会社の後輩が悪魔っ娘なのだが魔族恐怖症の俺はどうすればいい   作:足洗

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恐怖か、憎悪か

 

 

「バスケの上手いやつで」

 

 最初に口をついて出たのは、自分でも驚くほど他愛のない記憶だった。

 ささやかで、普通で、ありふれた。

 俺の初恋相手は同じ学年で同じクラスの女子──鬼頭とは、小学校からの付き合いだ。幼馴染と言ってもいいだろう。

 

「フォームが、とても綺麗だった」

 

 3ポイントシュートを放つ時の、あの空中で静止したかのような姿が、一枚の画として彼女の姿が目に焼き付いている。

 

「俺もよく練習に付き合わされたけど、下手クソだって笑われた。悔しいからむきになってボールを捕りに行く俺を、あいつ、鬼頭は簡単に躱して抜いていく。そうするとまた余計に笑う。不機嫌な俺を見て、楽しそうに。その、笑った顔が……好きだった、ような気がする。今にして思うと」

「……」

「好きだったんだな……」

 

 俺の独白に悪魔は無言で耳を傾けていた。

 その穏やかな面差しは行儀のよい会社の後輩というより、面倒見のよい教師のようで。

 ひどく懐かしい心地がした。

 

 ──あんたは彼女とか作らないの

 

 放課後、体育館横の水道で濡らしたタオルを首筋に当てながら少女が言った。ぶっきらぼうで、どこか挑むような物言いが可笑しかった。

 ショートヘアの後ろ髪を掻き上げてうなじを晒す様に、なんだかとてもドギマギした。

 俺はなんと答えたのだったか。

 鬼頭はなんと返事をしてくれたのだったか。

 ただ、後ろから赤く染まった耳が見えて、それが茜空の所為なのか彼女のものなのかわからなくて、焦れったかった。くすぐったいような、嬉しいような苦しいような。

 鬼頭は、そうして。

 

 ──私も……魚蔵のこと……

 

 笑ってくれた。

 俺達は付き合うことになった。

 その日の晩はなかなか寝付けなかった。浮かれていたんだ。年相応に。

 そして案の定、次の日は見事に寝坊した。バスを2本乗り逃して、とっくに授業が始まってしまった筈の午前半ば過ぎ。

 担任にどやされることを覚悟して俺は忍び込むように登校した。鬼頭にもきっと笑われるに違いない。

 

 ────校舎の異様な静けさに気付いたのはその時だ。

 玄関を抜け、階段を上がり、廊下を進む。誰の話し声もしない。教室から響いてくる筈の教員の声も、生徒のひそひそ声も、体育の掛け声も、足音すら。

 いや、人影一つなかった。

 教室はどこも空っぽだった。

 誰もいない。

 誰にも会わない。

 まさか、今日は休みだったろうか。間抜けな勘違いをしてしまったのか、そう思い始めた時……音がした。

 体育館から。

 その音が何なのか俺にはわからなかった。聞いたことのない音……声。人の声、のようにも聞こえる。

 渡り廊下を越えると、それはますます大きく響いてくる。

 しかしそれは異様で、明らかに異質な音だった。

 聞いたことがない、ない筈なのに。

 それが普通ではないとわかる。粘り気があり、体内を浸食する。

 それは、身に覚えがある。文字通りに。

 常に身の内で響いている音だ。骨から伝わる音ならぬ震えだ。

 肉の収縮、体液の流れ、そして。

 体育館の鉄扉の前に立って、俺は取っ手を握った。

 音、声、叫びのような囁きのような、咆哮のような歌のような。

 

 俺は扉を開けた。

 開けてしまった。

 

 そこには、皆がいた。学校の皆がいた。一年の後輩、部活のメンバー、話したことのない上級生、クラスメイト達、担任も、生徒指導の鬼教師も、優しい養護教諭も、校長や教頭、用務員まで。

 皆、皆が。

 臭いが鼻を突いた。生の、肉の、人の中身の臭い。あらゆる液体の臭い。

 誰も彼も裸だった。体育館の隅には皆の衣類の残骸と思しい大量の布切れが山を作っている。

 そして裸の皆には、一様に例外なく、ソレらが取り付いていた。覆い被さっていた。纏わり付いていた。絡み付き、巻き付き、文字通り溶け合うものすらあった。

 ────異形。

 人ならぬモノ、魔界よりのモノ、魔界生物、魔界人……魔族。

 精悍な美貌の魔獣が、奇形なる美貌の魔蟲が、精巧無比な美貌の魔動機械人形が、恐ろしいまでに人外の美貌を備えた魔族共が。

 思い思いに人間を、人間達を捕らえ、その熱情のまま掻き抱いて。

 乱れ、交わっている。

 魔は魔として、人は獣となって、ひたすらに性を、互いに互いの肉欲を貪り合っていた。

 

 意味が。

 目の前の光景が。

 その空間の何もかも全てが俺には理解できなかった。

 そこに広がるものは俺の矮小な常識や倫理や理性の限界を超えていた。

 脳が、それを拒んでいた。

 目を通して浸透する光景と耳を犯す淫らな音色、嬌声、鼻にこびりつく淫臭、精神を犯す欲望が、坩堝と化してそこある。

 顔見知りもそうでない彼も彼女も誰も皆が。

 狂える宴に溺れていた。

 

 サバト。

 

 それは悪魔の饗する淫欲と背徳の地獄だった。

 

 ──ふふふ

 

 肉色の渦の中心には空間の支配者がいる。体育館の舞台上であたかも主役を張るその女。

 人外の美貌と異様に膨れた乳房と尻、くびれた腰付き、すらりと伸びた手足。全裸のこの世ならざる美女。

 膝の上に乗せた大柄な男を愛撫し、片手に抱いた女子生徒の胸をその長い舌で丹念に舐ぶっている。

 黒い翼膜を背負い、蜥蜴のような太い尻尾が揺れた。少女の柔肉を口淫する度、山羊に似た禍々しい角がしきりに上下した。

 ふと、青黒い虹彩が俺を見た。笑みに細まり、妖しく光る。

 

 ──あらあら、まだ人間さんがいらしたのね

 

 淫魔。

 彼女は魔界からこの学校に招聘された“二人目の”特別講師。

 皆、彼女を信頼していた。

 前任者が範を示してくれたから。魔族は恐るべきモノではない。魔族は人を愛してくれる。共存し解り合える人類の友なのだと。

 皆が信じた。信じられた。

 

 ──こっちへ来て、一緒に楽しみましょう

 

 それが、こんな。

 こんな。

 淫魔が持つ魅了の魔眼に抗える人間はいない。

 俺はよたよたとその光に、羽虫のように誘われ、体育館の中へと入ってしまう。

 狂乱の中へ喜んで、夢中になって、俺は自分の学生服のボタンを、ボタンに手を掛け。

 

 ──魚蔵

 

 彼女を見た。

 男女の別なく魔物との乱交に興じる人間、人の形をした肉色の渦の中に。

 少女が。

 あいつが。

 一糸纏わず、あの子が。

 笑顔が好きで。

 シュートを決めるあの姿が好きで。

 好きで。

 初恋の人は、無数の触手を生やした美女に全身を隈なく犯されていた。そうして、喘ぎ交じりに。

 

 ──魚蔵ぁ

 

 蕩けた顔で、蕩けた声が、俺の名を呼んだ。

 鬼頭は笑っていた。快楽の波に揉みくちゃにされながら、ひどく、ひどく幸せそうな顔で。

 触手から溢れ出す精液と愛液にまみれながら。

 鬼頭は笑っていた。

 俺は、それでも、あいつの笑顔を。

 綺麗だと、思った。

 

 ウゥウゥウウウウオオォオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

 叫び声がする。惨めな声が。

 何かを破壊され、何かの終わりを覚って。彼女はもう戻っては来ないのだと。

 光が誘う。俺に求める。淫魔の、新任の魔族の先生は愛を囁いた。

 彼女は確かに人間を愛していた。

 狂おしいほどに、愛欲の虜だった。

 俺は、ふらふらと幽鬼のように歩き、鬼頭の許へ、好きな人の所へ、歩きながら。

 胸ポケットのボールペンを取り出して。

 ペン先を出し、その先端を、自分の胸に、そう肋骨の中心に。

 突き刺した。

 夢から覚めたかったのか、夢に溺れる勇気がなかったのか。

 彼女に触れる勇気が。

 わからない。

 俺にはもう何もわからなかった。

 

 

 

 間もなく体育館に突入した対魔機動隊によって結界とサバトは鎮圧され、その首謀者たる淫魔、新任の特別講師であった彼女と、彼女の饗宴に招待された魔物達は全員逮捕された。

 とある学校で起きた集団魅了事件はほんの一時世間を騒がせ、同じほどすぐに忘れ去られていった。人魔の協調、共同参画の現代社会でその事件は明確なノイズである。揉み消しや事実の隠蔽や統制や、改竄が行われた……のかもしれない。陰謀論めいている。しかし。

 保護された俺は、二度と母校の友人達と再会することはなかった。

 彼ら彼女ら、そして鬼頭がその後どうなったのか、俺は知らない。

 

 

 ただ、胸の穴が時折痛みを発して俺に知らしめる。

 あの日の出来事が夢ではなく現実であるということ。

 人間種の短命な生において一度ならず二度までも魔のモノ共の凶行をまざまざと目の当たりにして、俺は。

 あの日、俺は、俺の中の何かは、すっかり壊れてしまったのだということを。

 

 

 俺は魔族を恐れた。

 そして、どうしようもなく魔族を……憎悪した。

 

 

 

 

 

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