結末としては、ましろは別に見捨てられたわけでもなんでもなく、後ろ向きなところにムカっときた「TOKO」──桐ヶ谷透子という少女と言い争いをしてしまっただけだった。無事に立ち直ったましろは、四人から五人にメンバーを増やし、偉大な先輩たちの演奏に影響を受けて自身のバンドも「Morfonica」と名付けた。
「Morfonica?」
「うん、変わりたくて始めたから、
「いい名前だね、ドイツ語と英語?」
「うん」
ましろは嬉しそうな笑顔で、この間の陰鬱な、思いつめたような表情なんてまるで最初からなかったかのように学校で何があったのか、どんな練習をしたのかと報告してくれる。まだまだぶつかることも多いみたいだが、ぼくからすればぶつかることが悪いことじゃないと思ってしまう。
「大人ってそういうもの?」
「みんな違う人間だからね、自分を偽って取り繕うより、ぶつかった方がいい結果を導くこともあるんだよ」
「……でもそれは、隠してた自分を相手に見せちゃうことになるんだよね」
「そうだね」
簡単に言えるが、簡単にできたら苦労はしない。そしてあんまりぼくがしたり顔で言えることでもない。大人は簡単にぶつかることができないからこそ、その大切さを理解していると言ったほうが正しいんだろうね。
「……どうしたの?」
「いや……月ノ森の制服姿のましろも、見慣れてきたなと思って」
「新鮮な格好した方がいい?」
「そういう意味じゃないよ、月ノ森生になったってことかな」
月ノ森女子学園は伝統を重んじ、その学び舎に通うこと、学校の名を背負うことへの自覚と誇りを持てと教えられる。随分形骸化しているが、本来学校に通う子どもに服装の統一を義務付けたのもきっと似たような理由だろう。
行動には責任が伴う、大人になって制服を脱いでも別の組織に所属しているわけで、それは変わらないから。
「まぁぼくはそれが正しいとも間違っているとも言わないけれど」
「そうなの? セーくんならそれが社会だから、って言うかと思った」
「教師としてはそう生徒に教えるよ」
正しかろうが間違っていようが、社会がそういうものを求めているのだから、ぼくはそのまま伝えるだけ、それが教師としてのぼくの責任だからね。自由に、個人主義を理想としていてもそれを教えるのは無責任というものだ。
「ぼくの大学時代の先輩は」
「また先輩だね」
「……その人はきっと、ぼくとは違うことを言うだろうけどね」
「その人も先生なの?」
「うん、と言ってもぼくと先輩じゃまるで違うから」
ぼく自身も教師としてのあの人を詳しく知っているわけじゃないけれど、そうだな──所詮、生徒を都合よく管理したいっつう体裁でしかねぇだろ、学校は監獄でオレらは看守、囚人がやらかすのはオレらの責任問題だからな。こんな感じだろうか、とっても言ってそうだ。
「……なんか、えっと、変な先輩だね」
「学校嫌いだからね」
「先生なんだよね?」
「そうだよ、ちょっと言動がアレでも教員免許持って、学校側に雇われてしまっているからね」
そんな大人には近づいてはいけないということをましろにも伝えておく。まさか月ノ森にまで頭がおかしい教師がいるだなんて思いたくはないけれど、男性教諭がいるなら特に気を付けてほしいところだ。
「ヤキモチ?」
「違う、世の中には婚活市場か何かだと勘違いしている男も居るってこと、チヤホヤされて好かれたことでホイホイと手を出すような愚かな教師がいないわけじゃないから」
「……セーくんのこと?」
「違う……とは言えないのか」
チヤホヤされてはいないが少なくともましろに好かれているし、ましろに手を出したのだから概ねぼくもその愚かな教師の仲間入りか、先輩がその枠から外れているというのも妙に納得がいかない。
「そうだ、セーくん今度、CiRCLEに来てほしいんだけど……」
「ぼくに?」
「うん、ライブするから……まだまだだけど、セーくんに一回でいいから今の私を知ってほしい」
「……わかった、その日は空けておくよ」
「うん!」
ぼくにとっての唯一「特別な生徒」と位置づけをするましろの成長というのは大いに興味のある事柄だ。音楽のことは残念ながら専門外だけれど、ちょっとした感想くらいなら伝えられるだろうし、それがましろのモチベーションになるなら積極的に関わるべきだ。
「ただし、条件もあるからね」
「な、なに……?」
「中間テスト」
「……う」
「バンドで忙しかったとはいえ、結果は芳しくなかったね」
「……はい、勉強さぼってました」
ぼくもその間あまりましろと会えなかったから見てあげられなかったけれど、そういえばと見せてもらった結果はお世辞にもいいとは言えなかった。元々背伸びをして入った学校だ、上位者に名を連ねろとは言わないけれど、どんなに忙しかろうと平均点くらいは取ってもらわないと、
「だから見直しはきっちりするから」
「……はぁい」
「これからバンドの練習が終わった後でもいいから一週間に一回か二回、二時間はウチに来て復習と苦手の対策をするから」
「わかった……個人塾だね」
「嬉しそうだね、もっと時間増やそうか?」
「やだやだ、ごめんなさい」
全く、と溜息を吐く。いけないな、ぼくも受験期より少し甘くなっている気がする。気が抜けているのかな、あれほど追い込む必要はないけれど、今一度先生と呼ばれていた頃に戻らないといけない。
「それとまだあるよ」
「まだ、あるの?」
「難しい条件じゃない、きっとバンドメンバーに紹介する時が来るだろうけど、ぼくのことはあくまで従兄として紹介すること、家に通ってるだのデートに行っただの、ぼくを話のネタに恋バナもなし、あくまで親戚のお兄さんくらいで」
「うん……わかった」
これは申し訳ないけど譲れない。お嬢様の集まりとはいえ相手は女の園にいる女子高生だ、当然恋愛という刺激的な話題には飢えているだろう。いやお嬢様で女の園であるから余計に飢えている部分は絶対にある。そこにましろが特大の燃料を投下すればどうなるか、言葉通り火を見るよりも明らかだ。
「それを約束したら、バンド観にきてくれる?」
「うん、約束してくれたらぼくも約束する」
「約束ね!」
約束して、いつものようにましろを家の近くまで送っていって、ぼくは家に帰ってお風呂に入り、ましろと少しだけ電話をしてから全てを後悔することになる。
──原因は電話での会話だった。
『あ、そうだセーくん』
「どうしたの?」
『お母さんにね、テストちょっと悪かったから、セーくんちで勉強教わることになりそうって言ったの』
「そっか」
元々バンド練習があってそこから二時間となると相応に遅くなりそうだし、相談すべきだったなと胸の奥でそっと自省しているとましろは嬉しそうな声でぼくの言ったことをちゃんと伝えてくれたこと、そしてその返事が告げられた。
『遅くなるなら泊めてもらえるよう交渉してみたら、カレシでしょって』
「カレシじゃないよ?」
『お母さん、私に手出したの知ってるよ?』
「……そうなの?」
『そりゃあ、朝帰りどころかずっと帰ってこないんだからそうなるでしょ』
「ましろが否定すればよかったんじゃ?」
「……えへへ」
──ぼくは、そこでそっと頭を抱えた。泊めてもらえるよう交渉すれば、じゃないんですよ。というか娘さんをもう少し大事にしては如何でしょうか。
義理の叔母がぼくをめちゃくちゃ信用してくれているのはわかる。娘を預けたくらいだ、話題には出てこないが叔父も同じだろう。だけどぼくはましろに手を出したことを知って泊めるのをあっさり許可するのはまずいだろう。しかもぼくはこのままじゃ暢気に二ヶ月近く挨拶にも来ない最低カレシじゃないか。
「なるほど、これが言動には責任が伴う……ってことなんだな」
『……セーくん?』
「いや、その勉強会の話はぼくから直接話させてほしい、状況が状況だからね。その方が筋は通ってるだろうし」
結構後手だけどね、とは言わないが。
迂闊な話をした。相手は一応義理とはいえぼくはちゃんと正式に養子として戸籍上での親戚だ。親の兄弟の娘に手を出しているのはかなり迂闊だけど、それがバレないと思うほうが間違っているのだろう。というか親に隠すのはまずかったのでましろの判断は正しいことになる。
『わかった、それをお母さんに言っといたほうがいい?』
「いや、ぼくから連絡するよ、それも筋だ」
『はーい、あ、お風呂入るからもう切るね』
「うん」
『……お風呂で電話してもいいけど』
「長風呂はやめたほうがいいよ」
『ビデオ通話とかしちゃって』
「それ、ぼくの立場が悪くなるから」
やるとしてもそれは叔父叔母と話をしてからでお願いしたい。
──はぁ、こんなクズみたいなことをしていると先輩ならどう切り抜けるのか、どういった行動をしていたのかというアドバイスというかあのくどい長話を聴きたくなる。
『んで電話してくんのか』
「ぼくとしても自分がこうなるとは全く思っていなかったので、混乱しているのだと思います」
『じーたーらしいね、それで、生徒に手を出した時の対応、だっけ?』
『流石のオレもんなことは想定してねぇよ、けど経験上だと卒業してから打ち明けたな』
一瞬だけコイツやっぱりやってたのか、と思ったけどこれはおそらく
彼が教員を目指した理由も、きっとそこにあるのだろう。
『いーんじゃない? お母さんがその調子ならいっそきちんと付き合った方が誠実だと思うな、せーじだけにね!』
『……みみ、流石に誠二もキレると思う』
「キレませんよ、ぼくをなんだと思ってるんですか」
しんと静寂が訪れる。その沈黙はまるでお前、オレの前ではキレたじゃんとでも言いたげな空気を纏っていたけれどぼくはそんなこと知っちゃことじゃない。
とにかく、美城先輩の意見も一理ある。ずるずると同棲だけして結婚しないというのも親を心配させるでしょうし、それと同じことなんでしょう。
『うぜぇ遠回しな皮肉だ──』
『──あ、わたしたちも結婚するよ』
「……え」
『内緒にしてたけどね、引っ越したら結婚しよーって決めてたんだ、そろそろ子どもほしーねって話もしてたし』
「それは……おめでとうございます?」
突然の、すごくなんでもないようなカミングアウトに頭が真っ白になってしまった。そうか、六月だもんな。ベタな日付を選ぶところが先輩たちらしいといえばらしいのか。
ただなんというか妙な寂寥感があった。加賀谷先輩と荻原先輩の結婚式をきっかけとした集まりがなくなるわけもないのはわかっているけれど。
『あ、ましろちゃんとやらもちゃーんと式に連れて来てよね!』
『浮くかどうかは心配しなくてもいいぜ、オレもみみも自分の生徒招待する気まんまんだからな』
二人らしい言葉に、ぼくはわかりました、としか言えなかった。
──あんな子どもっぽかったバカップルも、大人になるんだなと思うと同時に、あの二人のくだらないやり取りを間近で見てからもう八年になるのかという時間の流れを否が応でも感じさせられた。
「ましろ? ごめん急に」
『もしもし、大丈夫』
「実は──」
ぼくは二人との会話を終えてすぐにましろに今、電話しても大丈夫? とメッセージを送った。返事はなく、既読になって数秒後には電話が掛かってきてスマホに耳を当てて、その声に少しほっとした。
『わかった……結婚式かぁ』
「ごめん」
『ううん、セーくんの先輩、ちょっと気になってたし』
「新郎さんには近づかない方がいいよ、クズだから」
『そんなこと言って』
「とにかく、無理そうなら断ってくれていいからね」
『大丈夫』
こんな形で清瀬先輩にましろを紹介することになろうとは前は思いもしなかった。
いやそもそも、ゼミの先輩たちとこんな年になってまで付き合いがあるとは全く思ってもなかったな。先輩は八方美人だから卒業して忙しくなったらすぐ別れそう、だなんて失礼なことを考えていた時期もあった、なんなら清瀬先輩が卒業した日にひと悶着あって別れそうになっていたことも加賀谷先輩から聞かされて、じゃあ時間の問題だななんて考えていた。
『セーくん、どうしたの?』
「いや……不思議な縁だな、と思ってさ」
『大人になってからも続く友達は凄く大事……セーくんなら私にそう言うと思う』
「言うね、ぼくもそう思うよ」
『だから私、どんな人だったとしてもお話、してみたい。セーくんにとって大事な人だから』
「……わかった、ぼくももう止めないよ」
──ましろと話していて、きっとぼくは先輩たちを羨んでいるのだろうということに気付いた。それは学生時代にカノジョもできずに二人のようなキャンパスライフを送れなかったことが理由でも、そのくせぼくが片想いをしていた相手にも好かれていたことが理由でもない。
ああしてまっすぐ、二人で同じ道を進めていることが羨ましい。太陽のような輝きで自分の未来を、明日を照らして進んでいける二人がぼくには眩しくて。だからぼくは生徒が迷った時に輝いて明日を示していけるような教師になりたいと思ったんだ。
「おやすみ、ましろ」
『おやすみセーくん……あのね』
「ん?」
『だいすきだよ、ずっとずっと』
「……ありがとう」
結婚、というきっとましろにとっては遥か未来の、まだ方向もわかっていないくらい先の話で、だが憧れがあるのかそんな夢見心地のまま、想いをストレートな言葉に変換される。
──いつか、その相手は変わるのだろうか、それとも、ぼくがそれに対して想いを返せる関係になるのか。そうなったらぼくらも、そう考えたところでぼくも熱に浮かされていることに気付いて頭を横に振ってベッドに倒れ込んだ。
意識が沈む中、見た夢はそんな浮かされた熱の続きだったことは言うまでもなかった。
変化の対象はセージではなくましろ(とよくわからんモブ二人)でしたー!