彼女はすごく、いい匂いがする ~「匂い」をテーマとした、ウマ娘の掌編連作~ 作:木下望太郎
別に昨日の飲み会の話題を、気にしたつもりはないけれど。
北原は無意識にか、鼻を動かしていた。練習中、ジャージ姿のオグリキャップのそばで。
――土と、しょうゆの匂いがする。
「? どうかしたか、キタハラ?」
オグリキャップは澄んだ目を瞬かせる。
「へ!? いやあ別に、なんでも!」
分かりやすく顔を引きつらせ、北原は身を引いたが。
オグリは――表情の少ない彼女にしては珍しく――ほほ笑んだ。
「聞いてるぞ、ウマ娘の匂いがどうとかって、昨日話題になったんだろう」
小さく頭を下げる。
「すまない、私は多分いい匂いはしないな。匂ったとして、土と汗のすえたにおいだろうな」
「へ……」
視線をそらして、北原は帽子のつばに手をかける。
――何言ってるんだオグリ、いい匂いだよお前は。努力する奴の匂いと、皆大好きな匂いがするさ。土と、しょうゆの匂いが――
そう言ってやりたかったが。口は上手く動かず、もたもたと声を発するに留まった。
「あー……オグリ? そんなお前、卑下することはなくてだな……あぁ卑下するって分かるか、つまり自分を変に下に――」
言葉が終わらぬ間に、ベルノライトが資料の束を手に駆けてきた。
「オグリちゃん! 聞いて聞いて、今度のレースの参考になりそうな資料がこんなに――」
ぱくぱくと口を空振りさせた北原を目にして、ベルノが言う。
「あっ、ごめんなさい横から急に、お話の途中でしたら――」
その言葉の正に途中で、オグリはベルノに覆いかぶさった。
「ひゃっ!?」
身を震わせるベルノをよそに、オグリは鼻をうごめかせた。
「なるほど……ウマ娘はいい匂いがする、っていうのは本当だな。ベルノは、たんぽぽの匂いがする」
辛抱強く地中深くに根を伸ばし、小さな小さな花を咲かす。それでも、春を象徴するような明るい花を。
なるほど、たんぽぽなら。ずっとオグリに寄り添った、その活躍を支えたベルノにふさわしい。
そんな風に思い、北原は笑顔でうなずいたが。
オグリはなおも貪欲に鼻を動かす。
「匂いがする……たんぽぽの匂い。刺身の上に乗ってるあの匂い」
「それ食用菊だよ!?」
身を震わせて、ベルノはオグリを振るい落とす。
オグリが悲しげに眉の端を下げた。
「そう、なのか? でも私は好きだぞこの匂い、ご飯何杯でもこれでいける」
お腹を鳴らすと、きびすを返した。
「小腹がすいたな……ちょっと白ご飯のパック買ってくる、丼五杯分ほど」
「正直嫌だよ私の匂いでご飯かき込む親友とか!?」
ベルノの声を気にした風もなく、オグリは言う。
「本当にいい匂いがするんだ、あのたんぽぽの香りと。脂の乗ったブリ……中トロ……サーモン……いい……」
じゅるり、と唾の音を立てる。
「それ、生魚のにおいがするってこと私!? 殴っていいかなあ!? ねえ殴っていいかなあグーで!?」
購買部の方へ走るオグリと、顔を引きつらせて追うベルノ。
北原は肩を落とし、息をついた。
「何だかなあ……オレ」
「よ」
その傍らへ。
「ろっぺいさん。何だか……上手くやれてませんよね、オレ」
六平は口の端を持ち上げて笑う。
「そう思えるんなら上々よ。ソクラテス言うところの無知の知、ってやつだな」
「いや、何なんですそれ」
そうこうするうち、温めた白米パックを大量に抱えたオグリと、その背をぶつベルノが戻った。
「ろっぺいも来てくれたのか。……ん?」
不意にオグリが眉根を寄せ、北原と六平に顔を近づける。鼻を動かし、息を吸った。
「おんなじにおいがする、キタハラとろっぺい。やっぱり叔父と甥なんだな」
そう言ってほほ笑み、座り込んでご飯をかき込み出す。
「同じ、におい? それって――」
つぶやく北原の肩を、六平は静かに叩いた。
「加齢臭」
「……え?」
大きく口を開ける北原へ、六平は静かに告げた。
「年取ると誰でも出るにおいだ、男はな。何、やりようもなくはねえ。後頭部、特に耳の後ろをよく洗ってだな、シャンプーは炭成分入りのやつを薦める。ボディソープは柿渋入りのもいいな、特にオススメは――」
「え? 加齢臭……え? いや、オレ……そんな、歳……?」
呆然と目を瞬かせる北原。
オグリは六平の横でまた鼻を動かす。
「でも、六平のにおいは何か違うな……なんていうか、深い匂いがする。もっと嗅いでいたい匂いだ」
六平は胸ポケットから香水の瓶を出してみせた。
「紳士だからな。今日はムスクの香りで決めてみた」
北原はその肩をつかんだ。
「ちょ! それ、それオレにも教えて下さいよ!」
六平はそっぽを向いてみせた。
「嫌だね。叔父と甥で同じ香水とかどうだよ」
「えーー!?」
声を上げる北原の横で、オグリはご飯をかき込んだ。
「うまい! うまいぞ!」
ベルノが悲鳴のような声を上げる。
「だから! 私の匂いきっかけに白ご飯かき込むのやめてーー!?」
ふ、とオグリは笑った。
「安心してくれ」
ポケットからしょうゆを取り出し、ご飯へと垂らした。
「こんなこともあろうかと持ち歩いているんだ。これで白ご飯じゃあなくなるんだ、味わいが深まるんだ」
「そういう問題じゃないからー!!?」
ベルノの悲鳴をよそに、オグリはひたすらしょうゆご飯をかき込む。
ここまでで完結の予定でしたが、しばらく時間を開けて続ける……かも?
キング、クリーク、タマ辺りを予定(変更あるかもしれません)。