M@STER OF HEROES   作:Crank

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 最初は前後篇。後編は実はもう執筆済みなので気が向いたら投稿します。


変身ですよ(前篇)

 電車を降り人の流れに乗って駅から出ると、まだ五月だというのに強い日差しが肌を焼く。まさしく日本晴れというやつだろう。

 ちなみに五月晴れは旧暦の五月のことであり、梅雨の時期に見られる晴れ間を表すので、この場合は誤用だ。

 俺はいつもの道を迷いなく進んでいく。一ヶ月間も歩いていればいい加減に体が覚えるものだ。周りを見回す余裕も出てくる。普段であれば俺と同じように出社中のスーツ姿が多いのだが、今日は土曜日なだけあってあまり人は多くはない。疎らな歩行者の中にはのんびりと犬の散歩をしている人や、朝帰りの大学生らしい人の姿が見える。休日の始まりという感じがした。

 暫く歩くと古い雑居ビルに辿り着く。この時間はまだ開いていないが、一階のたるき亭には居酒屋だがよく昼食でお世話になっている。日替わり定食が旨いのだ。

 気合いを入れる意味で背伸びをし、階段を上って三階へと進む。エレベーターは絶賛故障中。修理をする気配さえない。まあ運動になっていると思えば我慢できないほどの労力ではないが。

 目的の階の扉には小さくだがはっきりとこう書かれている。

 〝芸能プロダクション765プロダクション〟と。

 ここがこの春から俺の職場となった通称〝765プロ〟だ。老舗の芸能プロらしいが正直あまり仕事がない。所属しているアイドル達は可愛いし個性的だと思うのだが、如何せん入社一カ月でも感じ取れる業界の力関係が彼女達を燻らせているのだ。勿論、その状況を打開するのが俺の仕事であり、この一カ月何の成果も上げていないのは俺の責任だが。

 扉を開けると狭く雑多な事務所のいつもの風景が目に入る。人手不足の金の無い事務所なので多少は仕方がない。今度ゆっくりと大掃除をするかな。

 

「おはようございます!」

 

 元気いっぱいの挨拶をする。何は無くても気持ちだけは前向きに持っていたいものだ。

 パーテーションで区切られた事務スペースにある自分のデスクへ向かうと、事務員の音無小鳥さんとプロデューサーの秋月律子が既に出社していた。

 

「おはようございます、プロデューサーさん」

「おはようございます」

 

 二人からの挨拶に俺もおはようございますと返して席に着く。鞄の中から必要な資料を取りだしてデスクに置き準備をしていると、静かに横から湯呑が置かれる。

 

「おはようございます、プロデューサー」

「ああ、おはよう雪歩。いつもありがとな」

 

 そう言って湯呑を手に取り中のお茶を飲む。お茶の熱さが逆に外気温の厚さを吹き飛ばして爽やかな気分になるから不思議だ。俺がプロデュースするアイドルの一人、萩原雪歩はお茶に並々ならぬ拘りを持っている。こうして毎朝彼女のお茶が飲めるだけで、ある種この事務所に入った甲斐があるというものだ。

 まったりとしていた俺の意識を携帯の着信音が現実に引き戻す。一瞬自分かと思い確認するが俺の携帯電話は無反応で、どうやら律子の携帯がなったらしい。

 

「もしもし、あずささん? また迷ったんですか?」

 

 律子のこの一言で電話越しにどういった内容が繰り広げられているか想像がつく。相手は765プロ所属アイドルの一人、三浦あずささんだろう。アイドルの中では最年長で色気たっぷりの大人の女性だが、のんびりした性格と驚くほどの方向音痴ぶりはこの一カ月で十分に経験させられた。近くのコンビニに行くだけで迷うこともあるのだ。恐らく今日の電話も救難要請だろう。担当プロデューサーとして律子も大変そうだ。

 と同情的な気分になってはいるが、担当アイドルに苦労させられるのは何も律子だけじゃない。俺だって人のことを言っている余裕はないのだ。

 

「突撃ぃ! セイハーッ!」

「ウェーイッ!」

「どぁあああ!」

 

 ノートと教科書で殴り掛かる双子の攻撃を何とか防ぎ、俺は二人を抑え込もうとする。だがすばしっこく二人は俺の手から逃げて距離を取った。

 双海亜美と双海真美。一卵性双生児で髪型以外はそっくりな二人は亜美は律子、真美は俺が担当している。

 

「兄ちゃん、おはよー!」

「はよー!」

「はいはいおはよう。まったく、朝から何なんだよ」

 

 元気なのは良いことだ。……発揮の仕方と程度を理解さえすれば。だが双子は俺の内心の溜息に気付いているのか無視しているのか、ともかくマイペースに会話を続行する。

 

「宿題(おち)えてよ!」

 

 亜美の言葉で漸く手にしたノートと教科書の意味を理解できた。普通に聞けばいいのに。

 仕事が少ないとはいえそこはアイドル。やはり学校を休まねばならないときもあるので学業に関しては可能な限りのフォローをしている。義務教育の範囲なら俺でも何とかなるからな。

 

「分かった。とりあえず応接スペースで待っててくれ」

 

 お客さんのいないときは応接スペースは皆の休憩所に早変わりだ。二人を追い払って先に今日の予定を確認しておく。ホワイトボードに書かれている予定では今日はレッスンが入っているだけだが、それはアイドルの予定。俺は皆の仕事を探しに足を使わなければならない。挨拶だけでも十分に意味がある。

 確認が終わって応接スペースへ行くとそこには亜美と真美だけでなく高槻やよいと雪歩も座っていた。問題集を前にうなり声を上げている。

 

「あうう~」

「おはよう。やよいも宿題か?」

「あ、おはよーございますプロデューサー!」

 

 立ち上がって頭を下げるやよい。両手を後方から回して跳ね上げるその独自のお辞儀は今日も健在のようだ。だが笑顔の挨拶も一瞬で、すぐに憂鬱そうな表情に変えてソファに座る。よっぽど目の前の宿題に苦戦しているらしい。

 

「何の宿題なんだ?」

「英語です~」

 

 覗き込むと確かにアルファベットが並んでいる。

 

「雪歩さんに教わってるんですけど、全然できなくて……」

「ご、ごめんね……! 私が上手に教えられなくて……!」

 

 申し訳なさそうにお互い謝りあう二人に困惑していると、左右の手を激しく引っ張られた。交互に見てみると亜美と真美が俺の腕を引き裂かんばかりに力を込めている。地味に痛い。

 

「ちょっと兄ちゃん、こっちが先約だかんね!」

「わ、分かったよ亜美。だから引っ張るなって」

 

 引きずられるようにやよいと雪歩の正面に座らされる。そして双子から同時につきつけられるノートの文字を読む。そこにはいくつかの数式が載っていた。二人は数学らしい。同じ問題で手が止まっている。

 ええと……文字式を整理しろ? -a*(-a)=?

 

「ねぇねぇ! 真美の方が合ってるよね?」

「亜美が正解っしょ?」

 

 真美が-a^2で、亜美が2aか。

 

「二人とも違うぞ」

『え~!』

 

 声を揃えて不満を告げる亜美と真美。さすがは双子というところだが誤答は誤答。アイドルでもせめて高校は卒業しておくぐらいの方が良い。日本は学歴社会であることだし。

 

「真美はマイナスを二回かけるとプラスになることを忘れてる。亜美はそれ足し算の計算だろ」

『がび~ん!』

 

 ショックを受けるのも二人揃ってだった。まあ仲良きことは美しきかな、そう思うことにしよう。

 

「他の計算も全部同じように間違ってるぞ」

 

 そこまで一緒の必要はないんじゃないか? せめて一緒に正解してくれ。

 

「ほら、早く直した方が良いぞ」

『あう~』

 

 半眼で消しゴムを手にする様子は不満たらたらだが、まあちゃんとやってくれればそれでいい。授業は休むことになるからせめて提出物はしっかり出して内申を稼いでもらわないと。

 だがそれでも実は多少マシだったりする。この二人は勉強が嫌いなだけで地頭は悪くないのだ。あれだけ悪戯を次々考え付くのだから当然なのかもしれないが。

 というより、学力関係で我が765プロ最大の問題児はこっちだ。

 

「えっと……私はアイだからディス・イズ・アイ・ブック…………?」

「そ、そうじゃなくて……Iは主語になるから――」

 

 必死に教えようとしている雪歩の顔を見てやよいが本当に申し訳なさそうに小さくなっていく。可哀想なのだが如何せんこのままでは弟達に示しもつかないだろう。姉は大変だよな。

 横からこっそり覗き込んで見ると一年の復習らしい。「これは私の本です」を英訳する問題だ。見事に所有格のmyがIになっている。しかもbookの綴りをdookにしていた。

 雪歩、苦労してるな。

 

「あうう~、プロデューサー。やっぱり私お馬鹿さんなんでしょうか~?」

「え……」

 

 急に涙目のやよいに聞かれて言葉に詰まった。何と答えたものか。勿論学業をもって優劣を付ければやよいは不可なんだが……。

 

「えっと、そうでもないんじゃないか? この間買い物に付き合ったときなんか値段の計算、とっても速かったじゃないか。馬鹿にはできないと思うぞ」

「本当ですか?」

「本当だ」

 

 どうやらあまりに宿題ができなくて懐疑的になっているらしい。俺はできるだけ朗らかな笑顔を浮かべて頭を撫でた。無意識的に手が出てしまっていたが、少しでも安心させられればと祈りを込める。

 俺の祈りが届いたのか、やよいは満面の笑顔を浮かべてくれた。

 

「うっうー! ありがとうございます、プロデューサー! 私頑張りますー!」

 

 雪歩さんお願いしますと頭を下げて(両腕は上がっていた)再びシャーペンを手にして座り直す。気合いが入ったようだ。

 

「あ、やよい。bがdになってるぞ」

「え? あうう~本当です~」

 

 これは時間がかかるな。

 

「ただいま戻りました~」

「すみません~遅くなりました~」

 

 扉を開ける音がして律子が入ってきたらしい。その後に続いてあずささんの声が聞こえた。現在活動中の所属アイドルが勢揃いだ。

 高槻やよい、萩原雪歩、双海亜美、双海真美、三浦あずさ。俺が律子と手分けしてプロデュースしているアイドル達。俺は新米だが、彼女達のためにできることをしよう。他にも所属しているようだが、諸事情で休みを取っていると音無さんから聞いている。

 そのとき電話の呼び出し音が聞こえてきた。これは事務所備え付けの固定電話だな。応対する音無さんの声がこちらにも届く。

 

「まあ、春香ちゃん。復帰? 勿論明日からでも大丈夫よ。いつ日本に帰ってくるの? 今日? 荷物多いんじゃない? うん、うん……」

 

 誰だろう。結構親しそうに話しているけど。

 電話の邪魔にならないようそっと事務スペースに移動する。……いや移動しようとした。つまりは俺の周囲が一気に湧きあがったのだ。

 

『何だってーっ!はるるんからだとーっ!』

「春香ちゃんから?」

「春香さんから電話ですか!」

「まあまあ、春香ちゃん久しぶりね~」

 

 雪歩すら小走りで事務スペースに駆け込んでいく。完全に流れに乗り損ねた。まあ年少組は律子に五月蝿いと怒られているが。

 電話に集まる皆を後ろから眺めていると、通話口を押さえた音無さんに手招きされる。何事かと思い近寄っていくと音無さんは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「あのすいません。空港まで春香ちゃんを迎えに行っていただけませんか?」

「へ? ああ、構いませんよ。今日は特にアポがある営業はなかったので。でも春香って誰ですか?」

「春香は765プロ(うち)に所属しているアイドルの一人ですよ」

 

 場を沈めた律子が手にした資料を渡しながら説明をしてくれる。電話があってからの間で準備したのか。さすがに手際が良いよな。

 資料には年相応の笑顔が眩しい少女の写真が添付されていた。頭のリボンをトレードマークだろうか。まるで体の一部のように良く似合っている。

 名前は天海春香。高校生ということは今いる面子では律子や雪歩と年が近いことになるのかな。

 

「インドにアイドルとしてのヒントがある気がするって旅に出てたんですよ」

「…………そりゃ凄いな」

 

 無謀というか何というか。バイタリティには溢れていそうな話だ。しかし律子もあっけらかんと喋っているがよく認めたな。

 

「これから離陸するそうですから、八時間か九時間後に到着ですね。それに合わせて行ってもらえますか?」

「大丈夫です。千葉の方ですよね?」

「そうです。お願いしますね」

 

 受話器を置いて音無さんから状況を確認する。インドは行ったことがないが意外と遠いものだ。高校生の女子が一人で行くような距離ではない。よくも実行に移したものだと感心する。

 

「あの、プロデューサー。私も春香ちゃんにお帰りなさいを言ってあげたいです」

「うっうー! 春香さんのお迎えしたいでーす!」

 

 雪歩とやよいが同行を願い出る。雪歩なんて普段あまり自己主張をしないから、こういったお願いなんて珍しい。だが久しぶりに会う同じ事務所の仲間だから無理からぬことなのだろう。そしてそれは他の面々も同じことだ。

 

「え~っ。真美達もはるるんのお出迎えしたいよ~」

「亜美真美抜きで帰国パーティーは無理っしょ~」

「あんた達とあずささんはレッスンの時間でしょうが!」

 

 我儘を言う双子に律子が雷を落とす横では、あずささんも残念そうにあらあらと手を頬に当てている。本当に765プロは仲が良いな。

 

「じゃあ先に外回りに行ってきます。雪歩、やよい、準備しておいてくれよ」

『はい!』

 

 所定の場所に掛けてある社用車のキーを手にとって外に向かおうとすると、真美に呼び止められた。

 

「ねぇねぇ兄ちゃん、はるるんには気を付けなよ?」

「気を付けるって何を?」

 

 他のメンバーの反応からして悪い子には思えないのだが。

 その疑問に答えたのは亜美だった。亜美は得意気に胸を張ると威厳いっぱい(のつもり)の低めの声で説明する。

 

「それは…………どんがらじゃ………………」

「ど、どんがら?」

 

 意味がわからない。何だ、擬音か? それともドンジャラ? 二人は納得気に頷きあってそれ以上の解説はないようだ。会えばわかるかと一先ず棚上げしてドアを開ける。

 

「いってきます!」

『いってらっしゃーい!』

 

 皆が温かく送り出してくれた。

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