彼女はすごく、いい匂いがする ~「匂い」をテーマとした、ウマ娘の掌編連作~ 作:木下望太郎
「――っていうことがあったんだけど」
酔いにまかせてそうこぼした直後。
叩きつけるように、周りのトレーナーたちから非難の声を浴びせられた。
「はああ!? お前それ何言ってそれお前……いやいやダメだろお前それ!」
「トレーナーとして……いや大人としてやっちゃいかんだろ何考えてんだこのエロ助エロ野郎、エロ山エロ田エロ一郎が」
「とりあえず通報しますねこの匂いフェチの変態」
ジョッキ片手に罵声を上げ続ける同僚らに向かい、僕は抑えるように両手を向けた。
「ちょっ、ちょっと待って!? そんな話してないだろ、『初めてマルゼンスキーの車に乗るんで緊張してたけど噂どおり運転がヤバかった、彼女に運転をまかせるんじゃなかった』『車酔い全開で青ざめながら笑顔でイタ飯完食、帰って彼女の視界から外れた直後全部吐いた……っていう大変なことになった』って話だろ!」
同僚らは一瞬無言になった後、口々にため息と舌打ちを漏らした。
「それだけかよ……つっまんねー野郎だなお前はオイ」
「このトレンディ畜生が……それ以上誤解を招く表現したらお前の肩にかけてるカーディガンの袖引っ張って絞め殺すぞ」
「存在そのものがセクハラですこの匂いフェチのド変態」
「どういう非難!? いったいどういう扱いなんだよ僕!?」
多くのトレーナーらが集まった飲み会、居酒屋の一フロアを借り切ったその席上で。僕は一人、そんな悲鳴を上げていた。
そんな中。ナイスネイチャの担当トレーナーだけは笑って肩を叩いてくれた。
「いや~、でもいいっスねそういうの! か~っ青春っスねお熱いっスね、ひゅーひゅー!」
ひゅーひゅー、の部分を口笛でなく声に出し、彼は親指を立てていた。
顔を半ば引きつらせつつ僕は笑う。
「べ、別にそういうんじゃないんだけどね……君んとこはどう、うまくコミュニケーションできてるって聞いたけど」
「いやあ! ナイスネイチャは先輩のとこみたいな、お色気的な雰囲気は無いんスよ全然、残念ながら!」
待っていたかのように再び強く親指を立て、彼は片目をつむってみせた。
「無いっス!
彼の担当――もしくはシンボリルドルフ――なら爆笑したであろう渾身のネタを聞いて。辺り一帯が静まりかえる。
しばしの沈黙の後、アグネスタキオンの担当が咳払いした。
「そ、それはそうと……興味深いお話でしたうかがいますにまるでそれはフェロモンつまり性的誘引物質であるかのような働き、ヒトにフェロモンがあるかは諸説ありましてウマ娘にそれがあるかとなると実に興味深い、あるいはタキオンも注目するかもしれませんいやしかしフェロモンは匂いを伴うわけではないと聞きますし断定は避けるべきか――」
ぶつぶつとつぶやきながら、しきりに彼はメモを取る――今日は光ってはいないようだ――。
「そんなのおかしいであります!」
だん! と音を立ててジョッキを――その中には彼特選のプロテインを混ぜた牛乳が満たされている――テーブルに叩きつけていた、メジロライアンの担当は。
悔しげにつむった目の端から涙さえこぼし、彼は叫んだ。
「いくらマルゼンスキーさんがいい匂いだからって! 自分の担当する、ライアンの方がいい匂いのはずであります! 青春の……かけがえのないその一瞬にこぼした、汗の香りが! パワーーー!!」
彼は叫んでポージングを決め、身につけたタンクトップを破かんばかりに筋肉を張り詰めさせてみせる。
横でウイニングチケットの担当がひざを叩く。
「あー! でも分かる分かる! うちのチケットもねー! 汗の香りとねー! 干し草の香りがすんのね! なんていうかこう、お日様と? 風のにおいがねー!」
「そうですか、分かるでありますか!」
「うん!」
二人は手を固く握り合い、声を上げた。
「「パワァァーーー!!」」
「うるせぇ……若ぇのは元気だなオイ」
不精ひげの残る頬を歪め、マンハッタンカフェ担当は苦笑していた。口の端で禁煙パイプが――今年何度目かの禁煙に挑戦しているそうだ――揺れる。
「俺らは指導者だし、そもそもいいオトナなんだ。もうちょい落ち着きってモンがねぇとな……老婆心ながら心配じゃありやせんか、先輩方?」
彼が視線を向けた先では、ベテラントレーナー――永世三強世代――たちが静かに杯を手にしていた。
オグリキャップの担当、北原氏は辺りに視線をやりつつ、あいまいにうなずいた。
「ま、まあでも、元気があって結構スよね、ねえ、ろっぺいさん?」
叔父である
隣でヤエノムテキのトレーナー――通称・師範代――が、ひげをたくわえた口元を歪めて笑う。
「ふ……若い、甘い、渋味が足らぬわ。が、それもまた若さ故の特権か……酸いも甘いも噛み分けた、我々には真似のできぬことよ。のう?」
乳成分がどろりと渦を巻くカルーアミルクを片手に、生クリームたっぷりのデカ盛りパフェを口に運ぶ師範代。テーブルには追加注文したプチケーキが並んでいる。
六平氏は無言で、そちらから視線をそらせた。
一方、若手トレーナーらは未だ騒いでいた。各々がジョッキを片手に。
「ですからー! 自分のライアンが、りゃいあんの方が絶対! ぜぇぇったい、いい匂いするんでありますぅぅ! パワーー!」
「は? あんまり
顔をしかめたハルウララ担当の横で、オルフェーヴル担当は失笑した。
「おいおい冗談も休み休み言えよ、我が君オルフェーヴルよりいい匂いがする者などいるはずがないだろう。知らんけど」
隣でオペラオー担当が肩をすくめた。
「やれやれ無知とは恐ろしいものだ……我が王テイエムオペラオーほど芳しく香り立つ者などいるわけがないだろう。知らんけど」
「何だと貴様……! オルフェーヴルの香りを侮辱するのか! 知らんけど!」
「そちらこそ何だ……! オペラオーの匂いを愚弄するのか! 知らんけど!」
にらみ合った二人は一瞬後、同時にため息をついていた。
「いや、悪かった。君のオペラオーの方が素晴らしい香りに違いない。知らんけど」
「こちらこそすまなかった、貴方のオルフェーヴルの方が薫り高いに決まってる。知らんけど」
二人の表情が同時に険しくなる。
「は? 貴様のオペラオーの方が我が君よりいい匂いだと言ってるだろうこの分からず屋! 知らんけど!」
「はぁ? 貴方のオルフェーヴルの方が我が王よりいい香りだということも分からんのかこのどてかぼちゃ! 知らんけど!」
「いや……知ってから言えやお
思わずツッコんだハルウララ担当。
その横でライアン担当がポーズを決める。
「パワー!!」
「それはもうええんじゃ!」
いい音を立てて。ウララ担当は、その頭を思い切りしばいていた。
「平和だな」
ゴールドシップ担当は静かにグラスを傾け、ビールをちびり、と口に含んだ。その頭で巨大なアフロヘアーが揺れる。
隣でキングヘイロー担当が、同じく、ちびり、と唇を湿した。
「ところで前から聞きたかったけど……その頭はやっぱりゴールドシップが?」
ゴルシ担当はサングラスを指で押し上げる。
「地毛」
「そ、そうなんだ……ところでなんか皆、匂いの話してるけど……やっぱりゴルシはハジケた匂いがするの?」
「ああ、とびきりハジケた匂いがな。ポップコーンとコーラみたいに」
「そうなんだ……映画館みたいな子だね」
ゴルシ担当は口の端を上げて笑う。
「まさにそうだな、歩くシネマコンプレックスだよアイツは。アンタのとこのキングは、やっぱり一流の匂いがするのかい」
ぐ、とグラスの中身を飲み干し、キング担当は重くつぶやいた。
「一流でなくていい」
「え?」
さらにグラスを――横に置かれていた別の人のグラスを――一気にあおり、空にした。
「私は……一流だ一流だと、彼女をあおり過ぎたのかも知れない……何もかも一流でなくていい、気を抜くところがあったっていい……」
何杯目かの他人のグラスを干し、真っ赤な顔を天井に向けた。
「キング! 君の匂いはぁぁ! 三流でいい! 三流でいいんだああ! それでも私の……一流なんだあああ!」
倒れ込むようにテーブルへ突っ伏し、肩を震わせて号泣し出した。
「哲学的に、ハジケた野郎だぜ」
ゴルシ担当は、隣で静かにグラスを傾ける。
百家争鳴の喧騒の中。腕時計に目をやった後、六平氏が手を打ち鳴らした。
「あー、お前ら! 我らが学園が誇る優秀なトレーナー諸君、時間だ。店のつごうもある、とっとと出るぞ。幹事、よろしく頼む」
支払いの後、それぞれ店を出てゆくトレーナーたち。
あるいは駅やタクシー乗り場へと向かい、あるいは気の合う者と肩を組んで二次会へ繰り出す彼らの胸中には。
もしかしたら、同じ思いがくすぶっていた。
「(そんないい匂いがするのか、マルゼンスキー……いや)」
「(自分の担当はもっといい匂いがするって言ってた奴もいるし、まさか)」
「(もしかしていい匂いがするのか、ウマ娘は――?)」
「(つまり……うちの担当も――)」
「((((すごくいい匂いがする……ってコト?!))))」
そんな思いが、多くのトレーナーにくすぶっていた。
……かもしれない。