「真実」の歩み   作:ライダー☆

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第十九話 一人の少女

 むかしむかし、あるところに、一人の少女がおりました。

 名を――シエル・グスタフ。

 

 彼女は王都グスタフに広がる石造りの城にて、この世に生を受けました。父はグスタフ王、母はその正妃。さらに三人の兄と一人の姉がいた。つまりシエルは、王と王女の血を継ぐ五人きょうだいの末っ子として誕生した。

 

 上の兄姉たちは、それぞれに輝かしい資質を持っていました。第一王子は剣の達人、第二王子は智謀に優れ、第三王子は魔術に通じていた。姉は慈愛深く、美貌とカリスマを兼ね備え、民からも熱く慕われていた。彼らはまるで神々に選ばれし存在のようであり、その光は王都と王家の未来そのものとまで言われていたのです。

 

 ――だが、シエルには何もなかった。

 

 剣を握らせても腕は重く、数合も立てば転んでしまう。学問に向かわせても文字は頭に入らず、読み終える前に瞼が落ちた。魔術に挑めば杖は冷たく、炎ひとつともせず、逆に指先を焦がす。人を惹きつける華やかさもなければ、兄姉のように堂々と人前に立つ勇気もない。

 

 ――平凡。

 

 ただその言葉でしか表せぬ存在。王家において「凡庸」とは、罪に等しかった。

 物心がつき始めた七歳の頃から、シエルはそれを痛感させられる日々を過ごすことになる。食卓では彼女の皿だけが遅れ、冷め切った料理を押しやられた。稽古場では兄たちが剣を交わす横で、ただ一人、木人形の前に立たされ、罵声を浴びせられた。廊下ですれ違えば姉の侍女が肩を突き、裾を汚しながらも謝罪の言葉は一つもない。

 王と王妃である両親ですら、彼女に向ける眼差しは冷え切っていた。兄姉の話をするときの誇らしげな微笑みが、シエルの名に及んだ瞬間だけ、重く沈黙に変わる。

 

 ――居てはならぬ存在。

 

 王家に生まれながら、王家の光には一歩たりとも届かぬ影。そのことを幼い彼女自身も理解していた。なぜ自分は、兄姉のようにできないのだろう。なぜ自分だけ、笑ってもらえないのだろう。

 答えは見つからず、ただ胸の奥に澱のように「恐怖」と「諦め」が積もっていった。それは幼い魂に刻まれた刻印であり、年を経るごとに深く、消えがたくなっていった。

 

────

 

 そんな生活が、十年と少し続いたある日のことでした。それは何の前触れもなく訪れた。

 

 ――敵襲。

 

 王都グスタフを囲む堅牢な城壁の上に、突如、警鐘の音が鳴り響いた。鉄を打ち破るような鋭い音が夜空を裂き、鐘を打ち鳴らす兵士の悲痛な叫びは風にさらわれ、街全体に不吉の影を広げていった。

 民衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。石畳を踏み鳴らす足音が混乱の合唱となり、母親の絶叫や子供の泣き声が響き渡る中——街路は、瞬く間に血と混乱の海へと変わっていった。

 迎え撃つ兵士たちは全戦力を投じた。槍を構え、盾を掲げ、矢を雨のように降らせ、詠唱を揃えて魔術の陣を築く。整然と連なる鉄壁の布陣。それは王都が誇る、鍛え抜かれた防衛の結晶だった。

 だが、それらすべては無意味であった。

 

 ――ただ一人の少年の前では。

 

 彼の手にあったのは短剣。しかし、その小さな刃が閃くたび、防陣は切り裂かれ、鉄の甲冑は紙屑のように斬り裂かれた。鋼を打つはずの矢はことごとく弾かれ、結界の光は白煙を上げて霧散していく。

 振るわれる短剣は稲妻のごとく。その動きに目を追えた者はひとりもおらず、ただ斬り伏せられた屍だけが彼の足跡となった。

 

 圧倒的。その姿は「人」ではなかった。王都に突如として現れた、理不尽な災厄。

 だが、なお恐ろしいのは、その素顔が誰にも窺えぬことだった。少年の髪は燃えるような黄金に輝き、その双眸は不気味なまでに澄んだ蒼光を宿していた。だが、顔全体は仮面に覆われていた。無表情を張り付けたかのような漆黒の仮面——それは、見えぬ素顔の代わりに、兵士たちの心を深淵へと突き落とす。

 人であれば感情があるはずだ。怒り、憎しみ、あるいは笑み。だが、仮面はそれを許さなかった。ただ「何を考えているのかまったくわからない」という不気味さだけが、戦場に影を落とした。恐怖はそこから生まれる。意図の読めない存在ほど、人の本能を凍りつかせるものはない。

 王都は瞬く間に崩壊していった。火の手が家屋を舐め、塔は音を立てて倒れ、人々の逃げ場は瓦礫と血に閉ざされる。石畳の街路はやがて真紅に染まり、その上を少年の靴音だけが淡々と響き続けた。

 

 そして残ったのは――王城。そこに立て籠もるわずかな兵士。そして、グスタフ王家の者たち。

 しかし、それも束の間だった。

 轟音。厚き城壁が内側から抉り取られるように砕け散り、瓦礫が雨のように降り注ぐ。煙と火の粉の向こうから現れたのは、あの黄髪の少年。

 仮面の下の素顔は見えない。ただ、黄金の髪と、光を湛える蒼い眼だけが、炎と血の海の中で際立っていた。

 一歩、また一歩。焦土と化した大地を踏みしめ、少年は静かに、確実に王家へと迫ってくる。その歩みには急ぎも迷いもない。ただ「そこに辿り着くのは当然」とでも言いたげな、圧倒的な必然が宿っていた。

 玉座の間。崩れ落ちる天井の破片が舞い、火の粉がはぜる。血に染まった床に立ち、黄髪の少年は一歩ずつ、確実に王家へと歩み寄っていた。その小さな短剣の刃先には、いまや王都を滅ぼした力が宿っている。

 兵士たちは膝を震わせ、王妃は泣き崩れ、兄姉は剣を構えても声ひとつ出せない。——誰も、この歩みを止められなかった。

 そのとき。

 

「ま、待て……!待て、待ってくれ!!」

 

 父王――グスタフが叫んだ。声は裏返り、もはや王の威厳などかけらもなかった。汗に濡れた顔がひきつり、血走った目は恐怖に濁っていた。

 そして彼は、震える手で背後にいた少女を押しやった。

 末娘、シエル。

 

「こ、この娘を……!シエルをくれてやる……!肉付きは姉には劣るが、まだ若い。顔立ちも悪くはない、美貌といえば美貌だ……!おぬしも男であろう!?夜伽にでも何にでも使えばいい!こやつを差し出す!だから……わ、我らを見逃してくれ!」

 

 その言葉に、黄髪の少年は何も言わなかった。まるで彫像のように。表情ひとつ動かさず、ただ無言で王の叫びを受け止めていた。揺れる火の粉の中で、その沈黙は底知れぬ冷たさとなって玉座の間を満たす。誰もが息を呑み、誰もが声を失った。

 そして――

 

「……よこせ。」

 

 少年の声が、響いた。

 父の荒々しい手がシエルの背を突き飛ばした。か細い体は床を滑り、黄髪の少年の足元へ。彼の腕が伸び、抵抗もなくシエルを抱きとめる。

 その瞬間、シエルは悟った。

 最後の最後まで、自分は家族にとって「盾」にも「仲間」にもなれなかったのだと。ただ、命乞いのための「贄」として差し出される存在でしかなかったのだと。

 胸の奥から煮えたぎる恨みが、静かに彼女を焼いた。父を。母を。兄姉を。そして自分自身を。

 シエルは、無言の少年の腕の中に、絶望と呪いを抱えたまま落ちていった。

 

────

 

 意識が浮上する。

 最初に映ったのは、見知らぬ天井だった。白く塗られた木目がぼんやりと視界に揺れ、シエルはしばらく息をすることすら忘れていた。重たい瞼を無理やり押し上げ、上体を起こすと、自分がふかふかの寝台に横たわっていることに気づく。

 だが、すぐに違和感が全身を駆け抜けた。

 

 寒い。首筋から背にかけて、ぞわりと冷気が走る。慌てて自分の体に視線を落とした瞬間、シエルの心臓が跳ね上がった。

 

「っ……な、な……!?」

 

 布団の下、自分の身を覆うものは何一つなかった。裸のまま、知らぬ部屋で眠らされていたのだ。

 

「いやあああ!」

 

 反射的に悲鳴を上げる。声は乾いた空気を震わせ、部屋の外へと飛び出した。

 その直後――扉が軋む音とともに、足音が近づく。部屋に姿を現したのは、一人の少年だった。

 

「お、目を覚ましたかな。」

 

 穏やかな声。そして、その顔を覆う仮面はなく、柔らかに微笑む金髪の少年。

 間違いない。あの王都を蹂躙した張本人。父に差し出され、自分を受け取った"災厄"。彼の名は、メリオダス。

 

「……よかったよかった。」

 

 朗らかな笑みを浮かべながらそう言う少年。だが、シエルにとっては悪夢以外の何物でもなかった。羞恥と恐怖、そして混乱。すべてが渦巻き、頭が真っ白になった。

 

「見るなあああああっ!!」

 

 傍らの花瓶を掴み上げ、思いきり投げつける。甲高い音を立てて陶器が割れ、破片が床に散るのと同時に――メリオダスの頭に直撃した。

 

「……あぁ~れぇ~……」

 

 少年の体がぐらりと揺れ、そのまま崩れるように倒れ伏した。残されたのは、荒い息を吐き、全身を震わせるシエルだけ。裸のまま、部屋の冷気と、倒れた少年の静かな気配に囲まれて。

 倒れたメリオダスを見て、なおも肩で息をしていたシエルだったが——ほどなく、部屋の外から駆けつけてきた兵士たちが彼女に服を差し出した。震える指で布を掴み、乱れた呼吸のまま羽織る。そのとき初めて、彼らの眼差しに敵意がないことを悟った。

 

「……あの……なぜ、私を……?」

 

 声を絞り出すように問うと、倒れていたはずのメリオダスがゆっくりと起き上がり、額を軽くさすりながら笑った。

 

「決まってんだろ。助けに来たんだ。」

「助け……?」

「ああ。お前をな。」

 

 にわかに信じられず、シエルは眉を寄せる。そんな彼女に、メリオダスは言葉を続けた。

 

「裸で寝かせてたのは、お前の服の外から古傷や痣が見えてたんでな。全部脱がしてできるかぎりの治療を施した。ってところだ。」

「そ、そうなの。ありがとう……」

「いいさ。それ以上にお前を助けた理由が重要だ。」

「理由……」

「―――お前はいずれ、俺たちが見たこともねぇほどの、強大な力を持つ剣士になる。そう教えてくれた奴がいたんだ。」

「………」

「あ、教えてくれた奴ってのは俺の知合いな。まぁ名前は言えねぇけど。」

 

 シエルは愕然とした。これまで「平凡」の烙印を押され、何一つ認められなかった人生。なのに、未来では「強大な剣士」だと……?

 ――そんなはず、ない。

 胸の奥で即座に否定する声が響く。しかし同時に、脳裏に浮かぶのは先ほどの光景。敵が迫ったとき、父はためらいなく自分を突き飛ばし、取引の駒に差し出した。

 

「……父や……家族は……どうなったの?」

 

 声が震えていた。恐怖か、怒りか、自分でもわからなかった。

 メリオダスの瞳から、笑みが消えた。無邪気さのかけらもなく、ただ冷たい光だけを宿す。

 

「――殺した。あいつらは元々、多くの小さな町から物資を奪ったりしてたからな。他にもいろいろあるが……今回の件で、あの王都を潰すことにしたのさ。」

 

 その声音には一片の揺らぎもない。災厄の少年が、災厄のままに答える。シエルは息を呑み、視線を落とした。

 胸の奥で小さな声がつぶやく。

 

「……そんな力、私にはない……。きっとそれは戯言……私はただの平凡……剣もろくに振れないし、人を助けることもできない……。」

 

 自嘲のようにこぼれた声は、かすれて震えていた。その肩に、ぽん、と温かな手が置かれた。メリオダスの掌だった。大きくもなく、荒れてもいない、少年の手。

 

「……やってみなきゃ、わかんねぇだろ。」

 

 あまりに自然に、彼はそう言った。見上げた彼の顔は、血や恐怖に濡れたものではなく、ただ未来を信じて笑う少年のものだった。その笑みは、これまでシエルが向けられてきたどの眼差しとも違っていた。期待でも憐憫でもない。ただ、事実として彼女を信じている——そういう、揺るぎのない目だった。

 

 その瞬間。

 景色が、かき消えるように揺らいだ。シエルの視界が弾け、意識が現在へと引き戻される。

 はっと息を呑んで目を開けた時、彼女の前に広がっていたのは——荒れ果てた城の光景。その中央では、紅鎧の巨人ガラン、そして彼の仲間たちが、互いに剣と魔力をぶつけ合っていた。

 仲間同士で、殺し合うかのように。

 シエルは呆然と立ち尽くした。胸の奥で小さく震えながら、その光景を見上げた。

 

「っ……!」

 

 全身を襲う激痛に、思わずうずくまる。ガランの一撃で吹き飛ばされたとき、確かに骨の砕ける音を自分の耳で聞いていた。腕も、肋も、呼吸をするたびに軋み、肺の奥に熱が広がる。

 

「健やかなれ。」

 

 どこからともなく響いた声に、シエルは目を見開いた。温かい光が体を包み、砕け散ったはずの骨がみるみるうちに繋がっていく。痛みは霧散し、呼吸は深く澄み渡る。まるで夢のように。

 振り返ったその先に――二人の影があった。白銀の光を纏い、背に翼を生やした、女神族。

 一人は白衣を纏った青年。淡い笑みを浮かべ、柔らかい声で言う。

 

「ありがとうなぁ、シエル。お前の協力のおかげで、計画通りだ。」

 

 その名をローム。

 もう一人は無言で佇む鋭い瞳の戦士。ハンゾウと呼ばれるその男は、敵意を隠そうともせず、燃えるような視線を戦場へと向けていた。

 

「ロームの言うとおりだ。今が好機だ……。仲間同士で殺し合っているなら、この混乱に乗じて皆殺しにする。しかし人の心とは、どこまでも儚いものよ……」

 

 そう言い放ち、迷いなくガランたちの元へと駆け出す。その足音は夜気に溶け、一瞬で闇の中に消えた。

 残されたロームは肩をすくめ、薄く笑った。

 

「まったく……俺の築いた街を、よくもここまでぶっ潰してくれたもんだ。ていっても、城だけだけどなぁ~。」

 

 その声音には怒りよりも、歪んだ愉悦のような響きが混ざっていた。自分が作り上げたものが壊されることを、どこか楽しんでいるような——そんな異様な軽さがあった。

 その時、シエルの胸にざらりとした違和感が走った。

 

 "俺が作り上げた街"——。

 

 シエルはロームの口元に浮かんだ笑みを見た。優しさとはほど遠い、どこか人を試すような、ひきつった笑みを。

 その時、脳裏に再びあの記憶が蘇った。暗い天井、メリオダスの少年の顔。無邪気な笑みとともに、彼がふと真顔で告げた言葉。

 

『いつかお前を助けてくれる奴がいるだろうけど……あんまりそいつらに酔心するなよ。お前は強くならなくちゃいけねぇんだから。』

 

 温もりと冷たさを同時に孕んだ、不思議な声音だった。その言葉が今、ロームの笑みに重なって、胸の奥で鋭く疼いた。

 シエルは唇をかすかに震わせ、もう一度ロームを見つめる。そして——誰にも聞こえないほど小さな声で、メリオダスの言葉をそのまま、つぶやいた。

 

「……酔心するな、か。」

 

 城の上空に、破裂するような音が響いた。石壁が砕け、月光に照らされた瓦礫の中で、三つの巨影がぶつかり合う。

 

────

 

 ガラン。

 その前に立ち塞がるのは、マキシリアとスプレッド。

 同胞であるはずの三人は、もはや理性など置き去りにしていた。刃と拳が交差するたびに大気が震え、瓦礫が宙に舞う。マキシリアの剣閃が弧を描き、ガランの腕を裂けば、スプレッドの伸びる蔓が背後から絡みつく。だが巨躯の魔神は咆哮とともにそれらを振り払い、鉈のような腕を叩きつける。

 

「チィッ!」

 

 マキシリアは唇を噛み、体ごと押し潰されぬよう後退する。次の瞬間、スプレッドが腕を差し出すと、その肉体は瞬く間に植物と化し、緑の鞭がしなるように伸びた。それがガランの胸板を直撃し、巨体を城の奥深くへと叩き飛ばした。

 轟音。

 石壁が崩れ、ガランはある部屋の中へと突き飛ばされていく。戦場に、一瞬の静寂が訪れた。

 マキシリアとスプレッドの肩が上下し、荒い息が夜気を震わせる。互いの眼差しには警戒と疲弊——そしてかすかな隙があった。

 その隙を、影は逃さなかった。

 

 ――ハンゾウ。

 

 一人の女神族は、城壁を這う黒い影のように、音もなく近づいていた。短刀の刃に月光が走る。気配は風に紛れ、呼吸すら消えている。歩みには一切の逡巡がなく、ただ殺意だけが精緻に、獣のように研ぎ澄まされていた。

 

「ここで……仕留める。そうすれば任務完了まであとわずか……。」

 

 低くつぶやき、彼は二人の背後へと飛び込んだ。寸分違わぬ殺気。刃は迷いなくマキシリアの首筋を狙う。

 だが――。

 突如として地面が裂け、蔓が爆ぜるように伸び上がった。

 

「なッ……!」

 

 ハンゾウの体が絡みとられ、四肢が一瞬で封じられる。蔓は蛇のように蠢き、彼の背を掴むと、そのまま城壁へと叩きつけた。轟く衝撃。石が砕け、壁がひしゃげる。蔓に拘束されたままのハンゾウは、呻き声を漏らし、なおも抗おうとするが、体はびくとも動かない。

「バカな……なぜ、貴様らが自分の意志で動ける……!」

 歯噛みしながら視線を上げた。そこで彼の眼に映ったのは——。

 二人の、その頭部。

 そこには、陽炎のように揺らめく紫色の矢が深々と突き刺さっていた。彼らの意志を覆い隠すかのごとく、妖しく脈動していた。ハンゾウの瞳が大きく開いた。

 

「まさか………より強い魔力で、操られている……というのか……!?」

 

 呻くような声を吐き、ハンゾウは必死に蔓の束縛へ抗う。その声には、初めて動揺の色が宿っていた。だが、その視界の端で、ゆっくりと瓦礫を押しのける影があった。

 巨体を揺らしながら、彼は立ち上がる。ガランの胸中には確かな計算があった。ただ乱戦を演じていたのではない。二人を暴れさせ、自身を吹き飛ばさせることで、ゴウセルの眠る部屋へとたどり着く——それこそが狙いだった。仲間を斬れぬならば、仲間を使う。それが、ガランという男の知恵だった。

 

「すまんなゴウセル、無理やり起こしてしまって。」

「いや、大丈夫。………けどびっくりだね。あの二人があんなことになるなんて。」

「全くじゃ。」

 

 スプレッド、マキシリア。二人は短く呻き、やがて苦悶に歪んでいた顔から、わずかながら人の色を取り戻した。靄が晴れるように、その瞳に焦点が戻ってくる。拘束されたハンゾウを見やりながら、マキシリアが荒い息を吐く。

 

「スプレッド、どうやら俺らはとんでもないことになってたらしいなぁ。」

「全くだ。女神族の魔力に操られるなんて、自分に腹が立つぜ。……ガラン、そこで休んどけよ。これ以上、お前の手を煩わせねぇ。」

 

 スプレッドの声には、静かな怒りが滲んでいた。それは敵へ向けるものか、あるいは不覚を取った自分自身へ向けるものか——おそらくはその両方だった。

 二人の眼差しが、ハンゾウへと向けられる。

 

『――こいつは、俺らに任せときな。』

 

 その声に、獣の低い唸りのような凄みが宿った。

 

「我、窮地……!!」

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