ましろが最近、ぼくの家に来なくなった。忙しいのだろうか、バンドで何かあったのか。心配は心配だけれど、ぼくに時間を使うんじゃないくて友人や同年代との時間を過ごす方が健全だ、という思いもあって連絡を送れないでいた。
──だいたい、連絡って何を送ればいい? バンドで何かあったとしてもぼくに出来ることはない、相談にも乗れないのに。
「愚痴るぐらいなら、素直に寂しい、会いたいとでも言ってやれよ。喜ぶだろ」
「ふざけてる、ましろがぼくから離れるならそれは喜ぶべきです」
「はっ、
頼りたくないと言いつつ結局清瀬先輩に頼ってしまったことへの気まずさや、モヤモヤした気持ちが渦巻いているせいか、酒がいつも以上に回ってしまっている。更に先輩に鼻で笑われ、上から目線の説教を食らって、ぼくは頭に血が上ってしまう。
「じゃあどうしたらいい、ぼくは教師で、あの子はまだ高校生だ、どう考えても健全じゃあないでしょう」
「──健全に生きりゃ、お前らは幸せなのかよ」
「……何が言いたい」
「おっと、喧嘩腰だな」
「アンタが、アンタが上から目線で突っかかってくるんだろう!」
おどけるような言葉、その余裕そうな態度が癪に障る。怒りが目の前を真っ赤に染めて、反射的にその胸倉をつかもうとするが思っていた以上の握力を手首に感じて手をひっこめる。
──先輩はいつもそうだ、正しくないことを正しそうな顔で勧めてくる。倫理よりも体裁よりも、自分がそうするべきだと思ったことにまっすぐだ。それがぼくには非常に腹立たしい。
「はぁ……お前はガキの強さを、青春の輝きを知るべきだな。ほらよ」
「……なんだ、これ」
だが先輩はそんなぼくの怒りすらも柳のように躱して、スマホを見せてくる。そこにはSNSの画面があり、投稿主は──TOKOという月ノ森生のインフルエンサーらしい。その投稿を辿ると、そこには間違いない、見慣れた一点の曇りもない白い髪がマイクを片手にきょとんとした顔で映っていた。
「倉田ましろのバンド、なんか上手くいってねぇみたいだな」
「──っ! 先輩、まさか知ってて……」
「ま、オレもお前に呼び出されてから収集した情報だ、知らなくても無理ねぇよ」
「……アンタはどこまで」
「さぁな、続きは自分で探してみな、少なくとも間抜けに口開けてエサ待ってるよりは大人だと思うぜ」
最後の最後まで癪に障る言い方をされたけれど、追いかけるよりもTOKOのストーリーを辿ることの方が先決だと判断した。先輩とましろ、天秤にかけるまでもない二者択一だ、あんな人、生徒に手を出して美城先輩に家を追い出されればいい。
「……クソ、夜まで飲むつもりだったのに」
独りで飲む気にもならなくて店を出る。西の空はまだわずかにオレンジ色、日は暮れ切っていない。ぼくはこの景色が嫌いだ。
──曖昧で、不安になりそうな心許ない光なのに見るものの足を止められてしまう。昼と夜の境で、一日の中でほんの僅かにしかない、景色をキレイだと思ってしまう。
「コンビニでも行くか」
この際缶チューハイでもいいと近くにあったコンビニに足を運んだ。酒に酔って失敗したというのに懲りない男だぼくも。
そこは丁度、
「いらっしゃいませー!」
「しゃーせー」
「ちょっとモカ……いい加減ちゃんと挨拶しなよ」
「してますよ~」
「してないし」
自動ドアを潜ると、明るい声音と続いて気の抜けた挨拶をされた。
バイトの店員、仲よさそうだし羽丘の子か、益体もない思考をしながらチューハイとつまみを幾つか持ってレジに置くと、灰色の髪の、明らかに眠そうな顔をした子がぼくをじっと見つめていた。
なんなんだ、ぼくの顔に何かついているのか。こちとら清瀬先輩に煽られた手前、気が立ってるっていうのに。
「……清瀬先輩?」
「え……」
「モカ、どーしたの?」
「……キミは、青葉、モカ……?」
「あ、は~い、青葉モカで~す、想像通りの人で~す」
──なんだ、ぼくは今何も言ってないぞ。
なのにどうして先輩の名前が出て、
「申し訳ありません、ほらモカ~、何したの?」
「いやぁ、リサさ~ん、せんせーのこーはいさんなんだ~と思って、思わず声掛けちゃいました~」
「せんせー……ってカズセンセー?」
「そうで~す」
青葉モカという名前は知っている。バンドグループ「Afterglow」のメンバーであり、先輩が呼び捨てにしていた生徒だ。隣のリサ、もおそらく「Roselia」の今井リサで間違いないだろう。同じく先輩が呼び捨てにしていた生徒だと思うと、ましろを守らなければという身構えを勝手に発動して、警戒してしまう。
「……あ~、せんせーから話聞いてないんですね~……あたし~、人の考えてることがな~んとな~く、わかるんですよ~」
「……それで、さっきの反応をしたってこと? バカにするなよ、ぼくらは初対面だ」
「ん~、しょーめーしたほ~がよさそーですね~」
「証明? ぼくのことを事前に先輩から聞いているとすれば何も驚くことはないよ」
「それもそっか~」
初見では驚いたけれど、先輩の関係者となれば話は変わる。さっきまでの怒りがまたふつふつとこみあげて、関係のない彼の生徒にまで八つ当たりをしてしまう。
最近のぼくはどうかしている、ましろに振り回されたせいか、情緒が不安定だ。
「じゃあ~せんせーも知らない過去とか~」
「モカ~? それ、初対面の人にするなってセンセーに怒られてたじゃん」
「……そーでした」
「申し訳ありません、センセーの後輩さん? えっとお名前は」
「……別に、名乗る必要はないでしょう。そこの子は知っているようですし、知りたければそこの人に訊いてください」
「倉田誠二さん、きゅーせーはすずがもりさん……漢字はちょっとわかんないけど」
「こらモカ」
「……だって~、しんよーしてくれないどころか~、こわーい顔されてるんですも~ん、モカちゃんかなしーよよよ~」
──鈴ヶ森、それは確かにぼくの、いわば本当の苗字だ。これは清瀬先輩にも、それどころかましろも知らないはずの名前、ぼくの今の両親と、ましろの親御さん、後は小学校の時の同級生くらいだろう。
芝居がかった、間延びした口調と眠そうな表情の下には信じる気になったか? とでも言いたげな顔が隠れていた。こんな子を導こうとしているのか、先輩は。
「センセーの大学時代の後輩さんなんですか、未来さんとも?」
「え、ええ……美城先輩のことも?」
「まぁ、アタシとかモカはセンセーの
「語るに~尽くせな~い~」
「モカは未来さんに怒られた側でしょーが!」
騒がしい、姦しいと言ったほうが正しいだろうか。美城先輩もどちらかといえばやかましい方だが、この今井リサさんと組み合わせた時の破壊力はおそらく加賀谷先輩とのコンビよりも上だろう。先輩はこの環境の中で生活しているのか、六月のカエルの大合唱が耐えられないように、ぼくには絶対に無理な環境だ。
「……今井さんにとって、先輩はどんな先生ですか?」
「テキトーで不真面目なセンセー、って後輩さんの前で言っていいのかわかんないですケド、アタシはそのテキトーで不真面目なところに助けられるから」
「そうですか……あの人らしい」
「モカちゃんには~?」
「キミはなんて言うのかなんとなくわかります、先輩を語る時の顔、ぼくは似た人を知っているから」
「……へ~」
想い届かない顔、それでも傍に居続けて想い続ける顔、ぼくはそんな人の横顔をたくさん見てきた。密かな憧れ、恋にも満たないぼくの青春時代だ。
──これだけ思考すれば伝わっていることだろう、どうやらエスパー染みた能力をお持ちのようだから。
「ああそうだ、それから最後に一つだけいいですか?」
「なんですか~」
「ましろ、倉田ましろという子と知り合ったら、その時はよろしくお願いしますね、ぼくの従妹ですが、月ノ森に通っているので」
「任されました、ありがとうございましたー!」
どちらも先輩に繋がりかねない生徒ではあったが、その中でも今井リサさんの方は終始周囲に目端が利いている雰囲気がした。派手な見た目に反して細かいところにまで配慮の行き届くタイプだと判断してましろの名前を出しておいた。
これからましろが「CiRCLE」に顔を出すことが増えるのならば知り合うチャンスもあるだろう。彼女にならば伝えてもよさそうだと判断したまでだ。
「あれが……先輩の生徒か」
個性豊かで、色とりどりだけれど調和のない不揃いな花だ。
そんな花たちの太陽として、手を差し伸べて背中を押す。あの人のやりそうなことだ、キレイごとで、どこまでも正しい、倫理観などに縛られない正義だ。
──だからこそぼくは、先輩のやり方を非難する。ぼくが目指すのは秩序ある正義、社会通念によって形成される「大衆の正義」でありキレイごとや夢物語とは違う現実的な落としどころのあるものが正しいものだと信じている。
そもそも、周囲の人間は先輩に甘すぎるきらいがある。だからぼくくらいは逆張りでもなんでも、先輩の教師観に待ったをかけるべきだという使命感も少しは入っている。
「そもそも陽の下を歩けるような教育をすることが絶対的な正義であり教師としての大前提だというのに……いやもう陽の下を歩けないのは、ぼくの方か」
美城先輩が許している、ということは多くは語らないけれど流石の先輩も最後の一線、ぼくが酒の勢いであっさりと越えてしまった行為はしていないということになる。すると、ぼくは先輩以下のクズか。大衆の正義などと言っても、一番後ろ暗いのはぼくの方なのか。
家に到着し、鍵を捻ったがどうやら閉まっていないようで、反応がない。開けっ放し? いやぼくは鍵を閉めたはず、その時の記憶が蘇りならばとドアノブを回し引けば、そこにはすっかり見慣れたローファーが乱雑に脱ぎ散らかされていた。
「……ましろ?」
だが電気は点いておらず、真っ暗闇で。ぼくは嫌な想像をしてしまう。ましろは時折合鍵でぼくの家へやってきた時に鍵を閉め忘れてしまうし、さっきもそうだった。だとすると何か犯罪に巻き込まれていて、脱ぎ散らかされた靴もそのせいなのでは──と、慎重に、電気は点けずに足元に注意しつつ進んでいく。すると廊下で何かを踏んだ。
「……っ、せ、制服」
それは見間違えるはずがない、月ノ森の制服、紺色で白のラインが入ったプリーツスカートだった。少し先には淡い紫がかったスカーフ、更にスカートと同じ紺色のセーラー服、嫌な想像が、現実味を帯びてぼくの背中を冷たくする。杞憂だという気持ちを覆い隠すように疑念の分厚い雲が空を埋め尽くしていた。
ましろ以外の靴はなかった──いや、もう逃げた後かもしれない。
ただ着替えただけかもしれない──流石に男の家で服を脱ぎ捨てるほど、無防備でもない。
急いでお風呂に入らなければいけない事情があった──じゃあなんで全部の電気が点いてない。
杞憂であってくれ、と願いながら廊下とリビングを区切るドアの前に立つと僅かに人の気配がする。テレビモニターの前に置いてあるソファあたりだろうか、ぼくは小さく息を吸い込んで、吐き出してから意を決してドアを開ける。電気を点けた。
「──ましろ! まし、ろ?」
「あ……おかえりなさい、セーくん」
そこにはやはり、ましろしかいなかった。だが当の彼女はぼくの部屋にあったであろうタオルケットを頭から被って、ソファの上で小さくなっていた。
表情は見えないが声にも覇気がない──むしろ涙声だ。ぼくは全身から汗が噴き出るような焦燥と怒り、後悔、色んな感情がごちゃまぜになって声が出なくなる。
「ごめん……散らかってた、よね……男の人の部屋なのにって怒られちゃう……」
「い、いい……ぼくが拾ってきたから……き、着替えとかは?」
「あ……えと、体操服、持ってるから、玄関の方にカバン……置いてきちゃったけど」
「わかった取りに行ってくるから」
あの時暢気にコンビニなんて立ち寄らなければ、あの二人に呼び止められるまま話をしていなければ、先輩を呼び出してご飯なんて行かなければ、ましろにもっと早く連絡していれば、もっともっとぼくには何かできたはずなのに。
後悔は先に立たず、教師観を曲げてまで向き合って守りたかったはずの少女は、悲しんで、苦しんでいる。
──こんな気持ちに、こんな後悔をするぐらいなら、確かに先輩はある意味で正しいのかもしれない。ぼく自身の正義なんてクソ食らえだ。今のぼくにはましろと向き合わなくちゃいけない。彼女を教え、導き、誰かの手に譲るとしても幸せにしてやりたい。
或いは、ましろを悲しませる全てを──ぼくが取り除くんだ。
次回、シリアス回、ましろに何があったのか!