兄貴分ね。あんまりお近づきになりたくないな」

「うるせえ。残念ながら、俺とは正反対のクソ堅物()()()よ」

 

 川内の軽口に、ネロはいかにも不満げに返した。その小さな言葉の端に乗せられた違和感を、川内は即座に拾い上げた。

 

「――死んだの?」

「ああ」

 

 遠慮など微塵もない、直球の言葉。しかし、ネロは静かに肯定した。

 

「裏切られて、殺された。てめえが崇拝する教皇のために戦って、理想のために手を汚して――それでも(キリエ)を巻き込んだことだけは許せなくて、教皇を裏切ってでも俺たちを助けに来て――

 その教皇に殺された。俺の、目の前で」

 

 揺れるネロに合わせて、ぎぎぃ、と椅子が軋んだ。静かに語るその横顔に、川内は違和感を覚えた。良くも悪くも年相応、直情径行の()()()があるこの若き提督にしては、風向きが怪しい。

 

「悔しくなかったの?」

「決まってんだろ? 当然、ハラワタ煮えくり返るほどキレたさ。で、その教皇をブッ殺して復讐した。表向き、悪魔に立ち向かって死んだことになってるけどな。

 幸いなことに、あのジジイをブッ殺すだけの力はあった。――まあ、“アイツ”の助けも借りたんだけどよ」

 

 ネロが“アイツ”という言葉を口にした途端、川内はその横顔に、何とも言えない面映ゆさを見出した。ただ助けられた恩だけではない、憧憬のような――そんな、この青年には意地でも口にできないものを抱えているのかも知れない。

 

「それでも、未だに思うんだ。――あとどれだけ強かったら、あの時クレドは死ななかったんだろうってさ」

 

 窓の外を眺めながら語るネロの言葉に、川内は思わず息を止めた。

 

「今でも時々夢に見る。俺は、確かにキリエが一番大事だった。だからキリエを守れたことは俺の誇りだし、これからも絶対に守ってみせる。

 ――でもクレドだって、大事な家族だったんだ。俺が弱かったせいで、家族を守れなかったんだ」

 

 悔しかったろう。辛かったろう。悲しかったろう。復讐をしたからといって、亡くした人は帰ってこない。川内自身、その記憶には憶えがある。()()を通じて、知っている。

 そしてつい先日、川内は同じ過ちを犯すところだったのだ。

 

「俺はお前を責めない。弱さのせいで、家族を見捨てるしかなかったお前の悔しさは分かる。それを飲み込んで、勝つことを選んだお前の選択を責めたりしない。

 ――だけど、次は絶対にやるな。大事な人を失ったら、二度と取り返しがつかないんだ」

 

 真正面からぶつけられた言葉に、川内はしばらく反応できなかった。上官命令などではない――だけど、逆らえない真っ直ぐな言葉。それは提督(ネロ)艦霊(せんだい)という関係だからではない。虚飾のない心からの言葉に抗えるほど、川内は性根がねじくれてはいなかった。川内は、無言で頷くしかなかった。

 

「……じゃあ、最後にいっこだけ」

 

 でも、()()で惚れてやれるほど馬鹿正直じゃない。ひねくれ者と契約した艦娘らしく、川内はにかっと嗤った。

 

「――ありがとね、提督。あたしの妹を、助けてくれて」

「おう」

 

 二人は互いに拳を突き出し、ぐっとぶつけ合った。

 前を守られるだけの存在ではない。後ろから指図されるだけの存在ではない。()()()()()()()()だからこそ、それ以上の言葉は必要なかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 そして、その二日が経過後――午前八時(マルハチマルマル)

 

「神通、ただいま原隊復帰しました」

 

 鎮守府は提督執務室にて、ネロに正対する神通が、きりりと敬礼していた。その横顔に、疲弊の色はない。

 

「調子はどうだ?」

「はい、何事もなく。ご迷惑をおかけしました」

 

 お決まりのように机に足を乗せるネロへの応答も、淀みなく返される。作戦以前の、おどおどとした様子もない。

 ――なんか、変わったな。提督ネロと秘書艦五月雨は、同時に思った。

 小突いただけで悲鳴を上げそうな、その悲鳴すら儚げでか細そうな、弱々しい様子がなくなった。以前は、特に豪胆で恐れ知らずなネロを前にすると、何もしなくとも勝手に卒倒しそうな、儚い手弱女(たおやめ)そのものだったが――そのたおやかで控えめな雰囲気は変わらぬまま、そこに揺らがぬ芯があるような、折れない力強さが宿ったような……そんな、言葉にしがたいモノを得たような様子がある。音に聞く“華の二水戦”、その旗艦に相応しい“らしさ”を、一人と一艦はようやく実感した。

 

“妖精さん”共(Weird Fairies)は何だって?」

「特に異常なし、と。健康そのものだそうです」

「良かったですね、神通さん!」

「“霊的融合(デビルトリガー)”については、もっとデータが欲しいとせがまれました」

「厚かましい連中だな」

 

 神通の報告に、五月雨が手を叩いて喜び、ネロがふんと鼻を鳴らす。とはいえ、その口角が僅かに上がっているのを、二艦は見逃さなかった。横柄で皮肉屋なこの青い目の指揮官だが、その根底には不器用な優しさがある。彼の心に触れた今の神通だからこそ、それに気付くことができる。それに報いたいと想うのも――あるいはかの魔剣士が見出した、“人間の愛”と呼ぶべきものだろうか。

 

「――あの、提督……」

 

 おずおずと口を開いた神通に対し、ネロは黙って続きを促した。

 以前なら、ぶっきらぼうなネロに対して勝手に委縮して、見る見るうちに気勢がすぼんで、「何でもありません……」と黙ってしまうところだ。だが今の神通に、そんな気弱さはない。彼女は毅然と顔を上げ、真正面からネロを見つめ返し、言った。

 

「かならず……かならず、勝ちましょうね。勝って、かならず帰りましょうね。

 私たちが、かならず導きます。フォルトゥナへ――あなたの故郷へ。あなたの愛する、家族のもとへ」

「ああ、頼りにしてるぜ」

 

 神通の迷いなき言葉を、ネロは真っ直ぐに受け取った。虚飾も空世辞もない、力強い決意の言葉を、お得意の皮肉で茶化すことはなかった。

 ここから、始まる。人類の反抗が。デビルハンターの帰還が。暁の水平線に勝利を刻む、ネロ艦隊の進撃が。

 

「それじゃ、まずは――」

 

 ――それはそれとして。

 ネロは意地悪く笑うと、机の上から足を下ろし、どんと身を乗り出した。

 

「悪魔共より――深海棲艦共より厄介な、この書類(れんちゅう)を片付けるのから、手伝ってくれねえか?」

 

 (うずたか)く積み上がった書類の山脈を指差して、新米提督ネロが言う。

 皮肉ぶった横顔に、しかしありありと映された疲弊感を前に、さしもの神通も逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

「“Devil May Cry”」

 

「Hey, 久しぶりだな! 例の事件以来か? お前の方から掛けてくるとは思わなかったぜ!」

 

「……分かってる。“合言葉アリ”なら大歓迎だ、手短にいこう」

 

「――“深海棲艦(Ghosthips of Deep-Sea)”、そいつらの話だろ? 毎日のようにラジオで聞いてるぜ。世界中をひっくり返す大騒ぎだってな。

 まったく厄介な話だ。俺たちデビルハンターがあくせく魔界の悪魔(クソ)共を始末して回ってるってのに、今度は深海魚共が陸を目指して侵略中ときた。そういうのはラヴクラフトだけで勘弁してくれ」

 

「……ああ、分かってる。今はレディとトリッシュがあちこち動き回って、パトロンを見繕ってる最中らしい。

 各国の軍隊も民間軍事企業(PMSC)も大慌てだ、俺たち()()の戦力は喉から手が出るほど欲しがってるだろう、とさ」

 

「間違いない。“深海棲艦(Warships from Deep-Sea)”――連中は、悪魔に取り憑かれた兵器だ」

 

 




ブラックオーブ
 深海棲艦の船体を構成する物質のひとつ
 撃破すると固形物として残留し、その表面には強い怨恨の情を刻む
 大戦に散った兵士たちの無念が、表情として宿っているのだろうか

 重油のような特性を持ち、溶解すると海を汚染する
 シーレーンを破壊した主因のひとつだが
 うまく精製できれば、燃料等に転用できるだろうか

 総てを使え。暁の水平線に、勝利を刻むために
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