会社の後輩が悪魔っ娘なのだが魔族恐怖症の俺はどうすればいい   作:足洗

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尽きない怒り

 

 

 笑うだけ笑い倒し、それでも足りないとばかり二本角の鬼女(オーグレス)は手にした武器を地面に叩き付けた。

 表層の土塊はもとより、その一撃は地盤を揺るがす。

 振るわれたのは槍斧(ハルバード)である。

 鬼女の身長が見当で2メートル強としても、柄頭から切先までの長さはそれより遥かに長い。刃渡りだけで俺の身長ほどもあろう。

 人間には持ち上げることさえ叶うまい。

 それをまるで、傘でも振り回すように扱う。

 優劣を論じることすら馬鹿らしい。種としての絶対的格差を見せ付けられた。いや、そのような誇示の意図すらない。

 もう一体、一角を額から生やした鬼女が、今度は仔犬をあやすように笑う。

 

「迷い込んじまったか? ふへへ……境界の入り口に人払い貼ったよな。なんでだ」

「知らね。壊れたんじゃねぇの。あの女、群の首長(おさ)張ってるわりに案外ケチだからな。おおかた安もん寄越しやがったんだろ」

「ふーん、まあいいけど。むしろウチらラッキーじゃね? ちょろい仕事にボーナスまで付いてきた……きひひ」

 

 鬼は舌すら大きく太く長い。舌なめずりしてこちらを見る眼光は飢えた獣のそれ。

 

「これが終わったらよ、たぁっぷり可愛がってやっから。そこで大人しくしてなよ」

「ひゃはは、素人の人間コますのは久しぶりだなぁ」

 

 口々に吐かれる言葉は下卑下品を通り越して印象はもはや豪気である。猛々しき戦士、益荒男が血気盛んにして好色であるように、彼女らオーグレスもまた闘争本能と生物的欲求に殊更忠実だ。

 その獲物に任ぜられる人間は生きた心地がしないだろうが。

 なら、今の俺は。

 一も二もなく逃げるべきだ。本来なら。脆弱の代名詞人間が、魔界人と事を構えるなどありえない。命が惜しいなら。

 彼女らの膂力を以てすれば撫でるだけで人の皮も肉も容易に削いでしまうだろう。凌辱などされれば……さて、骨すら残るかどうか。

 食い尽くされる。噛み砕かれ、胃の腑で溶けてなくなる。

 まったく冗談にならない。本当に、冗談じゃない。

 それでも……恐怖はない。あったところでそれは理由にならないのだ。言い訳は今まで散々し尽くした。十年前から今の今までずっと、ずっと。

 勝てるか否か、ではない。

 戦うか、立ち止まるか。

 目前には選択肢がある。どれを選ぶ。お前はどの道を進む。

 俺は。

 

「逃げろ!」

 

 闖入者に(かま)けて、棒立ちのオーグレス二体の向こうへ声を張る。

 キャスケットとサングラスの下、その視線がどうやらこちら向いている。唖然として。

 追われる“彼”の事情は知らない。

 何故オーガ達は彼を。何故彼はこんなところへ。わかることなどほとんどない。

 だが一つ、暴力によって彼が害されようとしていたことだけは確かだ。それだけはわかる。

 己の脳が識別した感情の色は、鬼女達の戦意、そしてなにより彼の恐怖。彼は何かしらを恐れてこの場にいる。

 ならば俺は彼を助けよう。人である彼の身の安全を確保する為に尽力する。

 その場を駆け出す。彼と、逆方向へ。

 鬼女達の視線を誘導する。

 おかしな話だが、人間は魔界人に対する視線誘導装置としてとにかく優秀だ。鼻先に垂らされた上質な肉を虎が無視できないのと同様に。

 

「おいおい」

「どこ行っちゃうんだよぉ」

 

 依然として、仔犬の悪戯を咎めるかのような口調だった。意識は向いているが、歯牙をかけるに値しない小動物扱い。

 それでいい。

 こちらを向け、その間に彼が逃げれば。彼の逃げる時間を僅かでも。

 

「鬼ごっこか? きゃっはは、洒落が利いてる」

「捕まえたら一枚ずつ服を剥ぐってのはどうだ。人界の遊びであるだろ、ほら、えーっと、野球拳?」

「だっはは! 頭悪ぃ! 最高だな。ってことだからよ……てめぇは動くな」

 

 朗らかな気色を一変させ、二角のオーグレスは槍斧を放った。

 恐ろしい風圧と回転音を轟かせ、それはキャスケットの彼の進行方向に突き刺さる。どころか、一帯を爆散させた。

 彼はこちらの意図を酌み取って、己と逆方向へ進路を取ってくれたのだ。しかし、鬼女達は視線一つくれずそれを察知していた。

 彼女らに油断がなかったことも事実だが、この場合俺の作戦こそ間抜けだ。穴だらけだ。

 

「仕事を増やすなよ。ウチらはとっととシケこみてぇんだ」

 

 徒に怪物共の怒りを買っただけではないか。

 二角のオーグレスが、彼に大股で歩み寄る。

 彼は地面に膝をついて顔を押さえていた。槍斧による爆撃で石の礫を食らったのやもしれない。

 俺の所為だ。

 

「やめろ!」

「おっと、あんたはこっち。おいで」

 

 優しい口調、精一杯に優しい手付き。一角のオーグレスが片手で俺の身体を掴み上げる。鎖骨と肩甲骨が分断しなかったのが不思議なほどの握力。

 抱き上げた一角は、うっとりと己を見下ろしたかと思うと、大きな口を開けた。虎に食らい付かれる獲物が見る最期の光景とはきっとこんなものなのだろう。

 熱い吐息。独特の獣臭さ。牙は刃物のように鋭い。

 犬歯が事も無げに上着を食い千切った。厚手の裏地、綿のシャツ、インナーまで存分に。

 胸板が曝け出され、冷えた空気に鳥肌が立つ。

 

「んあぁむっ、ん、ふ、えあ、ちゅる」

「くっ、ぁ」

 

 長い舌が胸を舐ぶり回した。キャンディーを一心に舐めしゃぶる子供のようだ。

 舌先で筋肉の継ぎ目を、骨の凹凸をなぞり、舌全体が皮膚を削り取る勢いで舐め上げる。

 味わわれている。皮脂を、汗を、肉を。

 

「あぁ……人間の汗と垢ってさぁ、甘いんだぜ。知ってるかよ。なぁ」

「や、やめ」

「あ! おいてめぇこら。なに先に味見してんだよ。鼻潰すぞ」

「うっせぇなぁ。ちょっと舐めただけじゃんか。やっぱいいわ人間……でも、なんか変った味だなぁ、あんた……舌がぴりぴりする……それに、それになんか、ちょっと寒気してきた……??」

「あぁ? わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ。ちょっと待ってろって、すぐ……」

「!」

 

 二角のオーグレスが足を上げ、地面に蹲る彼を。

 彼目がけて。

 

「やめろッ!」

 

 彼の背中を踏み付けた。俺の絶叫に彼女らを制止する効力はなかった。

 30センチを優に超える巨大な足の裏のストンプ。彼の身体、そして地面すら蹴り砕き、あえなくその姿が土中に消える。

 死。

 瞭然の死。

 羽虫のように呆気なく、一個の生命が終了させられた。

 

「これでいいだろ」

「顔を潰せ、って話じゃなかったっけ?」

「ほとんど全部潰したんだから別に変わんねぇよ。それより、お楽しみだ」

「最初はアタシでいいだろ。もう我慢できねぇよ」

「はあ? てめぇは一口目いったろうが。今度はウチの番だ。もちろん下の方な」

「仕方ねぇなぁ。一発ずつ交代な」

「あいあい」

 

 埋没してしまった彼。コートの切れ端を見詰めている。

 脳内に巡る。疑問、何故、血、理不尽、暴力、死、喪失感、過去、罪、虚無、全ては無為。

 そして。

 そして、湧き上がる。限りを知らず、燃えて盛って砕けて散る。

 烈しく、劇しく、身を焼く熱量。火。炎のような、これは。

 怒り。

 

「お? なんだ。手でも握って欲しいのか?」

 

 俺は、自身を鷲掴みにするその腕を掴んだ。到底、掴み切れない。指が回らない太さの、強靭無比、鋼鉄めいた事実鋼鉄におさおさ劣らぬ強度の剛腕。鬼の筋骨。

 怒り。

 燻り続けてきた。この腹の内で、黒く焦げ付き、ただ黒煙を吐くばかり、腐りゆくしかなかったこれが。

 赫怒が。

 

 あぁ。

 失われたものを想う。

 己の無力を知る。

 

 嘆き、失望、悲しみ。優しい感情、その尽くが。

 

 全てはこの赫怒の薪に代わる。

 

「所詮、そうなのか」

「あ?」

「お前らは、そうなのか。俺達はお前達の餌なのか。肉欲を満たす道具なのか。愛欲を満たす愛玩動物なのか……いや、それすら欺瞞に過ぎない。お前達は……」

 

 魔物とは、魔族とは。

 

「貴様らは……!」

「あ、が」

 

 握る。頑強な腕、筋骨に鎧われた腕を、ひたすら、ひたすらこの怒りのまま。

 握り潰した。

 肉が潰れ、血が噴き出て骨が突き出る。

 

「ぎ、ひぃ」

 

 血飛沫に一角を染めて、鬼女は膝を屈した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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