インタビュー当日は見事に快晴だった。地球が俺の初仕事を祝福し、成功を約束してくれているかのような文字通り雲一つない快晴。青い空の下社用車を停めて外に降りると、午後の日差しが眩しくてたまらない。
「あぅ~…………」
そんな爽やかな空気とは反比例した沈んだ声を漏らしながら雪歩は下車した。
女子のアマチュアプロレスラーとの仕事だと伝えたときからこんな感じだ。男性と接触することはないとはいえ、雪歩のような引っ込み思案で大人しい子にはプロレスが恐ろしいものに思えるようだ。はっきりと嫌だとは言わなかったが不安が残るらしい。
「雪歩、大丈夫か?」
「はい~……」
問いかけても弱々しく大丈夫と言うので俺も止められなかった。
今回の企画のコンセプトは〝いろいろな女の子〟で、新興のアマチュア女子プロレス団体を地元のタウン誌が紹介するという内容だ。だから対照的という意味で雪歩が一番適した。俺も先方に迷わず雪歩を薦めたし出版社の方も乗り気になってくれている。明らかに無理と判断できない限りキャンセルは難しかった。
強く目を閉じて短く何かを呟いた後団体の建物をしっかりと見つめて深呼吸をする。それを何度となく繰り返しているのは気合いを込めるためのようだ。
建物自体は平屋のそれほど大きくないコンビニのような物件だった。看板も小さく一見してプロレスを行う場所とは思えない。
しかし場所はここで間違いなかった。入口に打ち合わせで会った記者の方が待っている。ちらりと横目で雪歩を確認するとまだ深呼吸をしていたので、俺は静かにその場を離れ記者の方にあいさつをする。
「こんにちは」
「ああ、765プロさん。こんにちは」
首からカメラをぶら下げ、胸にはペンが挿してある。小さなタウン誌の出版社だったのでライターとカメラマンは兼任だと打ち合わせで言っていた。
「すみません、お待たせしてしまったようで」
「いえいえ、約束の時間の三十分前ですから」
記者さんは朗らかな笑顔を浮かべる。この人が出版社の上役と交渉をしてくれなければ今回の企画はなかっただろう。感謝の言葉もない。
「プロデューサー! 私、大丈夫です!」
覚悟を決めたらしい雪歩が駆け寄ってきた。記者さんにきちんと頭を下げて挨拶をしている。記者さんは男性なので少し怖がっているが、不意打ちではない状況で距離を保っていればちゃんと接することはできるのだ。まあ、多少声は震えていたが。
しかし相手にも男性恐怖症の件は伝えているので握手を求めたりはされなかった。ここまで気配りをしてもらうと本当に恐縮の極みだ。
「では、行きましょう」
記者さんの先導で中へと続く扉を潜る。
「待ってたよ」
「ひっ……」
そこには身長一七〇センチはあろう、女性にしてはかなり大柄な人物が腕組みをして待ち構えていた。あまりの威圧感に雪歩が後ろで息を呑んだのが分かる。俺も雪歩がいなければ半歩ぐらい後ずさったかもしれない。
「彼女がこの団体の代表者ですよ」
記者さんの紹介でこの人物が対談の相手だと理解する。ずっと電話で打ち合わせだったので写真では知っていたのだが、本物の迫力に脳の認識が正常に機能していなかったようだ。
「あ、今日はよろしくお願いします。私が765プロのプロデューサーです」
「へえ、じゃあこっちが対談相手のアイドルかい」
女性は雪歩に興味を持ったらしく上から下までじっくりと見定めている。あまりの眼力に雪歩は直立のまま完全に制止していた。失敗だったかもしれないと今更後悔の念が走るが、ここまで来たら仕方がないと自分を納得させる。
「雪歩、挨拶を」
小声で促すとまるでからくり人形のように細かく硬い挙動で手を差し出した。
「ヨ、ヨロシクオネガイシマス。ハ、ハギワラユ、ユキホデスゥ」
雪歩の手をじっと見つめ、雪歩の目をしっかりと見据えて女性は雪歩の手をがっしりと掴んだ。小さく雪歩が飛び跳ねたのはなかったことにしよう。
「なんだい、話に聞いてた以上にビビってんじゃんか! 何かこうあれだね、弄り倒したくなるね!」
きっと怯える猫を木の枝で突くような感覚なのだろうと女性の言葉から推測する。俺にそういう経験はないが小学生のころそんなことをしてた悪ガキを見たことがある。まあそいつは窮鼠猫をかむ、もとい窮猫人を引っ掻くという目にあっていたが。
女性は力加減が分かっているようで、雪歩が痛いとリアクションを取るが辛くはない程度に握っている。「痛いですぅ」と小さく抗議をする雪歩を笑っているのを見ると、意外と雪歩は気に入られたようだ。
「よし! じゃあ雪歩! お前プロレスは見たことあるか?」
「ないですぅ」
手を放された瞬間に雪歩の腰が引けていた。だが女性は気にせず話しかける。本当は事前に見せようかいう話はあったんだが、予備知識ゼロの方が面白いという話になったので、女性も雪歩が否定することを分かっていたはずだ。
「そうか。じゃあ、先に
「えっと……見るだけなら……」
なるほど、そう話を繋ぐのか。
代表をしているだけあって俺は女性のコミュニケーション術に舌を巻いた。最初にインパクトのある行動を取っておいて、会話のハードルを相対的に下げたのだ。その証拠に握手の後には雪歩は怯えながらも普通に会話ができている。
女性の案内で俺達は建物のセンターに置かれたリングの傍へと誘導された。上に上りロープを潜って女性はリングへと立つ。さすがに様になっていた。
「まあうちは旗揚げしたばかりで興行もないから、正式にはプロレス団体じゃないんだ」
ロープにもたれかかって女性は経緯を説明し始める。この後の対談でネタになるかもしれないと、俺達はその話に真剣に耳を傾けた。
「私はレディースやってたんだけどさ。ある日人生が空しくなったつうか……ま、とにかく今のままじゃ駄目だと思って女子プロ目指したわけよ」
意外と言うべきか順当と言うべきか。要は非合法に喧嘩してたのを合法的にできる立場になるだけのような……。
「で、そしたら後輩達も姉さんに付いて行きます~とか言いだしてよ。プロレスのプの字も知らない連中ばっかだったから、私のデビューを遅らせてその間に鍛えてやろうかなと」
だからまあ、ジムとかが近いんじゃねぇかと女性が笑った。今の状況を心底楽しんでいるのが分かる。多少遠周りでも夢に向かって走っている者特有の笑顔だ。765プロのアイドル達もよく見せてくれるが、結果に結びついていないのが残念でならない。
「うぃーす」
すると奥からもう一人女性がやってきた。幾分か背は低いがそれでも一六〇センチは確実に超えている。やはり体格がしっかりしていないとプロレスなんてやってられないのだろうか。
「お、来たな。じゃあ今からあいつとスパーリングやって見せっから、もうちょっと下がってな」
二人の女性がリングの中央で向かい合った。俺達は慌ててリングから距離を取るが、小さな出版社とはいえ記者は記者。しっかりとカメラを構えてチャンスを窺っている。雪歩は顔面蒼白に陥っていたが。
「おい、そこのゴング鳴らしてくれ。あと時間、五分な」
確かに俺の立っているところには長机があり、その上にはゴングとハンマーが置いてあった。腕時計で時間を確認してゴングを叩く。カーンという甲高い音が響き、二人の女性が真正面から組み合った。
プロレスの代名詞、手四つからの力比べだ。お互いが両手を握って相手を押し合う。やはり体格の差か代表の女性の方が有利なようで徐々に押し勝っていく。後から来た方がブリッジに体勢になった。
だがそこから反撃だ。必死の形相でブリッジから起き上がり逆に代表をブリッジの体勢に。そこからま代表が起き上がる。
再度中央での押し合い完全に動かない状況になるとパッとお互いが手を放した。ここから普通の試合ならキックや間接技等小技の応酬の後大技決着だが、スパーリングでどこまでやるのか。
そう思っていると相手のレスラーが飛び上がって胸にドロップキックをかました。思わずふらつく代表に殴り掛かるが、そこは見事にタックルで回避して足を刈る。
ダウンさせた相手に代表が寝技を仕掛けた。体勢的には腕十字を狙っているようだが相手も体を捻って極めるのを防ぎ、逆に足を取りにいく。
リングの上でお互いの関節を極めようと転がりあう二人だったが、とうとう代表が相手をアキレス腱固めに捕らえた。
苦悶の表情を浮かべながら何とか張っていく相手は辛うじてロープを掴む。
俺は思わずロープロープと叫んでいた。気分はレフリーだ。
ロープブレイクで仕切り直しとなるが、相手レスラーのダメージは小さくはないようだ。足を少し庇いながら立ち上がる。
代表はキックを繰り出した。胸に炸裂する度に相手は表情を歪めそれでも耐える。
バシンッバシンッと響く音に雪歩は顔を逸らしそうになるが、後のこともあって必死で顔を固定していた。
その連続して放たれるキックの一つを相手は抑え込んで、体を捻りきりもみ回転で倒れこむ勢いを利用して代表を投げ飛ばした。
受け身をとった代表は素早く起き上がり相手の追撃をかわす。だがその起き上がりの隙をついて相手は走り込んできてからのレッグラリアート。小さい頃漫画で見た技だ。
喉元辺りに喰らってさすがに代表もダウンをした。相手はそれをフォールする。
ワン!
ツー!
返した。代表の体が跳ね上がって上に乗っていた相手を弾き飛ばす。
もう既にスパーリングより試合に近くなっていた。向かい合う二人の眼つきが危険な雰囲気を醸し出している。眼光が恐ろしくぎらついていた。
本能的に危険を察したのだろう。俺の体は勝手にゴングを鳴らしていた。まだ三十秒ほど残っていたがこれ以上はどうなるか分からない。
代表はゴングがなったことで戦闘態勢を解いてこちらへと歩いてきた。やはり辛いのかローブに寄りかかって肩で息をしながら話しかけてくる。
「どうだった、初めて生で見るプロレスは? まあ、アマチュアだけどな」
「は、はい! 凄い迫力でびっくりしました!」
どうやら雪歩なりに初体験に興奮しているらしい。勿論俺だって手に汗握ったのだ、男の子が生で格闘技を見てテンションが上がらない訳がない。代表も我が意を得たりとばかりに頷いている。
「ガチの試合だったらもっと派手な技をお互いが出し合って観客を沸かせるんだけど――」
「じゃあ、そうするッス」
代表の胴体が背後から伸びた手に抱え込まれた。相手レスラーが音もなく近付いていたのだ。そしてそのままブリッジの体勢へと移行し代表を首からマットに叩きつけた。
「ジャ、ジャーマンスープレックス…………」
思わず有名すぎるその技の名前を呟いてしまう。確かにこれぞプロレスという派手な技だ。だがそれは逆に危険度の高さを意味している。
「て……めぇ、この野郎!」
クラッチを解いた代表が立ち上がって怒声を上げながら相手に殴りかかる。その形相は半ば鬼と形容するに相応しいものになっていた。
代表のフィストを避けようとした相手だったが、フェイント気味のロソバットを腹にもらった。
ふら付いた瞬間に代表は正面から抱え上げ背中からマットに叩きつける。これも有名なパワーボムと呼ばれる技だ。
ダメージの大きさ故マットの上でのたうつ相手レスラーに代表は怒声を浴びせる。
「スパーだっつってんだろが! ジャーマンなんか掛けやがって!」
「中、中途半端は、ムカつくんスよ……」
何とか悪態をついて反論はできるようだが、相手選手のダメージは小さくないのが見て取れた。それでも立ち上がろうという意志を見せているあたり彼女の闘争心の高さには感服せざるを得ない。
「ああ? だったらきっちりとケリをつけてやらあ!」
っておいおい!
俺はまだゴングをハンマーで我武者羅に叩きまくった。騒音に近しい音が響き渡って雪歩なんかは思わず耳を塞いでいる。だが俺はそれでも力の限り腕を振るい続けた。
すると大音量に反応して二人の動きが止まる。俺はほっと胸を撫で下ろしてハンマーを置く。
「お二人とも、もうスパーリングは終わってますから!」
「あ、あはははは! そうだったね!」
いや~熱くなって申し訳ないと照れ臭そうに代表が頭を掻く。気勢を殺がれたのか相手選手はふらふらと立ち上がるがもう迫っては行かなかった。
一先ずこれで事態は収束したと安堵する俺を気にもせず代表は雪歩に話しかける。
「まあ、試合だったらああいう派手な技をもっと見せるよ」
「ちょ、ちょっと怖かったです……」
前で組んだ手が少し震えていた。雪歩の性格からしたら派手でも危険な技は見るだけで怖いのかもしれない。
だが代表はそれが面白くなかったらしい。
「おいおい分かってないねぇ。プロレスってのはその怖い技を出し合うのが良いんだよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうだよ。プロレスの神髄は技の掛け合い。相手の派手な技を派手に受けて、更に派手な技で返す! そういうエンターテイメントなのさ!」
「エンター……テイメント……」
嬉々としてプロレス論を語る代表の話に雪歩は聞き入っていた。記者さんがその様子を何でもファインダーに収めている。これも確かに対談の一部となりうる箇所だ。
「そうだな、お前もちょっとやってみるか!」
「へ? そ、そんな! 私なんてとても無理ですぅ!」
「まあまあ、雰囲気だけな! おい、こいつでも着れるコスチュームあっただろ!」
どうも話の流れが変な方向になってきたぞ。雪歩本人が言う通り、俺にも雪歩がプレロスなんてできるとは思えない。慌てて代表に抗議を入れる。
「ちょっと待ってください! 雪歩にそんなプロレスなんて――」
「なに、ちょっとリングに上がって技の一つや二つ教えるくらいだよ」
それは確かに経験しておくのもありかもしれないが……。しかし本人の性格的に向いていないんじゃないかと思い雪歩に視線を送ってみるとやはり不安そうな顔をしている。どうしたものか咄嗟に判断しかねていたが、雪歩の方から声をかけてきた。
「あの…………プロデューサーはどう思いますか?」
「そ、それは……」
即答できない俺の気持ちを雪歩は敏感に感じ取ったらしい。意を決したように口元をきっと引き締めると、いつもの倍はあろうかという声量で返事をした。
「わ、私やります!」
暗に俺が強要したような形になって申し訳なく思う反面、俺は自分の要望が通ったことを喜んでしまった。今の一言を雪歩が告げるのにどれほどの勇気が必要だったか。それをしっかりと理解して支えるのがプロデューサーの仕事なのに、俺は雪歩の賢さと優しさに甘えてしまったのだ。
「おし、じゃあ着替えてきな! 用意してやれ!」
「なんで私が……」
「さっさとしろ!」
代表とスパーリングをした相手レスラーが部活の先輩と後輩みたいな会話を繰り広げていた。憎まれ口を叩きながらもしっかりと信頼関係が感じられる。口ばかり優しい俺とは正反対だ。
だがそれで落ち込んでいられるわけもなく、俺は少しでもフォローをしようと雪歩に話しかけた。
「雪歩、本当に大丈夫か? 当初の予定にないことだから今からでも断れるぞ?」
「だ、大丈夫です、プロデューサー。ちょっと怖いですけど、私あの人達のこと凄いと思ったんです」
雪歩は拳をしっかりと握って力説した。お茶以外でこんなに熱くなる雪歩を見るのは初めてで意表を突かれる。
「私、自分を変えたくてアイドルになったのに何も変わらなくて……。でもあの人達は、お客さんに見られる自分を作り上げてるんだと思います。そのために本当に辛い練習をして、体中傷だらけなんじゃないかって。そしてそれでもお客さんを楽しませることに一生懸命で……。だから私もほんのちょってだけでもあの人達みたいに頑張れたらと思って……」
変わりたいという願望が雪歩を突き動かしているようだ。なら確かに初めての経験は、自身を変化させるのに最適な要素で間違いない。それがアイドルの望みならプロデューサーとして俺のすべきことは応援じゃないのか。
「分かった。怪我しない程度に頑張ってこい!」
「はい!」
はっきりと返事をして雪歩は更衣室へと入って行った。
クロスオーバーができてない! 一話の話がいちいち長い! もっとコンパクトにまとめる練習が必要かもしれませんね。