⑧邂逅
先輩たちの結婚式も終わり、七月となった。二次会では散々な目に遭ったからもうしばらくあの人たちには近づきたくない。特に期末テスト期間は大小あるがいつもの授業よりは教師が暇になる。そうなれば当然、飲みに誘われることもあるだろう。やっと結婚したのだからしばらくは水入らずでイチャイチャでもしていてほしい。
「だけど、そうならないのがあの人たちの困ったところなんだよ……」
「それだけ聞くといい先輩たちだよね」
「それだけならね」
ソファで隣に座り、スーパーに売っていたチーズケーキをフォークで分けて、小さな一口を口に運んで幸せそうな顔をするのは、勿論ましろだ。
ぼくの迂闊さで許可してしまった週二の
物欲に走ると思っていた、正直今のようにスイーツやお菓子という手で済むと思っていたのに、彼女は身体的接触を迫ってきた。最初はハグ、次はキスとエスカレートしてきたためぼくはそれ以降の身体的接触をご褒美の内容に含むのを禁止した。
──危機感の理由は勿論、期末テストがいい成績だった場合に、最悪の可能性があることだった。
「これで期末は問題ないと思う」
「ん、えへへ……好成績だったらご褒美は何にしようかなぁ」
「あんまり高価なものはやめてね」
「お金が心配なら……えっちなことでも、いいよ?」
「十万までは出す、欲しいものなんでも言ってくれ」
「冗談だよ……ドーナツいっぱいとか、アイスいっぱいとか」
「それくらいなら」
まぁ現状は捕らぬ狸の皮算用だ、ましろはケアレスミスもするし、慌てると次の問題も崩れていく。どうやらそういうところもテストで試されるような問題の出し方をするらしい、というのは中間テストの問題用紙で察知することができた。ぼくの働いている高校よりもレベルが上だから、少し苦労することもある。
「セーくんって高校の、社会の先生だよね」
「専門は歴史だけど、どうしたの?」
「いや……全教科出来るんだなぁと思って」
「あのね、ぼくはこれでも月ノ森に比べれば大したことない高校出身とはいえ、それでも成績が特進のトップをキープし続けてきた、それがぼくの青春時代だ」
「……すごいけど、なんかすごいね」
成績キープはすごいけれど、言葉にし難い虚しさがある、とましろは言いたいんだろう。言いたいことはよくわかる。正直大人になった今なら、あまりに余裕のない三年間だったと言わざるを得ない。別に一位に拘る必要なんてなかった。そんなことをして、独りで周囲の空気全てと戦ったって、得るものなんて何もなかったんだから。
「そういうことだから、思い出しさえすればまだ月ノ森でも通用すると思うよ」
「えへへ、じゃあ頼らせてもらうね」
「そこはどんどん頼って」
屈託のない、無垢な笑顔を向けるましろにぼくも素直な笑顔を浮かべる。
思い返せば、誰かに笑顔を見せるなんて、高校時代はしてこなかった。笑えるようになったのは、あの人にこてんぱんにされてからだ。
──チャラチャラしていて、皮肉と遠回しな長話が多くて、カッコつけで。そのくせ突っかかっていったぼくのプライドをへし折ってきた。
「そういえば、清瀬さん夫婦と、何か予定できたの?」
「……聞く?」
「気になる」
「夏休みの間に、新婚旅行に行く予定を立ててる……まぁこれはいいことでしょう?」
「そうだね、ハネムーンだもんね」
そこまでは自然な運びだ。なんの問題もないし、ぼくも素直に楽しんできてくださいと言える。ここまではね。
──だがあの人たちはどこまで行っても、自分よりも他人を優先しがちというか、誰かを照らすことばかり考える。
「ハネムーンに、ついて来ないかって」
「え、えぇ!? そ、そういうのって夫婦水入らずなんじゃ……しかも新婚さんで」
「本当にね、でもどうやら式に招待した生徒を誘ってるみたい」
「……どういうこと?」
折角のハネムーン、バカンスだからおすそ分けとかそういう発想だあの人たちは。なんでも生徒の中に今回のハネムーンの旅費等云々を全て賄ってくれるんだったか、そういう感じのパトロンの娘さんがいるようで。その子もちょっと変なんだろうっていうのは想像に難くない。普通は遠慮するからね。
「お金持ちってこと?」
「うん、確か……どうせならみんな笑顔になれるハネムーンを、だったかな」
「こころさんだね、絶対」
どうやら「ハロー、ハッピーワールド!」の弦巻こころさんがそういうタイプらしい。じゃあその子とあの夫婦のシナジーは超ド級だろう。誰かを照らす太陽の輝き、ぼくらには時折理解できない高さでものを見ているようにすら感じる。
「じゃあ、あのメンバーも……?」
「ぼくが聞いた限りじゃ──」
名前を伝えていく。ましろが憧れる戸山香澄さんや他にも参加しない人はいるみたいだけど、概ねあそこにいた子たち、ということになるだろう。
予定では八月初旬とのこと、丁度夏期講習も終わった頃だろうな。だってぼくも同じくらいだからね。
「私も、誘われてるってこと?」
「うん……なんなら友達も、らしいよ」
「え……じゃあモニカを? でも……セーくんが」
「それこそ、今度のライブでぼくが挨拶する意味が出るんじゃないかな?」
「そっか……そうだよね!」
ましろはパッと笑顔に変わった。
きっと、先輩たちの想定通りではないだろうけど、ぼくは先輩たちの邪魔をするつもりなんてない。だけど生徒を、子どもたちを導きたいというどこまでも教師な二人が間違っているとは言わないし、ましろにとっても色んな刺激になるだろう。そういう意味で、ぼくはましろを送り出すと決意した。
「まずはバンドの子たちに挨拶しておかないとね」
「う、うん……でも、あの……びっくりしないでね」
「びっくり?」
「なんか色々と、びっくりしちゃうと思う」
ぼくはその時はましろの言っている意味がわからなかった。お嬢様ばかり集まる学校で、ましろ以外の全員が幼稚舎から、つまりは月ノ森という箱庭に入ってもう十年目となる筋金入りなのだから、そういう意味でのびっくりなのかなと思っていた。
「あたしは桐ヶ谷透子、ヨロシク、おにーさん!」
「広町七深です~、フツーの女子高生で~す」
「わ、わわ私は、二葉つくし、って言います! ましろちゃんがいつも、ええっとお世話になってます!」
「……八潮瑠唯です」
──まずは月ノ森でバンドを組もうということそのものが異端だということがすっかり頭から抜けていた。ぼくの学校の女子も結構バンドの話をすることが増えてきているから、麻痺していたけれど、色んな意味で「月ノ森らしくない」子たちばかりなんだ。全員制服でなければ月ノ森生とは思わないだろう。
「……全員、同い年なんだよねましろと」
「うん」
「……倉田誠二です、高校教師をしていてましろの従兄です」
苦労してそうだ、学校の先生方とか。少し同情してしまうのは、桐ヶ谷透子さんの異質さがまず表に出るだろう。彼女だけは事前に知っていた、なんせインフルエンサーの「TOKO」なのだから、人となりは投稿から多少の察しはつく。
後は何を考えているのか読みにくい広町七深さん、そして八潮瑠唯さん、それに反してましろより小柄な二葉つくしさんはなんとなくどういう子かはつかめた。
「つか従兄とはいえ似てなすぎじゃね?」
「透子ちゃん! 疑うのはよくないって言ったでしょ!」
「つーちゃん……」
「疑う……か」
どうやらぼくはこの女子高生たちに「本当にただの従兄なのか?」と疑われているらしい。いや多分そもそも親戚ってことにしてるけど実は陰で付き合ってるくらいの認識だろうか、恐ろしいことに半分くらい否定できないのがつらい。少なくともぼくとましろはただの親戚ではないということはこの間言葉にしているのだから。
「似てないのも無理はないよ、なにせぼくは両親と血が繋がってないからね」
「え……それって……養子ってことですか?」
「うん、本当の両親はぼくが小学生の頃に事故で亡くなったよ、そんなぼくを引き取ってくれた父が、ましろのお父さんと兄弟ってことなんだけど」
「……桐ヶ谷さん」
「なんだよルイ」
「貴女、迂闊に踏み込んではいけない話に踏み込んでいるわよ」
「あっさり話してんだから別に……」
「せー……いじさん、この話あんまりしたがらないよ」
ましろの補足に流石の桐ヶ谷透子さんも言葉を失った。別に、ぼくは話したがらないだけでこうしてましろとの関係を疑られなければすんなり明かすよ。それこそ初対面でいきなり旧姓を言い当ててこなければね。
まぁましろとぼくの関係なんて探られると痛い肚でしかないわけだから、こうして跳ね除けるという意図も十二分にあるけれど。
「ごめんね……色々」
「ううん、悪気があったわけじゃないだろうし、ましろのことを大切に思ってる証拠でもあるから。ぼくとしては良き仲間に巡り合えたことに安堵しているよ」
「でも、セーくんの……昔の話は」
「──あの場面、別にいつもの呼び方でもよかったよ」
「……そ、そっか」
帰り道、助手席で申し訳なさそうにするましろを慰めるというか、フォローする彼女の意図を汲んであげていた。
実のところ、ぼくは鈴ヶ森誠二という自分の本来の名前にしっくり来ていない。もう二十年も倉田誠二で通ってきているし。だからか知らないけれど、昔の話は苦手だ。どうにも別人という感覚すらあるのだから。
「セーくんは、セーくんだよ。私がすきになった人は、セーくんだもん」
「……そうだね、ぼくはぼくだ。そこはきっと変わらないんだろうね」
「そろそろ、着いちゃう」
「ましろ?」
「この時間が、一番寂しい」
ましろの家に近いところまで来ると、そんなことを言って、ぼくを困らせてしまう。まるで恋人に向けるような眼差し、それをまっすぐに受け取ることはできない。
──だって、こんな曖昧な関係のままもうずっと過ごしてる。あっという間の数ヶ月が、ぼくにとってはずっと苦しい。
「それじゃあ、おやすみましろ」
「うん……また、勉強の時に」
「うん、期末テストも頑張ってね」
「……テストが楽しみって思えるなんて思わなかった」
テストは自己採点をする約束をしている、つまりは毎日家に来るということでもあった。
こうやってどんどん、ましろによってパーソナルスペースを狭められている。嫌だとは思わない。彼女と過ごす時間は心地よくて、屈託のない笑みを向けられることが嬉しくて仕方がない。
だからこそ、ぼくはこの曖昧な関係が苦しい。白なら白、黒なら黒、ハッキリさせてしまえばいいのに。
──きっとぼくは逃げているんだろう。ましろのためとか、責任を取るという言葉で誤魔化して、いたいけな十代の少女を誑かして傍に置いている。そのくせ、本当の意味で責任は取ろうとしない。恋人とか、その先を考えさせることはしない。中途半端で、曖昧だ。
「……すぐに飽きる、なんて思ってた」
誰もいない車の中で、本当のぼくが目を覚ます。教師なんてとても言えないほどに無責任で、ましろに手を出すような最低な男、それが本来のぼくだ。
ハッキリするなら手を出せばいい、ましろはそれを望んでるフシすらある。事あるごとにキスやハグをねだってきて、こっちが隙を見せると女の顔で誘ってきてくる。ぼくが我慢してることを知って、幼さのあるツラからは想像できない程に完成している身体を押し付けてくる。それを望み通り食い散らかしてやればいい。そうして愛を囁けば、曖昧な関係に決着をつけられる。
「それは、違う」
ぼくは大人で、教師だ。どんなにぼくの本能がケダモノだったとしてもその理性の線は越えちゃいけない。
──ましろは極端に人見知りだった。いや、自分を否定されるのが怖くてずっと殻に閉じこもっていたんだ。偶々、その殻を開く魔法の言葉をぼくが推測できたというだけで、彼女は初めて開けられた殻の中から目に入った人に付いてきているだけ。
これから沢山の人と出逢い、触れて、笑って、泣いて、怒って、そうすればぼくに感じていた特別も薄れて溶けていく。
「それで……いいんだ」
ぼくの存在意義はそれでいい。教師は所詮、一時の青春時代では写真の向こう側にいる存在でいずれは顔も、声も忘れていくだけ。ぼくだって高校時代の教師の顔と名前と声を思い出すことなんてできない。みんなそういうものだろう。
──頭の中にずっと居座る「それならぼくはどうなる?」という疑問が離れずに、ぼくはその日、中々寝付けないでいた。
「まずいな……家で作業したら絶対に寝る……まだ授業内容纏まってないのに」
そのせいで翌日は就業時間ギリギリ、昼はほぼ寝落ち状態でロクに食べることもできずに放課後になってしまった。
ぼくは残業でも直帰でもなく、どこかコーヒーや甘味を味わえる喫茶店を求めていた。その方が作業効率は上がるだろう。
「……こういう時も、あの人頼りか、情けない」
でもぼくは普段あまり喫茶店には立ち寄らない。飲み物は極力、自分で淹れたものにするかコンビニで売っているペットボトルや缶ばかり、そこまで繊細な舌は持ち合わせていないと自負しているくらいだ。
──それに対して清瀬先輩、あの人は大学時代から時間があると近くのカフェに居座っていた。時折ゼミをサボって、ぼくと美城先輩が一応と覗いたらそこにいた、なんてエピソードもあるくらいだ。ここは羽丘と前の家の通勤ルートだろう、ならばきっと詳しいはずだとメッセージを送ると比較的すぐに既読がつく。マメなのはきっと生徒からひっきりなしに連絡が来るからなんだろう。
『住所送る、オレの一番の行きつけでロイヤルミルクティーがうまい』
その見た目でミルクティー派なのは相変わらずですねと住所を送ってくれた先輩に感謝の言葉も伝えずにぼくはそれを元に小さな商店街へと辿り着いた。
──そして、ぼくはあの人を頼ったことを少しだけ後悔することになる。
「……羽沢珈琲店」
まさかそこが「Afterglow」の羽沢つぐみさんの実家とは少しも思わなかった。いや実際は少し引っ掛ったけれど、幾ら先輩がとんでもなくズボラなクズ教師とはいえ、担任している生徒の家を行きつけの珈琲店にしているわけがない。それは先輩に対して信頼がなさすぎる、そう邪推した自分を戒めてドアを引いた。
──ぼくが先輩に抱いていた負の信頼が全くその通りだったということに気付くのは彼女の、羽沢つぐみさんの元気な挨拶を聞いた瞬間だった。
やっと、原作キャラと絡みだしたな
どーでもいい裏設定ですが鈴ヶ森はセージくんの現在の母の生家で、セージくんの実父とは従兄妹関係でした。
なので一応、元の戸籍でもましろとは八親等なんで、一応遠い親戚という扱いにはなります。