十五分物語(短編集) 作:網浜
紫陽花について詳しいことは何も知らない。梅雨時の花で、紫で、かたまりみたいな見た目をしているという程度なら知っているが、しかしそれはもはや知っているなどと表現すべきでないだろう。
知りもしないこと、認識外の事象に気をかけることは可能だろうか。どうとでもいえようが、まあ考えて見てほしい。
ほぼ不可能ではないかしらん、という意見もあろう。知りもしないことについて、そもそも物思うきっかけなどありはしない。もっともな意見だ。
むしろ知らないからこそ考えざるを得ない、という見方もできる。人は隠されたものに敏感だ。雑誌の袋とじしかり、衣服の向こう側しかり。喩えが性欲由来のものしか浮かばないのが気がかりだが、実際のところこちらも的外れではあるまい。
この相反しているような二つの意見は、思うに前提条件をどう設定するか、その差によって産まれている。前者は、本当にまったく何も知らない状態が想定されており、後者は一部とっかかりぐらいは見えているものと想定されている。
私にとって紫陽花はいずれだろうか。
先述の通り、幼稚園児でも知っているような一般常識程度のことならわかるつもりだ。つまり、紫陽花の存在くらいは知っている。であれば、後者の立場になろう。
だが、残念なことに私は特に紫陽花について考えざるを得ない、などという気持ちになったことは一度たりともない。驚くほどに興味がない。むしろ、興味がないと敢えて声高に表現するのも躊躇われるほどに、何もない。無。
そんな無について、なにを長々と語っているのか。矛盾しているではないか。という意見もあろう。わかる。確かに。
結局、私が紫陽花について無であったのは、つい先ほどまでの話しである。つまり、今はもう、おそらくは、違う。
「紫陽花は好き」
と、彼女が言ったわけだ。
大したことのない会話の中で放たれた、大した意図もないであろう言葉だ。今日はいい天気。もうすぐ梅雨だね。雨は気が滅入るな。でも、紫陽花は好き。
それに私は、そうか、とつまらない相槌を返しながら、今のようなことをつらつらと考えている。
紫陽花が好きなのか。そうか。
私がもう少し、花に気を配る類の人間であったのならば、もう少しまともな言葉を返せただろうか。
紫陽花の良さを一緒に語らうことができたかもしれない。
紫陽花の小ネタを小粋に披露できたかもしれない。
私は私の人生を顧みて、悔やんだ。悔やんでも悔やみきれぬ人生であった。これまではそうでもなかったが、今この瞬間はとにかくそうだった。紫陽花。紫陽花にもっと。もっと私は。
しかし私とて、いつまでもくよくよするたちの人間ではない。紫陽花の勉強は後でしようとすぐに切り替えて、この状況を利用せんと頭を巡らせる。
「じゃあ、梅雨になったら紫陽花を見に行こうか。どこか、いい場所知ってる?」
ナイスなアイデアを私は捻り出せた。相手の好みに基づいた、完璧なデートのお誘いだと感じた。そしてその時までに紫陽花マスターとなり彼女に素敵なうんちくを披露するのだ。
「え、いや別にわざわざ見に行くほど好きでもない」
やめやめ。紫陽花の勉強やめ。紫陽花なんてどうでもいい。無。
完
これをオチたと言い張る勇気。