ぼくの立場は、きっと誰かからみれば気持ち悪いものだろう。ふと、客観視するたびに自分の行いに反吐が出そうになる。
酔った勢いとはいえ彼女を押し倒し、一晩を同じベッドで過ごした。起きた時にお互いに裸なのを認識した瞬間、きっとぼくは青ざめていたことだろう。
「お待たせ、セーくん」
「ううん、今着いたところだよ」
「……デートの定番セリフだね」
「実際、今着いたところだよ、ほぼ同じ電車だったんだから」
「でも、定番だから、なんか面白くなっちゃった」
それで二度と彼女に近づかなければよかっただろう。お互いに忘れて、一夜の過ちで終わらせれば、終わらせると強く宣言できれば大人としての体裁をなんとか保てただろうけれど、ぼくはそれから三ヶ月半が経過しても、こうしてまるで恋人同士のように彼女と休日に出かけていた。
教師である大人が子どもに手を出しておいて、のうのうと炎天下を歩きその子どもとデートをする。その言葉だけ切り取ればなにかの冗談じゃないかと思ってしまうことだろう。
「水着、どういうのがすき?」
「ぼくが決めるの? 候補はましろが選ぶと思ってた」
「そうする」
ぼくはそんな生徒、従妹であり家庭教師として教えた生徒、倉田ましろと水着を選ぶためにデートをしていた。今年は水着を使う機会が多いから新調したいという彼女の願いに応えるためのデートだが、これにはもう一つの目的がある。
「ぼくが最後に決める必要もないと思うんだけど」
「でも最初はセーくんに見せる水着だし、セーくんがかわいいって言ってくれないと」
「……似合ってる、とは言うかもね」
「私にとっては一緒の意味だから、大丈夫」
ましろの言葉通り、二人でプールに行くための水着選びという側面もある。ついにぼくも行くところまで行ってしまった、という気分だ。せめてましろが選んだ中で布面積が広いものを選ぼう、それが大人としてというより、ぼくの個人的感情に最適な選択肢だからだ。
「これもかわいいな、どう?」
「……に、似合うだろうけど」
「どうしたの?」
「これ、少し疲れるかもしれない」
──いざ選ぶ時になるとぼくは一着見るたびに妙な脱力感を味わっていた。ましろが選ぶ水着はどれもセパレートで、そうすると布面積的には下着と同レベルという図式が成り立ってしまう。こういっては情けないけど、ぼくに女性経験なんてものはなく、そういうことに対しても耐性がないのが原因だろうけど、それをましろが着てる想像をするところで精神面での負担がすごい。
「ぼくとしては、こういう一見すると服みたいな感じでいいんじゃないかと思うんだけど。ほらこれでもセパレートだし」
「こういうのは違う、私はもっとかわいいのがいい」
「これでも十分だと思う」
「違う」
水着売り場で静かな攻防を繰り広げるぼくたちを、道行く人はどう思うのだろうか。そこまで通行人の人生について考えたこともないぼくからすれば気づかないかもしれないけれど、中にはそういう邪推が好きな通行人がいないとも限らない。
「むふん、私の勝ち」
「……まぁいいけど、いざという時に水着隠せる日よけにこれも」
「もう、過保護だね……それとも、ひとりじめしたい?」
「ぼくがそう答えたら今からでも水着の露出を減らしてくれる?」
「それとこれは、別」
最後はじゃんけんをしてぼくが負けてしまったことでビキニでも構わず選ぶということになってしまった。肝心なところでの勝負事に弱い、ぼくが賭け事をしない理由の一つでもあった。
店員さんにぼくとましろの二人分の水着を手渡す。ぼくもプールなんて大学時代以来行ってないし、実家に置いてあるかもしれないがもう替えた方がいいだろうということで思い切って新しいものにした。結構痛い出費だったがしょうがない。
「ところでましろ」
「うん?」
「普通のプールとナイトプール、どっちか決めた?」
「え、えっとココ!」
「……ホテル?」
「そうだよ、流石に夜にプール入って、すぐ帰ってセーくんに運転させるわけにはいかないし」
「……確かにね」
というかナイトプールなんだね、とぼくは少し息を吐いた。都内のホテルがやってるナイトプール、有名なところでSNSにも結構上がっていて、キラキラと笑顔でましろがスマホで見せてくれるけど、ぼくはホテルの名前を調べて反対にスマホを突き出す。
「値段、結構するよ?」
「それは、お小遣いからなんとか」
「教えてくれたのは、桐ヶ谷さん?」
「……そうだけど」
「あの子はその値段を自分でポンと出せるくらいなんだから、何度行っててもおかしくはないけど」
ぼくが調べた限りでは一万円未満で六千円以上はしている。そこに飲食やサービスを受けようとすればきっともっとお金が掛かるだろう。月ノ森生らしくするのはましろの自由だけどそういう一般から乖離したところばかり真似する必要はない。
「べ、別にお金持ちになりたいとか、そういう金銭感覚に憧れてるわけじゃないもん」
「でもモニカの他のメンバーの金銭感覚に、どこかで引っ張られてるんじゃない?」
「そ、そんなことない……はず」
「モニカ組んでから出費、増えてるけど?」
「……うぅ」
意地悪で言っているわけじゃない。ましろだってこれからプロになって、そうじゃなくても有名になれば自分の口座に見たことのないお金が入る可能性だってないわけじゃないし、実際にましろの歌声と歌詞、世界観は着実にファンを増やしていってる。数年後には五千円がはした金になっているかもしれない。
──だったとしても、今のましろはそうじゃないんだ。
「な、夏休みのために……溜めてたんだもん、六月とか七月の、お小遣いとか、ライブのお金も」
「……ましろ」
「セーくんと、ナイトプール行きたくて、ちゃんと調べたのに……解ってるよ、私にとっては安くないことくらい」
「……ごめん、言い過ぎた」
だが、ましろの言葉にぼくははっとした。そうだ、浮かれているように見えたけど、ぼくが訊ねたらすぐにホテルの名前を出してきたし、最初からナイトプールに行く気だった。桐ヶ谷さんにもおそらくましろからおすすめの場所を訊ねて、返ってきた候補から自分なりに考えて決めたものだったのに。
「私……セーくんに、甘えてばっかりだもんね……このデートだって、お金、ぜんぶ出してもらってるし」
「違う、ぼくはそんなつもりじゃない」
「もう、いい……やっぱり忘れ──むぐ!?」
「ましろ!?」
完全にネガティブモードへと移行してしまったましろが決定的な一言を放とうとした瞬間だった。その口が塞がれてしまう。
何事かとぼくが近寄ったが、その後ろから顔を覗かせたのはぼくも知る──と言っても直接何か話したわけじゃないけれど、よく知っている人物だった。
「大きな声でケンカしているから、気になって入ってきてしまったわ!」
「……つ、弦巻さん」
「んん……ぷはっ、こころさん」
「こんにちはましろ、それに誠二さん、だったかしら? ケンカはダメよ?」
弦巻こころさんだ。清瀬先輩の生徒の一人であり、確実に彼を変えた人物と評してもいいだろう人物だった。なにせ誰かを嫌いになることが想像できないあの美城先輩が不貞腐れながら褒めていた生徒なのだから。
──あの子が本気でなっくんのお嫁さんになりたいって言ってたら敵わなかったよ。だってなっくん立ち直らせたの、あの子だもん。
その言葉にぼくは少なくない衝撃を受けたのを昨日のように思い出せる。
「こころさんはお買い物?」
「そんなところね、先生たちの旅行に一緒するための水着を探しているの!」
「ひとりで、ですか?」
「いいえ、日菜と紗夜も一緒よ」
日菜と紗夜、というのはあの双子の氷川さんたちだろう。どうやら今しがたやってきたということで、本来ならすれ違うところだったが、ぼくらが足を止めたせいで出会ってしまったらしい。
「どーしたのこころちゃん……あ、ましろちゃんと、イトコのヒト!」
「倉田誠二さん、よ日菜、倉田さんが言っていたでしょう?」
「セージさん! おっけーもう忘れない! 」
「それで、どうかしましたか弦巻さん」
「少し、ケンカを止めていたのよ」
「ぼくたちは別にケンカをしていたわけじゃないんですがね」
氷川さん、だとややこしいな。日菜さんと紗夜さんは顔を見合わせてから寸分の狂いもなく同時にましろに目線を向けた。ましろはというと弦巻さんの陰に隠れてしまっている。これは、完全にぼくが不利だ。というかましろもわかっていてわざとおどおどした態度で隠れている気がしてきた。気のせいだったらいいんだけど。
「……話、少し聞きましょうか」
「えー、おねーちゃんどーしたの?」
「あたしも賛成よ」
「こころちゃんがそう言いだすのはわかってたけど~」
「きっと……
「確かにね」
恋慕、紗夜さんから感じたのは憧れと思慕の入り混じった恋心だった。先輩ならこうする、というミラーリングもその感情が起こしているのだろう。
だがましろにとってはそれが救いの手だったようで、喫茶店へと連れ出されてしまった。こうなってしまえば事実上の四対一、勝ち目なんてあるはずがない。そう思っていた。
「それは、正直に言えば誠二さんのお気持ちも当然かと思います」
「……う」
「あたしもそうね、お金ってとっても大事なものだと思うわ! だから最初に相談すべきことだったと思うし、相手は大人なのだからましろを心配するものなのよ」
「……はい」
──なんと事情を知った紗夜さんと弦巻さんがぼくの肩を持ってくれた。日菜さんはそういう時はお金あるよ、よりこれって予算的にどうって甘えた方がオチるよとナナメ上のアドバイスをしていたけれど。それでほいほいお金出すのは先輩くらいだと思うんだけど。
「ましろ」
「……なに」
「ぼくは怒ってるわけじゃない、ただ、あのお金を安いと思ってほしくなかったんだ。ましろがそう思ってなければ、ぼくの早とちりだったから悪いのはぼくだ」
「……ううん、私、報告するべきこと、間違えてた……ごめんなさい」
こうして一旦場所を変えたおかげで冷静になれたのか、お互いに自分の非を認めることができた。今日ばかりはこの偶然に感謝しないといけないだろう。
それにしても、日菜さんはさておくとして、紗夜さんと弦巻さんは今井さんに続くほどに先輩の生徒としては真面目で理性的だ。そう評すると日菜さんが急に笑い始めた。
「あはは、こころちゃんを理性的って、おもしろいね」
「……本人を前にして言いたくはないですが、弦巻さんを……理性的とは、とても評せないと思います」
「いやでも、今こうして仲裁してくれましたし」
「セーくん、こころさんってすごく衝動的な、彗星みたいな人だよ」
「……彗星が衝動的というのはちょっとわからないけど」
こころさん自身も自分が理性的とは到底思っていないらしい。楽しくなったり、嬉しくなったりすると身体が動き出してしまうというのだから相当だろう。だが、ぼくの目にはケンカを仲裁してくれた時の落ち着き具合が印象に残っているから俄かには信じられない。
「いつかわかりますよ、あなたはもう、関わっているのですから」
「……ホラーの導入みたいな言い方ですね」
「ちなみにカズくんはあたしが引き合わせたせいで今ああなってるからね~」
美城先輩が嫉妬するほどの太陽を先輩に教えた元凶も判明した。同じ天文部の繋がりから関わるようになり、彼女が持っている笑顔の魔法を使えるようになったのだとか。
──確かに、あの子は魔法使いだ。あの一瞬、あのタイミングで都合良くでてきてましろの決定的な一言を塞ぐことでぼくらに入った亀裂が修復するための時間を作ってくれたのだから。
「ああいう人が、もしかしたら教師の究極なのかもね」
「じゃあセーくんが目指すのも?」
「いや、ぼくの身の丈には合わないよ。それはああやって遍くを照らすことが出来る人の特権だ」
「こころさん、太陽みたいだよね」
「そうだね」
こころさんのおかげでしっかりナイトプールについて話し合い、ぼくがお金を出すことになった。桐ヶ谷さんのチョイスは思っていた以上にしっかりしていて、コスパ、電車賃などを含めた総合評価で選んでいたようだ。商売人的な目利きがしっかりしているのだろうか、聞くところによると呉服屋の娘らしく、理由もなんとなくわかってしまった。
「でも、私にとってセーくんは、私を優しく照らしてくれる存在だから」
「……そっか」
「いつも……本当は毎日ありがとうって言わなきゃいけないくらい、感謝してるよ」
「ぼくだって……ましろがいてくれてよかったと思ってることが沢山あるよ」
「そっか……だいすきだよ、セーくん」
「うん」
どちらかが言うでもなく、ぼくらは帰り道、手を繋いで帰った。それが恋人を意識したとかではなく、自然と気づいたらそうなっていた。
──後で、ぼくの方に味方してはくれたけど、ナイトプールを否定した人は誰もいなくて、なんならぼくが払う方向に誘導されていたなと気づいた。ああいう暴論を静かに正論の中に潜ませる手口を生徒に教えるのは絶対にやめてほしい。
独自用語解説
〇正論サンドイッチ
どっかのクズが使う話術、始まりと終わりだけが正論で残りがよくよく考えると暴論なことを言ってるが案外気づかれないというもの。極論が正しく聞こえるのも相まってどっかのクズが責任逃れをしつつ説教する時によく使用する。