酒カスエルフ、ダンジョンへ行く 作:エルフスキー
三度目
お国を出たのは何時ごろだろう。目も開かぬうちに大樹の木陰から放り出され、産みの母上様とも死に別れて、
ヒビの入った盃を見て、水面に映る鏡像を見た。黒髪に混じった一房の翠。瞳は蒼穹よりなお蒼く、尖った耳には鋭く切り込みが入る。
母上様が如何なる罪を犯したかは定かでないが、それなりの想像が付く年頃にはなった。
不滅の存在であった養い親と、短命種たるヒューマンたちに育てられた身の上だ。
極端すぎる比較対象のせいで自覚がなかったのだが、寿命も耳長として奇異なものであるらしい。だからどうという話でもないが。
「愈々もって、独り立ちでござるなぁ」
「帰ってくるな」と矢絣を着せられ、風呂敷一つでふるさとを発った。腰には一本の刀を佩いているが、如何せん万年刀掛けを温めていた一振りである。正直佩刀として心許ないにもほどがあるので、武器は早々に調達したい。
此処らでエルフは珍しいらしく、方々からの視線を感じる。なるほど、顔を隠せる笠も欲しいな。幸い金子はたっぷりあるので、近くの街で揃えて行こう。
案ずるのはもう止めだ。盃の中身をぐいっと呷る。幼いお前にはまだ早いと、さんざ預けられた清酒の味は……
「……!!???」
ピリリと痺れた舌を振るわせ、彼女は遠く天を仰いだ。頬に一筋の雫が伝う。後の絶世の呑兵衛エルフはその日、魂からの快哉を叫んだ。
「甘露ッ……!!!!!」
彼女の名前はモガリ・
こと極東の地において、酒は水より高価である。よって路銀を酒代ばかりに費やすわけにもいかず、帰雁はそれらしい身なりを整えることに専念した。
生きてゆくには金が要る。辛うじて売れる品など剣の腕くらいであるものの、腕を売るにも信用が必要で、それにはこの奇怪な見目が足を引っ張るのだ。
何より目立つ。戦場で目立って良いことなど一つもないし、用心棒もまた同じく。「『女SAMURAIござる脳筋ハーフハイエルフ』???サブカルの化身か???」とはお節介な知り合いの言だ。何言ってんのかさっぱりである。
戦場を渡り歩いて
帰雁は欲が薄い。酒を愉しむことの他に、人生に甲斐がないのである。それが高貴なエルフ特有の長過ぎる人生ゆえか、或いは彼らのような“誇り”を持たぬゆえかは定かでない。
かと言って死ぬに足るほどの一所も見当たらぬ。生きて、刃を振るい、日銭を得て、その苦労で趣味を楽しみ、そして生きる。
酒や戦に狂っているわけではない。刀はあくまで方法であり、飲酒はあくまで趣味である。ただ彼女の夜は酔興にあり、彼女の朝は闘争にあった。それだけのことだ。
「猛き男神よ、お主は何ゆえ武に励むでござるか?幾星霜の鍛錬を重ねど、比類無き勇壮を誇れどなおも、未だ不足と思われるのか。己が武威に不満があらばいっそ天へと還るが良かろう」
いつも通りに打ちのめされた帰雁は半生の師に皮肉を吐く。
焚き火を挟んで相対する神は尊名をタケミカヅチ。剣と雷、加えて遍く“武”を司るその神は数十年来の弟子に微笑んだ。
「俺という神の在り方故だ。不変不滅の超越存在として、武とは謂わば俺の心鉄。下界に降りて何億年が経とうとも、決して歪まぬ本質に当たる」
「師よ、拙者は問答がしたいわけではござらん。意地悪と当て擦りを言っているのでござる」
全身の裂傷と打撲を忌々しげに検分しつつ、トンチキエルフは舌を打った。施すのは身体中に晒しを巻きつけて圧迫するだけの処置だが、サムライは決闘以外で死んだりしない。これ常識ね。
とはいえ薄汚れた外套の下に着込んだ矢羽模様の衣は、潜った死線の数だけ補修がされている。
タケミカヅチは只人に混じり食い扶持を稼ぐ親しみ易さと同様、眷属でもない相手へ武を授ける慈悲深さを持っている。
戦場が重なればお節介を焼かれることは分かっていたのだから、いくら割りが良かろうと『物の怪退治』の募集は辞退しておくべきだったのだ。
容易くツチグモをボコボコに伸した武神は、次いで弟子をギッタンギッタンに叩きのめした。稽古とは名ばかり、モンスターよりボコボコにされた帰雁である。
しかし師たるタケミカヅチも、死に体の弟子を放っておきたいわけではない。
にも関わらず何故手を拱いているのかといえば、「ブシに情けは不要ッ!」と手当てを拒絶しキレ散らかした不肖の弟子のせいである。武士なのか侍なのかハッキリしないエルフであった。
尤も師として神がご褒美の酒瓶をちらつかせると、途端ニコニコ擦り寄ってくる始末ではあるが。
盃を両手に「ややっ、ややっ、溢れる、溢れちゃうっ!」と大喜びの呑兵衛は、師の懐具合に応じてそう値も張らない安酒を啜り、形容し難い音で感嘆を漏らした。
弟子の癖に酌の一つもしない。相手が神でなくても無作法すぎる振る舞いだ。
「お前は本当に美味そうに酒を飲むんだな」
「無論。生きることとは歓ぶこと。拙者の歓びが酒にある以上、拙者は酒の為に生きていると言っても過言でござらん」
「過言であってほしいんだが……」
凛々しい眼差しでほざく酒カス。そろそろ一発殴って良いあたりの言動だが、慈悲深さが天元突破しているタケミカヅチは苦笑するに留めた。流石は神界でも類を見ぬイケメンだ。
結局師が持参した酒瓶を一人で飲み干した帰雁は、自らの羽織からも数本の酒瓶を取り出した。
てっきり暗器でも仕込んでいるのかと思っていた武神はまたもや苦笑。苦笑でどこまでも留めてくれる和御魂である。
夜が滔々と更けるに連れ、話題もまたゆっくりと流れた。近頃平定が進む北東部戦線の状況を共有していたタケミカヅチは、呑気な帰雁に代わり必死にその肉体を治癒している地の精霊を伺う。
頬に走った一文字の傷、左腕の打撲痕、圧迫で辛うじて留められていた右足の出血、その全てが薄まった弟子は、それに拘泥することなく盃を呷る。
「……帰雁」
「なんでござるか?」
「お前は『国家』に所属する気はないのか?」
地を這い嘗める炎に照らされ、師弟の影がゆらゆら揺らぐ。帰雁はひとつ目を瞑ったのち、端正な容貌の神を見つめた。
帰雁は強い。魔法の適性が高いエルフにも関わらず刀を握り、長きに渡る研鑽で磨かれた技量は並大抵のものではない。加えて武神たるタケミカヅチが手塩にかけて鍛えた、人域の果てに限りなく近い武者だ。
されど。
「……神よ、拙者はもはや高みへ至れぬのだな?」
二本差しの一本、己の武の象徴たる直刀を撫でる。通称を『金剛』、刀工曰く頑丈なだけの鈍刀は、無銘刀を使い潰していた帰雁が初めて手元に置いた業物である。無銘の数打ちを使い続けることに限界があったからだ。
それは得物に関わらず、人間の性能とて同じこと。人の領域の限界に達すれば、それは即ち頭打ちである。
帰雁という鈍がこれ以上強くなることはない……そう、普通の方法においてならば。
「故に神威を受け入れよ、と」
「その通りだ。もはやお前に成長は見込めない。【
世に遍くは八百万の神。不変不滅の
下界に降りて零能に堕ちた幾多の神々は【神の恩恵】と呼ばれる権能を下界の住人に施し、彼らを己のファミリアとする。それは世界の明日を継続する為、世界の滅びを回避する為に行われる生存戦略だ。
この極東の地はさる大御神と他多数の神々に統治される、世界で類を見ない規模の国家ファミリアである。その地にあって帰雁はどの神にも属さぬ逸れ者。
タケミカヅチにはステイタスを始めとする、ある種外付けの武威に難色を示す傾向がある。それでも彼はこの弟子を惜しんだ。
単純な歳月では自身の下位互換にしかなり得ない、
「師よ。拙者に他意はござらん」
帰雁は稀なる長命種だ。されど所詮は下界の住人の一人に過ぎず、タケミカヅチの苦笑の神意を伺うことはできない。それでも眼前の神に一言乞えば、彼が自分を眷属にするであろうことは分かる。
この神の元に根を張り彼の足元で憩えたならば、どれだけ満ち足りることだろうか。
タケミカヅチは篤実だ。勇壮にして武の頂点。寛容で、偉大で、懐が深く、崇め敬うに足る神格。
だからこそ受け入れられない。
「貴殿を敬愛している。神意に背くは心苦しい。多くご配慮を頂いたことも感謝している。されど拙者、
根無草は言う。その言葉に一つとして偽りはなく、故にこそタケミカヅチも強いることはしない。そも全能であらねど全知である彼は、よく知る子供の返答を当たり前に予測している。
珍しく緊張した面持ちの弟子に対し、彼は揶揄のような口調で笑った。
「早合点だな、帰雁。俺は【神の恩恵】を受けろと言った」
「は?」
「神と人の在り方は、何も一つだけではないということだ。遠く西へ向かうと良い。【迷宮都市オラリオ】は、お前に新たな歓びを示すだろう」
それは厳かな神託だった。人の子ははたと目を見開き、それから深々と頭を下げる。
二度と戻らぬ渡り鳥はしかと大地を踏み締めて、暫く後に極東を発つ。都度三度目の旅立ちである。
酒を呑む。絶句する。もう一度呑む。目を瞑る。
呑気に顔を晒した異色のエルフに無体を働こうとした男たちは、既に両腕を切り離されて転がっている。
一方酒に狂わされる前から酒に狂っていた女は、据わった目付きで言い放った。
「ここに住むでござる!」
筆休めの不定期!
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