会社の後輩が悪魔っ娘なのだが魔族恐怖症の俺はどうすればいい 作:足洗
腕を破壊されたにもかかわらず、眼前のオーグレスの反応は敏速だった。
残った腕を使う。拳打。握り固められた鬼の拳は岩を砕く。
彼女ら戦闘民族の戦闘脳ともいうべき思考回路は既にこちらを無害な人間などとは認識していない。仔犬は牙を持つ獣であると、改められたのだ。
顔面の中心、鼻頭を狙った打突を、受ける。掌に受け止める。
重い。硬い。鋭い。
手首から先がなくなるのではないかという打撃力。おそらくはそうなっていた筈だ。
俺が正常なままであったなら。
「!?」
驚愕の気息。
それは眼前の女の唇から漏れ出た。
止まった拳が不思議なのか。受け止めたこの手が信じられないのか。
見開かれた赤い目を見返す。返すものは、怒り。
ただただ、怒り。
「ゲェアァッ!!」
「ぎ、ぃ……!?」
掴んだ拳ごと女を振り回す。その偉丈夫ごと振り被り、そうして────投げた。
俺に柔術の心得などない。また、あったところでそれが有効なのは人間を相手取った時だけだ。人外の者共に人間業はあまりに無力。
だからここに技などない。要らない。力任せに、2メートルを超える鬼女が空を飛ぶ。
ビル十階分以上の高さを飛んだ巨女は程なく岩肌に激突した。
降り注ぐ土塊と塵埃。
それを突き破り、もう一体の鬼が迫る。視界の中、肥大する影。巨体。やはり、そこにあるのは生物としての圧倒的格差。
体格差にあかせて鬼女は上からこちらを押さえ付けにかかる。
容易いことだ。圧し潰せばいい。筋力と質量にもの言わせ、矮小な人体を地面に組み伏せるなど。
伸びてくるその両手を、掴む。
「ぐぅ!?」
手四つ。組み合う。
合わせた手掌のスケール差。子供と大人。いや、赤子と巨人ほども違う。
しかし、持ち堪える。
重機がエンジンを噴かせ履帯で前進するかの猛威。勢力。
しかし、動かない。
握力は一瞬だけ拮抗し、そのまま、こちらが
「なんだッ、なんなんだお前は……ホントに人間か!? あぁぐっ!!」
「ギィィィイイッッ……!!」
言語を忘れた。
感受性を失った。
人がましさを炉に
手を握り、潰す。
鬼女が膝を屈した。
こちらこそ圧し潰す。容易い。あまりにも、こんなにも。
食い物にできるならしてみろ。蹂躙し、凌辱し、欲望の糧に。
首が、首筋の皮膚が熱い。熱傷のようだ。骨まで達して、背骨を伝い全身に灼熱が行き渡る。
火のような。
火のように熱い、この力。
これは、なんだ。
「ひ、ぁ……や、やめ、やめてくれ、頼むから」
「お前らは、お前らはそうやって、懇願してきた人間をどうした!? 何人食らった!? あぁ!?」
「ご、ごめ、許して、許して、くれぇ……!」
苦悶を漏らし恐怖に歪む。野性味を備えた美しい顔、アマゾネス、女傑、そのように呼ばわるに相応しい。実際そう呼ばれてきたに違いない。赤銅色の鮮やかな髪は彼女らの種族特有のものか。
強気と自信に満ち溢れていた瞳にはもはや見る影もない。
それでも。そんなものは、知ったことではない。
許さぬ。
許せぬ。
報いを受けろ。同じだけの恐怖と無力を味わえ。
そうして初めて。そうすることでようやく、人間は、俺達は。
俺は────満足するのか。
被害者から、加害者への転身。
蹂躙されたからし返すのか。力で屈服させられたから、相手にも同じ苦しみを与えて。
所詮はそうなのか。
俺も
「くっ、おあぁ……!」
熱い。熱い熱い熱い。
焼けつくのは、燃え盛るのは。
頭蓋を叩く。脳髄に響く。声。言葉。想いが。
────報いを。与えられた苦しみに見合うだけの報いを。奴らに裁きを
「アー、シャっ……!!」
────貴方に力を。私の愛しい、愛しい……
俺は。
目の前の女を解放した。
「ぎ、あ」
「はぁはぁはぁ……」
熱気を吹く。呼吸する度に肺に火傷を負ったかのようにひり付く。
蹲って両手を不格好に広げ、震える鬼女の後頭部を見下ろす。
俺の暴力に痛み、苦しむ他者を。
俺は、俺の最も忌むべき存在になろうとしている。
「……」
鬼女を置いて、俺はその場を歩き去った。
砕けた地面に向かう。そこにいる、踏み潰されてしまった彼の許へ。
まだ間に合うかもしれない。一縷にも満たない望み。人命救助、できるかどうかではない。
やる。実行する。
その為に生きてきた。何もしなかった過去を引きずって、それだけの為に。
進み出て、地割れのようになった地面の、その向こうに。
彼は立っていた。
「えっ」
ぼろぼろのコート、塵と埃まみれの姿。
被っていたキャスケットもどこかに失せて、サングラスは片側が砕けている。
輝くような金糸の髪。ウルフカット、と言うのだろうか。襟足がやや長く、男性的な印象を放つ。
そう、男性的。
彼は……
白い顔、煌めく睫毛、それ以上に輝かしい髪色と同じ黄金の瞳。
人外の美貌。精緻な芸術品めいた、現実離れした造形美の女がいた。
咄嗟に、何故か脳裏にアーシャの顔が過った。顔容はまるで違う。女性的な、少女のようなアーシャと、
「まったく、せっかく素直に蹴られてやったのに長々と待たせるね。君達」
「あ、あんた……」
「特によく分からないのは君だ。人間……だよね?」
「……」
返す言葉がなかった。俺に自身にしてからが、自分自身の異常が理解できない。
そうだ。俺は、何故こんな、こんなことができる。オーグレスの剛力を受け止め、あまつさえ捻じ伏せ……。
「! 後ろ!」
「!?」
「おぉぉおおおおおお!!」
空間が震えるほどの雄叫びを吐いて、背後から迫る。
一角の鬼女。左腕を潰したオーグレスだ。
振り返った瞬間にその手掌が俺の喉首を捕らえた。
「がっ、は!?」
「ひひ、ひゃはは、腕折られるなんてな。何年ぶりだ? 同族とやり合ったってそうはいねぇ。すげぇよお前。初めてだ、お前みたいに骨のある人間。すげぇいい。すげぇ素敵だ。なあ!? もっとやろう。もっと。交尾するみてぇにさぁ」
「ずぁぁぁぁあああああああああ!!」
首を掴んだその腕を下から殴る。
手先の収縮と伸長を司る最も分厚い箇所を。
肉が潰れ、血が吹き出す。
俺の拳が熱く濡れる。
赤黒く。
手が、黒く染まっている。これは血なのか。それとも、もっと別の。
「ははっ、お前」
「……」
両腕から血を滴らせ、鬼女は地に両膝を屈した。
目の前に笑顔がある。
絶妙な位置に、きっとこのまま拳を繰り出したなら。
その命脈を絶てるだろう。首を飛ばすことさえできる。
今ならば、今この瞬間、この体なら。
できる。
殺せる。
ころ────
「お前、まるで魔族みてぇだな」
「────」
女は無邪気にそう言って、白目を剥いて気絶した。
その時、二本角の鬼女が走り寄って来たかと思うと、気を失った仲間を抱え上げた。
継戦の意志は流石になく、一目散に逃げていく。
その背中が歪む。
いや、空間自体が揺動して、景色が滲む。
非現実的な地下空洞の世界は、乱れた映像効果に溶けて消えていく。
「境界の仕切りが外れたね。どこへ出るやら」
いつの間にか傍に来ていた金髪の彼、もとい彼女がつまらなそうに言った。
魔術の類の話なのだろう。なら理屈を論じるだけ無駄だ。俺のような凡人にはそれを理解する素養がない。
考えを巡らせる余裕すら。
今は。
体から力が抜ける。あれほど、異常なまでに漲っていた謎の威力が。
意識が、遠退く。
「お、おいおい。しっかりしてくれよ、僕に運ばせる気────」
声が薄らいで消える。
あえなく俺は闇に没した。