酒カスエルフ、ダンジョンへ行く 作:エルフスキー
運動量とは質量と速度の掛け算である。
誰に習った算学だったか。机に向かった覚えはないので、故郷のあね様に聞いたのかな。
しかし帰雁は
何せ高尚な公式には、負けん気が含まれていないのである。
「覚悟ッ!」
「ンもう、またでござるかぁ……?」
爆発的に膨れ上がった戦意と、直後切迫した大剣。逆手で太刀を引き抜き、滑らせるようにして勢いを流す。
ジンと痺れる手。ギッと金属の擦れる音。大剣は指の2C先を掠め、毀れた刃が降りかかる。
あわや手首を叩き切られんとした刹那にあって、帰雁は眉一つ動かさなかった。
裂帛を伴った一撃を受け流され……当然それを予測していた少年は、返す剣で切り上げる。
正確な踏み込み、驚異的な腕力により重力に逆らった大剣は、二度標的の頸を狙った。
一撃必殺がトレンドなのか、最近の子は物騒すぎである。帰雁は割と引いた。
ここまで熱烈な殺意など、戦場でもお目にかかれない。
かといって此方が殺してしまうわけにもいかぬのだ。太刀に夢中な少年の顎を狙い、左手の甲で打ち上げる。
行動にしてみれば地味であろうと、集中を乱すに足る一手。
歯の根が合わさる音がする。
よって舌は噛まなかったようだが、骨の打ち鳴る音は強制的に人の意識を惹きつけるからして、彼はコンマ一秒の遅れを取る。それで十分だった。
「腹」
「ッあ゛」
柄でその腹を殴り付ける。上向きの角度で叩き入れたから、呼吸も散々に乱されたはずだ。尚も首を狙ってくる側頭部に追撃したのち、勢いよく背中を蹴り飛ばす。
繰り返し頭を揺らされた少年の手から、やっとのことで大剣が離れ……地面を弾んだ重厚な音にまた帰雁はドン引きしつつ、彼の傍にまで歩み寄る。
トンッと眉間を指で突かれたその形相は、もう憤死しそうな有様であった。
「う、ぐ……」
「勝負あったぞ?」
「………………参った」
心底憎々しそうに睨み上げてくる
手がビリビリと痺れている。額に浮いた汗と併せて、それが他人に知られることはない。
ただ恩恵も無く
「仕方のない坊でござるなぁ。良い加減牡丹鍋にしてしまおうか」
「お……おろ、せ……!」
狂騒の街オラリオの往来で、あまりないタイプのざわめきが走った。
すっかり風景の一部となった極東の装いの笠頭が、天秤棒を担ぐ姿はともかくとして。
彼女は一方には酒樽、もう一方にチーズと逆さの猪人の少年を吊るし、のんびり歩いていたからである。
「ドナドナされてる……」「マタギの獲物の吊るし方じゃん」「あれってフレイヤのとこの子だよな?」
神々はヒソヒソと囁き合うも、直接声を掛けはしない。“世界一偉大な助平爺”がその性別を暴いた直後、植木の隣に突き刺さった勇姿までもが周知された為、誰一人として近づく度胸がなかったのだ。
尚その真意は「胸くらい触らせても構わぬが、女神の悋気は買いたくござらん……」という遠回りな自己防衛であった。
この出来事は眷属を通じてヘラに
対して頭に血が昇ったせいで息も絶え絶えな少年は、【フレイヤ・ファミリア】の『
女神の戦士オッタル。弱冠十三歳にしてLv.3に昇格した新鋭である。
彼が団長たるミアから申し付けられていたのは、彼女が【ソーマ・ファミリア】から買い取った神酒の運搬だ。女神が望む美酒の為、彼は今日の『洗礼』に参加していなかった。
しかしこの単純な取引にも、紆余曲折の契機があったのである。
『美味しいお酒が飲みたいわ』
女神の我儘が端を発した。眷属たちが神酒に目をつけたのは間もなくのことだ。
彼女に応えるべく奮い立つ彼らは、迅速に【ソーマ・ファミリア】へと踏み入った。ただ一つ惜しむらくは……厚い信仰心と彼らの民度が、反比例の関係にあったことだろうか。
侍エルフは
『オラリオの夜明けでござる!』
最終的に飲み比べで決着をつけることになり、勝利した酒カスの台詞である。
直後友人が団長を務めるのが【フレイヤ・ファミリア】であったことを思い出し、「だったら売っても良いでござるよ」と一夜の全てを無に帰したことも含めて、実に人騒がせな事件であった。
賠償を取れたお陰で収支は黒字になった【ソーマ・ファミリア】だが、金庫番はさめざめと泣いていた。好条件の契約まで結んだというのに、全く不思議な話である。
こんな経緯があった為に、【フレイヤ・ファミリア】から【ソーマ・ファミリア】の印象はべらぼうに悪い。
堕落し酒に溺れては、襲撃に逃げ惑うばかりの平団員。本拠での抗争中すら部屋に籠る、陰気極まりない主神。
何よりあの笠頭が最悪だ。女神に売る酒はないと言ったくせ、ミア・グランドの名を聞いた途端に掌を返しやがった。
報告を受けたフレイヤは声を上げて笑ったし、団長も渋面で頬を掻いていたが、一般信奉者からすればあり得ざる不敬である。
他ならぬ女神が許しているからこそ、辛うじて闇討ちが起こらないような状態なのだ。
況してや酒宴に誘う女神直々の言伝へ、「酌をしてくれるなら」と返した無礼者。激怒したオッタルが誅罰せんとするのは当然であった。
しかし、彼は負けた。レベルも下の冒険者に。あまりに不謹慎な酔っ払いに。
鮮やかな武技で、何が起きたのかも分からず、地面へ強く打ち据えられて!
『百年早いでござる。生かして家に返してやる故、出直せ、ウリ坊』
ゲラゲラ笑う酔っ払い。屈辱であった。あれほどの恥辱は他にない……。
と思った経験を軽々と越えられ、逆さ吊りのオッタルは、衆人環視の元酒と一緒にミアに引き渡されたのである。
「頼もう。デリバリーでござる。天地無用でござるよ」
「こうなる気はしてたけど、ここまで酷いと思わなかったよ……」
どうして此奴を殴れないのか。
挑む度に『
人を逆さ吊りにしておいて、『効率良かろ?』と返してくる精神はどうかしている。
せめて悪意を持て。憤らせろ。冒険者でなくば死にかねないぞ。
「毎度のことでござるが、酒は冷暗所で保管してくれ。期限は保って一ヶ月。マア早めに飲み切るが良かろ」
「ああ、手間をかけさせたね……なんだいこのチーズ。頼んでないはずだけど」
「酒樽と吊り合わせると、坊は少し軽くてなぁ。竿が傾く故重しにした。まあサービスでござる。美味ぞ」
「そうかい…………」
歯切れが良いミアの珍しく曖昧な表情は、明らかに笑いを堪えるものである。
その後わざわざ作ってくれた昼食の盛りが良かったことは、恐らく彼女の愛情だろう。オッタルも問い糺すつもりは無い。
昼食のチーズリゾットは大変に美味であった。隣でトンチキエルフが舌鼓を打つ姿には、微妙に納得がいかなかったものの。
「ミアの料理は妙でござるな。馴染みがないのに懐かしい」
「なに、気に入らないって?」
「まさか。意地悪を言うな。美味しいでござるよ」
「……あっそ」
そう素っ気なくも微笑むミアを見て、何も言えなくなってしまった。
夜毎の晩餐とは打って変わり、『
女神の心を一手に支え、勇士の飢えと渇きを満たす。団長として多くの重圧を背負う女傑が、柵ない友人との些細な時間を欲するならば、当然叶えてやるべきだろう。
であれば一日でも早く、【フレイヤ・ファミリア】最強の座ぐらいは渡して貰わねば。
オッタルのような武骨者には、料理番など勤まらぬだろうし……。
ふと自分を散々叩きのめした酔っ払いが目に入る。途方もない絶技の会得に、どうやら精神性は伴わないらしい。
彼女はワイングラスを傾けて、不思議そうにオッタルを見た。
「……ウン?坊も飲むかえ?」
「要らん」
不甲斐ない……。こんなちゃらんぽらんに負けたか、俺は……。
どんな泥中に在ろうとも、足掻いて己の糧とするのが、この少年の強みであった。
午後から参加したオッタルの『洗礼』は、いつにも増して苛烈であった。
『強靭な勇士』達は年少の同胞が受けた仕打ちを聞いていたが、敢えて触れることはせず、剣によってのみ応える。
女神の寵愛を奪い合う仲であっても、流石に情けはあるのである。
なお暫しチーズを乗せられるなどの陰湿な虐めがあったが、オッタル少年は見る間にムキムキのタフガイへと変貌した為、それも僅かな期間であった。
女神フレイヤは優雅に微笑み、競り合う眷属たちを見つめる。捧げられた神酒を嗜む彼女は、この世の何より美しかった。
どの要素が好き?
-
酒(酒)
-
カス(性格)
-
エルフ(外見)
-
侍(武)
-
その他()