会社の後輩が悪魔っ娘なのだが魔族恐怖症の俺はどうすればいい 作:足洗
魔界人首謀による人間の拉致・誘拐、違法な逮捕・監禁の被害は年々減少傾向にあるという。
魔界の統治機構と国連加盟国、一部非加盟国およびかの神権国家をも参じての協同作戦が発され、人間に対する超常的異能犯罪を計画、実行した者はその尽くが逮捕され、送還され、そして厳罰に処されたそうだ。
世界規模の魔的犯罪撲滅活動開始よりおよそ半世紀。両世界の融和と平和は、表向き正常に保たれている。
全てを鵜呑みにしていたつもりはなかった。魔族から人間に対する小規模な民事事件や軽犯罪は日常茶飯事に起きている。
とはいえ、今の自分が偏見と猜疑心の塊であることを差し引いても、魔界人による大規模犯罪が社会から駆逐されつつあることは誰もが認める事実だ。
だから、俺はやはり一度、認識を改めるべきなのかもしれない。自分の認知は確かに歪んで、偏ってはいるのだろうが、俺の人生が呪われていることはある種の事実だ。
二度あることは三度、の慣用句がこれほど忌まわしく思えた日はない。
そうして喉奥から苦悶と共に、今自分が置かれている状況が端的に吐き捨てられた。
「人間狩り……」
「ふふ、狩りだなんて。乱暴なことは決してしないわ。私達はただ迷子になった人間さんを保護してるだけなの」
「街中にせっせと
大柄な
茫漠とした白い部屋の中心。そこに安置された材質不明の透明な箱の中に自分はいる。
それを為した張本人達は、思い思いに寛ぎながらこちらを眺めている。彼女らは籠に収めた昆虫を観賞する子供のように無邪気だ。
「どうする? この子」
「依頼された人数はちゃんと納品できたんでしょ? じゃあいいじゃん。山分けで」
「流石、サキュバスってそればっかかよ」
「はっ、ならあんたは一人部屋の隅でマンズリこいてろ」
「てめぇの首から下擂り潰してその鼻先でこの兄ちゃんとヤってやってもいいだぜ? オカズにしろよ、好きもんがよ」
「くっさ。この部屋さっきから獣臭いんですけどぉ」
「…………」
「やめなさい。あんまりしつこいと本当にここから追い出すわよ」
「けっ」
「はいはい」
「早く決めてよ。傷口の血が固まる」
赤い目、青白い肌、色素の宿らぬ白髪、確か吸血種と呼ばれていたその少女が物欲しそうな目で俺を、俺の掌を見詰めた。擦過傷からは今も血が滲んでいた。
俺の処遇はどうやら決している。
近頃の魔界人には珍しいほど冷淡に……彼女らは俺を、人間を嗜好品として
「悪いようにはしないわ。たくさん、たくさん、愛してあげる」
「気を付けろ。このラミアさんはよ、気に入った人間は丸呑みにしねぇと気が済まねぇんだぜ」
そこに、一抹ほどの悪意もありはしない。
彼女らは嘘偽りなく言葉通りの欲望と善意と好意によって人間を拉致し、仲間達とそれを仲良く共有しているだけなのだ。
違法行為と承知して、しかし禁忌とは微塵も思わずに、その
まさしく魔物。人食いの、魔物。
「あーあ、昔はよかったよなー。もっとたくさんの人間捕まえてよ、手当たり次第にヤったり食ったり」
「人間くんを一列に並べてぇ、精子の味比べしたりぃ」
「それはてめぇらだけだよ……まあそういう好き勝手できた時代があったってのに、糞! 魔界貴族のボンクラ共が。余計なことしやがって」
「倶楽部の会員も今は2000とかそこらでしょ? 減ったよねー」
「調子に乗って派手にやりすぎた。爵位級の上位魔族達が怒り狂って私達みたいのを血眼で探し回ってる。見付かったら……ただじゃ済まない」
白髪の少女が赤く目を光らせ苦笑した。
他に笑う者はいなかった。笑える冗句ではなかったらしい。
「確かに締め付けは厳しいわ。でも、それならそれで、私達は量より質を追求すればいい」
「それなー。味見は任せてよ」
ピンクブロンドのゆる巻き髪、褐色肌を惜しげもなく晒す小悪魔的ファッション、サキュバスを体現したかのような女がケースに張り付いて俺を見下ろす。全身に這い回る視線の針。視姦、されている。
「うわぁ……やっば、この人間くん。魂に
「おりぃ?」
「へぇ」
「これ、掬って舐めたらどうなっちゃうんだろ……濃縮された人間の懊悩……やばいやばい超濡れてきた」
「一人で盛ってんじゃねぇよ色ボケ」
「わ、私が最初だからね! 一番街の沼罠は私の担当だったじゃん。はい決定!」
「勝手に決めんな。ここまで
「どっちでもいい。私、早く彼の血が飲みたい。とりあえず手首切り取っていい? しばらくはそれで我慢するからさ」
「もう、いつも言ってるでしょう。貴女達、人間さんはもっと丁寧に扱いなさい」
平和だ。
平穏だ。
頭上で繰り広げられる牧歌的で和やかな風景。会話の内容さえ脇に避ければ、まるでシチュエーションコメディーを見ているようだ。
依然として彼女らに悪意などなく、好意や愛護の精神に偽りはなく。
ただ、位相だけが違う。倫理、常識、価値基準、精神性、それら全てが微妙に異なる位相にある。
彼女らは、人間を愛好し、そして人間を使い捨てる。そこに何の迷いも躊躇も疑いもない。
魔物とは、魔族とは。
魔界より来るお前達は、結局は────
「違う……」
「ん、なぁに? 人間くん」
ペットを可愛がる飼い主の顔でサキュバスの少女は微笑んだ。
所詮、魔は人を食らうがその本性────
「違うッ!」
握り固めた拳を突き出した。
殴る、という挙動でさえない。腕の先端を透明の壁に叩き付けただけだ。
結果は極めて想像通り、無惨なもの。
半端な角度で、超常的な強度を誇るという遮蔽物に全力で叩き付けた拳、指骨は容易に砕けて、折れた骨の尖端が指から手の甲から飛び出していた。
「ちょっ」
「おいおい」
吹き出した血飛沫が、透明の壁に血花を描く。
構わない。
神経の受容可能な痛覚の限界などとうに超えてしまったけれど、構わない。どうでもいい。
拳を、拳だったものを叩き付ける。痛みを、痛みを、痛みを。
何も掴めなかったこんな手はもういらない。何もしなかった俺に相応しいものはもう痛みしかない。
この痛みと共に思い知れ、思い出せ。
あの日のお前の無力。無様を。
「お、おい、壊れちまったのか、こいつ」
「あぁあぁダメダメダメ! そんなことしちゃダメだってば!」
「あぁ血がっ、もったいない」
何ができたか、ではない。何もできなかった? それは何もしない言い訳にはならない。
好きな女の子を奪われたのだ。思い出を穢れた狂宴に堕とされたのだ。
何故、怒らない? 何故戦わない!?
俺は、怒って戦わねばならなかった。
絶望を言い訳にして、悲劇の主人公を気取って。
「今更……!」
後悔は、ひたすらに無価値だった。俺のこの痛みには、蚊の涙ほども。
滾るばかりのこの憎悪は、誰の為だ。
俺は、本当は誰が憎い。
誰を憎んでいる。
断罪すべきは誰だ。
わかっている筈だ。それはたった一人。
それは。
それは────
「……しょうがないわ。ケースを開けて。吸精でもなんでもいいから、一旦大人しくさせ────」
溜息交じりラミアの女が言い終わるを待たず。
俺が、赤黒い塊になったこの拳を振り下ろした、その刹那。
白い空間に亀裂が走る。