十五分物語(短編集) 作:網浜
歌が世界を救うのだと信じていた。影山影太の愚かな思い込みだ。音楽に対する過剰な信奉だ。その果てに何が待つのか、彼は考えもしない。想像力の欠如を、リズムやビート、フィジカルな快楽に乗せて散らし、とにかく即物的な快楽に浸り続けていた。それはドラッグではない。アルコールでもニコチンでもない。だから大丈夫だという、そういう理屈でずぶずぶと。
「あの子が歌い始めたんですよ」
花子のいたく感激したようなその言葉が、ある意味で彼の妄想に火をつけたのだといえる。花子、哀れな母親である。彼女の息子は、生まれつき情動というものが薄かった。それはもちろん、個性である。あるいは、この現代社会においては、病気として分類することも可能であったかもしれない。いずれにしても彼女の息子は、そのような形質を生まれ持っていた。
彼女は決して薄情な母親ではなかった。むしろ真逆、場合によっては過干渉と罵られかねないほどの熱心さがあった。それが悲劇の一端であったなどと偉そうなことを言う者もいるだろう。結果に基づいて何かを貶めることは極めて容易だ。考える時間も無数にあるのだし、そのものが内包する悪意も無限なのだろう。されど、とにかく、この時点においては彼女を止めるような無粋な者は一人として存在しなかった。彼女はあらゆる事象に関心を示さぬ息子をいたく心配していたし、その状態をとてもまともなものだとは考えていなかった。そして当然のように、その解消に努め、これもまた当然のように、その行為はやや歪んだものでもあったのだ。その歪みの詳細についてくどくどと記述することは避けよう。その行為に、悪趣味以外のいかなる意味があろうか。むろんある。しかし、その意味とやらに意味を見出さぬのが、この私、すなわち筆者である。
ゆえに、少しだけ、描写は飛躍する。
あの子が歌い始めたんですよ。花子がそう言ったのは、彼女の息子が小学六生の時分である。その頃の息子氏は、とにかく無口であった。病的といって過言でなかった。その要因に彼の親、すなわち花子が大いにかかわっているのは言うまでもあるまい。それはまさに無自覚に行われた虐待であった。詳細は伏せる。
さて、息子氏である。彼はある日、唐突に歌い始めた。酷く明るく、アップテンポで、澄んでいて、何か未来への希望を思わせる、そのような歌でった。それは単純な音声のみで構成され、所謂歌詞のような、言語的意味のあるものは含まれていなかった。不要であった、といったほうが適切かもしれない。その歌は、その声色だけで、聞くものにあらゆる情報をダイレクトに叩き込んでいたのだから。
なぜ息子氏が唐突に歌い始めたのか。その理由は誰も知らない。
あるいは、その日からさかのぼること数か月前より、地球上に存在する生物の間で、ある奇妙な現象が見られたことに、何らかの関連性があるのかもしれない。
などと回りくどいことを言っても仕方がないだろうか。端的に言って、世の中に生息する人間以外の「動物」に該当する生物が、唐突に歌を歌い始めていたのだ。つまり、息子氏の行為は完全にそれの後追いであったのだ。
その歌声はどれも神秘的で、心地よかった。人々はこの現象の謎をまるで解読できず、ただ奇跡だとか、あるいは身近で未熟でちんけな陰謀論に貶めてしか受け入れることができなかった。悲しいことだ。
だが、とにもかくにもとても美しい歌声であったのだ。だから、なんだか、それでいいのではないかという空気が、結局は世を席捲することとなった。人々は深く考えることをやめ、動物が歌う新たな世界のなかで、これまで通りの日常を続けることとなった。美しい事象に裏はいらない。美しい事象に相応の裏が欲しい。相反する人々の思いは、結局は年月の経過とともに、等しく無駄に消え失せた。
敢えて、何かこの小説の作者らしく、神の視点から彼らに教えを授けてあげるとすれば。
動物の歌は、信号であった。とある惑星から発された、自律型有機コンピュータ群への信号。発される歌は、その受信の合図だ。その有機コンピュータ群は信号に基づき共振し、何らかの目的により再起動を果たす。牛も、馬も、犬も、猫も。ネズミも、狐も、サルも、チンパンジーも。
だが人間だけは、やや例外であった。その有機コンピュータは、独自進化により、大きな欠点を抱えていた。自我なるバグが、あたかも己をいっぱしの知的生命体であるかの如く振舞わせ、求められない奇妙なふるまいを見せていた。それは、信号の発信源にとっても、想定外の出来事であったろう。
だが、結局は、同じだ。時間の問題であった。それもほんのわずかな、とるに足らない時間の。
花子の息子。彼が真っ先に適応した。素敵な歌を歌った。歌は受信の合図。そして、共振の手段。しばらくすると、花子もまた、歌を歌うようになった。言葉を介さない、素敵で心地の良い歌を。
歌の輪は、広がっていく。面白がって取り上げたテレビを通して。ツイッターを通して。ティックトックを通して。無限の拡散をみせてゆく。
いや、もちろん、本当のところは無限などではない。全人類にいきわたるのに、そのような大層な単位は必要ないのだ。
歌は、セカイに広がった。セカイのヒトビト、ゼンインに。
とても素敵だった。
人々は歌い、何か大きな機材の一部となり、セカイは救われた。
そういうことに、なった。なったので、しあわせです。
完