会社の後輩が悪魔っ娘なのだが魔族恐怖症の俺はどうすればいい   作:足洗

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誰がための罠

 

 

 

 わからない。こんな俺の、歪みきった認知と糞のような憎悪の何が。

 何が、彼女の好意に値するというのか。

 彼女の真意がわからない。

 問い質す勇気も、ない。

 ないのだ。

 俺には、なかった。

 あの時も。

 あの時も。

 あの時も!

 

「俺には何もないんだッ!」

「……魚蔵くん」

「ぎっ、ぅ……」

 

 獣めいた汚らしい呻きばかりが喉奥から溢れる。

 彼女に言い返したい。その悲しげな、切なげな眼差しを睨み返して、彼女の間違いを正さねばならない。

 彼女の好意を否定しなければ、でなければ俺は。

 ふらふらと立ち上がり、濡れたレンガ道を行く。走る。走っているつもりになっているだけだ。

 足腰は酒精でどろどろに溶けて、意識は散逸と混淆を繰り返す。

 酔漢どころか死に体で、それでも転ぶようにして前へ。

 彼女から離れなければ。

 綺麗な人、先生、魔界から、人を学ぶ為に、人と共に生きる道を探しに来たと、はにかむ貴女。生徒達の憧れ、俺の恩師。

 ガス灯に肩をぶつけ、石垣に縋った拍子に掌が削られ擦り剥ける。痛みはない。痛みを感じる余裕すら、ない。

 暗い。街灯はそこかしこで点っているのに、周囲に満ちた闇はその程度の光、易々と飲み下してしまう。

 街路の上にぽつり、ぽつりと、離れ小島のような光の輪が続く。濃密な闇を泳ぎ渡ってはその小さな光源の中へ逃げ込む。

 逃げる。

 逃げている。

 彼女から。

 あの子から。

 俺は逃げたのだ。

 サバト。淫欲の地獄の中に咥え込まれたあの日、あの時。

 初恋の、あの娘から。

 自害して、全てから、逃れようとした。でも失敗した。無様に。

 抗うこともできた筈だ。それがどんなに無意味でも、意志を示すことはできた筈だ。

 非力脆弱短命、弱者の代名詞、呼称“人間”。人間は愛の名のもとに貪られるだけの果実。愛玩物の肉人形。

 

 ────そうやって諦めて、俺は鬼頭を見捨てたのだ。

 

 自己嫌悪の極点。

 俺は、自分自身に隠し持った真相の一部に到達した。

 その時。

 踏み出した足が、()()()

 

「な、ん……!?」

 

 泥酔者の妄想、ではない。現実だ。レンガ造りの地面がさながら液状化したかのように足を飲み込む。

 ほとんど前後不覚だった身体は突如現れた底なし沼に……為す術なく沈没した。

 

 

 落ちる。

 闇、黒、実体を持った影のようなものの中をひたすらに落ちていく。

 ここはどこだ。俺は今、何に包まれているのだろう。この闇は、本当に闇なのか。

 もし落ちる先があるとするならそれは、きっと地獄に違いない。

 自分が行くべき相応しき場所なるものがもしあるとするなら、それは地獄以外ありえないだろう。

 半ば、そう願って、遂に闇を抜けた。

 そこは────白い部屋だった。

 備品の搬入を忘れたオフィスのような内装。ただビルのワンフロア並に広く、そして天井が異様に高い。

 箱の中にいるようだ。

 いや、実際に俺は箱の中に収められている。2メートル四方、俺は透明な正方形の中にいた。

 なんだこれは。

 なんだここは。

 

「あれぇ? また一人かかった」

「一番街の沼罠(スワンプ)? 珍しいわね」

「こんにちはー、この子はぁ男の子だ!」

「成体だから男の子は可哀想でしょ。男の人! ふふ、私このくらいの子が一番好き。大人しくて従順だから」

「ちょっと! この人間、怪我してるわ」

「ホントだ!? 大丈夫? 痛いよね。すぐ治癒してあげる」

「そ、その前にすこーし味見させてよ。掌をちょっと舐めるだけ……」

「ダメよ。あんたそう言ってこの前幼体の雌を吸い殺しかけたじゃない」

「やだやだ、吸血嗜好の魔族ってこれだから」

「吸精で一人ダメにした奴に言われたくない」

「吸血種も淫魔も魔獣からすればどっちもただの意地汚い色魔だけどな」

「あ?」

「お前の臭い精気全部抜いて肥溜めに捨ててやってもいいんだけど」

「おもしれぇ。やれるもんなら……」

「やめなさい。人間くんが見てるわよ」

 

 姦しい。白衣を着た女達は己を見下ろしながら好き勝手に喋り続けた。

 女、人ではない女。

 一見して人間にしか見えない。街を歩けば振り向かずにおれないような美女達。

 だがわかる。それは肌の質感や色や、瞳の虹彩の形や瞬膜や、控えめに主張する角や尻尾や鱗の存在が証明するところだが。

 もしそういった一目瞭然の特徴を隠蔽し、完璧に擬態していたとしても、俺は彼女らを人間とは看做さなかったろう。

 己を、このガラスの檻の外から見下ろすその眼差しが、彼女らの正体を俺に教える。

 同じ。

 あの日、全校生徒、教職員を虜にした魅了の魔眼に込められた想い。狂おしい愛欲……愛しい獲物を見定める優しい捕食者の眼。

 

「恐い? でも安心して。痛いことや苦しいことはしないって約束する」

 

 グロスの赤が目に焼き付く。果実のように瑞々しい唇が笑みを形作る。緩く巻かれた長い髪は一見して黒く、しかし光の加減で深い緑の光沢を孕む。

 妖艶な美貌だった。

 触れればこちらの肉が溶かされそうなほど、熱く柔らかそうな肢体。

 ただ、鰓骨から首筋にかけて、人ではない鱗状の皮膚が覆っている。間違いない、蛇だ。それは蛇皮であった。

 

「ここは私達の仕事場。私達はね、貴方のような素敵な人間さんを日々呼び集めているの。あぁ、このケースは貴方を守る為の保護材とでも思って。外からのあらゆる魔術や呪的干渉を遮断するし、榴弾砲? なんかそういう、ふふ爆弾? ごめんね、人間さんの武器には疎くて。要するに、そんなものじゃ傷一つ付けられない。貴方の安全の為だから、これくらいは、ね」

「人間って特別脆いからね~」

「ちょっと興奮して抱き締めると簡単に骨折れちまうからな」

「蛮族が」

「脳筋は人間くんに触るな」

「んだとコラ」

「お黙り」

 

 彼女らの戯れ合いを見るともなしに見、聞くともなしに聞く。事実、分厚い透明の壁を隔てたそのやりとりは他人事でしかない。

 己の意志の介在など求められてはいないのだ。

 全ては決定している。決めるのは彼女ら。俺の生殺与奪は既に俺の手にはない。

 つまり、これは。

 

 人狩り。

 

 人間を標的とした拉致・誘拐犯。

 俺はどうやら、この魔界人達に拉致されたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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