酒カスエルフ、ダンジョンへ行く 作:エルフスキー
リリルカの神様は案外ナイーヴである。酒造り以外世界の何にも興味はありませんという顔をする割に、怒りもするし悲しみもする。傍目でその浮き沈みは判りにくい上、度を超えて無頓着な彼は自分の感情に気付かぬことも多いのだけど。
「ソーマさまが……凹んでる……!」
リリルカは仰天した。視線の先には壁に向き合い、背中を丸めてピクリとも動かぬ主神がいる。ベッドサイドの机には手付かずの朝食と、中身が満杯の水差しがあった。
配膳してきた昼食を一先ず片隅に避けてから、小人族の少女はおずおず彼のベッドに登る。低反発高級スプリングは彼女の重みで僅かに沈むも、しかしソーマは無反応だった。
「……ソーマさま」
「……」
「ソーマさま泣いてますか」
「泣いていない」
膝を抱えたまま即答される。声も日頃の通りのものなので確かに泣いてはいないようだが、しかし心は分からぬもの。「殿方の『泣いてない』は強がりでござるよ」と身近な大人は言っていた。
「イヤなことがあったんですか」
「……」
「誰かにいじめられたんですね……」
「いじめられてはいない」
「大丈夫です。ソーマさまをいじめた人に、リリが代わりに文句を言ってきますから……!」
「リリルカ、俺はいじめられていない」
「ソーマさま、誰にイヤなことされたんですか」
ようやく顔を上げソーマは不名誉を否定したが、懸命な眷属はお構いなしだ。これは大変なことだ!と沈痛な面持ちでリリルカは続ける。そして決意に満ち溢れた幼い眷属に、神は尊い決意を挫く元凶の名を口にした。
「帰雁」
「き、キガンさま」
リリルカは怖気付いた。神ロキにカツアゲをされたならフィン・ディムナに密告すれば良いし、神ガネーシャのノンデリ発言で追い詰められたならシャクティ・ヴァルマに苦情を入れればいいのだけど、同ファミリアの身内となるとそうは行かない。何より相手が相手だ、人格破綻酒カスエルフである。
想像だけでじんわり瞳に涙を溜める少女を眺めながら、そういえば腹が空いたなとソーマは思った。冷めた朝食は今自分で食べるとして、リリルカが持ってきたサンドイッチは彼女にくれてやれば良い。そう口に出そうとするも。
「……分かりました。い、言ってきます!」
男神の手をするりとすり抜け、リリルカはとてとて階下のラウンジへ走っていく。恐らくそこでは件のエルフが団員相手に管でも巻いているのだろう。
「……」
何となく手持ち無沙汰になったソーマは、億劫ながら水差しを持って立ち上がった。閉じっぱなしのカーテンを開くと、窓のサッシには白い花瓶に数本の花が刺さっている。それに幾分か水を分けてやったのち、自ら喉を潤す分をコップに注ぐ。
太陽はとうに天球の頂上に昇っており、窓から直接見ることは叶わない。レース柄入りの日光が部屋の隅々にまで伸びる。長く薄暗い部屋にいたから、昼前の明るさは目に染みるようだった。
「えーん」
「泣かされている……」
なお数分後、リリルカは帰雁に泣かされて戻ってきた。サンドイッチを差し出せばモギュモギュと口一杯に頬張ろうとしてえずいたので、間髪入れずに水を飲ませてやる。
文句を自分で言わなければ、この小さい娘が泣かされる羽目になるらしい。面倒だなと独りごちつつ、ソーマは冷めたトーストを齧った。
一年前の夜のことだ。足音もなく床板の軋む音を聞き、存外早かったと意外に感じたことは覚えている。モガリ・帰雁が姿を晦ますのも今に始まった話でなし、ソーマとて態々呼び戻そうとは思わない。
平気で数年オラリオを空ける一方、新酒の発売を公表した翌日に何喰わぬ顔で現れることはあった。かと思えば脈絡なく酒蔵に居座っているとか、泥酔して浮かんで屋根に引っかかっているとか、薄暗い地下牢で眠り転けていることもある。
その姿が血濡れてボロボロであるのも、やはり珍しい有り様ではなかった。これは白刃と踊る夜を日常にしていて、「微温い男より冷えた屍と寝る方がマシ」などと臆面なく宣う女なのだ。
接触を厭う潔癖さと敗者をも尊重する高潔さ、そこにカスの倫理観がぶちこまれたせいかバグったエルフ性が冒涜的な形の発露を見せている。比すればディース姉妹すら清楚と囁かれる不埒さには未だ謎が多いのであった。
が、彼が戸惑ったのはその匂いだった。平素に纏った濃厚なアルコールの匂いが、その日の帰雁からは殆どしなかったのである。
『誰だお前』
『忘れられている……?』
推定帰雁はやや哀しげな顔をし、二刀差しを見せびらかす、切れ込みの入った長耳を引っ張る、三度ござると唱えるなど自らの個性を主張するような素振りをした。であればと神酒を勧めて見れば「今はお酒はちょっと……」と酒そのものを避ける天地驚愕の台詞を吐いたので、やはりソーマは繰り返す。
『誰だお前』
『帰雁でござるよ、主上様』
『変身したリリルカか?』
『それでは丈が足りなかろう。というか御身、虚偽であれば分かる筈よな?』
『だが俺の魂がそれを否定している』
『お酒呑んでない拙者って存在の根底から否定されちゃう感じでござるか。まあ分からぬでもないが』
冴えざえとした女が笑う。やけに造形の端正さが目立つ一方、その笑みは妙に草臥れており、或いは途方に暮れているようでもある。
『今はちと疲れている。どうにも寂しいことがあって、それが頭から離れそうにない。今酔うては自棄酒になる。拙者は自棄酒は趣味でない、それでは酒に失礼だ』
何の気なしに呟かれた言葉。それに募った苛立ちから、ソーマは盃を押し付けた。
『……呑め』
『うむ?』
『呑んでいけと言っている』
『ええ……?いや主上、拙者今は』
『黙れ、俺の酒が呑めないのか。まずはそこに座れ』
『完膚なきまでのアルハラ……』
結局は従順に座る眷属を確認したのち、彼は酒壺と杓を引っ張り出した。遠慮の言葉を無視し盃に酒を注いでいく。満ちた盃の前で困った顔をする帰雁は、受けることも辞することもできずに佇んでいる。
『呑め』
自らも盃を手にし、ソーマは繰り返した。
『確かめる人間が居なければ、酒も水も変わらない。俺の神酒をただの水にするつもりか?』
ソーマは超越存在である。下界の子の主義も事情も彼は知ったことではない。ただ与えた恩寵を拒まれること以上に無礼なことがあるだろうか、と当たり前の傲岸さで思うだけだ。
女が強張る手で盃を取り、主神からの下賜を捧げ持つ。そしてそれに口を付けるまでを、神は鋭い眼光で睨みつけていた。
『……美味しゅうございます』
帰雁は諦めたように言った。
『所業無常でござるなぁ。人がどれだけ嘆いた所でどうせ春には花が咲く。酒は美味いしどうしようもない』
美味しゅうございますと繰り返し、帰雁はくいと盃を呷った。ソーマもまた盃を傾け、自らの造物の出来栄えに満足する。とっぷり夜更けまでに酔った女は良い気分で摩天楼の側面を登り、バベルの頂上で小火騒ぎを起こした。
そんな経緯で【大抗争】の翌晩オラリオには火の花が咲き誇り、ソーマは監督不行届で始末書と罰金を提出する羽目になったのであった。
「失礼致す。主上、小生意気にも拙者に物申してきた
「ぴぃッ……!」
ひょっこり顔を覗かせた女の声を受け、リリルカは半泣きでソーマの寝床に潜った。ソーマは硬くなったトーストの咀嚼に難儀しながら帰雁が持ってきた紅茶を受け取る。彼は酒造りの妨げになるとして香料の強い飲料を好まず、無添加のものを好むきらいがあった。
帰雁は布団越しの少女を泣きべそをかくまで構ったのち、ベッドに腰掛けて酒を飲んでいる。手慰みが自然といじめになる、自然派のいじめっ子なのである。
「主上がいじけていらっしゃると聞きご機嫌を伺いに参ったのだが、普通にお元気でござるなぁ」
「別にいじけていない」
「というか何故拙者に声が掛かるのか分からぬ。『謝ってこい』と言われたのでござるが」
「お前……!」
自分の所業を忘れたのか。ソーマは絶句した。何処でほっつき歩いていたのか両手一杯に抱えるほどの美酒をくすねて来た帰雁は、主の神酒を放って夜毎酒池に浸っていたのだ。それに他の眷属まで嬉々として付き合っていることを知り、昨晩のソーマは壮絶なまでに臍を曲げた。
罪がないのは未成年ゆえアルコール摂取を禁じられているリリルカのみだ。朝食を無視されたチャンドラがこれはいかんとリリルカを差し向け、ついでに帰雁にも謝りに行かせた。しかし元凶はヘラヘラ笑って弱い者いじめで遊んでいるので最悪である。
「そう言えば主上、拙者縁あって生き物を飼いたいのでござるが、地下牢の片隅を借りても宜しいか」
「生き物?」
「うむ。野良猫というか捨て犬というか溝鼠というか、マアそんな感じの奴でござる。探すのに時間がかかってな。地下水道で拾ってきた」
「二足歩行はしないだろうな」
「お望みなら四つ足で歩かせるでござるよ」
「……ザニスに任せる」
「分かり申した!」
なんかもう色々と面倒になり、ソーマは判断を眷属に投げた。まるでファミリアの歴史の縮図のようなやりとりである。こうして出来上がったのが今の【ソーマ・ファミリア】であるので、そろそろこのファミリアに暴対法が適応されるという噂はいよいよ真実味が増している。
まずは震える布団と化したリリルカを小人族に戻してやるかと、ソーマは深い溜め息を吐いた。
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