「真実」の歩み   作:ライダー☆

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第九話 新たなる展開

「…………ん。」

 

 意識が浮上した瞬間、彼は漆黒の胎内に取り残されたような異形の空間に佇んでいた。天井を埋め尽くすほどの根を絡ませた巨木、朽ちかけた岩肌が剥き出しになった地面、そのすべてが黙して沈黙している。唯一、命脈のように脈動し続ける薄緑の光を帯びた湖——それだけが、この閉ざされた世界で時間を証す鼓動だった。

 彼には特異な力があった。

 

 魔力「侵入(インベイジョン)

 

 精神への干渉、侵食。幻影を植え付け、記憶を覗き込み、ときに架空の記憶さえ織り込む。思考の中枢へと手を差し入れ、他者の存在すら書き換える、精神の亡霊とでも呼ぶべき術だった。それは、意思なき物質にも触れる力だった。

 

 足元で不気味に蠢いた蜘蛛を無造作に蹴り払い、古びた大木に指先をあてる。触れた瞬間、年輪を逆流するように情報が脳裏に流れ込んできた。

 

 ——七百年。七百もの時が、この空間を呑み込んでいた。

 

 その数字は凍てついた刃のように胸を貫き、彼の内部にひびを走らせた。記憶の奥底で、霧が晴れるように何かが蘇ろうとする。彼は歩き出した。水音すら吸い込まれるこの空間で、ただ自らの足音だけを頼りに。崖際に差しかかったとき、それは形を成す。

 

「ここは……妖精王の森だ!!」

 

 その言葉は、記憶の水面に沈んでいた無数の断片を波紋のように揺らし、ひとつの像を結ばせる。禁呪を発動した瞬間、自身が気を失ったあの日。虚ろな視界の端に映ったのは、朽ち果てる森。

 気づけば、彼は森の入口へと歩を進めていた。足元に重みが走る。視線を落とせば、かつて見覚えのある、歯車模様が彫られた車輪が転がっていた。その横に、形を崩し、静かに眠る"それ"があった。

 息を呑む。声が喉の奥で凍りつく。そして、遠い記憶の底から、懐かしい声が響いた。

 

『ゴウセル……よく聞いてくれ。これは俺からお前への最初で最後の贈り物だ。お前は……俺の叶えられなかった夢を叶えてくれ。』

 

 彼の名が呼ばれた瞬間、堰を切ったように嗚咽が溢れた。崩れ落ち、亡骸を抱きしめ、彼は声をあげて泣いた。人形の身体でありながら、その涙はまるで血のように熱かった。

 理解はしていた。ここが妖精王の森である時点で、彼の死を予感していた。けれど、それが現実として眼前にあるというだけで、心が軋み、崩壊するには十分すぎた。涙を流す理由など、最初から求めるまでもなかった。

 彼は丁寧に遺骸を埋葬した。地下からの脱出に五十年を要したが、空腹も睡眠も必要としない彼にとっては、ただ時が風のように通り過ぎるにすぎなかった。

 

 そして、地上へと戻った瞬間、

 

 そこには、楽園のような光景が広がっていた。空は青一色、太陽はすべてを包み込むように柔らかく、暖かな風が頬を撫でた。彼はそのまま、地面一面に咲き誇る花畑に、ゆっくりと身体を横たえた。しばしの間、空と風に身を溶かしていた。すると、鳥のさえずりが耳に届いた。顔を上げると、近くの木の幹に二羽の小鳥が止まっていた。

 

「わー!小鳥だ!待てーー!!」

 

 彼は幼子のように無邪気に声を上げ、鳥たちを追いかける。けれど、空へと舞い上がった小鳥たちは、森の深奥へと消えていった。彼は肩を落とし、ゆるゆると歩いて花畑へと戻った。

 

「あぁーあ、逃げちゃった……昔のゴウセルみたいに、指に止めてみたかったのになー。」

 

 あの頃の情景が甦る。かつて、もうひとりのゴウセルの指先に、まるで運命のように舞い降りた一羽の鳥。なぜか妙に懐いていて、それがひどく羨ましかった。だからこそ、同じようにしたかったのに。その思いは叶わず、彼の胸にぽっかりと穴を開けた。

 

「なんでできないんだろう。」

 

 そう呟いた彼の言葉に、思わぬ返事が返ってきた。

 

「優しさよりも捕まえたいって思ってるからだ。いきなり追いかけりゃ、鳥だって逃げるさ。」

「え!?誰!?」

「……鳥だよ。」

 

 振り返ると、そこに"それ"はいた。腕にしっかりと止まるその鳥は、隼のように大ぶりな体躯を持ち、灰の羽毛に血のような赤い目、そして虹色に煌めく翼——まるで陽炎が具現化したかのような異形の鳥だった。

 

「と、鳥!?」

「あぁ、そうだ。驚いたか?」

 

 その鳥はにやりと口元を歪め、悪戯好きの子どものような目をしていた。喋れる鳥なんざこの世界に一人しかいない。だったらそれを活かして彼を驚かせることができるだろうと、そう期待していた。けれど、返ってきたのは想定外の反応だった。

 

「君は僕を見て逃げないんだね!しかも、僕の腕に止まってくれたー!」

 

 目を輝かせ、感激で全身を震わせている。鳥は面食らった。

 

「……は?」

「嬉しいなぁ!ありがとう!!」

 

 そう言って、彼は鳥を抱きしめようとした。驚いた鳥は慌てて彼の腕を引っ掻いて飛びのいた。

 

「何だお前ぇ!?俺が喋ってることに驚かねぇのかよ!」

「うん!!」

 

 その無垢すぎる返答に、鳥は呆れたように首を振る。

 

「お前みたいなの初めて見たぜ……ったく、名乗る気も失せた。」

 

 そう言って背を向ける。

 

「俺は驚かせるのが好きなんだよ。驚きと引き換えに食料をもらったり、暇つぶししたり……でも、お前は驚かねぇ。逆に喜んでやがる。そんなの、俺の望むリアクションじゃねぇ。」

「そんな…………お願い、一緒にいてよー!」

「やなこった。てめぇはそのまま独りで寝転んでな。カカカッ。」

 

 嘲笑を残して飛び立とうとした瞬間、微かに濡れた音が耳に届いた。

 

「嫌だよ……独りぼっちは……もうやだよぉ…………」

 

 それは演技ではなかった。鳥にはわかる。長い時を生きてきた彼には、偽りの感情など匂いで判別できる。だが、彼のそれは違った。心の奥底から湧き上がる孤独——純粋な、誰にも触れられなかった魂の叫びだった。

 鳥は空中で羽ばたきを止め、溜息をひとつ。

 

「おい……泣くな……」

「うぐぅ……ひっぐ……ぐ……」

「……だから泣くなって!わかった、そばにいてやるから。独りにしねぇから!……お前が慣れるまでな。」

「……ほ、本当?」

「ああ、本当だ。だからその情けねぇ顔を早く拭け。」

 

 彼は涙で濡れた頬を服の袖でぬぐい、笑顔を咲かせた。それはまるで、雨上がりの空に突如現れた虹のような輝きだった。鳥は言葉を失った。こんなに感情の起伏が激しいやつは見たことがない。陽光のような笑顔を向けられているうちに、また抱きしめられた。

 

「んにゃろーー!だからっていきなり抱きしめんなっての!」

「ごめん。じゃあ……腕に止まって!」

 

 しばらくの沈黙ののち、鳥はぽつりと呟いた。

 

「……まぁ、いいぜ。そうだ、名前を言ってなかったな。」

 

 そして、ゆっくりと羽ばたきながら彼の腕に降り立つ。

 

「俺はスプレッド。よろしく頼むぜ、ゴウセル。」

「よろしく!!」

 

 その声は、花畑に射し込む光と共鳴した。

 

────

 

 三百年という時の濁流を、ゴウセルとスプレッドは、まるで苔むした石のようにじっと耐えて暮らしていた。二人の住まいは森の奥、樹々の静寂に抱かれた木造の小屋。そこには最低限の家具だけがある。暖炉と椅子、寝床と机。それだけでじゅうぶんだった。風呂も、キッチンもない。人形には食事も清潔も必要ないし、スプレッドは川辺の水面で羽を濡らし、自らを清める。それで足りる世界だった。

 だが、その簡素な家の片隅に、異質な存在がひとつだけあった。金縁の施された朱の長箱。見るからに豪奢なその箱は、場違いなほどの威厳を纏っていた。それは、ゴウセルが幾年も前に己の手で作り上げたものだ。何かをしまうために——彼自身しか知らぬ何かを。

 ある朝のことだった。小屋に差し込む斜陽のなか、ゴウセルは椅子に腰掛け、虚空を見つめていた。だが突如としてその身が震えた。ピクリと、まるで見えぬ毒針に刺されたように。

 

「ん?どうした、ゴウセル?」

「……この感じ……彼だ。彼が、この世界にいる!!」

 

 叫ぶなり、ゴウセルは椅子をなぎ倒して立ち上がった。言葉は高揚に踊り、理性の糸が切れかかっている。

 

「スプレッド、家にいて!お願い、今は!」

「何だよ急に……お前、そんなキャラじゃねぇだろ。」

「僕の友達が、この世界にいるんだ!ずっと、ずっと待っていたんだ……!」

「……ん?」

 

 スプレッドの疑念の声を背に、ゴウセルは扉を乱暴に開け放ち、閉めることさえ忘れて駆け出していった。残された家には静寂が戻る。スプレッドはその空虚に溜息を落とした。

 

「変な奴だとは思ってたが、まさかここまでとはな……」

 

 数分後、足音が戻る。だがその後ろに、何か……いや、誰かがいた。その男の体はゴウセルの三倍はある。獣のような肉体に、どこか懐かしい空気を纏った巨体——その姿にスプレッドの口は開いたまま塞がらなかった。

 

「……なんだそいつは……」

「ガランだよ!さっきも言ったでしょ?僕の友達!」

「んん?ゴウセルよ、この鳥は一体なんじゃ?喋る鳥とは珍しいのぉ!」

 

 ガランの甲高い声が響く。スプレッドは反射的に一歩退いた。

 

「彼はスプレッド。三百年前、僕が出会った鳥だよ!」

「三百年……ほぉう……」

 

 ガランの視線がスプレッドに注がれる。彼の記憶のどこを探っても、そんな鳥は存在しなかった。不死鳥か、幻か——しかしこの世界では、不条理こそが日常だった。女神も魔神も妖精も歩き、言葉を交わす。ならば、喋る鳥もまた然り。

 

「……珍しい鳥じゃな。なんとも神秘的じゃ」

「珍しいっちゃ珍しいだろうよ……で、ゴウセル。お前の"友達"って、こいつのことなのか?」

「うん!」

「……屈託のない笑顔…。だが、お前がただ感情に任せて招いたとも思えねえ。……まさか友達だから連れてきたなんてこたぁ……」

「そうだよ!!!」

「……もう何も言わねぇわ、俺は……」

「儂に見せたいものがあるゆえ、招いたのじゃろう?」

「うん。ついてきて」

 

 ゴウセルは箱の前に立ち、それを開けた。スプレッドも興味を抑えきれず、その肩越しに覗き込む。箱の中から現れたのは、双頭の武器——一方には刺突用の槍、もう一方には両刃の鎌。普通の双頭槍。だが、どこか神具めいた威圧をも帯びていた。

 

「……武器?」

「お主、直してくれたのか?」

「違う。僕が一から作ったんだ。君の武器のこと、君以上に覚えていたから」

「……おお、そうかそうか……なんとも有り難いのう」

 

 ガランの手に槍が戻る。握ったその瞬間、何かが違う。確かに同じ造形、同じ重み。だが流れ込む魔力の奔流が、それを否定する。

 

「……こいつ、儂の魔力が……高まっておる……?」

 

「ご名答!その槍には、僕が付与した魔力があるんだ。「魔力上昇(マジックアップ)装備(ギア)』」。その名のとおり、その槍を装備しているときのみ、魔力が跳ね上がり続けるんだ。君の「臨界突破(クリティカルオーバー)」の強化を更に跳ね上げる効果も持っている。そしてあともう一つ「暴走制御(ワイルドコントロール)装備(ギア)』」。これも名前のとおり、暴走を制御するためにあるんだ。「臨界突破」で自我を保ちやすくなる。」

「ほほぉ……なんとも儂のために尽くしてくれたようじゃのぉ!!全くありがたいわい!」

 

 スプレッドは口を噤んだまま、二人の会話を見守る。理解が追いつかず、いや、そもそもなぜ槍を隠していたのか。その理由さえ見えない。

 そして、ガランの声が変わった。低く、鋭く、冷たい。まるで凍てつく刃が喉元に突きつけられるような声で言った。

 

「………して、ゴウセル……なぜ、"戦"が続いておるのじゃ……?」

 

 その一言に、空気が凍った。鋭い視線がゴウセルを射抜く。彼は呻くように、震える声で答えた。

 

「嘘はつくなよ。儂の戒禁とやらに蝕まれてしまうからな。」

「……女神族、だ」

「なんじゃと……?」

「女神族が、人間を、弄んでいるんだ!この世界で!!」

 

 スプレッドの羽が虹の閃光を弾けさせる。怒気が炸裂する。

 

「ゴウセル、詳しく話せ!」

 

 怒声の如きスプレッドの咆哮がまだ空気に残滓を残すなか、ゴウセルはまるで風に消されそうなほどにか細く、しかし確かな意思を滲ませて語り始めた。

 

「……今から百年前のことだ。スプレッド、あの時、君を森に残して、果物を採りに出かけた日を……憶えているかい?」

「ん?あぁ、憶えてる。だが、それが何だ?」

 

 ゴウセルの瞳に、深く沈む記憶の影が浮かんだ。

 

「そのとき……六十マイル先の空で閃光が弾けた。山を割り、大地を貫くほどの力の奔流だった。まるで神の憤怒が地上を薙ぎ払ったように。」

「まさか、それが……女神族の仕業だとでも言うのか、ゴウセル!」

「……あぁ。あの夜、君が眠っている間に僕は現場へ向かった。言葉を喪ったよ。そこにあったのは、ただ『人間がいた痕跡』だった。家々は炭と化して、地は赤黒い血を吸い尽くして乾いていた。焼け爛れた空気の中に、一振りの痕跡があった。……人間の腕。その中央に、深く刻まれた『救済の矢』の傷跡。女神族だけが放てる、あの技の痕だった。」

「救済……?なんじゃそりゃ……」

「なんとも皮肉な名の技じゃのぉ。」

「魔神族に対しては、苦しみを与えず死へ導く。しかし、それ以外の種族には、魂を針で裂かれるような苦痛をもたらす。死すら安寧ではない、そんな技だ。」

「して、そんな連中が今も野放しだというのか?」

「……間違いない。この何百年、僕はずっと調べ続けた。失われた人間の都市、その数、二百を超える……。」

 

 スプレッドが叫ぶ。

 

「……テメェ、それに対して何かしたのかよ!?あの爺さんに、魔力を込めた槍を渡したんだろう!?だったらお前が、自分自身でその力で……!」

「できないんだ、スプレッド。理由は……彼らは、"人間に憑依している"。」

『!!?』

 

 ゴウセルの語る真実は、血の通わぬ氷のように重く、場の空気を凍てつかせた。

 

 聖戦の終結を告げるため、女神族は自らを生贄として〈常闇の棺〉を発動させた——はずだった。だが、死の恐怖に抗えなかった数千の女神たちは逃げ出した。時は流れ、彼らの肉体は朽ち、霊核は衰え、存在そのものが風化しかけていた。死の足音が再び耳元に迫ったそのとき、女神族は「人間」を見つけた。傷だらけの心に大きな空白を抱えた種族。そこに甘い言葉で囁きかければ、容易く「器」として受け入れさせることができる。自らの存在を維持するために、彼らは人間を着ぐるみのように纏い、街を歩く。

 

「僕の推測だけれど……たぶん、そうして女神族は人間を器にして、この世界で延命してるんだ。そして……聖戦で魔神族に味方した人間たちに対して、ゆっくりと復讐していってるんだと思う。」

「なるほどのぉ……あり得ん話ではないわい。あの族は、どうにも高潔ぶっておるが、腹の底は深い闇じゃ。」

「だから……僕は彼のために槍を作ったんだ。」

「このジジイのためにか。」

「ジジイって呼ぶな、儂はガランじゃ。」

「どうだっていいだろ。で、それが理由なんだな?」

「……うん。あれを見たとき、もう、一生平和に暮らすなんて夢は抱けなかった。だから……槍を作った。彼が戦えるように。」

「ずっと隠してたのは……俺を巻き込みたくなかったから、か?」

 言葉が胸を衝き、スプレッドの声が震える。

「甘い。……くだらねぇ考えだぜ。」

 

 怒気混じりのその声の裏には、怒りだけでない、別の色が滲んでいた。

 

「なぜ言わなかった……。言えば、少しぐらい協力してやったってのに……」

 

 その瞬間、スプレッドの周囲に小さな旋風が立ち上る。風は彼を包みこみ、視界を奪った。

 そして——風が鎮まった時、そこには虹色の羽を広げた少年が、空気を切り裂くように現れていた。その姿を見たガランとゴウセルは、まるで見てはならぬ禁忌に触れたように、目を見開いた。

 

「……お主まさか、その羽は……!」

 

 虹のように煌めくそれは、かつて暴走した妖精王を彷彿とさせる。少年——いや、妖精は静かに言った。

 

「俺は妖精、スプレッド。」

「鳥だったはずじゃ……?」

「鳥は俺がなりたかったから、なってただけさ。羽を畳んで生きてただけだ。……それに、妖精にはなりたくなかったんだ。言えねぇが、色々と思い出すことがあるんでな。」

「お主も……苦労しておったらしいな。」

「お前らほどじゃねぇさ。……そうじゃないか?目の前にいる「十戒」の中でも格段に強ぇ、あんたら。」

 

 核心を突くその言葉に、ゴウセルとガランの身体が一瞬硬直する。だが——真実を偽れば、戒律が彼らを蝕む。それゆえ、潔く認めた。何故、敵意を抱かぬのかと問うスプレッドに、彼らは言った。

 

「儂は、もう悪しき道を歩む気はない。ただ……人々が望む"真実"に向かって進みたいだけじゃ。」

「僕も。聖戦は終わるべきだったし、彼に……君に出会って、ようやく正しい道を見つけられたから。」

 

 スプレッドは笑った。少年のように、妖精のように——世界を信じたあの日の笑顔で。

 

「最高だ……。裏も表もねぇ、そんな奴らと、ようやく出会えた気がするぜ……!」

 

 彼は地を蹴り、虹の羽を広げ、夜空を仰いで飛翔した。風を切り、天に昇る。

 

「さあ、始めようぜ、ゴウセル、ガラン。新しい物語をよ。俺たちの手で、女神族を叩き潰すんだ!」

 

 その声には、絶望を跳ね除ける覚悟と、冒険を迎える歓喜が詰まっていた。ゴウセルとガランは互いに頷き、彼の後を追う。二人もまた、重く鋭い翼を背にして、青の果てへと舞い上がる。

 

「儂も、ここらでいっちょ張り切るとするかのぉ!!!」

「なんて元気な……爺さんって歳か?ていうか若すぎないか……いや、なんか妙な違和感があるぞ……?」

「ゴウセル、お主……行き先とかあるのか?」

 

 少し間を置いて、ゴウセルが目を細めて言った。

 

「そうだ……数日前、女神族が攻めていた人間の街があったはずだ。」

 

 彼の言葉を皮切りに、三つの影は森を越え、山を越え、遥かなる戦火の匂いへと翔ぶ。その始まりの風は、確かに——新たなる戦の狼煙であった。

 

────

 

「………………へぇ。」

 

 その一言は、硬質な鉛の玉のように重たく、だだっ広い闇の空間に静かに沈んだ。

 光の届かぬ倉庫のような空間の中央、水晶玉が青白く脈打つように微光を灯していた。まるで冷たい心臓の鼓動だ。その水晶は、今まさに人間族の都市へと接近しつつある三つの影を映している。異形の旅人たち。妖精と、二体の魔神。

 水晶玉に手を添えるその男は、異様に整った顔立ちの若者であった。マントを羽織り、痩身の肢体にただならぬ静謐を纏い、彼は冷ややかに三人の姿を凝視する。猛禽の如き鋭い爪が、己の頬をぞんざいに抉った。刃のような指先が皮膚を裂き、流れ出た血が口角を濡らしても、彼は一切表情を変えなかった。それはもはや「痛み」という感覚すら、彼の中から除外されていることの証だった。

 そして、舞台の台詞でも読むかのように、無感動な声で隣にいた女に言葉を投げかける。

 

「………………ねぇ、グラーシャ。君の言った通りだったよ。奇妙な連中が、僕らが攻めてる街に向かってる。」

「えっ、ほんと?ちょっと待って、オロバス、それってつまり……私のカン、大・正・解じゃない!?すごくなーい?」

 

 グラーシャと呼ばれた女は、薄く発光する肌をしていた。白磁のような白さではない。まるで死体のように青ざめた白さだ。その細い身体は、強風で折れそうな柳の枝のように儚く、だが目には狂気の光が宿っていた。

 彼女の言葉に対し、男、オロバスは顔をほとんど動かさぬまま、ただ無機質に応えた。

 

「…………そうだね。」

 

 その返事は、体温を感じさせないほど冷え切っていた。面白みのない返答に、グラーシャは露骨に舌打ちし、蛇のような鋭さで彼を睨みつけた。だが、オロバスは彼女の怒気など砂粒程度にも感じていない。ただ水晶玉に視線を固定し、映る影たちの輪郭をなぞるだけだった。

 沈黙の空間を破ったのは、重たい扉が軋みを上げて開く音だった。入り口から差し込んだ淡い灯りは、ランタンのもたらす静かな炎。扉を押し開いたのは、巨躯の戦士——ラボラス。鍛え上げられた筋肉を持つ男で、その体躯には幾度となく戦場を渡ってきた者だけが纏える鈍い圧があった。彼は無言でランタンを部屋の隅に掛ける。ぼんやりとした光が天井を撫で、ようやく空間の輪郭が少しずつ浮かび上がる。

 

「ラボラス!!ねぇ聞いてよーー!」

「……なんだ。」

「あいつが私を全然褒めてくれないのよ。いつだってそう。まったく、可愛げってものがないんだから!」

「くだらんことで喚くな。過去の些事など噛み砕いて飲み込んでおけ。」

「うっわぁ……あんたまでそっち側?テンション下がるんだけどぉ……」

 

 彼女が大仰に嘆くのを一蹴し、ラボラスは、ふと表情を崩した。

 

「……だが、朗報がある。」

「ん?なになに?」

「あと数分で、この街の娘たちを攫っていった女神族の下っ端共が、ここに現れるそうだ。」

「……ほんとっ!?」

 

 顔を輝かせるグラーシャ。喜色満面、彼女の狂気は一気に血に餓えた本性を露わにした。壁に立てかけられていた長剣を掴み、その唇に凶暴な笑みを刻む。

 

「ってことはつまりさ……その女ども、殺っちゃってもいいんだよねぇ。」

「……ほどほどにな。売れる娘がいなくなる。」

「わかってるっての!」

 

 そう叫ぶや否や、彼女はステップを踏むように、軽やかに闇の中へと消えていった。

 残されたラボラスが、水晶玉に目をやり、眉をひそめる。

 

「ん?こいつら、どこかで見たような……」

「気づいた?……人間と羽虫は知らない。けど、あの紅い鎧のやつ……魔神族だよね、明らかに。」

「……ああ。俺は魔神との直接交戦を避けてたから詳細までは知らん。だが……どうにも引っかかる。」

「で、どうする?」

 

 ラボラスは頭を掻き、静かに言い放つ。

 

「グラーシャを連れ戻す。戦闘準備だ。人間と羽虫なら遊びで殺せば済むが、妖精と魔神が混ざっている以上……警戒して損はない。」

「…………了解。じゃあ行ってらっしゃい。」

 

 ラボラスは短く頷くと、無音の疾走で廊下へと消えた。

 残されたオロバスは、再び水晶玉の光に照らされながら、わずかに嗤う。そして——突如、その表情が変貌した。冷静だった瞳が怒りに濁り、血の滲むほど爪を握りしめ、彼は咆哮する。水晶玉に映る魔神の姿を睨みつけながら。

 

「あの二人はどうでもいいとして…………必ず、魔神は「殺す」!醜き穢れ者のくせに抵抗をし、高貴なる(めがみぞく)を何千、何万人も殺しやがって!リュドシエル様まで………俺の信仰を!俺の誇りを!焼き払いやがって!!」

 

 その叫びは、血で綴られた憎悪の詩だった。

 こうして三人の旅路は、知る由もなく、地を焼くような敵意に包囲されてゆく。この出会いが、どれほどの災厄の引き金となるか。

 誰もまだ、それを知らなかった。

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