「真実」の歩み   作:ライダー☆

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第二十六話 王都の真実

 ヒエンは、扉の傍らに置かれていた古びた椅子を引いた。しかし座らなかった。ただ手を添え、その背を握りしめるようにして、話し始めた。立ったまま話すことが、この老騎士にとって、長年の習慣なのかもしれなかった。

 

「……順を追って話す。長くなるが、聞いてくれ。」

 

 誰も異を唱えなかった。横たわる人々の傍らで、一行はそれぞれに腰を落ち着けた。アンだけが、ガランの隣に座ったまま膝を抱えた。

 

「この王都の名は、ラグナ。代々、武を以て国を治めてきた王家の地だ。強さを誇りとし、弱さを恥とする——そういう気風の場所だ。民も騎士も、それを当然として育つ。儂もそうだった。」

 

 ヒエンは、横たわる人々を見た。

 

「その王家に、五年前、一人の若き王子がいた。名をシルヴァという。」

 

 その名を口にする時、老騎士の声が、わずかに変わった。変えようとして変えられなかった、そういう変わり方だった。

 

「王子は——この王都が生んだ中で、最も優れた戦士だった。剣の腕だけではない。人を見る目、戦を読む目、民の声を聞く耳——全てを持っていた。若かったが、誰もが次の王として認めていた。儂もそうだった。長年仕えてきた中で、これほど王にふさわしい者を、儂は見たことがなかった。」

 

 ヒエンは、椅子の背から手を離した。腕を組み、視線を床へと落とした。

 

「三年前の秋、大規模な戦が起きた。隣国との国境を巡る争いが、突如として全面衝突へと発展した。規模はこれまでにないものだった。王家は全軍を動員し、王子シルヴァ自らが先陣を切った。」

 

 老騎士の声が、低くなった。

 

「戦の途中——王子の姿が、消えた。」

 

 室内の空気が、静まり返った。

「消えた、とは。」ガランが低く問うた。

 

「戦場から、忽然と。遺体も、武具も、何も残っていなかった。撤退したわけでも、敵に捕らえられたわけでもない。共に戦っていた騎士たちは、王子が目の前にいた次の瞬間には、もうどこにもいなかったと言った。誰も、何が起きたか見ていなかった。」

 

 ヒエンは顔を上げた。

 

「戦そのものは、我々が勝った。しかし、王子は戻らなかった。その後、王都は喪に服し、新たな王を立てようとした。しかし先王はその前に病で倒れ——今のラグナは、事実上の指導者を持たないまま、騎士団の合議によって動いている。儂も、その一人だ。」

 

「……それが、三年前の話か。」

 

 マキシリアが静かに言った。

 

「そうだ。そして——異変が始まったのは、その一年後からだ。」

 

 ヒエンは話を続けた。

 

「最初は小さなことだった。城壁の外れに住む老人が、突然ものを言わなくなった。医者を呼んでも原因がわからず、やがてこの状態になった。最初の一人だ。」

 

 視線が、横たわる人々へと向いた。

 

「その次は、外れの市場で働く女だった。その次は、水路の管理をしていた男。その次は——」

 

 ヒエンは、一度だけ目を閉じた。

 

「十二歳の子供だった。」

 

 誰も、声を出さなかった。

 

「子供の親は、儂のところへ来た。泣きながら、何が起きたか教えてくれと言った。儂には、答えられなかった。それが——この三十二人の中で、最も耐え難い記憶だ。」

 

 沈黙が、しばらく続いた。

 ガランは、横たわる人々を再び見た。その中に子供の姿を探した。少し奥の方、毛布の端から小さな手が覗いているのが見えた。ガランはそれを見て、何も言わなかった。ただ、その手を一度だけ見て、視線を前に戻した。

 

「儂は調べ始めた。」

 

 ヒエンが続けた。

 

「騎士として、戦場での傷や毒は見慣れている。しかしこれは、そのどれとも違った。外傷がない。毒の痕跡がない。病気でもない。ただ——中身が、抜けている。そう表現するしかなかった。」

 

「それで、千年前の聖戦に辿り着いたか。」

 

 ガランが言った。

 

「時間はかかった。この王都の古い文書を漁り、他国の文献を取り寄せ、老いた学者を訪ね歩いた。やがて、一つの記述に行き当たった。聖戦の最中、女神族が人間の魂を——力の補填として用いていたという記録だ。魂を喰らうのではなく、記憶を抜き取り、その人間を空にすることで、何かの術式の材料にしていたという。」

 

 ゴウセルが、静かに口を開いた。

 

「……その記述は、正しいかもしれない。ヨナで、僕たちが見たものと一致する。」

 

 ヒエンの目が、ゴウセルに向いた。

 

「ヨナとは、例の豊穣の街か。」

「そうじゃ。」

「知っておったのか。」

 

 ガランが頷いた。

 

「あそこでも、女神族が動いていた。目的は同じだったかもしれん。ただ——あそこでは、儂たちが間に合った。」

 

 老騎士は、その言葉を静かに受け取った。

 

「ここでは、まだ間に合っているかどうか——わからん。」

 

 その声は、諦めではなかった。しかし希望でもなかった。ただ現実を、正確に口にしている声だった。

 

「ヒエン殿。」

 

 ガランが、低く呼んだ。

 

「この王都に、今も女神族の気配はあるか。」

「わからん。」

 

 ヒエンは正直に答えた。

 

「見えないものは、追えない。ただ——被害が端から広がっているということは、何かが、この王都の中に根を張っているはずだ。それは、じわじわと中心へ向かっている。」

「中心、というのは——城か。」

 

 マキシリアが言った。

 

「おそらく。」

 

 スプレッドが、腕を組んだまま静かに言った。

 

「だとすれば、時間がない。端から中心へ向かっているなら、いずれ——」

「城に近い者も、こうなる。」

 

 ゴウセルが静かに続けた。

 

「そしてその頃には、すでに手遅れかもしれない。」

 

 ヒエンは、頷いた。その頷きは重かった。わかっている、ずっとわかっていた、しかし一人では何もできなかった——そういう重さだった。

 

「だから、お主たちに話した。見知らぬ旅人に、王都の内情を明かすことがどういうことか、わかっている。しかし——」

 

 老騎士は、ガランを見た。

 

「お主の眼は、嘘をついていない。長年人を見てきた儂が、そう判断した。それで十分だ。」

 

 ガランは、しばらく沈黙した。

 横たわる三十二人を、もう一度見た。奥の方の小さな手を、もう一度見た。

 

「……わかった。」

 

 低く、静かに言った。

 

「儂たちで、探す。女神族がこの王都のどこに根を張っているかを。」

「一つ、聞いてもいいか。」

 

 ヒエンが言った。

 

「なんじゃ。」

「なぜ、そこまでする。お主たちには、この王都と何の縁もない。」

 

 ガランは、少し考えた。考えてから、答えた。

 

「縁がなければ、動かんのか。」

 

 ヒエンは、目を細めた。

 

「……そうではないが。」

「儂もそうではない。それだけじゃ。」

 

 老騎士は、しばらくガランを見ていた。それから、ゆっくりと口元を動かした。笑みとは呼べないほどの、わずかな動きだった。しかし確かに、何かが緩んだ。

 

「……感謝する。」

 

 外で、また風が鳴った。細い窓から差し込む光が、少しだけ傾いていた。時が動いていることを、その光だけが静かに示していた。

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

 場面は、再びクオトラの王都へと移る。

 夜だった。

 広場の訓練は終わり、民は家々へと帰っていた。帰るべき家が残っている者は。崩れた壁の陰に身を寄せる者たちの小さな声が、夜風の中に溶けていった。騎士たちが巡回し、足音が石畳を鳴らす。その音だけが、夜の王都に規則正しく響いていた。

 城の最上階の灯りは、夜になっても消えなかった。

 

 クオトラは、机の前に座っていた。

 

 広げられた羊皮紙に、何かを書いていた。文字ではなかった。図だった。線と点と、記号のようなものが、精緻に並んでいた。その配置は一見して意味をなさないように見えたが、ある角度から眺めると——この王都の地図と、正確に重なった。

 点の一つ一つが、民の住む場所に対応していた。

 そしてその点のいくつかに、細い線で印がつけられていた。端から、中心へ向かうように。規則正しく、計画的に。

 

「……?」

 

 クオトラの手が、止まった。

 彼女は、羊皮紙から視線を外した。窓の外を見た。夜の王都が、静かに広がっていた。

 その目に——一瞬だけ、何かが過ぎった。

 ほんの一瞬だった。瞬きよりも短い、かすかな揺れだった。感情と呼ぶには小さすぎた。しかし確かに、何かが、その冷たい双眸の奥で、動いた。

 それはすぐに消えた。

 クオトラは視線を羊皮紙へと戻し、また線を引き始めた。何事もなかったように。最初からそんなものはなかったように。

 しかし——。

 彼女の左手が、机の端を、一度だけ掴んでいた。

 強く。

 指先が白くなるほど、強く。

 気づいていないようだった。あるいは——気づいていても、止められなかったのかもしれなかった。

 どちらなのかは、この暗い部屋の中では、誰にもわからなかった。

 羊皮紙の上で、線が伸び続けた。端から、中心へ。静かに、確実に。

 左手は、しばらく机の端を掴んだままだった。

 夜は、深まっていった。

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