酒カスエルフ、ダンジョンへ行く 作:エルフスキー
『フレイヤのピクニック騒動』
「キッチンの準備をして欲しいの」
「女子供の命が優先だ」
即座に撤退の隙を探り始めた同胞たちを鋭い戦意で押し留め、オッタルは聞き取りにくい低音で言った。一般人及び全知零能の神の耳には届かぬ牽制と同時、夕食の支度を理由に桃色の髪の少女が退室を願い、無言で首を垂れた灰色の髪の少女がそれに続く。
発言中に席を外すという凡そ許されざる無礼に、女神は欠片も気分を害さなかった。それどころか天上のかんばせに微笑みを乗せ、「今晩も楽しみにしているわ」と玉のような美声を賜うほど。なんと寛大なお方だろうか。
嗚呼慈悲深きフレイヤ様、願わくばその気紛れをお忘れ下さいと信者たちは一心に祈ったが、現実は非情である。
出鼻を挫かれた男たちが一様に猪人の団長を睨む中、女神は歌うように言の葉を紡ぐ。
「そう、確か……最近は屋外で自分の作った『お弁当』を食べるのが流行っているのでしょう?私もやってみたいわ」
一人の男が歩み出た。白磁の貌に冷徹な眼差しを乗せた白妖精、ヘディン・セルランドが提言する。
「畏れながらフレイヤ様、それは戦闘で破壊された家屋を修繕する者たちが、必要に応じて行っている習慣です。オラリオの景観は未だ回復したと言い難く、ご覧に入れるに値するものはないかと」
「なら都市の外ならどうかしら。野花の上に座るのは良い気晴らしになるし、ピクニックみたいで素敵じゃない?」
「ッ……!?」
女神の我儘がエスカレートしたので、珍しくヘグニが宿敵をどついた。「貴様ともあろう者が何下手を打っている」という極めて強い非難の意である。
制裁でずれた眼鏡をヘディンは下がりながら修正、その仕草で動揺を隠す。
「失策だな」
「失笑ものだ」
「失望した」
それを鼻で笑う者がいた。小人族の兄弟……ドヴァリン、ベーリング、グレールが妖精たちをせせら笑う中、胃の痛そうな長兄アルフリッグがフレイヤを伺う。
「しかしフレイヤ様、未だ都市内は【闇派閥】の掃討が続く状況下です。あまり長く拠点を空けるのは……」
「確かにそうね……仕方がないわ」
「! それでは……!」
「ピクニックは城壁の中で我慢しましょう。【闇派閥】程度が相手であれば、貴方達が私を護ってくれるものね」
馬鹿めそいつは罠だ──。アレン・フローメルは顔を覆った。過剰な要求のち敢えて一度引いて見せ、本命を通す実にシンプルな交渉術。
無邪気なフレイヤが備えるは正に魔女の手管であった。一度糠喜びしただけに、【
全く我慢してねーだろうが!内心で思いつつ、アレンは切りたくなかったカードを切る。必然思い浮かぶのは不出来な愚妹と、彼女が世話になっている酒場の女将だ。
「……ピクニックならば他にも準備がありますし、『お弁当』とやらは外注すべきでは。懇意になさっている方に相談してみては如何ですか」
「ミアの料理は勿論美味しいけれど、それだと目新しさが無いじゃない。私は自分で『お弁当』を作って、自分で食べてみたいのよ。勿論、貴方達の分も支度してあげるわね。冒険者には物足りないかもしれないけれど」
「滅相もない……」
いや本当に
思い立ったら吉日の女神、抜群の行動力を持つフレイヤのことだ。明日の朝刊の見出しを『集団食中毒』で飾ることに彼女は何の躊躇いもない。というか想定していない。
あまりの畏れ多さから打ち震えつつ……それは武者震いとも言う……ついにオッタルが口を開いた。「お譲り頂けませんか」と彼は言った。
「何を?」
キョトンとしてフレイヤが問う。
「我ら眷属に、そのお楽しみを」
そういうやむを得ぬ事情があって、オッタルは人生で初めて料理なるものに挑戦することになったのである。
女神が去った空間でオッタルは同胞たちに殴られたが、それは普段より幾分か控えめな威力であった。
上機嫌なフレイヤから眷属たちは猶予を与えられたが、【フレイヤ・ファミリア】に協力という概念はない。誰が女神を満足させられるかという競争が勃発する中、一週間後のピクニックに向け、オッタルはまず炊き出しの炊事場を借りた。
食料を買ってきて、レシピ本の指示通りにそれらを炒めてみる。不揃いな野菜と肉を焼いただけの男飯であるが、適当に香辛料を掛ければ肉の臭みは飛ぶし、生焼けさえ気をつければ失敗は防げるものだ。
程なくして完成した一皿は……「まあ食べられる」というのが率直な感想だった。素人が初めて作ったにしては及第点の出来栄えだ。
「微妙だな……」
されど彼の舌は肥えていた。何せこの猪人は前団長により弛まぬ食育を施された、女神もにっこりな健康優良オラリオ男児なのだ。加えてここに至るまで駄目にした食材の数々を思えば、やはり前途は多難である。
それと同時、これほど拙い作業でも食べられる物が出来上がるというのに、名状し難いナニかを生み出してしまう主神の錬金術には思うところもあった。
が、オッタルの信仰に翳りはない。この程度の料理到底女神に奉じられぬと考え、男は再びレシピ本を開いて悩んだ。
一日二回の配給時間外、炊事の香りに引き寄せられた者はそれなりにいたのだが、彼らがオッタルを邪魔することはなかった。というのも彼を傍から見れば、
『炊事場の小さな椅子に獣人の大男が縮こまって座り、レシピ本片手にウンウン気難しく唸っている。あれに見えるはオラリオの勝利を勝ち取った、新都市最強の【猛者】ではないか……?』
といった有様なのだ。明らかに異様な現場を刺激する大馬鹿など、オラリオにも数えるほどしかいない訳で。
「ぶッ……あっはははははは!はは、は、あは、ぐっ、けほっ、」
炊事場を覆う天幕を覗き、耐えきれず爆笑した女がいた。体をくの字に曲げて哄笑、堪えきれずにケンケン咽せ、目の端に滲む涙を拭う。
更にこれ幸いと酒を呷ろうとした瞬間……天幕から伸びた筋骨隆々の男の腕が、馬鹿を中へと引き摺り込んだ。
「しんぷるいずべすと、って奴でござる。変に凝るより余程マシぞ」
そういう経緯で帰雁はチャカチャカと卵液を混ぜていた。三角巾にエプロンを身に付け、前髪も留めたお料理スタイル。着物の袖も捲り上げて、やけに様になった立ち姿である。
オッタルは雑巾を片手に、握り潰した卵の残骸を片付けている。Lv.7に上がって間もない彼にとって、世界は少々脆すぎたのが敗因だ。他の食材が儚く散っていったのも、全く同じ理由であった。
「そも料理を学びたいのであれば誂え向きの女が居ように。ミアがお主に教えを請われて、それを惜しんだことがあったか?」
「引退した団員の手を借りるのは……ズルだろう」
「カーチャンに料理を習うのが恥ずかしい気持ちは分からんでもござらんが」
「カーチャンではない」
否定の言葉は常より何処か切れが無い。卵液が油の敷かれたフライパンに垂れ、ジュッと軽やかな音を立てる。
「ま、彼の女神はお主を『ミア・グランド』の代わりに充てたい訳ではないか。であらば拙者程度で良いな、オッタル殿の料理の師は」
……何時からか。オッタルはこのエルフに『坊や』呼ばわりをされなくなった。
切っ掛けはなんだっただろう。ミアが引退した頃か*1、食事に誘われ酒の飲み方を教わった頃か*2。女の背丈を追い越した頃*3、はたまた剣へ手を掛けるより先に目礼を交すようになった頃だろうか*4。
「薄く底面が焼けたら、こう、側面に寄せて、くるりと巻く。卵を足して、これを軸に繰り返すのでござる。しかし箸では難しかろうな……ふらい返しを使うが易いか?そら、真似て……」
「こらこらこらこら力むでない!ふらいぱんが曲がっている!オッタル殿!女神を扱うように恭しくせぬか!」
「……ちょっと上達したのキショ……んんっ、何でもござらん、その調子……」
或いは全てが過程やも、とオッタルはかつてを振り返る。過去を省みて思うのは……このエルフ大人気なさすぎるだろという憤りである。浮かぶは碌でもない思い出ばかりだ。気付いて愕然とするほどであった。
尤も一方では世話になっていることも否めない。眷属に主神と似た気質が現れることは多いが、【フレイヤ・ファミリア】のそれは『他人に迷惑を掛けても開き直れる図太さ』だ。
オッタルは女神をこの上なく愛しているが、この特徴に関しては弁護が難しいと理解しているし、自身も当て嵌まっている自覚がある。
故にこそ先代団長に倣って他ファミリアとの折衝に慣れないながら励む一方。仮に迷惑を掛けるとしても、相手がこの酒カスなら別に良いか……と投げ槍に思う気持ちも確かに存在するのである。
そして出来上がった卵焼きを口に含んだ帰雁は、にこ!と爽やかに微笑んだ。
「熱分解が進みすぎてござるな!」
「見れば分かる……!」
見るからにパサパサの卵焼きである。呻くように返したオッタルに、エルフは肩を竦めながらも箸を置かない。失敗作と断じた卵焼きをもう一口、今度は噛み締めるように咀嚼する。
「焦げてはおらぬ。火を恐れて遠ざかりすぎたのだろ。オッタル殿、卵とは見てくれを整えるでなく、上手に機嫌を取る付き合い方をするものだ」
「……難儀だな」
「女神様より易しいのではござらんか?」
今回の騒動の発端からして、即座に言い返せないのが実情だった。沈黙したオッタルを見て帰雁は柔く笑うも。
「拙者も長くは付き合えぬぞ。ウチのファミリアは金と労働が『無実』の対価でござるから、真面目に働かねばお縄なのだ。それに今も現場を抜け出してきている状況ゆえ……」
今日という今日はぶっ殺してやる!!!モガリ・帰雁!!!
「……少し目を離すとすぐ暴動が起きる。不思議でござるなー。ちょっと脅して労働に駆り立てただけなのに……」
どこか遠くから聞こえてくる声は、蓋の穴から次々モンスターが溢れ出してきた時、人造迷宮から【ソーマ・ファミリア】が連れてきた技師のものか。相当上位の冒険者であり、常軌を逸した隻眼の男。
『死にたくなければ蓋を直せ』というストレートな脅迫現場を傍から見ていた立場からすれば、ごく正常に思える反応であった。
帰雁は面倒そうに鼻を鳴らすと、再び卵液を掻き混ぜる。
「ぬしの不器用はどうにもならぬ、此度は一番を諦めるべきでござる。真心でもって一品、渾身の一作を女神に献上すれば良い。その手本を今から焼くから、お主は目で見て盗むが良い」
続く手際は驚くほど滑らかだ。火加減を確かめ油を引き、野菜出汁を溶かした卵液を流し込む。
音は控えめ、色は淡く。箸先の動きには一切の無駄がない。
復興作業へ戻る帰雁の背を見送り、そして残された卵焼きは、女神の艶肌のようにきめ細やかであった。
そして来たりし決戦の日。
競るべき同胞たちが尽く迷走した結果、卵焼き一本で挑んだオッタルの『お弁当』が一番マシであったというのが、“フレイヤのピクニック騒動”の顛末であった。
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