水神の家族、フォンテーヌの守り猫 作:チナトロ先生
目覚め
今世、気付けば猫としての生であった。
恐らく猫の視界ゆえ、色など不明瞭な部分はあれど、水面に映る我が身は間違いなく猫。
全体的に銀または灰色のような毛並みに加え、手先は白く、いわゆる靴下を履いた猫だろうか。身体は小さく、子猫といって差支えないだろう。
こうした思考ができるのは、おぼろげながら前世というものに心当たりがあるからだろうか。
具体的に思い出せることは無いが、人の身であったことは微かに覚えがある。
周りを見渡してみれば、目の前に広がる穏やかな海と、人工物と思われる高い壁。
家族や同族の姿などは見えず。
壁を迂回し入ってみれば、そこは水の都といった様相であった。
建造途中のものもあるが、家屋に加えて噴水や水路が確認できる。
人の姿もある。
以前人だったからだろうか、人々の表情はよく見ることができた。
明日をも知れぬ身ではあるが、その光景には安心感を覚えた。
差しあたって、何とかこの場で日々過ごすことを目標としよう。
あれから数日が経った。
猫の身というものにも慣れを感じる。
一番心配であった寝床と食料であるが、幸いにも大きな問題は無かった。
まず、同族の数は皆無ではないが少なく、また幸いにも敵対的でないため、不干渉で特に問題なく過ごすことができている。
季節柄なのか土地柄なのかは分からないが、気候は比較的快適であり、寒さに凍えるということもなかった。そのため、木陰などで丸くなれば、すぐに眠ることができた。
最後に食料だが、人々の表情を観察し、比較的安全そうな者の前に繰り返し姿を晒せば、何かしらを享受することができた。特に海が近いからであるが魚など海の幸が多く、非常にありがたいものであった。
ここ数日は主に赤い尾根に住む老婆や、たまに大きな建物近くを歩くと見かける少女のお世話になっている。
今は子猫なもので、流石に狩りは難しいだろうが、いずれは街の外で行えるだろう。
「あら、今日もお散歩なのね。お魚は食べるかしら?」
「にゃっ」
お婆ちゃん、いつもありがとうね。
「こんにちは、貴方また来てくれたのね。触ってもいいかしら」
「にゃにゃっ」
何かください。
「…………」
う、たまに見かける長身のお兄さんか。無機質な目なんだけど、ビリビリした気配というか威圧感がある。
害意は感じないが退散しよう。
……
余裕ができれば考えることもある。
前世の事、我が身のこと。しかし、考えても答えが出ない以上、仕方のないことだ。
少しだけ見られる同族だが、親と思われるような猫を見ることはなかった。
ちなみに猫の言葉も、人の言葉もはっきりとは分からないので、ニュアンスを感じとっているが、さしたる問題は無かった。
考えているとすぐに眠くなる。危機の無い猫の生活とは、かくも気楽なものであった。
…………
気付けば、成猫としてもおかしくない体格まで成長していた。
半年か、一年か、歩いて食べて寝る生活だからか、時間の感覚はひどく曖昧だった。
幸運なのは、さしたる気候の変化を感じないことだろう。
街の外を歩くことも増えた。
野生動物の狩猟をすることもあり、流石の猫と自身の身体能力に驚くことがある。
また、その他に仮面を被った人のような者も見かけるが、どうやら通常の人族ではないようだ。
一度たまたま見かけたが、仮面を被った者は街で見かける者を襲うこともあるようだ。
言葉も通じないようで、敵対関係にあるのだろう。
気楽な猫生活の中、大きな変化も一つあった。
「アルジャン、おいで」
「にゃっ」
最もお世話になっている老婆が引っ越してしまったようで、その次にお世話になっていた水色の少女(といっても十台後半だろうか)の傍にいることが増えた。
アルジャン、という名も彼女に付けてもらった。どうやら【銀】という意味があるようだ。毛色から連想して名付けたのだと思う。
彼女は大きい家に独り暮らしのようで、家の中に私の寝床(座布団)まで用意してくれており、これ幸いとお世話になっていた。今日も手足を拭かれて家に入れてもらっている。
独り暮らしが寂しいものなのか、よく話しかけられたり撫でられたりするが、よほどの事がなければ私も暴れようとは思わないので、良好な関係を築けているようだ。
今日も彼女は私を膝に乗せた状態での来客との対談の後、横たわった私の腹に顔を埋めていた。
「私、うまくできてるかな……」
彼女は来客と話している時は強気の態度を感じるが、一人(と一匹)の時は落ち着いた、ともすれば落ち込んでいるような空気を出すことが多かった。
彼女の事情は分からないが、お世話になっている身としては、彼女の癒しにでもなれれば幸いだと思う。
…………
ほんとうに何もない日々が続いている。
猫の身では、時間の感覚はひどく曖昧だった。
同居人の彼女や、たまに見かける威圧感のある青年の外見は全く変わってないように見えるが、それ以外に外で見かける子供などは露骨に成長しているのが猫の目でも流石に分かる。
外の樹の葉が落ちて、また緑に変わるのを何度見かけただろうか。
2年か3年か、5年か。下手すれば10年くらいが経過しているのだろうか。
今日も日課として、街の外に出て様子を観察する。
穏やかなものだった。
…………
いつものように街の外へ出て、近隣を歩いていたところ、丘の向こうから妙な気配を感じた。
街で見かける青年の威圧感とは異なり、もっと禍々しさを感じる。
君子危うきに近寄らずとは言うが、どうしても気になって観察を試みた。
そこで見かけたのは、歩く巨大な人型の機械と、その広げた手に乗る金髪の少女だった。
『余所者はこの世界に属さない』
不意に言葉が浮かんできた。
あの少女を自分は見たことがある。それも画面越しだ。名は確か……蛍。
『だが、世界は二度と燃えぬ。』
電撃に撃たれたように、ここは【原神】という物語の世界であることを理解した。
………
色々なことを思考しながら、ふらりと少女の住処に帰宅する。
「あ、今日は早かったんだね」
いつものように、流れるように手足を拭かれて家に入る。
座布団に香箱座りで落ち着きながら、先ほど理解した世界のことを思い出す。
ただでさえ前世の事がほぼ思い出せない中で、【原神】という世界について、思い出せることはそう多くは無かった。
「各国に"神"と"龍"がいる(いた?)こと」「空とパイモンという2人が各国の問題を解決していくこと」「自分の知っている範囲では完結していなかったこと」、後はせいぜい世界設定と登場人物の記憶が数人か。今回のように、唐突に思い出すこともあるだろうが、今はこれくらいだ。
ただ、今まで曇っていたフィルターのようなものがはっきりした中で、一つ思うところがあった。
首を捻り、今も背中を撫でている同居人の少女の顔を見つめる。
水神、と呼ばれた少女だった。名はフリーナ。
詳細は思い出せなくても、ひどく過酷な運命を背負っていたということは何となく覚えていた。
………
衝撃の事実が判明しても、単なる猫の身である以上、生活は変わらなかった。
原神といえば、元素力という能力が代表的だったはずだが、街行く人々の姿を見てもそういったものを見ることはなかった。やはりそういったものは希少なのだろう。
一つ、分かったことがあった。たまに街で見かける威圧感のある青年というのは、水龍であるヌヴィレットだった。今までは、いかに人の顔というものを見ていなかったと感じる。
ただ、気になったのはこのフォンテーヌ(街の名前もようやく分かった、今まで全く気にしていなかった)にいるはずの「メリュジーヌ」という種族を見かけないことだった。
もちろん街の歴史などは覚えていないので詳細は分からないが、ともすれば今はいわゆる原作より「過去」なのだろうと予想した。
確か原神の歴史は数百年という時系列が平気で出てきたような覚えがある。
何にせよ自分はただの猫であり、できることなど実質無いのであった。
…………
あれから特に、同居人の少女と穏やかに暮らす日々に変わりはなかった。
前世の影響か、子孫を作るような本能を呼び覚ますことも皆無だった。
ただ、時の流れゆえ、残念ながら生物としての寿命を感じることがあった。
少しずつ、動きのキレなどが全盛期より衰えを感じはじめ、食事の量が減り、座布団の上で寝ている時間が増えた。
生物としての構造が違うのか、迫り来る日々に焦りや絶望を感じることはなかった。
全く理由は分からないが、何にも追われない生活は、第二の生としてこの上ない幸運だったろう。
「…………」
後悔があるとすれば、同居人の少女の方に心配を掛けていることだろう。
今も近くで視線を感じている。どうにもできない問題なだけに、申し訳なさが募るばかりだった。
……………
「ねえ、大丈夫だよね…?」
「にゃあ」
いよいよもって家から出なくなった自分を見て、同居人の少女も自分の傍をほとんど離れない様子だった。
彼女が一人で居る時特有の、弱気な声色だった。
あれから、決意を固めた表情の彼女に連れられて獣医と思わしき場所に行ったこともあった。
一般的な猫の寿命、と告げられた時の彼女の返答は、空元気なのが見てとれてしまった。
ただ面倒を見てもらっていただけなのに、優しい少女だなと思う。
彼女の事情もある程度思い出したが、独り暮らしというのは寂しいものなのだろう。
そういえば、やはり今が「過去」だとすると、彼女は今までの十年どころではない、さらに長い時間を独りで、苦しみながら過ごすのだろうか。
それはあまりにも過酷で、哀しい気がした。
……………
朧げに目を覚ました。
最後に見た窓の外は暗い夜だったと思うが、目を覚ました今も夜だった。ともすれば、一日中寝ていたのかもしれない。
人の気配を感じると、すぐ傍には寝ている同居人の少女が居た。
目尻には涙が見える。もしかしたら、ずっと傍に居たのかもしれない。
その時、頭と下腹にひどく重いものを感じた。
身体が発している決定的なサインなのかもしれなかった。
億劫な身体を起こし、周りを見渡す。
最後かもしれない、同居人の少女の顔をじっと見つめた。
寝言なのか、口元が動いていた。
(ひとりにしないで)
目の前の少女を想う。
どうして彼女がこんな目に合わなければならないのだろう?
ほとんど今世で覚えることのなかった怒りすら感じた。
そして、何もできないこの身がただ恨めしかった。
朝起きて、自分の姿が見えないことに彼女はひどく悲しむだろう。
ただ、最期だけは自分の好きなようにさせてほしかった。
家を出て、街を出て、海の見える場所に腰を下ろす。
波の音がひどく心地よかった。
最期に考えること。それは同居人の少女への祈りだった。
日々を穏やかに過ごせること。
明日に脅えず今日を楽しめること。
幸せになれること。
日が差してきた。ああ、とても暖かい。
この暖かさを彼女も感じることができるのであれば。
ただ、それでも、許されるのであれば。
(一緒に居てあげたかった)
願うだけならタダだろう。
これで最期かと、意識を失う直前。
カラン、と頭のすぐ傍で物音が聞こえた。
―――それは【神の目】と呼ばれるものだった。
はじめまして。
色々忙しくなる1月末までに完結を目指します。
フリーナの口調は自宅に一人+まだ過去のため穏やか。
メリュジーヌや外のマシンナリーは400年前らしいのでまだ居ないことにしています。
その他気になったことがあればまた追記します。