酒カスエルフ、ダンジョンへ行く 作:エルフスキー
クズ度マシマシです
その女の形相は初めて見るものだった。眼差しは実に冷ややかで、常に緩やかな唇は硬い。
夜の帷が落ちた中、蝋燭を照り返す眼の鮮やかさが際立っていて、まるでこの世の者ではない。
『拙者は人殺しが得意だ。天禀がある。老若男女、数えきれぬ命を奪ってきた』
断じる台詞。脅す声音。惨い言葉をぶつけられるのは愛しい愛しい片割れであり、にも関わらずアルフィアは動けない。
『故にこそ、上手に
ちらと心の何処かで思い、結局口に出せなかった残酷な言葉を、帰雁は当たり前のように吐き出したからだ。
諦めるよう促す声は、翻って甘く優しい。尊厳を無視する所業は身を委ねたくなるほど切なく響き、生命への冒涜すら慕情と錯覚させる音が蕩ける。
抗うには難しい甘言。母として生きられぬ娘に告げるには無情過ぎるそれ。欠片も悪意がないからこそ、あまりに非道で邪悪な行い。
されどとびきりの親切を言われたかの如く、メーテリアは微笑んだ。
『でも帰雁、きっと貴方には出来ないわね』
『何故そう言える?出来るぞ、なんの呵責もなく。ぬしを殺して産まれるモノが、ぬしより綺麗なモノとは思えぬ』
『いいえ。だってそうでしょ?』
歪な誘惑を受け流して、硬く強張る女の手を取る。幾多の命を刈り取る五指を、何ら躊躇なく胎へ導く。
『脈打っている』と忌々しげな年上の友に、メーテリアが再度笑った。片割れたるアルフィアすら知らない顔で、ただただ幸せそうに言う。
『私が嫌だと思うことを、貴方に出来るはずがないもの』
もはや彼女は少女ではない。メーテリアは美しい女であり、一人の子供の母でもある。
何者にも穢されない、白く眩い決意が示される。無垢な信頼を向けられて、着流しの長身が震えるのが分かった。
『ねえ。この子が無事に産まれてくるまで、私の子どもを護ってくれる?』
『……嗚呼。本当に困った娘よなぁ……』
それは呆れて祈るようにも、諦観で項垂れたようにも見える動作だ。
帰雁は取り出した酒瓶を傾け、蒸留酒を一気に飲み干す。それからちっとも酔えていない、疲れきった顔で頷いた。
「帰雁。貴様。よくもその面、私に見せられたものだな……!」
「ひええアルフィア」
……なお酒カスが完全敗北を喫し、色々ズタボロにやられていようとも。最愛の妹にあんな心無い言葉をかけられ、キレない姉はいないのである。
聞いたこともない他所のファミリアとの抗争に呼び出され、大してやる気もないまま参加したが、そこにLv7がいた時の心情をどう表現すべきか。
詐欺でござる、と帰雁は思った。何なら実際に口に出した。
サプライズ
その上顔見知りの男も萎え切ったような面持ちで、いよいよ嫌気もさしてくる。
「己がこれ程女々しいとは思わなかった。失った
笑顔が無い。気力が無い。そして何より覇気が無い。目の前の男は死に損ないで、活きられなくとも生きている。
その癖見てくれだけは整えているから、枯死しかけた向日葵のようだ。虚仮威しですら大輪は崩れず、かつての覇者は諧謔的な笑みを作った。
「思えばゼウスが俺を縛ることは一度としてなかったが……今連んでる奴らはとことん陰気で、兎にも角にも水が合わん」
「水が違えば魚も異なるさ。濁りが住み良いものかはさておき、友は選ぶべきでござる」
「は、耳が痛い。とはいえお前を自由にさせるのは不味いって意見だけは、残念ながら同意できるのでな」
のんびりと助言すれば、ザルドは眉尻を下げて苦笑した。片手の空き瓶が床に硝子として散らばる。この美食家に似つかわしくない、安いばかりの酒の匂い。
責務に縛られた人間とは、どうして不味そうに酒を飲むのだろうか?飲まれる酒にも酔えぬ己にも、双方にとって失礼だろうに。
「破綻者が提案し、得体の知れない邪神が頷き、あの我が儘女すら賛成した。俺は貧乏籤を引かされた訳だが……まあいい、どうせ何時ものことだ。さっさと済ませよう」
「相も変わらず
「今更だ。既にこの身に栄光はない」
億劫そうに大剣を持ち上げた男を蒼い眼差しが咎めるものの、しかしそこに険はない。鋒を向けてすら変わりない知己に、彼は自嘲の笑みすら消す。
「降伏か死か。選べ」
「応とも」
当然、返答は刃である。
目覚めた時には天井から吊られ、頼りなく揺れている有様だった。
あちこちひん曲がった全身が重力で無理やり引き伸ばされて、痛みが無力感に変換される。
帰雁とて一廉のサムライだ。武力片手に究極の択一を迫られたなら、YES暴力不服従とお答えするしかない。更に決闘にまで持ち込まれては、俄然巌流島の心意気にもなる。
よってLv7とかいう化け物相手に、真っ向から負け試合せざるを得なくなったのだ。
精肉店の豚足よろしく自重でゆらゆら揺れながら、ふつふつ悔しい気持ちに駆られる。
「……骨と器官と肉があって、脊髄から生存本能が伸びている。人間とはそういうモノよ。にも関わらずなんだお主、脳味噌が筋肉どころか筋肉で脳味噌を動かしてござるか?人間卒業してござるか?」
「よく分からんがもの凄い侮辱を受けている気がする……」
「一周回って単細胞めが。これだから高レベルの相手は嫌だ。拙者は屈さぬぞ。くっ殺!」
覚醒早々の罵詈雑言に、ザルドは呆れを隠さなかった。あまりに活きが良いエルフだ。痛みを感じぬ訳でもなかろうに、無駄に活力で満ち溢れている。
同時に引き攣るような痛みが走り、彼は首筋に手を当てる。
斬られたのは皮一枚……されど僅かにでも
ザルドに理解できたのは、女が彼の得物へ慕わしげに擦り寄ったこと。そして首に伸びる刃を己が脅威と思えなかったこと。その二つの不条理だけだ。
「その剣を天に至らせたのは才能か?経験か?何にせよ驚異的な技量、恩恵に頼らぬ人の業だ。お前はいつ刀を抜いた。俺には……俺にすら殺意を認識出来なかった」
「認識出来ずとも対処してくるのがお主らの癖に。意識の限界を易く超えよって……人間など精々が二足歩行のタンパク質であろ、出来ていいことと駄目なことがある筈でござるよ」
「最悪の負け惜しみをするな。少しはマトモな会話をしてくれ」
ふいと帰雁は顔を背ける。『降伏か死か』などとセンセーショナルな問いを受ければ、狙いがその先の取引にあるのは明白だった。
アンダーグラウンドは面子が命。勝敗が決してなお生き延びた以上、敗者は勝者に服するのが道理だ。
【ギルド】管理下で『
『何でもあり』こそ唯一の規則、敗者は全てを奪われることもあり得る。
礼儀知らずと詰りはしたが、寧ろ一騎討ちを求めたザルドは極めて紳士的と言えよう。そんな男が『闇』に身を堕としていることこそ、まず疑問ではあるのだが……。
尤も腹立たしさに変わりはないので、このエルフは駄々を捏ねている訳である。
「拙者死すともファミリア死せず……」
「不撓不屈も結構だが、お前の所の団長は本当に根性が無いぞ。他も食いでのない奴ばかりだ」
「であろうなぁ。言いたかっただけでござる」
やはり首根っこは押さえられているらしい。本拠の占領を明確に匂わせられ、流石に耳を貸すことにする。
団長の一人や二人くらい存分に飛ばしてくれて構わないのだが、主神に替えは利かないのである。
酒があれば嬉しい帰雁だ。酒がなければ当然悲しい。美味しいお酒の喪失は、同時に世界の損失を意味している。
然程生に未練はないが、正直死ぬに足る程でもない。神酒が下界から消える可能性を鑑みれば尚のこと……
十秒ばかりで凡ゆる限界を悟った帰雁は、開き直ってプラプラ揺れる。
「で、ウチのファミリアに何を要求するでござるか。金と酒の他、拙者含めて吹けば飛ぶような命しかないでござるよ」
「先立つ物資が欲しいだけで、意味もなく
「よよ……」
至極真面目に宣うザルド。あまりに切実な要請を受けて、流石に傷つくエルフである。
しかし物資か。このご時世に纏まった量を。表でも顔を持つ【ソーマ・ファミリア】に抗争を仕掛け、秘密裏とはいえ略奪し、表の物流を乱すリスクを犯してまで。
「ふーむ。
帰ってきたのは唖然とした視線である。数秒間の沈黙が気まずい雰囲気を形成する。
……正気でいると碌なことがない。余計なことばかり考えて嫌なものばかり見えてくる。
雉も鳴かずば撃たれまいに、帰雁は空々しい口笛を吹いた。
秩序に則った統治には明確な強みが一つある。
謂わば羊と牧羊犬の関係だ。為政者は飴で衆愚を作り、それを追い立てるだけで良い。勿論容易く作れる以上、容易くひっくり返りもするが。
一方混沌を統べるのは……並大抵の苦労では無い。いや本当に。名実ともに邪神の頂点に立ったエレボスは、日々ガタガタする玉座に四苦八苦していた。
乱世を乱世として治めるなど、根本からして無理がある。男神の途轍もないカリスマあってなんとかなっているだけで、悪党が好き勝手悪事を働くのは当然だ。
十人十色の個性があるのだから、百人の悪党は百通りの悪さをする。一方で眷属には格好いい顔を見せていたいから、露骨にヒィヒィ言うこともできぬ。
悪の首魁、正直辛い。同郷の邪神共がニヤニヤしてくるのも腹立たしい。
しかし彼はドが付くほどの真面目なので、しょーもないことで崩れかける計画を日々軌道修正しながら、着々と国家転覆を進めていた。
本番より前準備が大事なのは、運動会も戦争も変わらない。有能な部下を勧誘して、必要なリソースを整える。
英雄都市の治安は十分に悪化した。その刻は間近に迫っていたのだ。
「【
「ちょっ、三度打ちは反則っ、いや普通に死ぬるぞ、拙者もぬしも……!」
吐血してまで魔法を乱発するアルフィアから、拘束をすり抜けた酒カスが逃げ回る。
どうすんだよこれ……。エレボスは途方に暮れた。
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