椿の花言葉 「控えめな優しさ」「誇り」
柳の花言葉 「憂い」「素直」「愛の悲しみ」
「よぉ、久しぶり。恥知らずの桐乃ちゃん?」
透のその言葉に、桐乃は体が震えないよう必死に自制しながら、顔を伏せて答えた。
「……お久しぶりです」
「相変わらず、下向いてばっかだよなお前。少しは目上に敬意を払う姿勢を見せられないのかよ」
「申し訳……ありません」
桐乃はさらに深く頭を垂れる。長い黒髪がその表情を覆い隠していたが、怯えていることは誰の目にも明らかだった。
「そういえば、車椅子はどうした? まさか這ってここまで来たのか?」
透はあざけるような声で問いかける。それに対し、桐乃はまるで機械のような声で反応する。
「……足は治りました。今は、もう問題なく歩けます」
その答えに、透の顔がわずかに歪んだ。不快さを隠せないといった様子だ。
「治った? どうやって? 前の世界でも治せない障がいを、こんな時代遅れの世界でどう治すんだよ?」
「それは……」
桐乃は、話してはいけないと分かっていた。しかし、答えなければいけないという強迫観念が彼女を縛る。その二つの葛藤の間でせめぎ合い、桐乃の喉が詰まる。
その瞬間だった。鈍い衝撃が桐乃の身体を襲う。透が彼女の座る椅子に蹴りを入れたのだ。バランスを崩した桐乃は床に倒れ込む。
「お前、いつから俺の質問に詰まるようになったんだ? 十年も経つと、もう一度躾をし直さないと駄目か?」
透が倒れて動かない桐乃に近づこうとしたその時、無機質ながらもどこか重みを感じさせる声が、空気を裂いた。
「……なにをやっているんだい?」
その声に、桐乃は横目を動かして主を確かめる。それは、レオナルドだった。普段のふざけた調子や可愛らしい声色は影を潜め、極寒のように感じられる声だった。
「聞こえなかったのかな? 私は、“なにをやっているのか”と聞いているんだ」
透は不機嫌にしかめていた顔を引っ込め、甘いマスクと言っていい整った顔立ちと甘い優しげな声でレオナルドへと近づく。
「誤解ですよ。ちょっとした行き違いがあっただけです。椅子に足を引っ掛けてしまって、家族を転ばせてしまっただけなんです。なぁ、そうだよな桐乃?」
その優しげな口調の裏にある“肯定しろ”という圧を感じ取りながらも、桐乃はゆっくりと頷いた。
「…………家族ね。まぁいいさ。悪いけど、桐乃には私との予定があるんだ。君と一緒にはいられないよ」
「僕は家族ですから。どうせならご一緒させていただきます。問題ないでしょう?」
一見厚かましいとも言える発言だが、彼ほどの容姿であれば、そう言われて喜ぶ人も多いだろう。可愛い女の子の誘いに断る男が少ないように、甘いマスクを持つ男の誘いに、頷く女性もまた少なくない。
「悪いが、関係者以外の同行はお断りさせてもらうよ。たとえ家族でもね」
レオナルドにその願いは届かず、きっぱりと断られる。しかし透はそれでも折れないのか、諦める様子もなく話を続ける。
「まぁまぁ、そんなに堅いこと言わないでさ。僕は君みたいな“友達思い”な子とも、もっと仲良くなりたいだけなんだ」
「はっきり言おうか。私は君みたいな下品な男は嫌いなんだ。それに、君に答えを聞いたつもりはないよ。桐乃、もう行こう」
レオナルドは倒れていた桐乃のもとに歩み寄り、そっと声をかけるながら、怪我がないか確認する。
「立てるかい?」
「……はい。大丈夫です」
桐乃は小さく答え、ゆっくりと立ち上がる。レオナルドは自然と桐乃と透の間に割って入り、そのまま歩き出した。
「それは残念だな。また今度会ったら、部屋でゆっくり話でもしよう」
すれ違いざまに透はそう言ったが、レオナルドは完全に無視して、静かにバルコニーを後にした。
桐乃はその後、一言も発することなく、レオナルドに付き添われて自室まで戻ってきた。
レオナルドは、桐乃がベッドに腰を下ろすのを確認してから、扉を閉める。そして背中を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「桐乃。私はね、前世でも今世でも、“世間一般の家族”というものを持ったことがない。だから、家族のことについて助言できることなんてきっとないだろう。でもね、これだけは言わせてくれ」
桐乃が返事を返す気配はなかったが、レオナルドは悲しげな声で語り続ける。
「たとえ一人になりたくなっても。周りのすべてが嫌になっても。君は孤独じゃないんだ。抱え込むことだけは……やめてくれ。人はね、言葉にしないと何もわからないんだ…………」
そう言い残してレオナルドが扉に手をかけ、部屋を出ようとしたその時…………その服の裾を、桐乃がそっと掴んだ。
「……相談したいわけじゃ、ありません。ただ……話を、聞いてほしいんです」
俯いたままのその声は、今にも消えてしまいそうにか細く弱々しい。
「もちろん。いくらでも聞くさ」
レオナルドは微笑み、椅子に腰を下ろすと、桐乃の言葉を静かに待った。
「この世界に転移する少し前の日、父の書斎で一冊の日記を見つけたんです。わたしは、好奇心のままにその日記を覗いてしまいました」
1999年 5月
俺はゴールデンウィークが終わった後、周囲が憂鬱そうにしている中で、いつも通り勉強漬けの日々を過ごしていた。医者を目指す俺にとって、休日らしい休日などはない。
今日も学校と家を同じ時間で往復し、ただ一日が終わるはずだった。
いつも昼食をとっている食堂には、決まった席がある。そこは食堂の隅で、目立たず、日当たりも良くない。まるで隔離されたように、ひっそりと存在する二人用の席だ。壁に隠れるようにあるその席は、変な連中に目を付けられることもなく、静かに食事を取るには最適な場所であり、よく利用していた。
しかし、今日はその席には先客がいた。腰まである黒髪を真っ直ぐに下ろしたストレートヘアーに、座っていてもわかる長い脚、氷のように冷たい印象を与える無機質ながらも美しい顔。それは大学で有名な美人、
家柄が良く、本人も非常に美しいため、入学からずっと異彩を放っていた人物だ。そんな彼女が、こんな目立たない席に座っていることに少しの驚きと疑問を抱くが、これ以上突っ立っていても悪目立ちするだけだと思い、別の席に移ろうとしたその時、松平から声が掛かる。
「どうぞ」
彼女の目が完全にこちらを捉えていて、どう見ても俺に向けて言った言葉だった。違う人に言っているのだろうと思いたかったが、目線は明らかに俺に向けられていた。
仕方なく、俺は松平が座っている席の向かいに腰を下ろした。
「……あの、なんで相席?」
「貴方がここに座ろうとしているのを見たことがあるの。不思議よね。大学の食堂に、こんなに隠れてる席があるなんて」
それにしても、以前の松平の印象とは大きく違った。クールで冷徹な印象を持っていたが、実際は少し天然なところがあり、意外にもおしゃべりだった。
それから、彼女との交流は続いた。昼時に毎日同じ席で食事をし、俺が席を変えようとすると「その必要はない」と、ものすごい圧をかけてまで相席を強要してきた。
不思議なことに、その時間は嫌いではなかった。
1999年 8月
奇妙な出会いから、松平とは友達? のような関係になった。昼食時に会い、食事をしながら話すだけの関係だったが、それでも友達と言ってもいい……はずだ。
そんな関係が3ヶ月続いたある日、突然松平が遊びに行こうと言い出した。思わず食べる手が止まってしまい驚いていると、松平は、その顔がおかしかったのか、笑っていた。
一日くらいそんな日があってもいいだろうと、軽く受け入れたことを後で少し後悔することになると、当時の俺は知らない。
当日、松平と一緒に行ったのは水族館だった。どちらも初めての水族館で、勝手がわからずに従業員スペースに入ってしまい、怒られてしまった。まぁ、いい思い出になったかもしれない。
昼時になると、松平が食事に行こうと言い出した。特に反対する理由もなく了承したが、なぜか迎えの車に乗って、気づけば立派な平屋の屋敷に着いていた。
どこかの飲食店に行くものだと思っていた俺は、困惑しながら平屋に入った。通された畳の一室には、しわの目立つ鋭い眼光の老人が座っていた。
松平はその老人の向かいの斜め前に座り、俺には向かいの席に座るように指示してくる。俺は、睨みつけるように見てくる老人の向かいに正座すると、老人が口を開いた。
「オメェさんが、椿姫が言ってた奴か?」
何の話かまったくわからなかったが、とりあえず無難に自己紹介をする。
「初めまして、
老人はじっと俺を見つめ、しばらくするとゆっくり息を吐いて松平を見た。
「椿姫、儂はお前が立派になって嬉しいよ。後は自分でやりな」
そう言い残して、老人は部屋を出て行ってしまう。終始状況が掴めず困惑していると、松平が説明してくれた。
なんでもあの老人は松平の祖父で、初めての友人を一目見たかったらしい。説明を受けてもなかなか理解できなかったが、家の爺さんも俺に友達ができたら、飛び跳ねるくらいには喜びそうなので、そういうものかと自分を納得させた。
「それにしても、友達いなかったんだな」
松平があれほど高嶺の花として人気があって、まさか友達が一人もいないとは驚きだった。その気持ちがそのまま口に出てしまい、慌てて松平の様子を確認するが、特に気にした様子はなかった。
「貴方がいれば、それでいいもの」
松平の唐突な呟きで、俺は思わず顔を赤くしてしまう。松平はその様子を見て、してやったりという顔で笑い、俺はその羞恥に耐えるしかなかった。
ちなみに、松平の家で天ぷらと蕎麦は豪華でおかしかった。専属の料理人がいるようだ。金持ちのスケールは、店に行く必要すらないらしい。
1999年 12月。
松平とはあれから何度か一緒に出かけるようになり、距離が随分と縮まった気がする。
勉強は疎かにしていないが、今までの人生が大きく変わり始めたように感じていた。
そんなある日、彼女からクリスマスに遊ぼうと誘われた。
俺は二つ返事でそれを受け入れ、雪の予報が出ているクリスマスに備えることにした。
もともと趣味もなく、必要なもの以外に金を使うことがなかった俺は、普段バイトもあまりしていなかった。だが、この日のためにシフトを多めに入れることにした。
──そして、当日。
集合場所には早めに到着し、待っていると、松平が姿を現した。
この真冬とは思えないほど短いスカート姿で、思わず心配の言葉をかけた。すると──
「女性の服は、嘘でもとりあえず褒めるものよ?」
と、きっぱり言われてしまった。
これ以上踏み込んでもまともな会話にはならないと悟り、俺たちは早々に予定していた映画館へと向かう。
観たのは確か、恋愛映画だった気がする。正直、ほとんど覚えていない。もともと映画そのものを観る習慣もなければ、恋愛映画の良さも知らない俺にとって、内容はほとんど頭に入ってこなかった。
その後、人生で初めて高級フレンチの店へ向かった。
松平の家が裕福なのは、以前訪れた家からも明らかだったので、それに合わせて思い切って奮発することにした。
このためにマナーを学んだり、服装を整えたりとさらに出費がかさんだが、必要経費と割り切った。
松平の表情は、いつもと変わらない。
何かしくじったのではないかと不安になり、緊張で食事の味などまったく分からなかった。
最後に、海沿いにある自然公園へ向かった。
対岸に見えるビル群の夜景が、都会らしく、美しく瞬いている。
「ねぇ、柳くん。どうして今日、誘いに応じてくれたの?」
松平が、夜景を眺めながらぽつりと問いかけてくる。
「…………なんでって……」
理由ははっきりあったが、うまく言葉にできずに言い淀んでしまった。
すると彼女は、こちらを見上げてはっきりと言った。
「わたしは、貴方に告白するために誘ったの」
「えっ……」
突然の告白に、俺は声も出なかった。
そんな俺の様子が面白かったのか、松平は何時ぞやのように、してやったりとばかりに微笑んだ。
「柳くんがいつまでも告白しないから、わたしから言ったのよ? 残念ね。これで貴方は私に告白できない。──それで、返事は?」
「…………もちろん、YESだよ」
俺の気持ちは、すでに彼女には筒抜けだったようだ。
完全に告白の機会を失った俺は、ひとえに自分が日和った結果だと、潔く敗北を認めるしかなかった。
「情けない。俺は、告白すらできないのか……」
いつから彼女のことが好きだったのか、自分でも分からない。
何せ初恋だ。初めて抱く心の異常を、冷静に分析できるはずもなかった。
そんな言い訳を、誰に聞かせるでもなく心の中で呟く。
「告白なら、もう一度する機会があるでしょ?」
「…………早くない?」
流行る気持ちが空回りしている気がして、先走りすぎではないかと不安になる。
「わたしの家柄的に、必要な考えよ。それに──」
「それに?」
「わたし、結構重いの。嫌?」
振り返れば、彼女はいつも突然だった。
なぜか食堂で隣に座るよう促したり、いきなり家に招いて祖父に会わせたりと、行動が突発的だった。
そんな彼女に惹かれた自分も大概だが、それこそ今更だ。
「俺には、重いくらいがちょうどいいよ」
初雪が舞うクリスマスの夜。
二人は寄り添い、触れ合った鼓動にまだ知らなかった冬の色が滲んでいく。
あの時の温もりは、雪よりも静かに。そして、心よりも深く降り積もった。
「一部抜粋しながら話しましたが、結婚する前から父と母はとても仲の良い恋人のようでした」
静かに語り終えた桐乃は、一息つき、話を締めくくった。
「なんとも羨ましいくらいの恋愛模様じゃないか。短編小説くらいなら書けるんじゃないかい?」
いつから二人が互いを意識していたのか、その詳細は、日記には書かれていない。
だが恋とは、きっかけこそあれ、いつしか知らず知らずのうちに相手を想うものだ。
まさか桐乃の両親の恋愛模様を聞かされるとは思っていなかったレオナルドは、少々面食らった。
だが、それ以上に気になったのは、何故桐乃がこの話を自分に語ったのかということだった。
「桐乃。なんで親の恋愛模様なんて私に話したんだい?」
レオナルドが優しく問いかけると、桐乃は依然として重々しい様子のまま答えた。
「この話には、まだ続きがあるんです。確かに父と母は結ばれました。でも……物事はそう簡単にはいきませんでした」
──早朝、
日の光は分厚い雲に遮られその姿をほとんど見せず、辛うじて暗い部屋の中にかすかに差し込む。
桐乃は俯きながら、再び静かに語り始めた。
レオナルドの設定暴露その7
二人の恋愛
桐乃の父の蛍伍と桐乃の母の椿姫は、お互いに一目惚れだった。椿姫が蛍伍を遠くから見掛けた時に、椿姫は一目惚れ。そのまま、蛍伍がいつも座っている食堂の席に座り、ゆっくりと距離を詰めようと画策。
ただ、椿姫は良家の令嬢。蛍伍は医者になるために勉強づくしの毎日だったので、お互いにアプローチの仕方がわからずに長々と曖昧な関係を続け、蛍伍が日和っている間に椿姫が先に告白する。
レ「友達とも知り合いとも言えない絶妙な距離感は、私は好きだよ。曖昧でいつなくなってもおかしくない関係ではあるけど、他者に踏み込むのはそれだけ勇気がいることだよね。
まぁ、どっかに距離感ガン無視で寄り添ってくる奴もいるけどね。あれは荒療治が過ぎるし、ただのゴリ押しだよ」
小説の方針について少し考えました。1から3章とは違い、4章では光の帝国の掘り下げの為に長いペースでの展開が目立ちますが、その展開についての考えが知りたいです
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正直、遅い
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普通
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気にしていない
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掘り下げは欲しい
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はよ原作入れ
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作者の好きにしてくれ
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逆に速い