東京魔圏~この危険な東京で、僕はゴブリンを頼りに生き残る。最弱魔物かと思っていたけれど、実は最強でした   作:埴輪庭

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第85話「住宅地へ」

 

 ◆◆◆

 

 都庁第二本庁舎・地下二階。臨時統合作戦司令部(JOC)の壁面モニターに、二十三区を貫く赤い帯が一本増えた。

 

 練馬区側の大型魔樹〈ツリー・チャーリー〉が轟音とともに倒壊し、結界が消失した証拠だ。

 

「裂孔幅二・四、推定継続時間―一三〇秒。コード“バリア・ゼロ”を宣言します」

 

 通信卓の陸曹が報告すると、責任者の栗原一佐はうなずき、短波送信機の送信スイッチを押し込んだ。

 

「──こちら“オメガ・アルファ”。各前線司令部は聴取せよ。

 一、〈ツリー・チャーリー〉破壊を確認。練馬‐中野バリア、一時消失。

 二、練馬SSC所属・機甲小隊一個と救護車二両、北環七経由で中野SSCへ向行。到着予定プラス二〇分。

 三、モンスター流入の恐れ大。友軍識別は“緑発煙筒”。繰り返す、識別信号は緑──」

 

 背後の副官・神林三佐がタブレットでホップ周波数を走査しつつ、素早く文書を30字ごとに区切って番号を振る。

 

 〔1/3〕〔2/3〕〔3/3〕と添えたデータは、天井近くを浮遊する中継ドローンへ自動送信された。

 

「ドローン経由、中継完了」

 

「よし。念のため帯域狭化で音声バックアップを流せ」

 

 栗原が命じると、無線室のもう一台の送信機が低く唸った。

 

 数秒後、耳を劈くようなノイズを挟みながらも応答が返る。

 

『……こちら“サファリ・ワン”。復唱する──〈バリア・ゼロ〉、〈機甲増援プラス二〇〉、〈識別緑発煙〉。受信完了』

 

 栗原は短く息を吐き、素早く次の手順を示す。

 

「練馬SSCは増援を南青山チェックポイントで一旦減速させろ。新宿SSCをハブに経路を再確認。誤射が最悪だ。

 

 中継ドローンD25はバッテリ残25%。維持出来ないと判断したら上空巡回ではなく帰還するよう自律設定を替えろ」

 

 神林が頷き、モニター右上に「D25 経路:南大通り→落合公園→帰還(残22%)」の新タグが浮かび上がった。

 

 部屋の奥、野戦テレタイプが紙テープを吐き出す。運び込まれた新着電文を確認した若い通信兵が声を上げた。

 

「東部SSC(荒川)より報告。“魔樹ツリー・デルタ”外周で未知モンスター湧出率上昇。ノイズレベル+1・2dB!」

 

 栗原はモニターに目を戻す。

 

 赤い点の増殖が中野方向へ舌を伸ばしつつある。

 

 練馬の裂孔から流れ込む個体と、東からせり上がる群れ。

 

 それらが合流すれば市街は一気に飽和する。

 

「いいか」

 

 栗原はオペレータ席を見渡し、静かに続けた。

 

「通信が切れた瞬間、前線は真っ暗だ。視界を失うのと同じだ。周波数ジャンプに遅延が出たら即座に手動に切り替える。──なんとしても回線を保たせろ

 

 その言葉に応じるように、短波送信機のスタンバイランプが再び緑に灯った。

 

 JOCから放たれた指令は、ドローン中継を経て幾つもの臨時ポールを跳び、暗い市街の奥で身を潜める小隊へと届く。

 

 雑音の向こう、マイクの電鍵が二度──短い「C」のモールスを返した。

 

 栗原はその応答を耳にして小さく頷き、次の指令書に目を走らせる。

 

 中継ランプは脈動を続け、都庁の地下は再びハム音と打鍵音に包まれた。

 

 ◆

 

 住宅街の広い幹線道路は瓦礫で塞がり、裏道は蔦が繁茂していた。

 

 見通しの悪いその場所を前にして、吉村の顔に不安の色が浮かぶ。

 

「三崎君、その……ゴブリンで本当に偵察は大丈夫なのか?」

 

 吉村の視線の先には、二匹のゴブリンが低い姿勢でじっとこちらを見上げている。

 

 三崎は柔らかく微笑んで頷いた。

 

「大丈夫ですよ、吉村さん。この子たちは小柄で、こういう場所での移動は得意なんです。目端も利きますし、まずは状況を見てきてもらいましょう」

 

 三崎がゴブリンたちに軽く手を振ると、二匹は小走りに茂みの中へと潜っていった。

 

 ゴブリンたちは身軽に瓦礫を飛び越え、繁茂した蔦の隙間をするすると進んでいく。

 

 二匹のゴブリンは瓦礫と蔦に覆われた住宅街を素早く進んだ。

 

 深緑色の皮膚に鋭い目を光らせながら、瓦礫の隙間を巧みに潜り抜け、地を這うように移動する

 

 ゴブリンたちの視界には、いくつもの廃墟となった家々が歪に重なり、あちこちに倒れ込んだ電柱や砕け散ったアスファルトが見える。

 

「ギイギギギ」

 

「ギギギ」

 

 二匹のゴブリンは何か会話めいた言葉を交し、今度は二匹が別々の方向へと向かっていく。

 

 動きは機敏で、躍動感に溢れている。

 

 彼らにとって人間の街は常に不可解だったが、この荒れ果てた風景にはむしろ心地よさすら感じているようだった。

 

 瓦礫の間を滑るように進んでいた一匹のゴブリンは、視界の端に動く影をとらえた。

 

 即座に地面に伏せ、身を潜める。

 

 鋭敏な嗅覚が、モンスターの気配を敏感に捉えた。

 

 視線の先、数十メートル離れた路地の奥に、小規模なモンスターの群れが確認できる。

 

 体躯の大きな異形が数体、小さな獣型のものを伴い、路地をふさいでいる。

 

 ゴブリンはその様子をじっと観察した。

 

 そしてそのイメージを自分たちの主である三崎へと送る。

 

 二匹のゴブリンにとって、三崎は悪くない主人だった。

 

 彼は他の覚醒者たちとは異なり、ゴブリンである自分たちを決して見下さなかった。

 

 そのためか、三崎のために偵察を行うことに彼らは奇妙な満足感を覚えていた。

 

 そうして二匹は十分な情報を送ると、慎重に音を立てないよう、元来た道を引き返した。

 

 ◆

 

 三崎は仲間とともに瓦礫の影で待機していた。

 

 やがて戻ってきたゴブリンたちの姿を認めると、小さく頷いて安心させるような笑みを浮かべた。

 

 ゴブリンたちは三崎の足元に近づき、犬のようにその傍らで待機する。

 

「前方に小規模な群れがいるようです」三崎が告げると、それを聞いた吉村が地図を広げ、迂回路を探す。

 

 しかしすぐに険しい表情を浮かべた。

 

「回り込むには倍以上の時間がかかるな」

 

 吉村の言葉に、隊員たちが小さくざわめく。

 

「正面から叩いて進むしかないな。こちらは不意を突ける」

 

 交戦ということで他の者たちの表情に一瞬不安がよぎった。

 

 平気なのは三崎くらいだ。

 

 “ゴブリンの視界”から視た情報では、さほど強力なモンスターはいなかった。

 

 それらを今自分たちが有する戦力と比べると、どうあがいても負けようがない。

 

 それなら怖がる必要はない──これが三崎の落ち着きの理由だ。

 

 ◆

 

 高槻は額に滲んだ汗をぬぐった。

 

 ゴブリンが偵察を終えて帰ってきたその瞬間から、彼の心臓は嫌なリズムで鼓動を打ち始めている。

 

 先ほど三崎がさらりと「前方に小規模な群れがいる」と言った、その口調がどうにも腑に落ちなかった。

 

 その言い方にはまるで緊張感がなかったのだ。

 

 この状況下で三崎は平然と、むしろ穏やかに微笑んですらいた。

 

 高槻にはそれが理解できない。

 

 ──どうしてアイツはあんなに落ち着いているんだ? 

 

 小規模とはいえ敵がいる。

 

 つまり、戦闘は避けられないということだ。

 

 高槻はすでに何度か戦いを経験し、そのたびに仲間の死を目の当たりにしてきた。

 

 あの恐ろしさ、命が簡単に奪われるという実感。

 

 胃がひきつり、足が震え、冷静さを失う恐怖。

 

 それが高槻にとっての戦闘だった。

 

 だからこそ三崎の態度が異様に見える。

 

 あいつの表情には恐怖どころか、不安のかけらすらない。

 

 それどころか、小動物でも可愛がるような態度でゴブリンを扱っている。

 

 それが余計に高槻を苛立たせた。

 

「……前田」

 

 高槻は隣にいる前田の袖を軽く引いた。

 

「ん?」

 

「アイツ、なんであんなに平然としてるんだ? おかしいと思わないか?」

 

 高槻の囁きに、前田は少し眉を寄せる。

 

 しかし高槻ほどの強い警戒は感じていないらしい。

 

「まあ……確かに落ち着いてるとは思うけどな。経験豊富って事なんじゃないのか?」

 

「いや、そういう問題じゃない。戦闘だぞ? 命がかかってるんだ。……普通はもっと緊張するだろ」

 

 前田は何か言おうとして、結局口を閉じた。

 

 言い返せる言葉がなかったのだろう。

 

 彼もまた戦いが恐ろしくないわけではない。

 

 高槻ほどではないが戦場に出るたびに彼の顔から血の気が引くのを、高槻は何度も見ている。

 

 そして前田の視線が不意に動いた。

 

 沙理の立ち位置が妙に三崎に近いことに気づいたようだ。

 

「あいつら、なんか妙に近くないか?」

 

 前田がぼそりとつぶやく。

 

「……沙理か?」

 

「ああ。気のせいかもしれないけど……」

 

 高槻も視線を向けると、確かに沙理は三崎のそばにいる。

 

 他の者たちと比べてわずかに距離が近い。

 

 それもまた高槻の神経を刺激した。

 

 沙理や英子は三崎の態度に違和感を感じていないようだ。

 

 もしかすると何かを知っているのだろうか。

 

 いや、そもそも気にしていないだけかもしれない。

 

 高槻の疑念がぐるぐると渦を巻く。

 

 ──本当に自分だけが過敏すぎるのか? 

 

 視線を巡らせると、陣内が腕組みをして堂々と立っている。

 

 三崎以上に堂々としているが、陣内の場合は納得がいく。

 

 陣内は別格だ。

 

 アングリー・オーガの戦いぶりを目の当たりにしたことがある高槻は、陣内に対しては不安を感じない。

 

 むしろ陣内がいるからこそ、こうして戦闘に出られているという安心感すらあった。

 

 しかし、三崎は違う。

 

 その強さの理由が理解できない。

 

 単純に実力があるだけではない。

 

 何か根本的に感覚がズレているように見える。

 

 人間としての恐怖心が欠落しているかのように──。

 

 

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