真っ暗な洋上は、まるで墨のようにどす黒かった。息を潜めて、どこかに潜んでいるであろう敵を発見せんとする乗組員たち。
ザザァァ……ザァ……
普段はなんとも思わない波の音だ。しかし、こんな些細な音にも神経がすり減ってくる。
誰も何も言わないが、雰囲気でそれがわかる。どこからギスギスして、重たくて、息が苦しくなるような……。
これは心理戦でもあるのだ。これは人間側に不利なのではないか。”心”を持った人間が、”心”を持たない機械艦に勝つことなどできるのだろうか…。
そんな中でも、一行は必死に耐えた。この静かな戦いに終わりは無いようにすら思えた。
艦影がうっすらと見えないか。魚雷の航跡はないか。異常な音は聞こえないか……。
どのくらいの沈黙が続いていただろうか。見張りの隊員が海を指差した。
「おい、なんか光ってるぞ。」
皆で海を覗き込むと、長門の船体の周囲に青白い光がまとわりついているではないか。艦が波を切り裂くたび、キラキラと発光が起きる。光の反射などではない。海が、波自体が光っているのだ。
「まるで星空だな…。」
美しくも不思議な光景に見入っていると、後ろにいた1人が静かに語り出した。
「これは夜光虫……海洋性のプランクトンで、物理的な刺激を受けると発光する性質を持ちます。この海域で大発生していると聞きましてね。」
瀬内だった。彼は皆が窓に群がる様子を楽しそうに見つめている。
しかし夜光虫がなんだと言うのか。我々の今の目的は魚雷回避と敵艦の発見であって、夜光虫の鑑賞などでは……。
まさか。
俺が気づいたのと同時だった。見張りが叫び声を上げた。
「1時の方向!魚雷発見!」
海に光の筋ができていた。……魚雷の航跡だ!
俺は瀬内の秘策を理解した。魚雷が進むときに刺激され、発光した夜光虫の光を利用して魚雷を発見しようということだったのだ。
そしてその作戦は、見ての通り大成功。
瀬内の方を振り返ると、彼は「してやったり」と言わんばかりに目を細めて、得意げに親指を立てて見せた。
魚雷は美しい光を残しながら、艦の右側1キロほどの距離を通過していった。流れ星のように、青い一線が美しく続いていた。
俺は大きく頷いた。これはすごい。……これと同じ原理で敵艦を発見できるかもしれないしな。
「敵は一方的に我々の位置を知っていると思っているでしょうが、実際はそうではない。探照灯を使わずに油断させておいて、接近してきたところを仕留めましょう。」
と瀬内。
たしかに名案だ。話によるとこの一帯で夜光虫は大発生しているらしいので、敵艦が動けば高確率で発光が見られるだろう。
……いや、待てよ。
「しかし瀬内、機械艦隊も阿呆じゃない。夜光虫の光で自艦が見つかってしまうってことくらい分かってるんじゃないか?」
しかし瀬内は静かに首を横に振る。
「大丈夫。AIは”光っている”とは分かっても”光っているから見つけられてしまう”と発想することは出来ないはずです。探照灯を照らしたり砲撃したりすれば自艦の位置がバレるとはさすがに分かるでしょうが、夜光虫のような自然現象で自艦の位置を露見させてしまうなんて応用的な発想は出来ないでしょう。」
現用のAIにも欠点はある。学習していないことは出来ないのだ。機械艦隊であってもそれは同じ。そしておそらく奴らは「ライトで照らせば見つかってしまう」って事くらいは学習している(それを理解していないなら無闇矢鱈に攻撃を仕掛けてくるだろう。だが敵は、暗視装置か何かを使ってこちらの位置を一方的に確認し、発砲の閃光が発生しない魚雷を選んで攻撃してきたと思われる)。
しかしおそらく「夜光虫の光で自艦の位置を露見してしまう」なんて学習はしていない。だからそういった考えに至らないはずだ。
機械艦隊は暗視装置で長門を一方的に捉え、長門はこちらを発見できないと思い込んでいる。それを逆手に取ってやるのだ。
よし、やってやろうじゃないか。科学力や技術力があったとしても、最終的に決めるのは”人”だってこと、見せつけてやろう。
俄然やる気が湧いてきた。
「正面の海上が発光!魚雷です、左に避けてください!」
伝声管を通して、司令塔の操舵員に逐一報告。操舵員は報告の通りに舵を取り、魚雷を回避する。チームワーク無しではなし得ない。
光る波を掻き分けて、長門が回頭する。重い舵が唸りを上げ、4万トン近い重量を持つ長門の艦体が傾く。機動性に欠けるとはいえ戦艦の中では小回りの効く方だ。夜光虫に照らされて喫水線が輝いて見えた。
数百メートル外れたところを通過していく光の筋。長門は魚雷の間を縫って進んでいた。左右を通過して行く魚雷を見送ると、再び前方を注意し、次に備える。
機械艦隊の奴らは、上手いこと魚雷を回避する長門を忌々しく睨みつけているであろう。
今回は回避できたから良かったものの、現代の魚雷はかなりの高速を持っている。時速100キロ以上の速度で突進してくるものもあるらしい。誘導装置を使えないのは救いだが、それでも回避するのは至難の業だと言える。
そこで新たに見張り台に隊員がやってきた。彼が持ってきた分厚いメガネのような物は、微光暗視眼鏡JGVS-V3……いわゆる暗視装置。肉眼に頼るより確実に夜光虫の発光を発見できる。
このタイプの暗視装置は、光電子倍増管を重ねた構造になっており、星や月などの僅かな光を増幅することで物を「見る」ことができる。本日は新月であるため光源は星の光のみ。この条件下でこのタイプの暗視装置の有効視認距離は1500メートルと言われている。船や魚雷を直接発見するには不足しているだろうが、監視の対象が「夜光虫の”光”」なのだから、この程度でも十分だと思う。
暗視装置を持っている隊員は4名しかいないので、他は目視や普通の双眼鏡での見張りとなる。それでも監視能力は格段に向上したはずだ。
「2時の方向に発光を確認!」
暗視装置を覗いていた隊員が早速魚雷を見つけたようだ。しかし、他の隊員もその方向を確認すると……。
「いや待て……あれは普通の発光じゃないか?」
そう。紛らわしいことに、夜光虫は普通の波でも刺激だと感じれば発光することがある。光の全てが魚雷や敵艦ではないのだ。
暗視装置によって見えやすくなった代わりに、こういった余計な光まで見つけやすくなってしまう。冷静な状況判断で乗り切るしかない。
「そうだな。すまない。」
隊員が詫びるその横で、仲間がまた別の発光を見つけたようだ。
「11時の方向…あの発光は⁉︎」
「光が筋になっている。あれはおそらく魚雷だ!3本くらい来るぞ!」
「11時方向から魚雷3接近。取り舵急げぇ!」
瀬内は伝声管越しに操舵員に指示を出す。艦が傾くような感覚がして、現在旋回していると分かる。見張りの隊員たちは海上を指差し、魚雷の位置を示していた。
魚雷は長門の前方300メートルほどの位置を通過。今回も回避成功だ。暗視装置と隊員たちのおかげである他ない。
しかし先ほどの魚雷より至近距離を通過して行った。発射距離が近く、誤差が少なかったのだろうか。……つまり、敵艦に近づいてきているのかも知れない。
「魚雷の誤差が小さい、敵が近くにいるかもしれん。11時方向を中心に監視を強化せよ。」
俺がそう言い終わるのとほぼ同時に、暗視装置を覗いている隊員が叫んだ。
「10時の方向、著しい発光を確認!距離は……3000!」
すぐに他の隊員たちも総出でその方向に暗視装置を向ける。彼ら曰く、光が一定の大きさを保ったままゆっくり移動しており、光る波が切り裂かれているのも見えるのだと言う。
距離・方位などの情報を加味しても、敵艦であることに間違いはなさそうだ。
さらに。
「12時の方向、距離3500に発光あり!」
別の隊員が新たな敵を発見した。今度は正面か。
俺は思考を張り巡らせる。
敵艦は2隻。艦種はおそらくステルス駆逐艦。そしてこの配置からして、2隻から同時に雷撃し、魚雷を十字交錯させてこちらを確実に沈めようとしているのではないか。確実性を上げるため、もっと接近してくるだろう。
ならば。
「これより、10時方向の敵艦をα、12時方向の敵艦をβと呼称する。αが距離2000に接近し次第、左舷副砲群で一斉射撃して仕留める。これを撃沈したらすぐにβに主砲をぶち込む。至近距離での交戦だ、一撃必中を厳守せよ!」
「了解!」
戦闘指揮所に集まっていた面々はすぐに持ち場へ直行した。舞鶴も主砲射撃の指揮を執るべく、射撃指揮所に向かうが……その肩を叩いて呼び止める者がいた。
瀬内だった。呼んだのは良いものの、彼が目を泳がせているのを見て、舞鶴が先に声をかける。
「艦長?どうしました?」
「いやその……頑張って…ください…。」
最後の方声が途切れ途切れだったけど。それでも彼女に届いたようだ。舞鶴は少し微笑んで、気楽に答えた。
「艦長こそ。ヘマしないでくださいね。」
「ヘマって…!」
彼が言い返そうとするが、すでに舞鶴は小走りで射撃指揮所に向かっていた。呼び戻すのも違う気がしたのだろう、小さくため息を吐いていた。でも、その顔には少し笑顔もあったように見えるのは俺だけじゃないはずだ。
その一部始終を俺は見ていた。
アイツ……頑張ったじゃねぇか。俺はさりげなく瀬内に近づくと、耳元でそっと囁いた。
「頑張ったな。あとはもうひと頑張り…勇気を出すんだ。」
「山城さん…!」
からかってるんだろうと思ってた人に応援されたからか、瀬内はびっくりしたようにこちらを見つめて、目をウルウルさせ始めた。そんなにびっくりするか?嬉しかったか?
いや、俺だって鬼じゃないぞ。仲間の恋は応援したいくらいのことは思ってるよ?(さっきまで高みの見物してたくせに、どの口が言ってるんだってな。)
「ま、今は戦闘に集中しろな。」
「はい!」
瀬内はメガネを外して涙を拭くと、再びメガネを掛け直す。そしていつも通りの(?)暗いけどどこか他とは違う…そんな彼に戻っていた。
「砲戦用意!」
機械艦隊所属のステルス駆逐艦は、高性能暗視装置で戦艦長門の姿を捉えながら、その距離を詰めていた。魚雷発射管が旋回し、照準を定める。夜闇に紛れて至近距離から雷撃し、相手を確実に仕留める……機械艦はトドメの一撃を放とうとしていた。
ちょうどその同時刻。長門の見張員は、徐々に接近して来る光……夜光虫が刺激されて発した光……を追跡している。敵艦の存在位置を夜光虫で判断しているのだ。
「敵艦接近、距離2500!」
「弾薬込め。射撃用意!」
瀬内は伝声管を通して指示を出した。それに合わせて主砲・副砲では弾薬が装填される。砲塔要員は敵に察知されないようそっと作業し、射撃準備は整った。
「距離2200!」
報告に答える声はない。緊張故か、それとも来る砲戦を前に気持ちを落ち着かせているのか…。沈黙が支配する中、波の音と見張員の報告だけが響き渡った。
「距離2100!」
見張りの隊員が覗く暗視装置には、夜光虫の光がやけに明るく見えた。確実に近づいてきている。そのわずかな時間が永遠のようにすら感じられた。
「距離2000!」
彼の報告と同時に、俺と瀬内は視線を交錯させた。奴も覚悟は決まっている。目を見ればわかる。
「目標α。左舷副砲群、砲撃開始!」
瀬内の声は伝声管を通して副砲の砲手たちに届いた。この瞬間まで、汗も拭かずに綿密に狙いを定めていた彼らは、命令と同時に引き金を引いた。
第六話に続く。