「ふぁ~……」
目覚まし時計の音に反応して目を覚ます。ソファから体を起して伸びをしてから目覚ましのベルを止めた。時刻は午前三時五十分、新堂さんとの約束の十分前だ。
俺は夕べ高槻家で食事を御馳走になった後、直接事務所に戻ってきて音無さんに事情を説明しそのまま泊まり込んだにだった。ソファの寝心地は快適とは言い難かったがマイカーを持てない身分では、この時間に出社しておくには泊まり込むしかなかったという訳だ。まあ事務所の仕事は基本的に融通が利く程度に(残念ながら)暇なので、午前中位はゆっくりさせてもらいたいな。
そんなことを考えながら顔を洗っていると、換気のために少しだけ開けておいた窓の隙間からエンジン音が飛び込んできた。
事務所の前でその音が消える。どうやら新堂さんがいらしたらしい。
「おはようございます、新堂さん」
入口に回り鍵を開けると外に新堂さんがいた。一通り挨拶をして中へ通し、タイマーで沸かしてあったお湯でコーヒーを淹れて運ぶ。お茶は雪歩の勝手に動かすと後で駄目だしをされそうので自分で淹れるのを敬遠しているのだ。
「申し訳ありません。こんな時間にご無理を申して……」
「そんな……。新堂さんの立場は理解しているつもりです。ですので頭を下げたりなんかしないでください」
コーヒーに口を付けるよりも先に新堂さんは深々と謝罪をする。立場上堂々と動けないことは分かるので俺も心苦しくて堪らない。本来であるならば問題を拗れさせてしまった俺を罵倒しても構わないはずなのだ。
「伊織の様子はどうですか?」
顔を上げてくれた新堂さんに今一番気になっていることを問う。やよいも律子も会ってもらえない現状では、そのことが事務所全員の気がかりだった。
新堂さんも辛そうに表情を歪めつつも俺の質問に答えてくれる。
「体調の方は問題ないのですが、いつもお辛そうな表情をしておられます。最近は鉄面党の情報収集とレッドバロンの整備ばかりで……」
やはり思いつめてしまっているようだ。それが水瀬さんの願いだとは俺には思えない。
「新堂さん! 伊織ちゃんに会わせてください!」
『………………!』
バンッと事務所のドアが開く音と共に切実な少女の声が事務所に響いた。あまりに突然なことで俺も新堂さんも入口を見たまま固まってしまっている。
声の主はつかつかと新堂さんの前まで歩いてくると、深く深く頭を下げてもう一度懇願した。
「伊織ちゃんに会わせてください!」
「…………高槻様」
困惑しながら新堂さんは少女の名を呟く。
そう。何故かやよいがこんな時間に事務所に来ていたのだ。
「やよい……お前どうして……」
「ごめんなさい、プロデューサー。私昨日プロデューサーが電話してるの聞いちゃったんです」
申し訳なさそうに目を伏せるやよい。
そうか……。昨日の電話、聞かれていたのか。中からの声が聞こえたときに逆にこちらの声も聞こえている可能性を考えるべきだった。
困り顔を新堂さんが俺に向けてくる。こんな事態は俺と同様に想定外だったのだろう。言葉も出ない新堂さんの様子を察したやよいが今にも泣きそうな声で訴える。
「私、あの後もし長介達に何かあったらって考えて……。そしたら一緒にアイドルやりたい、なんて本当に我儘だったって思ったんです……。だから、伊織ちゃんに謝りたくて……」
我儘か……。
俺は席を立って弥生の傍に行き、できるだけ優しく肩を叩いて顔を上げさせた。涙こそ出てはいないがまるで泣いているかのような表情でその心中は必要以上に伝わってくる。
「謝ることはないんだ、やよい」
ゆっくりと一言一句伝わるように話しかけた。こんなになるまでアイドルのケアが行き届かなかった自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、今はそれよりもやよいのことを優先したい。
「良いんだ、我儘言っても……」
「でも……」
首を振って無言でやよいの反論を封じる。優しい少女には難しいかもしれないが、俺の正直な気持ちを理解して欲しかった。そのために今は黙って俺の話を聞いて欲しい。
「あのとき伊織は、やよいの我儘に嫌だと言ってないだろ? 伊織だって本当はアイドルを辞めたくなんてないんだ。でもそれに気付かない振りをしている」
真っ直ぐこちらを見つめる純真すぎる視線。きっとやよいには自分から不幸になろうとする人間の気持ちはまだ分からないだろう。それはやよいが素晴らしい家族と仲間に恵まれた証拠であり幸運なことだ。裕福さよりも大事なものをこの子は持っている。
だからこそ、俺は大人として教えなければならない。
「だからやよいは今の気持ちをもう一度伊織にぶつけるんだ。我儘でも何でもいい。喧嘩しても本音でぶつかり合うことが大事なときもある」
「プロデューサー……分かりました!」
大きく返ってきたやよいの声に俺は安堵する。やよいの中できちんと納得できることを俺は言えたようだ。なら残る俺の仕事は何としてもやよいを伊織と会わせること。事態がどう転ぶか分からないが伊織が前に踏み出すきっかけはやよいしかないと俺は直感していた。
そのときゴウッという飛行機のエンジン音のようなものが響いて事務所の窓を揺らす。俺達三人はこんな時間にこんな場所で聞こえた音に違和感を覚えて目を見合わせた。
とりあえず窓を開けて上を見るが飛行機のような物は見えない。
「はて……どこかで聞き覚えのあるような音でしたが……」
「そうですね……」
新堂さんの言葉に同意する。幻聴にしてははっきりしていたし、三人同時というのもおかしな話だ。だが天にも地にも音源らしき物は見当たらない。中に潜ったのかもしれないが、そんな痕跡も発見できなかった。
しかし探していた物をとうとうやよいが発見する。
「あ、プロデューサー。あの赤いのじゃないですか?」
「赤いの……?」
「あそこの小さくなっていくやつです」
目を凝らしてみると確かに赤い点が目に入った。音量にしては小さいようだが、高度はそれなりに取っているのかまだビル陰に隠れてはいない。
でも何か引っかかる色だな……。飛行機とかあそこまで目立つ赤で塗装するだろうか?
そう疑問に思った瞬間、一つの解が俺の頭に浮かび上がった。
「……まさか、レッドバロン?」
「何ですと!」
俺の呟きに新堂さんが驚愕する。そのあまりの動揺ぶりにやよいも体をビクつかせて驚いた。だがそんな俺達は眼中に入っていないのか、新堂さんは内ポケットから携帯電話を取り出してどこかへ掛け始める。
「私だ。レッドバロンは、伊織お嬢様は?」
どうやら水瀬関係らしい。
「何! 出撃された! 何故私に報告をしない! ………………お嬢様に口止めされただと? 馬鹿者! すぐにレッドバロンの場所にSPを向かわせろ! 私も直接そこへ行く!」
新堂さんの鬼気迫る表情に事態の深刻さが伝わってくる。どうやら伊織が暴走をしたようだ。
「申し訳ありません。お聞きの通りですので私はこれで失礼をいたします!」
「待ってください!」
踵を返す新堂さんを俺は呼び止めた。状況は理解しているし猶予がないことも分かってはいる。だがこのまま新堂さんと別れることだけは俺にはできなかった。
「俺も連れて行ってください!」
「いけません! 危険すぎます!」
「お願いします!」
俺は両手と頭を床に叩きつける。
俗に言う〝土下座〟だ。
最近多少体を鍛え始めたとはいえあくまで一般人でしかない俺が現場に立ち会うこと自体危険な上にリスクを無駄に上げてしまうことも分かっている。だがそれでも俺はここで待っていることができそうになかった。
「お願いします!」
「新堂さん、私からもお願いします!」
隣に人の気配を感じる。横目で見てみるとやよいが俺にならって土下座をしていたのだ。やよいにこんなことをさせる気はなかったが今頭を上げることはできない。
「…………分かりました。私の指示に従っていただけるのであれば、同行を認めましょう」
諦めたように新堂さんが許可を出してくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「さあ、では急ぎましょう! 下に止めてある車で向かいますよ!」
俺と新堂さんは途端に駆け出す。扉を開けて階段を走り下り駐車場まで全力でダッシュした。伊織の送迎に使っていたものとは違う至って普通の乗用車だ。新堂さんの私物だろうか。鍵が開く音がしたので助手席の扉を開けて滑り込むように中に入ると新堂さんがエンジンをかける。
そのとき、後部座席のドアが開く音がした。
『は?』
予想外の音に俺と新堂さんが同時に振り向く。するとそこには事務所にいるはずの少女の姿があった。
「や、やよい!」
「私も行きます!」
「いけません、高槻様!」
慌てて二人でやよいを止めるが絶対に譲歩しないという意志を示すように助手席の背もたれにしがみ付いている。我儘でも良いとは言ったがこの状況ではリスクが高すぎた。
「やよい、大人しく――」
説得しようとする俺の顔を見つめるやよいの表情に息を呑んだ。今まで一度も見たことのない深く、そしてどうしようもなく魅力的な瞳をしている。
俺の負けは決まっていた。
「分かった。ただ絶対に言うことは聞いてもらうからな?」
「はい、プロデューサー!」
元気に返事をしてやよいはシートベルトを付け始める。その様子に困惑するのは新堂さんだ。俺があっさりと折れたことで説得の言葉を失ってしまったようだった。
「そんな……! あまりに――」
「良いんです。出してください」
そう俺は断言した。
担当アイドルの魅力にやられたのだ。プロデューサーとしてこれ以上喜ばしいことはない。やよいのアイドルとしての人を魅了する力を俺はこれほど強く感じたことはなかった。今芽吹こうとしているそれを摘み取ることがどうしてできようか。
「…………かしこまりました」
諦めて新堂さんが車を発進させる。備え付けられたカーナビを弄ると広域の地図が表示され、そこには普通のナビでは見たことのない動く光点が映っていた。
「これは?」
「その点がレッドバロンの現在地でございます。常に情報がこのナビには送られておりますので」
特注のナビなのか。
感心しつつも俺は自分に打てる手を打とうと電話を掛ける。アイドルに頼りきりなのが悲しいが事情が事情だ。登録された春香の携帯電話を呼び出す。まだ四時を過ぎたばかりにも関わらず、数コールの後に春香は電話に出てくれた。
〔もしもしプロデューサーさんですか? おはようございます〕
「おはよう春香! 起きてたのか!」
〔はい。もうすぐ始発だから家を出るところなんです〕
助かった。この緊急時に連絡が取れたことを神に感謝する。俺が早口で現状を伝えると春香も驚いたようだった。
〔伊織が出撃? 何かあったんですか?〕
「分からない。でも何かあったときのために春香もこっちに向かってほしいんだ」
〔わ、分かりました。すぐに飛んで行きます! 場所は?〕
「まだ不明だ。ただ事務所から西の方に向かっている」
〔西……ですね! 今から行くので場所が特定できたら連絡ください!〕
携帯の通話が切れた。これで最悪の事態は避けることができるだろう。俺達の乗る車は丁度高速道路に入ろうとしていた。早朝だからだろうか、一台も他の車が見えない。
「お二人ともしっかりお掴まりください」
『え?』
新堂さんの言葉を俺とやよいは一瞬理解できなかった。しかし次の瞬間には車は時速百二十キロを超えてさらに加速していく。
「既に拘束は水瀬が封鎖済みですので飛ばします。ご注意ください」
『ひ…………ぇええええええええええ!』
慣性の法則で体が後ろに吹き飛んで行きそうな加速を感じ、俺の意識は遠くなっていく。たぶん恐怖のあまり脳が認識能力を低下させたのだろう。縋りように握りしめたシートベルトの感触だけが強く残る。
どれくらいの時間が経っただろうか。気付いたときには車は山の中へ。ナビの光点も停止している。
「間もなく到着します。お二人は車の中からお出にならぬようお願いします。この車は防弾ですのでとりあえずは安全かと」
新堂さんの言葉に無言で頷く。ここまで連れてきてもらうだけでもかなりの無茶なのだ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
正確に地名の分からなかった俺はナビの地図を携帯で写し春香にメールする。広域の地図だから迷うことはないだろう。あずささんじゃあるまいし。
まだ夜明け前の薄暗い山道。その先に二台の車が止まっていた。新堂さんも並べるように止めると下車する。向こうの車からも屈強な男が何人か降りてきたようでお互いに接近をした。どうやらあれが水瀬のSPらしい。
その瞬間、激しい破裂音が響き新堂さん達は向こうの車の陰へと飛び込んだ。驚いて咄嗟に目を閉じてしまったが、慌てて目線を向けるとサブマシンガンを構えた全身黒タイツの男達が木の後ろに隠れてこちらに銃口を向けている。
新堂さん達も応戦するが拳銃しか持っていないのか完全に火力で圧倒されていた。
「プロデューサー……」
「大丈夫だやよい。今は頭を低くして隠れるんだ」
不安気な少女に俺のできることなんて優しく声をかけることぐらいだ。新堂さん達の勝利を祈りながら状況を窺うしかない。
だが敵の攻撃は止むことを知らない。銃弾の雨という言葉を俺は初めて実感する。まるでゲームのような状況にどこか現実感のない死を危機を俺は感じていた。
どうする?
自分に問いかける。このままここに隠れていてどうするというのだ。かといって外に出てもただの足手まといになるだけだ。
悔しさが胸に込み上げてくる。
そのとき――――。
「遠当ての術! とぉ!」
『ぐわぁあ!』
爆発と悲鳴が上がった。新堂さんたちじゃない、敵の方の悲鳴だ。
「あれは!」
空から舞い降りる白い人影。その姿は正しくヒーロー。
「レインボーマン!」
春香が来てくれた!
レインボーマン(春香)はSPの車の上で仁王立ちをして相手を睨みつけている。
突然現れた相手に対し敵はサブマシンガンの獣性を響かせながら攻撃してきた。今のレインボーマンは闇の中でも目立つ服装でしかも身を隠してもいない。向こうからしたら良い的だっただろう。
だがそんな常識が通用するはずもなかった。
「バリヤー!」
両手を掲げると周囲に透明な七色に輝く幕のようなものが現れ銃弾を全て受け止める。銃弾が効かないという事実に敵は動揺を隠せない。
「ダッシュ4!」
印を結び宙を舞うとその姿が緑色に変わる。顔には葉の形をしたレリーフが付いていた。
確か草木の化身とか言っていたな。
「木霊叩き!」
レインボーマンが着地して傍の木を叩くと全ての木という木から大きな音が響き、敵は耳を塞いで悶え始めた。これがレインボーマンの力の一つか。
俺はこの瞬間を好機と判断した。
助手席から隣の運転席へと移りそのままにされていたキーでエンジンをかける。サイドブレーキを解除してシフトをドライブに入れアクセルを踏み込むと車は前進を始めた。
「どうするんですか?」
「今のうちに伊織の所まで行く!」
向こうはSPは警戒していただろうが明らかに一般人の俺とやよいが突出するとは考えていなかったはず。レインボーマンと新堂さん達が注意を引きつけている間に俺が伊織に接触する。待ち伏せをされていた以上伊織を単独で行動させるわけにはいかないのだ。
五分ほど走ると山は開けて削り取られた岩肌が露出する採石場か何かのように広く平らな土地へと出た。レッドバロンの姿も見える。
「プロデューサー! あれ!」
やよいが指差したのはレッドバロンの足元だ。こんな場所に何故か鉄格子の檻が置かれており中に動くものの姿が見える。
「あれ、伊織ちゃんです!」
そう。まるで動物園の猛獣の如く伊織は鉄の籠に囚われていたのだ。
急ブレーキで傍に停車し外に飛び出す。
「伊織ちゃん!」
「伊織!」
「来ないで!」
その伊織の叫びで俺とやよいの動きが止まった。
「この檻は高圧電流が流れているの! 触ったら感電死するわよ!」
何だと……。
「レッドバロンを遠隔操作できないのか?」
「この高圧電流で磁場が乱れて電波が届かないのよ」
最悪だ。そんな事態は想定していなかった。まさか伊織がこうも呆気なく囚われているとは……。どうする? 車を体当たりさせて檻を壊すか? だがそれでは伊織も無事では済まない可能性の方が高い。
「何で来たのよ?」
目を逸らし俯いて伊織が問いかけてくる。弱々しい少女の言葉に俺は答えを持っていなかった。だからこそ、ただ誠実に自分の中にある思いを告げる。
「…………プロデューサーだから」
「……馬鹿じゃないの」
だがその返事は罵倒ではなかった。呆れている雰囲気は伝わってきたが、それでも俺の真剣の気持ちだけは伝わったと思う。少なくとも今はそれだけで良いのではないか。まだ出会って数日。お互いの心の底を知るにはまだまだ時間が足りないのだ。そしてその時間はこれから作れば良い。
「ふふふふ……。ようこそお出でくださいましたね、765プロのプロデューサーさんと高槻やよいさん」
突如男の声が届き、俺達は声の主に目を向ける。
「私の名は白蝋魔人。貴方達のことをお迎えに上がろうと思っていたのでね、手間が省けた」
夜明けが近いのか明るくなり始めた空からの光の中で、前後左右に広がった脚のような物の付いたヘルメットを被ったマントの男が部下と思しき武装した集団を引き連れて立っていた。一目で怪しいと分かる出で立ちだ。
「さて、そのロボットの操縦方法を教えてもらおうか。元々は身代金狙いだったが欲が出てね。教えてもらえないなら……約束通りその二人を殺す」
この男……。レッドバロンを手に入れるために俺達を人質にしようとしていたのか。そういう意味ではここに来て正解だったな。個別に狙われたらどうしようもないが、時間を稼ぎさえすればレインボーマンも新堂さんも来てくれる。
その瞬間、俺の足元で土煙が巻きあがった。俺に向かって威嚇射撃をしたらしい。
「援軍を待っても無駄だ。こちらからも増援を送っているからまだ来んよ。そして悠長に待ってやるつもりもない」
…………読まれてる。どうする? 俺一人じゃ一瞬で蜂の巣に
されて終わりだ。伊織が檻から出ていればまだ打つ手もあるが。
「さあ、水瀬伊織! 返答は!」
男達が引き金に指をかけた。いつでもこちらを撃つことができるという意思表示だろう。しかし伊織は答えられない。友と兄を天秤にかけるには純粋過ぎるのだ。
「駄目だよ伊織ちゃん!」
突然やよいが叫び声を上げた。この状況での行動に誰もが呆気に取られその顔を呆然と見る。怒ったような泣いているような不思議な表情をやよいはしていた。
「お兄さんから貰った大切なものを渡したりなんかしちゃ駄目!」
そう声を荒げてやよいは高圧電流の流れる檻に掴みかかった。その小さな体が電気によって小刻みに震えている。
「やよい!」
「動くな!」
再び足元に発砲されて俺の出足は挫かれた。一刻も早くやよいを引き放さなければならないというのに……。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 何でこんなことするのよ、やよい!」
「……伊織、ちゃん………………。一緒に……帰ろう…………。また、一緒に…………アイ、ド……ル…………」
まだ喋れるのは奇跡なのだろう。だがその声はあまりに弱々しく儚げで、いつでも笑顔と元気を振りまいていたやよいのものとは思えなかった。
どうしてそんなことをしたんだ、やよい。我儘でも良いとは言ったがこんな我儘誰が聞き入れると思っている。お前の家族も伊織も、俺も、こんな結末認めるわけがないじゃないか。
「分かった! 一緒にアイドルする! 事務所も辞めないから! だから手を離してやよい!」
「良かった…………伊織、ちゃん……今…………出してあげる、から……一緒に……」
泣きながら懇願する伊織にやよいが微笑む。表情筋も麻痺しているのか酷くぎこちないその顔が俺には聖者か何かに見えた。
そして……………………地に倒れ伏した。
「やよい………………………………いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
響き渡る伊織の悲鳴が夜明けの近い空に響き渡る。俺も言葉が出なかった。体が動かなかった。信じたくない現実を前に思考は停止し今はどうすればいいのかも考えられない。
だがそれでも、一つだけ確信することがあった。
「ふふふ。一人死んだか。どうする水瀬伊織。その巨大ロボットを引き渡すか、それとも…………その女のように死ぬか」
やよいの命を嘲るこの男を許してはいけないということだ。
涙を拭って伊織が顔を上げる。その目には初めて会ったときのような強さが宿っていた。今取り返したばかりの本来の水瀬伊織の姿なのだろう。やよいが尊敬し友と慕った水瀬伊織の。
「ねぇ」
「何だ?」
俺にしか聞こえない小さな声で伊織が呼びかけてきた。短く一言返事をして次の言葉を待つ。
しばしの沈黙の後、再び伊織が口を開いた。
「……プロデューサーはアイドルと一心同体よね?」
「勿論だ」
いくら俺でも次の言葉は想像がつく。だからこそ明確に返答をしたのだ。やよいのあれを見て、今更俺だけが未練たらしく現世に縋りつく理由はない。
「……一緒に死んで」
「分かった」
一瞬の逡巡もなく答える俺に伊織は小さく微笑んだ。それは俺の気持ちを察して褒めているのか感謝しているのか。
どちらにせよ、この瞬間から俺と伊織は運命共同体だ。……いや、やよいも入れて三人の、だな。
「あんた何かにレッドバロンは渡さないわ! 殺したいなら殺しなさいよ! そのときは私もこの高圧電流で感電死してやるんだから!」
「ぐぬぬぬ! おのれ、開き直ったか!」
伊織の怒声交じりの宣言に白蝋魔人の血は完全に頭に上ったようだ。身代金を急遽レッドバロンに変えたあたり計画が行き当たりばったりの人物なのだろう。
白蝋魔人は傍に控えた全身黒タイツの男に怒鳴りつける。
「もう構わん! 奴らが死んでもロボットそのものがあれば何とでもなる! 望み通りに一緒に殺してやれ!
そう言われて男は後ろに駆けだすと止めてあった車の中から大きな金属の筒状のものを運び出す。あれは無反動砲と呼ばれる武器だろう。映画でしか見たことないが、よく日本で手に入れられたものだ。
「よし! 構えろ!」
白蝋魔人の命令でこちらに砲口が向けられる。黒く丸い穴が地獄への入り口のように見えたのはきっと気のせいではない。さすがの伊織も息を呑んだようでその雰囲気は伝わってくる。しかしそれでも相手に対して譲るようなことはしなかった。
せめてやよいに呆れられない程度には勇気を持っていたいと思い真正面から受け止めんばかりに仁王立ちになるが、俺は僅かに目を細めてしまう。
日の出だ。まだほんの少しだが顔を出した朝日の光が俺の視界に飛び込んでくる。一日の始まりと人生の終わりが同時なんてのはロマンチックと言うのだろうか。
青くなっていく空と輝く太陽の光の中で、俺は不思議と穏やかな気持ちでいることができた。それはきっと伊織を助けたいと願ったやよいの行動にどこか心打たれたからだろう。何ができるとかどうしようとかそんなことは考えずに思いのまま動くことを見せつけられたのだ。
俺もそうしよう。きっと後悔なんてしないから。
「撃てぇええええええっ!」
爆音と轟音が上がった。
ああ……死んだなぁ。
そして爆発音と爆風が俺の体を襲う。同時に感じる浮遊感。俺は天に昇るのか…………。
「とぉおおおおおおおおお!」
男の掛け声がすぐ傍でした。誰かが俺の隣からジャンプして切り立った崖に爆煙を切り裂いて飛んで行く姿が見える。
「な、何なのよ…………?」
背後から聞こえた少女の声に振り返ると、そこには地面に手を付いて四つん這いになった伊織と倒れ伏したやよいがいた。――――て、伊織!
「伊織! お前檻は?」
「知らないわよ! 急に変な男に抱きかかえられたんだから!」
男? そう言えばさっき……。
再び視線を飛んで行った男の残像を追うように動かすと晴れてきた爆煙の向こうにバラバラになった鉄格子が目に入った。爆風に吹き飛ばされたにしては怪我もない。俺も男に運ばれたようだ。
煙が晴れまた空が顔を出した。太陽が昇りその輝きが最高潮に達している崖の上、日の光を背負った影が威風堂々と仁王立ちしている。
「誰だ、貴様!」
白蝋魔人の怒声は俺も聞きたいことだった。男はゆっくりと両手を広げるとマントらしい影が広がり逆光が不思議と収まっていく。
真っ赤な体、大きな目、渦巻き模様の頭。レインボーマンやアステカイザーと変身した衣装を見てきたがそれらを遥かに超えた異様な格好に唖然とする。
腕を左右に大きく開き、全身でXの文字を作るような体勢で男が答えた。
「俺は……カゲスター!」
カゲスター。
俺達を助けてくれた謎の男――その名はカゲスター。
「ええい! 何者か知らんがお前達やれ!」
白蝋魔人の号令で手に持ったアサルトライフルが斉射される。カゲスターはライフル弾をかわすように空中に飛び上がって、弾は誰もいない崖に当たって砂煙が巻きあがった。
「こっちだ!」
空中で一回転をしてカゲスターは黒タイツ達の真ん中に飛び降りる。距離が近すぎて銃では同士討ちになると判断してナイフに持ち替えた。
正面から切りかかる男の腕を掴み投げ飛ばす。
背後から迫った男は身を翻して避け、ガラ空きの背中に手刀を叩きこんだ。
「馬鹿者! 同時に行け!」
そう少し距離を取った場所から白蝋魔人に発破をかけられ、男達が一斉に取り囲むように襲いかかる。
だがカゲスターがマントを翻しその場で回転するとどんな原理か男達が全員吹き飛ばされた。
「ええいっ! 何をしている! 吹き飛ばせ!」
「危ない!」
俺は思わず叫んでいた。白蝋魔人の部下が再び無反動砲を構えていたのだ。あの爆発を直撃して耐えられるはずがない。
「撃てぇ!」
響く轟音が発射されたことを如実に物語っていた。
死んだ。少なくとも俺はそう思っていたのだが…………。
「カゲ車輪!」
再びカゲスターがマントを翻すと爆発がカゲスターの立ち位置と見当違いの所で起きた。
………………跳ね返したのか?
「に、逃げるぞ! 車を出せ!」
俺と同じ判断を下したのか冷や汗をかいた白蝋魔人は手下達と車に飛び乗り発進させる。僅かな空転の後、車は全速力で山道を走り始めた。
「逃がさん! カゲロベェ!」
カゲスターの呼び掛けに応えるように彼の影が大きくなって光源を無視し空中に浮かびあがった。
「はいな、親分」
「あの車を捕まえろ!」
「おまかせあれ~」
そう言って影が逃げていく白蝋魔人の車を追いかける。
………………て、影が喋った! 影が動いた!
カゲスターって文字通り影を使うのか。
「捕まえた」
カゲロベェはあっという間に車を捉え後輪を持ちあげた。空しく後輪が回転する音が響くが接地してない以上前に進むわけがない。窓から銃口を出して発砲するが影相手には効果はなかった。
「大人しくしなって~」
そのままカゲロベェが上下に降り始める。車が昇ったり降りたりする光景は生まれて初めて見た。
「それ~」
そんな気の抜けた掛け声でカゲロベェは車を投げ飛ばす。車は地面に落ちるとそのまま二回転して逆さまのまま止まった。
もう走るはずもない車から白蝋魔人達がフラフラと逃げ出して脚を縺れさせながら走ろうとする。
「白蝋魔人! 逃げられはしないぞ!」
「五月蝿い! 撃て撃て!」
まだ三半規管が回復してないままでも白蝋魔人の号令を受けて銃口を向けようとするがやはり狙いが定まらない。
その隙にカゲスターが先に動いた。
マントの星柄に掌を当てるとその手に星型の手裏剣が握られている。
「スターシュート!」
手裏剣が投げられライフルを叩き落とした。
「くそぉ!」
逃げ出す白蝋魔人に向かってカゲスターがジャンプをする。そして空中でキックの体勢を作りそのまま飛び蹴りを繰り出した。
「カゲキック!」
「ぐはぁああああああああ!」
カゲキックを受けて白蝋魔人は地面を転がりそのまま動かなくなる。
カゲスターの勝利だ。
白蝋魔人とその一味を打倒したカゲスターはゆっくりと俺達の傍まで歩いてきた。
「貴方は……」
「俺は……カゲスター」
いや、それは分かってる。
本当であれば感謝の言葉を述べるべきなのだが、俺の心に負の感情が引っかかり素直な礼を押さえつけていた。どうしてもっと早く来てくれなかったのか、どうして俺達だけ助けたのか…………何故やよいを助けられなかったのか。間違った思いだと分かっていたがそれをどうしても考えずにはいられない。
「どうして! どうしてもっと早く来なかったのよ!」
だが直情的な伊織はその気持ちを言葉にしていた。後で本人自身が後悔すると分かっていながらその気持ちを誰かにぶつけずにはいられなかったのだろう。
「止めるんだ……伊織……」
「うっさい! 分かってるわよ!」
そう怒鳴ると伊織は静かに泣きだした。かける言葉のない俺に代わってカゲスターが口を開く。まあ口はないんだが。
「やよいは生きてるぞ?」
『は?』
俺と伊織はそんな間抜けな声を出して顔を見合わせると横たえるやよいの傍までかけていく。俺は右手首で脈を取り、伊織は胸に耳を当てて心音を確かめた。
『…………脈がある』
「当然だ」
やよいの足元へと歩いてくるカゲスターを俺と伊織は呆然と見詰める。
「俺はやよいの影。やよいが死ねが俺も死ぬ。今は
生きている……。やよいが生きてる……。
「また俺の力が必要になったら呼んでくれ」
カゲスターが黒い影となりやよいの足元にくっついた。本当にやよいの影だったのか。
「ん……んん…………」
『やよい!』
小さな声がやよいの口元から零れた。俺と伊織は慌ててその顔を注視すると、ゆっくりだが薄らと両方の瞼が上がっていく。そして焦点が静かに合っていくのを感じた。
「プロデューサー……伊織ちゃん……無事だったんだね……」
「馬鹿! やよいの馬鹿!」
動けそうにないやよいを抱き上げると伊織は目線高さがの揃った親友を怒鳴りつける。やよいは吃驚していたが、俺はむしろ必要なことだと思い黙って話を聞いていた。
「やよいが無事じゃなきゃ一緒にアイドルできないじゃない!」
「ご、ごめんね……? 何か、伊織ちゃんを助けなきゃって思ったら自然と体が……」
「何が自然によ! もうこんな無茶絶対にしないでよ! やよいに何かあったら私……私……」
肩を震わす伊織にやよいが困った顔をする。こんな風に伊織から言われたことはないのだろう。目線で俺に助けを求めるが、俺は静かに首を振った。これは二人で解決すべきことなのだから。
「ごめんね、伊織ちゃん……。もうこんなことしないから……」
「絶対よ! 約束だからね! 破ったら許さないんだから!」
「うん……。じゃあ伊織ちゃんも一緒にアイドルするって約束守ってくれる?」
「仕方ないじゃない! 約束なんだから!」
「うん……えへへ……いおりちゃん……」
微笑みながらやよいがゆっくりと手を上げた。その挙動だけで伊織に何を求めているのか理解できる。俺にも理解できるのだから伊織に分からないはずがなかった。恥ずかしそうに頬を染めながら手を掲げる。
二人の心が通じ合っていることを実感するようにやよいは笑って手を振った。
『ハイ、ターッチ! いぇい!』
分かる人は分かっていた〝ザ・カゲスター〟登場回でした。予想以上に長くなってしましました。ベルスターは諸事情で出てきません。唯でさえ多いのでサブはゲストでもない限り削っていかないと収拾つかなくなるので。
暗い話が続いたので次回はもっとほのぼののんびり話を挟む予定です。