東京魔圏~この危険な東京で、僕はゴブリンを頼りに生き残る。最弱魔物かと思っていたけれど、実は最強でした   作:埴輪庭

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第105話「一時間」

 ◆

 

 意識が現実へと引き戻された。

 

 足元のアスファルトのざらついた感触、廃墟の街に漂う埃と黴の匂い──五感が一斉に現実の情報を叩きつけてくるせいで、一瞬、激しい眩暈に襲われる。

 

 まるで魂だけを引き抜かれ、不純物を取り除かれた後に無理やり肉体へ押し戻されたような、嫌な疲労感が全身を支配していた。

 

「……また、あの場所か」

 

 三崎は吐き捨てるように呟き、ずきりと痛むこめかみを押さえた。

 

 前回経験したとはいえ、この感覚に慣れることはないだろう。

 

 心と体がバラバラに分解され、雑に繋ぎ合わされたような不快感だけが残る。

 

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

 

 麗奈が駆け寄り、心配そうに兄の顔を覗き込んだ。

 

「うん、大丈夫。それより、みんなは」

 

 三崎が視線を巡らせると、菜月がルー・ガルーに寄り添われながら、壁に手をついて小さく喘いでいるのが見えた。

 

「大丈夫……です。ちょっと、気持ち悪いだけで……」

 

 気丈に答えようとする菜月だが、三崎には大分無理している様に見える。

 

「先ほどの光景は──」

 

 伊丹が言いかけた、その時。

 

 伊丹が耳に手を当てインカムから送られてくる情報に意識を集中させた。

 

 眉がわずかにひそめられ、やがてその表情がみるみるうちに険しくなっていく。

 

「……了解しました」

 

 伊丹は忌々しげに吐き捨てると、三崎たちに向き直った。

 

 瞳には先程までの冷静さはなく、焦りの色が浮かんでいる。

 

「イノベイターの新宿支部からの定時連絡です。正体不明のモンスターの大群が新宿区に集結中とのこと」

 

 伊丹の声はかろうじて平坦さを保っている。

 

「そして、その大群は……恐らく、ここ渋谷区を目指している様です」

 

 一時間後に封鎖されるこの街へ、モンスターの群れが向かってきている。

 

 その絶望的な事実に全員の顔から血の気が引いた。

 

 空気が凍り付く。

 

「封鎖される前に、ここから脱出すべきです。生き残ることを最優先に新宿区へ急ぎましょう」

 

 伊丹の提案はもっともだった。

 

 感情を挟む余地のない、生存のための最適解。

 

 しかし、三崎は即答できなかった。

 

 瀬戸絵梨香の顔が脳裏をよぎる。

 

 笑顔、困った顔、少し怒った顔。

 

 ──彼女は渋谷にいるのか、それともどこかへ移動したのか

 

 恐らくは避難所かどこかだろう、そして避難所なら戦力もあるだろうしそこまで心配することはないのでは──

 

 いや、しかし、でも。

 

 そんな葛藤がある。

 

「お兄ちゃん……」

 

 麗奈が兄の服の袖をそっと引く。

 

 その小さな感触に、三崎は我に返った。

 

「私は、お兄ちゃんと一緒ならどこでもいいよ。あの人を探しに行きたいなら、私も戦う。だから、お兄ちゃんが行きたい方へ行こう」

 

 その言葉に、菜月も小さく頷いた。

 

「私も……探している人がいます。だから、三崎さんの気持ち、分かります。でも……今は、生きていないと、誰かを助けることもできません」

 

 麗奈は好きにしろという、菜月はいまはまず逃げろという。

 

 三崎は決めきれない。

 

「三崎さん、迷っている時間はありません」

 

 伊丹が焦燥感を滲ませた声で告げた。

 

「……来ています」

 

 伊丹の視線の先、通りの向こうから地響きのようなものが伝わってくる。

 

 アスファルトが微かに震え、遠くのビルからガラスの破片がパラパラと降り注いだ。

 

 数は、百か、二百か。

 

 いや、そんな生易しい数ではない。

 

 地平を埋め尽くすかのような土煙が、絶望的な現実を物語っていた。

 

「ひとまずどこかへ隠れましょう。そして──やり過ごしたら、新宿へ」

 

 三崎は決断を下した。

 

 今は、生き延びること。

 

 それだけを考えなければならない。

 

「あそこのマンションへ!」

 

 伊丹が指差した、近くの廃マンションへ四人が駆けだそうとした、その時。

 

「あっ!?」

 

 伊丹が空を見上げて叫んだ。

 

 先程まで伊丹が偵察させていたはずの召喚モンスターが黒い花火のように弾け飛んだ。

 

「……やられた。私のシーカー・ファルコンが」

 

 三崎は空を見上げる。

 

 青い翼を持つ鳥の群れが空を覆い尽くさんばかりの勢いで降下してきていた。

 

 その嘴は槍のように鋭く、陽光を反射して鈍く輝いている。

 

『レア度3/蒼穹より貫く飛愴ブルーランス/レベル2』

 

「やっばッ……!」

 

 そう、やばいのだ。

 

 あの勢いで体当たりされたらたまったものではない。

 

 アーマード・ベアが威嚇するように低く唸り、三崎のゴブリンたちも警戒心を剥き出しにしている。

 

 ルー・ガルーもまた、全身の毛を逆立てて空を睨みつけていた。

 

 ──まずいな

 

 三崎の心に焦燥感が忍び寄る。

 

 空からの奇襲。

 

 地上から迫りくる大群。

 

 何かしらの策を考え、打つ時間の余裕もなさそうだった。

 

 地上のモンスターたちに対してはまだ若干の猶予がありそうだが、空の敵はもう目の前だ。

 

 結局、有効な手を何一つ打てないまま、襲撃は開始された。

 

 一体のブルーランスが、銃弾のような速さで麗奈めがけて急降下してきた。

 

 風を切る音が、死の宣告のように耳元を掠める。

 

 アーマード・ベアが庇おうとするが、間に合わない。

 

「危ない!」

 

 菜月が麗奈を突き飛ばした、その瞬間だった。

 

 甲高い悲鳴が上がる。

 

 鋭い嘴が菜月の肩を深く抉っていた。

 

 華奢な体がよろめく。

 

 鮮血が彼女の着ていたパーカーを瞬く間に赤黒く染めていく。

 

「春野さん!」

 

「なっちゃん!」

 

 三崎と麗奈の叫びが、瓦礫の街に虚しく響いた。

 

 次々とブルーランスが襲いかかってくる。

 

 その動きは統率が取れており、まるで訓練された戦闘機のようだった。

 

 三崎はゴブリンに菜月を守らせるように指示を出した。

 

 合成、進化、あるいは別の個体の召喚──そんな余裕はない。

 

「走れ!」

 

 三崎が叫んで麗奈の手を退いてマンションへ向けて駈け出した。

 

 ◆

 

「こちら伊丹! 覚醒者一名が重傷! 緊急搬送を要請する!」

 

 インカムに怒鳴るように指示を飛ばしながら、三崎たちに叫ぶ。

 

「本部からの支援があれば治療は可能です! ここを切り抜けて新宿へ向かいますよ!」

 

 三崎は自分のシャツを破り、菜月の肩を布で強く縛って止血する。

 

 混乱の極みであった。

 

 マンションの外はブルーランスが雨あられと降り注いでいる。

 

 当然地面に衝突し、そのまま死ぬのだが──

 

 光の粒子と化すことがモンスターにとってどういう意味合いなのかは三崎には分からない。

 

 死なのか、死ほどではない単なる戦闘不能の状態なのか。

 

 ただ、それでも地面への衝突を恐れない鳥の大群に、三崎は内心で恐れを覚える。

 

 だが。

 

 ──いや、怖くはないはずだ。あの鳥は次々死んでいっている。簡単な話だ。鳥が降り止めば、あとは移動するだけ

 

 そんな冷静な声が脳内に響く。

 

 奇妙な話ではあった。

 

 三崎はこういった場面では必ず“この声”を聞く。

 

 それは三崎の声だが、どこか自分ではないような気もしていた。

 

 だが悪いものではない。

 

 その声が聞こえると三崎は決まって落ちつく。

 

 すっと平常心が戻ってくるのだ。

 

 でも、と三崎は思う。

 

 ──あと、一時間か

 

 そう、時間がない。

 

 

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