酒カスエルフ、ダンジョンへ行く   作:エルフスキー

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誰が為に鐘は鳴る

 

 努力は嫌いではない。むしろ好きな方だ。帰雁は生まれつき大概のことに才能を持っており、凡人の身に余るほどの時間もあって殆どの修練で道に至ることが出来る。

 一年あれば物にでき、十年あれば頂に立つ。百年以上も積み重ねれば、まあ達人程度にはなれるのである。

 

 一方で修行が身にならないとすれば、それはもう本当に向いていないということだ。つまるところ……これほど可愛らしく、これほど無垢で、これほど清しい娘すら慈しんでやれないなら、己に人を真っ当に愛する才能がないことは明白だった。

 

 もうすぐ死ぬ人間にはそれ特有の匂いがあるが、その娘の香は色濃かった。朝に咲いて夜に枯れる花の、その夕暮れ時の匂い。

 痩せた人間は妙に目が大きく見える。蒼天の色のまなこがキラキラと輝いていて、これは不自然なほど鮮やかな自らの色より美しい。身重の女は我儘を言った。

 

『貴方の一年を私にちょうだい。たった一年くらい良いでしょう?貴方はうんと長く生きるんだもの』

 

『構わぬでござるが。はたとせ足らずの内一年を、拙者なぞと使って良いのか』

 

 良いのよ、とメーテリアが言ったので、全くその通りになった。

 花々が枯れて、厳しい寒さが来て、若木が蕾を付けて、丁度十月十日が過ぎた。女とともに冬を越した。短い短い冬だった。

 

 共倒れになると告げれば女は一つ頷いたから、その腹に刀を付き立てた。取り出した中身を満足気に抱いて、それが彼女の最期だった。

 

「……約束したのは生まれるまで」

 

 既にこの世に生まれ落ちたのだから、この肉の塊を眺める理由はない。死んだ女の乳房に縋ったとて、何れは飢えて死ぬだけだろう。

 遥々穢土に生まれ落ち、苦しみの中で死ぬのはあまりにも哀れだ。だから冷たい手から“包み”を取り上げ、少女の目を閉じさせて。

 生暖かく柔らかいそれを、何の感慨もなく地面に叩きつけようとして──

 

「……?なにゆえに泣き喚く。もう腹が空いたでござるか?」

 

 寸前にそれが元気よく泣き出したので、思わず、抱いて、あやしてやって。赤子とともに夜を越した。長い長い夜だった。

 翌朝図ったかの如く現れた大神へ『遅い』と文句を言ったあと、帰雁は不味い酒を飲んだ。

 

 

 

 

 

 人には狂気に落ちる瞬間がある。となれば逆に正気へ立ち返る瞬間もある訳で、ヴィトーの場合それは痛みによって引き起こされたものだった。

 皮膚の裂かれる音を聞いて、自分の血潮の匂いを嗅いだ。鮮烈な赤は灰色の世界で唯一の色彩であり、彼が生きて行くためのみちしるべでもあった。

 

 自分は嘆いているのだ、と気付いた。自分は絶望しているのだ、と悟った。彼の魂の『欠陥』は負の感情を含まぬ事柄を正常に認識できない。

 

「何かを醜く思うのなら、お主は美しきを知るのであろうよ。それが何かも知らずとも」

 

 掠れて落ち着いた女の声も、本来は耳障りな雑音として彼に届くはずだった。にも関わらずヴィトーは耳を欹てて、億劫そうな響きを聞いている。

 多分、善意ではあるのだろう。にも関わらず彼が言葉を受け取れたのはそれが世界への失望であって、決して慰めでないからだ。

 

「去りし昨日を愛づるゆえ、人は明日を憎むのだ。憎むに足りる世界の価値をただその人が認めるゆえに……それはそれとして、お主なぁ……」

 

 女がチッと舌を打つ。腹から刃が引き抜かれ、傷跡が溶けるように消えて行く光景を、ヴィトーは半ば他人事のように見ている。

 

「もうちと早く正気に戻れ。狂人の世話ってクソ面倒でござるよ」

 

 はてと彼は首を傾げると、ここ暫くの記憶を辿った。それから服をひん剥かれ、頭から水で丸洗いされ、飯を突っ込まれては出すものを出し、それを目の前の女が処理したことを、薄らぼんやり思い出して。

 

「いっそ殺せ……!」

 

 何故生かした!と怒鳴りつけるまでのコンマ数秒。失われた尊厳に慟哭した男を、何処かで絶対悪の神が笑った。

 

 

 発見当初の拾い物は、それはもう酷い状態であった。恩恵を剥がされた肉体、劣悪な環境で放置された傷は腐りつつあり、目立つ刀傷など碌な処置もせず死にかけていた。帰雁はいつかの怨恨から回復を渋る連れ合いを宥め、血と膿で固まった服を切り裂き、最低限傷を塞いだ体を頭から尻まで丸洗いにした。

 【闇派閥】ですら寄る辺のない男だ。それもオラリオ壊滅の絶好の機会に掌を返した邪神エレボスの元眷属という立場は、誰からも死を願われて余りある。

 

 その拾い物に対し、帰雁はそれなりに尽くしてやっていた。襤褸雑巾みたいだった奴を野良犬程度まで持ち直させたのだ、十分に賞賛されて然るべきだろう。

 にも関わらず「監禁が趣味でも全然不思議じゃない」「人の顔に水を垂らす拷問でビール呑んでそう」と陰口を叩かれるのだから報われない。

 

 団長が口を噤むこともあって、地下牢の野良犬は公然の秘密という扱いになっており、帰雁はリリルカにすら人間の飼育記録を付けるド畜生だと思われている。

 なおその所以はこの女の放った「お主も並べて飼ってやろうか」という人品に欠けたジョークにあるので、被害者面は全くのお門違いであった。

 

 が、帰雁が何より困ったのは相手が廃人状態ということだ。まるで極限まで酩酊させられ、頭が豆腐になったかの如く酷い有様。会話もダメ、そも反応がない、飯も食わぬし酒も飲めぬ。

 なんとか生かすのが精一杯の中、痛みを伴うアプローチに至ったのはある意味で必然だろう。帰雁の特技は殺人である。殺す程度に傷つけることが出来るなら、その反対もまた然り。

 そもこの女が覚えている原初の記憶は、死にかけて朦朧とした時に横っ面を引っ叩かれ、「生きているなら泣くぐらいなさい!」と抱き上げられた養母とのバイオレンスな赤子時代であるので、コミュニケーションと暴力は不可分みたいなところがある。

 

 実際痛覚は直接破綻者の意識を刺激し、流れ出た血の色が覚醒を助けたのだから、結果オーライと言うやつだ。この男とて帰雁が『仕置き』された時にはわざわざ見物しに来やがったのだし……。

 

「という訳で、次は社会復帰を目指すでござるよ!お主、なんぞやりたいことでもないのか。将来の夢とか」

 

 ともあれエレボスとの約束もある。【ギルド】の受付嬢に学んだ技術を駆使し、帰雁は一人の失業者と檻越しでにこやかに面会する。

 拒否しても無理に口に捩じ込まれることを理解して以来、嫌々与えられた食料を齧るようになったヴィトーは、半眼で奇人の奇行を眺めた。

 

「世界を壊したいと言ったらどうするんです?」

 

「うむん、業界が狭いし就職先は限られるでござるなぁ……。オラリオにもこの間まで覇権企業(イヴィルス)があったが、最近都市から撤退気味でござるし……」

 

 真面目くさってウンウン唸る、ポンコツコンサルエルフである。全くもって役に立たない。

 

「まずはほら……新聞配達とかから始めぬか?」

 

「……やるやらないはともかくとして、それは一体どういう帰結が起きているのか聞いても?」

 

「配る新聞にビラを挟んで『一緒に世界壊しませんか』と仕事を募集する」

 

「即行憲兵(ガネーシャ)に通報されて終わりだと思いますが」

 

「何にせよ健康的な生活は営むべきであろ。多方面から話を聞く限り、お主は建設的に生きるべきでござるよ。そう内に籠もるでなく、こう、『世界ぶっ壊すぞー、おー!』みたいな精神を養え」

 

「イカれてる……」

 

 ドン引きするヴィトーであるが、彼はまだ自らが【ソーマ・ファミリア】にて奇妙な尊敬を集めつつあることを知らない。このファミリアは金の為に蹴落とし合い、私刑が横行する民度最低の集団である為に、より酷い目に遭ってなお生き延びる人間を有難がる風潮があった。

 

 たとえば売り物の神酒を組織的に横流しする、【闇派閥】と共謀して主神の誘拐を試みる、酒職人の心身に再起不能の加害を与える。加えて詳細不明の二つのタブーを犯したとき、この女は最悪のなぞなぞを出してくる。

 

『んーむ仕方がござらんなぁ。頭でなく手で考える問、なーんだ?』

 

 地下牢の一室へ連行された被害者は、恐ろしいことに全くの無傷で帰ってくる。ただし八割の体験者が精神に異常を齎し、残り二割に妙な性癖が生え、その大半が失踪するのであった。

 

 

 そんな曰く付きの部屋でピンピンしている『名無し』の男は、一般的な三下にとって畏怖の対象にあたるのだ。その意を認めた「応援しています」のファンレターを眺めながら、帰雁はくつくつと愉快げに笑う。

 

「好きなだけ悩めよ若造。醜悪な世界であろうと、人は案外歓べるものだ。その内に、マアもう少し生きてやるかという気分になる」

 

「簡単に言ってくれる。それで私がオラリオに害を齎したとしても、貴方にとってはお楽しみに過ぎないのか?」

 

「そう不貞腐れるでない。恩恵が欲しくば主上に相談してやるし、勤労の精神が芽生えば勤め先を探してやる。それだけの対価は既に受け取ってござるからな」

 

「……貴方といいあの忌々しい神といい、他人(ヒト)の人生を何だとお思いで」

 

「んふ、他人(ヒト)事」

 

「モガリ・帰雁の癖に正論を投げるな」

 

「思いの外辛辣でござるな……」

 

 拙者ってば正論も使ってはならぬのか……。肩を落としながら去ろうとした女の背へ、ヴィトーは全く温度のない声で問いを投げる。

 

「一つ尋ねます。貴方にとって『正義』とは何ですか?」

 

「酒を美味しくするものでござるよ。無論、『悪』も同様に」

 

 予想通りの期待外れを最後に、着物の裾が視界から消える。極東人とは扱いづらい人種なものだと、ヴィトーは一つ舌を打った。

 





【朗報】酒カスエルフ、生後0日の幼児に完敗

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