十五分物語(短編集) 作:網浜
旅人影太が迷い込んだ町の奇妙さは、視覚的にあからさまであった。
逆さまであった。あらゆる家が、逆さまに建てられていた。
逆さま、故にその入口は、影太の感覚で言うならば天井付近に設置されており、家の中に入ることはできない。
民家も、店も、なにもかもがこのありさまだ。眺める分には奇怪で楽しい。しかし、眺める以外の事ができそうにもない。そんな町であった。
町にはひとつとして三角屋根の建物はない。どの建築物も四角で、屋根は平らだ。、きっとこの逆さまさを成立させるためであろう。理由はわかるが、意図は不明だ。
逆さまの町を歩くこと数分、影太ははじめて人とすれ違った。シルクハットをかぶった髭でモノクルの紳士であった。
住民であろうか。影太は少し迷ったが、思いきって声をかけてみることにした。
「もし」
「なんでしょうか、旅人さん」
紳士は立ち止まり、気さくに応じてくれた。
「あなたはこの町の方でしょうか」
「まさか」
首を横に振り、紳士は大げさに両腕を広げて辺りの建物を見渡した。
「こんな有様です。人が住めるように見えますか」
影太は目を瞬かせ、考える。入口が頭上遙か高くに、それも逆さまに設置された家。どの様に過ごせばよいのか見当もつかない。
「ええ、まあ、見えませんけども」
「旅人さんは、この町を通るのは始めてですかな」
「そうですね」
「この町に住む者は、今となってはひとりもいません。なのでここはもう町ではなく、ただの道とも言えるでしょう」
「なるほど」
影太は紳士の言葉を聞いて、顎に手を当て、首をかしげる。
「今となっては。ということは、昔はそうではなかったのですか」
「そりゃあ、町でしたからね。こんな風になる前はそれなりに賑やかな場所でしたよ」
「こんな風になる前があったのですね」
「そりゃあ、町でしたから」
同じフレーズを繰り返し、紳士はおかしそうに笑った。
「気になりますか、旅人さん。この町がこうなった経緯が」
「もちろん」
気にならない人間がいるのだろうか、と影太は思った。無論いるかもしれないが、そういう人間は旅人などはしていないだろう。
「教えていただけませんか」
「まあ、いいですよ。私の知っている範囲でよければ」
紳士は髭をなぜ、どこか遠くへ視線を馳せた。
立ち話もなんだろうということで、二人は近くの石垣に、並んで腰を掛けることとした。
公園のベンチなどがあればよかったのだが、見当たらなかった。紳士曰く、昔はあったらしい。
「昔はね、普通の町だったのですよ」
影太の横に座り、視線は遠くにやったまま、紳士は語りだした。
「逆さまの家など一軒もなかった。しかしある日、ある男が町に引っ越してきた。そして大工に無理を言って、逆さまの家を建てさせたのです」
「なぜ」
「わかりません。しかし男は金払いがよかった。なので大工は言われるがまま、逆さまの家を建てました。到底人が住めるとは思えない構造の真四角の家です。家への出入口は、遙か頭上」
「男はその家で暮らしたのですか」
「暮らしました。梯子をかけてなんとか家に入り、天井に逆さまの家具を置いて過ごしていたそうです」
「奇妙ですね」
「ええ。奇妙です。しかし、それで他の人に迷惑をかけるわけでもありませんでしたから、町の人たちは深くは追及しませんでした」
「なるほど。それが一軒目の逆さまの家だったわけですね。しかし、そこからどうしてこのような」
影太の問いに紳士はすぐには答えず、話を続けた。
「それからしばらくして、男が急に姿を消しました」
「姿を?」
「ええ。きっぱりさっぱり、いなくなってしまった。やっぱり住みづらくて出ていったのかなどと、町の者は噂しておりました」
「まあ、確かに天井暮らしは辛そうですしね」
「それからさらにしばらくして、二軒目の逆さまの家が建ちました」
「え?」
「正確には、一軒目の逆さまの家のお隣さんが、自らの家を逆さまにリフォームしたのです。お隣さんはお金に糸目をつけませんでした」
「なぜ」
「わかりません。それからちょっとして、今度はお隣さんが姿を消した。そうすると、お隣さんのお隣さんが、家を逆さまにしようとしたのです」
「それは……」
「そこからは、早かった。瞬く間に町は逆さまになり、人は姿を消しました。今、そこにある家。あれが最後に逆さまに作り替えた家です」
紳士が指をさす先には、長方形の逆さまの家。
「私が建てました。私、昔は大工をやっていたもので」
「なるほど。しかし、それは、ええと……断るという事はしなかったのですか」
「みなさん、金払いが妙によくて。また私はこの町の住人でもありませんでしたし」
「なるほど」
「それで、今に至るというわけです」
「なるほど、わかりました。いえ、わかりはしませんが、経緯は理解しました。しかし、その、いなくなった方々というのはどうなったのでしょう。町ひとつとなると、結構な人数ですし。行く当てのある人ばかりでもなかったのでは」
「ああ、その辺りは大丈夫だと思いますよ」
紳士は何の気なしと言った調子で言った。
「さっきも言った通り、他所に行ったというのは町の者の噂です。実際には落ちていかれたみたいです」
「落ちて? どこに?」
その問いに、紳士ははじめてその顔を、影太に向けた。
そして、その人差し指をぴんと突き立てる。つられて影太は指の先に視線を向けた。
突き立てられた指の先には、大きな雲がいくつも泳ぐ、気持ちのいい青空が広がっていた。
青空から視線を戻し、影太は紳士の顔を見て、何度も何度も瞬きをする。
紳士は不意に、にっこりと笑みを浮かべた。モノクルの向こう側で、緑色の瞳が優し気な光を放っているように見えた。
完
なんかこう、おとぎ話っぽくすればオチがなくてもこう、許されそうみたいな。
他のよりちょっと長いので、おそらく十五分では書けてません。