色々やることが多すぎて、そっちに集中をした結果、こちらのモチベが一切のこと上がらなかったんです。
ちなみにモチベは上がりきらなかったので今回も話が雑です。すいません許してください!何でもしますから!
オロバス
その名は、女神族の中でも異質な重みを帯びていた。彼はただの戦士ではない。女神族として目覚めた太古より、その命脈すべてを種族の繁栄と純潔の維持に捧げてきた、まさしく「女神族の大剣」だった。魔神を狩る者。魔神に与する者を根絶やしにする者。容赦なき処刑人であり、冷徹なる救済者。戦場に立つたびに、彼の六枚の翼はより大きく、より深く光を孕んでいった。まるで、信仰という名の炎が翼そのものを鍛え上げていくかのように。
彼は自分の強さが、魔力「
その忠誠の果てに、ついに彼は「閃光」の恩寵——神にも等しい加護を、最高神自らから賜ることとなった。女神族において、これは至上の栄誉であり、選ばれし証に他ならない。しかし、彼はその申し出を——否、命令を、断った。
それは、女神族の歴史において前代未聞の背反だった。最高神の意志は、天の摂理に等しい。その御意に刃を向けるなど、神々の秩序そのものに楯突くに等しい所業。無論、最高神は烈火のごとく怒りを燃やし、オロバスを直ちに御前へと招いた。
「愚か者が……その理由、直ちに答えよ」
彼は面倒げに歩みを進め、玉座の前に跪くこともなく立ち、真っ直ぐにその神の眼を見据えて答えた。
「私めには、そのような恩寵を持つ資格などございません……。その力を授かるべきは、私が生涯の忠誠を誓った、リュドシエル様をおいて他にありませぬ!」
リュドシエル。わずか数年前に女神族として誕生した、若き少年。短く整えられた髪に、澄んだ翠の双眸を持つ者。だが、オロバスが彼に忠誠を誓ったのは、その外見ゆえではなかった。始まりは、ほんの些細な出来事だった。
まだ少年だったリュドシエルに「外の世界を見てみたい」とせがまれたある日、オロバスは彼を連れ、妖精王の森の奥にそびえる険しい山道を登った。登山の途中、足場を踏み外したリュドシエルが、絡みついた蔓に足を取られ転倒し、崖際へと身を滑らせた。
オロバスが助けに走ろうとしたその刹那——
「あっ、危ない!!」
彼の視界に、大岩が落下してくるのが映った。リュドシエルの真上。間に合わない。そう確信したその瞬間、リュドシエルは風よりも速くその場を離れ、逆にオロバスの足元まで身を飛ばしていた。閃光にも似た、目にも止まらぬ神速の動きだった。
あの瞬間、オロバスの中に確信が芽生えた。この少年は、自分を遥かに凌駕する何かを内に秘めている、と。
だが、現実はあまりに無情だった。リュドシエルは今も臆病で、自信に欠け、恩寵にふさわしいとされる力をまるで持っていなかった。最高神は、その事実しか知らなかった。彼女の瞳には、無価値な「欠陥品」に映っていた。
「あの臆病な……女神族の名折れが恩寵を得るに値するだと?戯言も大概にしろ、オロバス!」
しかし、オロバスの声は静かに、だが確固としていた。
「戯言ではございません、最高神様。……いいえ、最高神。」
その呼称に、一瞬、空気が凍りついた。敬称を剥ぎ取った、その僅か一語が、玉座の間に張り詰めた緊張を極限まで引き上げた。
「……貴様、どこまでもこの私を侮辱する気か。言っておくが、私の力の一割を行使すれば、貴様の存在など塵一つ残らず消し飛ぶのだぞ?」
「脅しなど意味を成しませぬ。たとえそれが事実であろうと、私の信念は揺らぎはしない。——私が『閃光』の恩寵を持つなど、僭越の極み。その力にこそふさわしいのは、リュドシエル様ただお一人。これ以上も、これ以下もない。」
最高神の瞳が閃き、神罰の光がその手に収束してゆく。放たれれば、オロバスは存在ごと消滅し、二度と魂の輪廻に触れることはない。永遠の虚無に落ちるだろう。
だが彼は、一歩も退かなかった。その眼に恐怖はなく、逃走の意思もなかった。あるのはただ、信じる者への絶対の忠誠。それを見て、最高神は気づかざるを得なかった——この男は、もはや女神族の枠にすら収まらぬ何かに至りつつある。
忌々しい。しかし、否定できぬ。最高神は手を引き、唇を噛んで呟いた。
「……一週間。」
「……?」
「一週間だけ、猶予を与えます。その間に、あなたがそこまで盲信する"リュドシエル"なる者が、なぜ閃光の恩寵にふさわしいのか。その答えを、私に示してみせなさい。それができなければ、その時は……わかっておりますね?」
「御意。」
オロバスは一礼すらせず、背を向けて歩き出した。その歩みに迷いはない。彼の忠誠は、神の命よりも深く、重く、そして静かに燃えていた。
一週間が過ぎたある日、オロバスは静かに、しかし揺るぎない足取りでリュドシエルを伴い、再び最高神の玉座の間へと現れた。
黄金の光が天蓋から降り注ぐ中、その姿を一目見た瞬間、最高神の目に宿る光が僅かに揺れた。彼女は即座に、「閃光」の恩寵を授けることを許可した。それはもはや判断ですらなかった。ただ、圧倒的な現実を前にして下された、当然の帰結にすぎない。
リュドシエルの姿は、七日前のそれと比べてあまりに異様だった。腰まで届く黒髪は血と灰で重く濡れ、両手には乾いた赤黒い痕がびっしりと貼りついていた。それは無数の魔神を斬り殺した証、理性よりも本能に近い領域で繰り返された殺戮の痕跡だった。何より彼の立ち姿、それが決定的だった。最高神の御前に立ちながら、怯えも畏れも露ほどもない。瞼を閉じ、内奥に潜む何かを研ぎ澄ませるように、ただ静かに、ただ深く沈黙していた。その静謐は、嵐の前の凪ではない。嵐そのものが、内側に収まっているかのような静謐だった。
隣にはオロバスが立っていた。彼の鼻はわずかに鳴り、「どうだ」と言わんばかりに自負の気配を漂わせていた。だがその誇りには、慢心の影はなかった。あれは信仰の果実だ。信じ、導き、鍛え上げ、そして証明した男の——それだけの重さだった。
すべては、一週間前、オロバスが最高神の許を後にし、リュドシエルのもとへ帰還したときから始まった。
その日、宮殿の奥にひっそりと佇むリュドシエルの前で、オロバスは跪いた。翅を伏せ、額を地に付けるようにして、深く頭を垂れる。その声は震えてはいなかったが、言葉の奥に、焦燥と決意が交じり合っていた。
「リュドシエル様……私めは、あなた様に絶対の忠誠を誓いし女神族でございます。ふだんは決して、あなた様に無用な進言などいたしませぬ。しかし……今回ばかりは、それをお許し願いたいのです」
リュドシエルは戸惑った。かねてより、なぜこの男は、自分などにここまでの忠誠を誓うのかと、理解できずにいた。考えても答えが出ないことに疲れ、最近ではもうその問い自体を捨てていた。ただその代償として、胸に染みついた無言の圧力と、言葉にできない罪悪感が、彼を静かに蝕んでいた。
「顔を上げてくれ、オロバス……私はそこまで偉くないんだ」
その声はかすかに震えていた。だがオロバスは、揺るがなかった。
「いいえ。偉いのです。今は違えど、これから必ずそうなるのです」
「そ、そうなのか?まあ、私はもう、細かいことを気にしすぎるのはやめたつもりだが……で、頼みたいことって……何か、あるんだろう?」
「はい。それは、この私と共に向かっていただく"ある場所"で、お話しすべきことにございます」
「ある場所?」
「はい。リュドシエル様を真に"偉く"する、聖域でございます」
かくして、リュドシエルは連れ出された。導かれた先は、女神族すら忌み嫌う、魔神どもの棲処であった。
オロバスは言った。
「これより先は、あなた様お一人で進んでいただきます。どうか……無礼をお許しください」
そう言い残し、彼は背を向け、崖の上へと身を退いた。見捨てたのではない。試したのだ。極限の危機に直面したときこそ、リュドシエルの中に眠る潜在力が目覚めると確信していた。そして万一、それが発揮されなかったときには、即座に助け出す覚悟もしていた。ゆえに、彼はその場所に、一週間張りついた。夜は星の光に身を委ね、昼は風の音に耳を澄ませながら、何度も崖の端から谷底を覗き込んだ。その度ごとに、胸の内で万が一の算段を繰り返しながら。
五日目の夜。リュドシエルはまだ生きていた。肩を裂かれ、血に塗れながら、牙を剥いた魔神を、一体、また一体と斃していた。もはや"優しさ"のかけらなど残っていなかった。ただ冷徹で、無慈悲で、必要なだけ正確な刃。その手には迷いがなかった。
七日目、すべてが終わっていた。地に倒れる魔神たち。臓腑が晒され、黒い血が乾いていくその只中に、リュドシエルは佇んでいた。
助命を乞う魔神が一匹、這いつくばりながら声を上げた。だが次の瞬間、リュドシエルの剣がそれを沈黙させた。情も、躊躇もなかった。それはまるで空腹時に食事を取るのと同じ、ただの行為。生きるために必要だから行う、それだけの動作だった。
彼は自らの意志でその道を選び、変わったのだ。
オロバスは、喜悦と悔恨の入り混じった感情に背を押されるようにして歩み寄った。砂埃と血の匂いが残る岩場の中心、リュドシエルが振り返る。
「おぉ……我が主リュドシエル様……ここまで、ここまで立派になられましたか……!」
その声には歓喜が滲んでいたが、喉の奥に微かに引っかかる棘のような後悔も隠しきれてはいなかった。リュドシエルはその感情を聞き分けるように、瞼の奥に燃える光を隠したまま応じた。
「あぁ。お前のおかげだ。最初は驚いたぞ……まさかお前が、この私を、あの地に独りで置いていくとはな。」
「それに関しては……謝罪してもしきれません。しかし……こうでもしなければ……あなたを……」
「"偉くできなかった"。そういうことだろう?」
リュドシエルの声音は硬質だったが、そこに怒気はなかった。ただ事実を掬い上げ、正確に言葉へと変換したという調子だった。
「だが、オロバス……お前は、自分という存在を、最初から考慮に入れていないな。生きたいとも思わない。ただ、私を"偉く"するという、その一点のためだけに動いている。」
「っ!?な、なぜそれを……リュドシエル様……!」
オロバスは思わず声を裏返らせた。最高神から下された命令、それを破ったことすら、誰にも漏らしたことなどなかった。驚愕に見開かれた瞳を向けられても、リュドシエルは微かに笑みを見せた。
「何年の付き合いだと思っている?お前の考えの根など、嫌でも透けて見える。あの日、お前は最高神様の元で〈閃光〉の恩寵を授かろうとしていたではないか。……その、最高神の命令に逆らった、とかも在り得よう。そして、逆らってでも私を高みに引き上げようとしたのだろう……私に〈閃光〉の恩寵を授からせるために。それが、お前という男だ。」
オロバスは黙ってうなずいた。やがてその目に、再び誇りと忠誠の色が戻ってくる。
「……だが、感謝しているぞ。お前のおかげで私はここまで辿り着いた。さあ、共に行こう。最高神様のもとへ。」
「はっ!!」
その瞬間から時間は流れ、やがて千年に至る。
聖戦は最終局面を迎えていた。新たに現れた三人の「十戒」は凶星のごとく女神族を圧迫し、戦況は急速に傾いていた。残された策は唯一、魔神族の完全封印——すなわち「常闇の棺」の発動のみであった。
それを可能とするのが、巨人族の鍛冶王ダブスによって鍛造された封印器。だが発動には、女神族自らの魂を代償とする必要があった。〈四大天使〉リュドシエルもその一人であり、忠実なる従者オロバスもまた、命を賭す覚悟を固めていた。
「まさかここまで魔神族が勢力を増すとはな……。グロキシニアやドロールは何とでもなるが……"エスタロッサ"とかいう男……リュドシエル様の弟君、マエルを殺したと聞きます。……いくらなんでも、現れたばかりの者が強すぎませんか?」
「もう些事だ、オロバス。今となっては、我々の為すべきことは一つしかない。ここに魔神族は必ず来る。確実にな。」
空に浮かぶ光の軍勢。その中心、かつての妖精王の森の真上に構築された封印陣。全女神族がそこに集い、命を捧げる覚悟を持って臨んでいた。
オロバスは、ふと胸の奥を撫でるように記憶を掘り起こした。誕生から今日まで、自分は女神族として自由に生き、高貴で在り続けた。だがそれらの栄誉も、今では小さな泡のように消え入りそうだった。だからこそ、最後に伝えておきたかった。
「リュドシエル様。……私めは、あなた様に仕えることができ、本当に幸福でした。他意はありません。ただ、それだけを申し上げたくて。」
「そうか。……私も、お前のような強き者に支えられて、本当に助かった。まったく……これならばネロバスタよりも、お前を側に置いておけばよかったかもしれん。」
「はっはっは。あのバカ妹が、迷惑をかけたようですねぇ。」
「全くだ。真面目だが、どこか抜けていてな……力もない。お前のように私を導く度胸もなかった。」
「無駄ですよ。リュドシエル様のような潜在能力がなければ…結局朽ちるだけです。」
「……そうか。……さて、そろそろ潮時だな。」
黒雲のように魔神族の大軍が迫る。先頭には「十戒」の姿もある。オロバスが最初に封印の陣へと手を伸ばそうとした、その刹那——
「聖櫃」
白き光が炸裂し、リュドシエルの手から放たれたその術が、オロバスの全身を包み込む。
「……な、何をなさっているのですか!リュドシエル様!」
オロバスは内側から聖櫃を叩き、必死に叫んだ。理解できなかった。今の行為が、何を意味するのか。
「お前には昔、ずいぶん世話をかけた。だから今度は、私が、お前に世話をかける番だ。」
「リュドシエル様!やめてください、私はっ……!」
「お前だけは、生き延びろ。オロバス。いつか……必ず、我ら女神族の仇を、討つのだ。」
その言葉が届いた瞬間、オロバスの目から涙がこぼれ落ちた。だが泣きながらも、首は振らなかった。激しく、何度も、頷いた。
「…よし。さらばだ。いつかまた会おう……我が友よ。」
白光は空を駆け、すべてを遠ざけた。魔神族からも、女神族からも。
そして千年が経過した。人間界において信仰が失われ、祈りを糧とする女神族は力を喪い、やがて肉体すら持たぬ霊体となった。今や、彼らは人間の器を借りて生きる存在となっている。
オロバスもまた、その一柱として、沈黙の中で時を待っていた。果たされぬ誓いと、消えぬ友の声を胸に抱いたまま——。
────
そして今、彼、オロバスは、一人の占い師の少年の身体を仮初の器としてこの地上にとどまっている。少なくとも、表面的にはそう見えるだろう。だが、実際には違った。
オロバスは、器など必要としない女神族である。女神の祝福を骨の髄まで染み込ませたその肉体は、信仰の衰えすらも耐えうる強靭さを備えていた。彼を支えていたのは、単なる種族としての力ではなかった。千年前、彼の命を救い、封印の業を背負って散っていった主、リュドシエルに対する、尽きることのない忠誠心。
その忠誠こそが彼の柱であり、刃であり、鎧であった。
眼前の水晶玉には、無惨な光景が広がっていた。二人の戦士が敗れ、倒れ伏している。再び抗う力すら残されていない。
オロバスは低く息を吐き、その光を宿した眼差しを水晶の向こうへと据えた。
「やはり駄目だったか。だが、逃げのびた女神族にしては、よく戦ったほうだろう。さて、こちらも準備を整えるとしようか。」
彼は、占い師の衣をまといながら、まるで神罰を宣告する審判者のような気迫を漂わせていた。その声音には覚悟と憤怒が混ざり合い、まるでこの世の理を背負う者のような重さを持っていた。
「来る。奴らは必ずここに来る。リュドシエル様は魔神族に殺されたも同然なのだ……!必ず殺す。絶対に、逃がさない!!」
その叫びは、天をも震わせる怒号であった。復讐——その言葉が彼の全存在を構成する礎であり、理由であった。人間を見下すためでもなく、地上を支配するためでもない。ただ一つ、復讐のために、オロバスはここにいる。
水晶玉の奥底で、赤き魔神の姿が揺らいだ。それは忘れもしない顔だった。千年前、常闇の棺を発動したその瞬間、ただ一人その場にいなかった魔神——「十戒」の一人、「真実」のガラン。
「やはり生きていたか……。好都合だ。殺しがいがある。」
次の瞬間、外から鈍く重たい音が響いた。轟音。宮殿の壁が打ち砕かれる、獣が襲来した証だった。
「……む?」
ガランは、瓦礫の散らばる廊下を悠然と歩きながら、周囲を物珍しげに見渡した。ふと、その眼が黒くぽっかりと穿たれた空洞に吸い寄せられる。そこから漏れ出す尋常ならざる魔力を感じ取り、ガランは鎧の顎鬚をいじりながら笑みを浮かべた。
「やはりな……儂の勘、大当たりじゃ。」
槍を片手に空洞の奥へと足を踏み入れると、中心には水晶玉と一人の男が立っていた。彼は座すことも、逃げることもなく、まっすぐにガランを見据えていた。その瞳には殺意が宿っていた。冷たい光が、まるで厳冬の氷柱のように鋭く突き刺さる。
「来たな……魔神。水晶でお前の動きは見ていた。他に仲間は連れてきていないようだな。」
「まぁな。お主も、サシのほうが気が引き締まるじゃろう?」
「……気が利くな。だが、それがどうした。どんな経緯があろうと、お前を殺すという事実は変わらない。妖精などどうでもよかった。」
静かに言い返すと、ガランは咽喉の奥から引き攣るような笑い声を漏らした。
「カカカ……お主、まさかあの時から見ていたとはな。あの水晶玉で、全てを見通していたというのか。……だとすれば、なぜ来なかった?」
その問いに、オロバスの瞳がわずかに細められる。そして彼の口元がゆっくりと開いた。
『復讐』
二人の声が一致した。
「わかっていたか。復讐には、潔癖なまでの執着が不可欠だ。なまじの情けや仲間意識では成し得ん。それはただの"慰め"に過ぎん!」
オロバスの声音は硬質な氷柱のように冷たく、それでいて灼けた鉄槌のような激情を孕んでいた。復讐を名乗る以上、妥協は許されないと、彼の内奥で何度も焼き直された信念が、言葉を鋳造していた。
「ずいぶん熱っぽい女神族もいたもんじゃのぉ……。ほれ、それで?口では勇ましいことを並べとるが、まさかここまで来て、尻尾巻いて逃げ出す……なんてことは、あるまいな?」
ガランの声は揶揄と戦意とを併せ持つ。巨岩を転がすような低く重い笑いが、洞窟の天井から反響して降ってきた。
「するはずがない。貴様から逃げるということは、あのとき、リュドシエル様が俺に託した"誇り"を、自ら泥に塗す行為と等しい。それに……お前の戒禁にかかるという、馬鹿馬鹿しいおまけまでついてくるんだろう?」
その眼差しは、沈みきった静謐を湛えた水面のようだった。だがその奥に潜むものは、穏やかさではない。復讐という名の黒焔が静かに、しかし絶えず揺らめいていた。
「カーッカッカ!これは面白い女神族が出てきたもんじゃわい!いやはや、単身で出てきた儂の判断は、どうやら大正解じゃったようじゃな。」
「お前も相当に"戦いそのもの"を楽しんでいるようだな。その根の深さ……理解できんでもないが、どうでもいい。問題は、"この器"の動きがあまりに鈍いということだ。そろそろ……戻らせてもらおう」
そう言ってオロバスは、憑依していた少年の体から音もなく分離した。肉体と霊魂が滑らかに解かれ、空中で翻ったその姿は、女神族本来の威容を取り戻していた。艶やかな銀金の装束、そして背に生えた六枚の大翼が堂々と広がり、かすかな閃光を散らした。高貴、という言葉だけでは捉えきれぬ威風が、そこにあった。まるで千年の時間そのものが、彼の翼に刻み込まれているかのように。
「それが……お主の本来の姿か。」
「その通り。」
気絶して倒れていた人間の少年を、オロバスは無造作に足元から転がして中央へ運び出した。そして、冷ややかな目でガランを見据えたまま、指を一本、静かに差し出した。
「こいつは俺が器として使っていた人間だ。そして今、選択肢を与える。両の手には、即時転送の魔力を。両の足には、跡形もなく消滅させる魔力を付与してある。触れれば発動する。選べ……お前が、どちらに触れるのかを——」
だが、言い終わる前だった。
ガランの動きは稲妻のようだった。刹那、手が伸び、人間の両手に触れた。瞬間、少年の身体は静かに、しかし確実にその場から掻き消えた。
「そういえば、転送とやら……場所はどこじゃ?」
「…………貴様らが守っていた街だ。あの子は、そこの住人だったからな」
オロバスの声は、明らかに予定調和を外された戸惑いを帯びていた。あまりに即断すぎたのだ。しかも、その理由を問われれば、言葉が出てこない。水晶玉の中で見ていたはずだった。あの魔神が、か弱き人間を護り、二人の女神族を屠ったその光景を。
「やはり、そっちを選ぶか。まぁ、わかっていたつもりだったが。だが、驚きだ。十戒の魔神が、本気で人間を"護る"などとはな……」
「困っておる者を、ただ放っておくのは後味が悪かろうて。」
「ふふ…ははは!こんなことがあろうとは。全部が"真実"だ!まさかここまで丸い十戒がいたとは!よくもまぁそんなナリで「十戒」を務められたものだ。」
「儂も驚いとるぞ。ここまで感情に身を灼かれとる女神族を見たのは初めてじゃ。"高貴"というが、お前さんのどこがじゃ?」
ピクリ、とオロバスの眉が動いた。だが反論はしない。それは、口にすれば誤魔化しになるからだ。事実、かつて彼は、自らの憎悪に飲まれて暴走し、味方をも誤って傷つけかけたことがある。その"過去"が、彼の口を黙らせた。
「さて……そろそろ、終わらせようか。」
「そうじゃの。戦の幕引きと参ろう。」
オロバスは、虚空から濃密な光の糸を引き絞り、そこに魔力を凝縮して鍛造した剣を生成した。柄から刃先に至るまで、神経のように脈動する魔力が這っていた——それはまるで、生きた光が刀身に宿っているかのようだった。一方、ガランは双頭の槍を肩に担ぎ、全身を硬質の鎧ごとわずかに沈ませ、次の瞬間には突進の構えへと変じた。
二人は、咆哮と共に斬りかかった。
そして、先に攻撃を届かせたのは——ガランだった。
豪雨のような速度と重量をもって振り抜かれた双頭槍は、オロバスの顔面から腹部にかけてを斜めに、まるで裂いた布のように深く刻み裂いた。刃が抜ける音と同時に、紫紺の血飛沫が広がる。空気を一閃ごとに断ち割る凶器の音が、戦場に鋭利な静寂を刻んだ。
────
街の方では、一人どこからともなく噴水のもとにいた、行方不明の少年を見つけたところだった。
その傍らでは、ゴウセルとスプレッドが並び立ち、言葉を交わしていた。話題は、ガランが単独で挑んだ存在——「女神族」なる者についてだった。
「……一人っつってもさぁ、別に多勢に無勢じゃだめなのか?」
スプレッドが何気なく放ったその言葉に、ゴウセルが静かに答えた。
「きっと、ガランには見えていたんだと思う。直感の奥で、黒く歪んだ未来の残像が。僕らの中で、これ以上犠牲者を出させないために……」
ゴウセルの視線は、ふとスプレッドの胸元に残る傷痕へと向けられる。ラボラスとグラーシャ——あの二柱の女神族との戦闘において、ほんの刹那の隙が、命取りになりかけたことを、彼は忘れてはいなかった。
「……あの時、君はほんの少しの差で、死を免れただけだった。もしもう一度、あれに近い状況が来たら……今度は、本当に癒せない。ガランは、それを見越していたのかもしれない」
「俺が……弱いってことか」
「いや、違う。ただ……力が足りなかった。それだけだよ」
「……それが"弱い"って言うんじゃねぇのかよ!?何のフォローにもなってねぇ!」
「そうだね!」
「ちょっとは慰めろよこのヤロウ!」
スプレッドの叫びは噴水の水音に溶けたが、ゴウセルの表情は崩れず、やがて再び話題を核心へと引き戻した。
「ガランが言っていた"オロバス"という女神族。もし本当に存在するのなら…僕は、その名を聞いたことがある」
「どこまで知ってんだ?」
「詳細は不明だ。けれど、その魔力の名だけは、はっきりしている。"
「忠誠心、か。まっとうに聞こえるな。問題なさそうだが?」
「いや。極めて危険だ」
「…なに?」
ゴウセルは目を細めると、まるで長い黙祷のあとに告げるかのように、慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「"忠誠心"は、その名の通り、対象に絶対の忠義を誓うことで自らの力を増幅させる魔力だ。誓いが純粋であればあるほど、その魔力は臨界を超えて肥大化する。そして……オロバスは、その忠誠の矛先を"女神族という種全体"に向けていた。それゆえ、彼は〈四大天使〉と同等の力を、単独で持ち得た。そこに在るのは信仰の姿をした"暴力"だった。名において美徳とされるその魔力は、実のところ無慈悲なまでに無尽蔵であり、どこまでも膨れあがる危険物に等しかった。」
「……なかなかにヤバそうだな……」
「いや、まだだよ。その魔力の最も恐ろしい点は——」
ゴウセルは、噴水に映る自らの影を見下ろすようにして、静かに言った。
「"忠誠"が続く限り、魔力に一切の限界が存在しないということだ」
それは果てなき登攀。誓いを深めるたびに、彼の力は、天上へと際限なく昇り詰める。信仰とは本来、魂を救済するものであるはずだった。だが、オロバスにとってそれは、自らを焼き尽くしても敵を討たんとする狂信の炉と化していた。
そして、最後の言葉が、ゴウセルの口から鋭く紡がれる。
——その力は、ついには死をも超越する…………!!!!——
────
ガランは打ち据えられた。その一撃は、あたかも鉄槌が火薬庫を直撃したかのような威力を持ち、彼の巨体をミサイルのように吹き飛ばした。瞬時にして空を裂き、彼の身体は一直線に石壁へと激突する。衝撃で石材が粉砕され、空気に鉄の匂いが満ちた。
壁に叩きつけられたガランの腹部からは、まるで腐臭漂う下水の栓が抜かれたかのごとく、鮮血が滝のように流れ落ちた。だが、その血の奔流を押し留めるように、闇の奔流が内部から逆巻いた。魔神族の体内に巣食う"呪われた再生"の力が、瞬時に傷を埋め、肉体を修復する。痛覚は切断され、破損は否定され、彼は立ち上がる。
そして次の瞬間、目の前に立っていたのは、斬られたはずの女神族だった。
その姿は、傷の中に留まりながら動くという、生理的嫌悪感を喚起する異形だった。首筋は斜めに傾き、断面からは血が間断なく流れている。にもかかわらず、彼の瞳には確固たる意志が宿り、視線は鋭く、こちらを穿つように睨みつけていた。
ガランの背筋に冷たいものが走った。夢の中にいるのかと錯覚するほどに現実離れした光景。彼は唇をわずかに歪め、嘲るように笑いながら槍を構え直した。
「……まさか、あれが生きているはずがない。いや、違うか。生きている"やつ"がいるとは……な」
そのとき、女神族の男——オロバスが、断面から血を噴き上げながら声を張り上げた。
「俺の"忠誠心"の前では、貴様の攻撃など、無力、無意味、無価値だ!」
叫ぶたびに、断裂面から噴泉のように血が吹き上がる。その様はまるで、崩れゆく肉体の内部から信仰の怒声がほとばしっているかのようだった。だが彼はまるで気にも留めず、崩れそうな足取りのままガランへと歩み寄ってくる。
ガランは、生前——すなわち死の観念がまだ意味を持っていた頃——このような者を一度として見たことがなかった。常識を逸脱したその姿に、もはや神性も悪魔性もない。ただ、信仰と狂気の境界で立ち尽くす亡霊のような存在だった。それは、一種の壮絶な美すら帯びていた。
「……精神力はたいしたもんじゃのう。」
ガランが低く呟く。
「精神力ではなぁい!"忠誠心"だ!!」
オロバスは叫ぶように言葉を叩きつけた。
「俺の肉体は、女神族、そしてリュドシエル様への忠誠によって保たれている!俺が心の底から、骨の髄まで、絶対に彼らを信じ、仕えると誓っているからこそ……この身は崩れない!!」
「"忠誠心"か。復讐心と結びついて、得体の知れん力を生むもんじゃな……。じゃが、お主、ひとつだけ……大きく見誤っとる。」
「……何がだ!!!」
「躍起になって行う復讐というものはな、まるで霧を斬る剣と同じじゃ。目の前の相手ではなく、目的だけを見据えた斬撃は、やがて自分を見失う。」
「貴様に何がわかる!!高貴なる女神族の命を幾つも奪った貴様に!!」
「わかるとも、わかりすぎるぐらいにな。」
ガランの声は重く、時間の底から響くようだった。
「儂は、短い間じゃったからあまり大きなことは言えん。しかし、我ら魔神族も……女神族に同じことをされたようでな。何万もの同胞が、目の前で殺された。女神族の刃は容赦なく、我らの子も、母も、民も等しく薙ぎ払った。それでも儂は、「復讐」を選ばんかった。」
彼は槍をゆるやかに掲げ、血に濡れた石床を踏みしめる。
「その怒りに身を任せて戦えば、たとえ勝っても……天に昇った同胞たちに顔向けできん。誇りを汚すということが、何よりの敗北になるからじゃ。」
「さっきから聞いていればくだらんことを………黙れ……!」
「その偉そうな口を、死で黙らせてやるぞォ魔神族!!!」
「復讐が無謀であることを、わからせてやる女神族!!!」
『これ以上貴様を生かしはせん!!!楽に殺してやる!!!!!』
再び二人は激突する。先程よりも激しく、紅き雫が飛び散る部屋の中で。
それぞれの意思を、覚悟を決めて。
オロバス 魔力:忠誠心
種族:女神
女神族の一人であり、「女神族の大剣」の異名を持つ。聖戦が終わり、女神族という存在が衰退した現在でも、器を必要としないほどに強靭な肉体を持っている。魔力「忠誠心」はオロバスの最強の魔力であり、四大天使に匹敵するほど。また、リュドシエルを四大天使にまで登り詰めさせた本人であり、彼をすさまじく尊敬している。
闘級 158000
魔力 85000
武力 62000
気力 11000