☆
商店街に足を踏み入れた瞬間、昼下がりの穏やかな喧騒がソラハを包んだ。
瓦屋根の並ぶ通りには、観光客らしき生徒や地元の人々がのんびりと行き交っている。
昨夜の静けさが嘘のような、明るい空気だった。
「……よし、まずは何か食べてからだね」
そう呟きながら歩いていると、前方から明るい声が飛んできた。
「おっ君は、昨日のゲヘナの子~」
振り仰ぐと、青い羽織に金髪の少女が手を振っていた。
七稜アヤメだった。
「あ、アヤメさん。こんにちは」
トテトテと、ソラハは少し歩みを速めて近づく。
「昨日の夜は、本当にありがとうございました」
「いいのいいの。怪我がなくてよかったよ」
アヤメは気さくに笑い、周囲を見渡した。
「お昼? なら、そこのお店がおすすめだよ。地元の人にも人気なんだ」
指差された先には、小さな暖簾を下げたうどん屋があった。
湯気の香りが微かに漂ってくる。
「じゃあ、そこにしてみます。せっかくなので、アヤメさんも僕と一緒にいかがですか」
ソラハが微笑んで提案する。
「いいね、そうしよう。オススメのメニュー教えてあげる」
二人で店に入ると、カウンターと小上がりの席が並ぶシンプルな店内だった。
アヤメに勧められるまま、奥の席に座る。
「肉まきおにぎりと、ミニうどんお願い」
アヤメが注文を終えると、ソラハも続きを合わせた。
「そうですね……じゃあ僕は海老天うどんでお願いします」
しばらく待つと、湯気を立てた丼と、三本ほど竹串に刺さった肉まきおにぎりが運ばれてきた。
アヤメは自分の分を前に置き、一本をソラハの方へスライドさせる。
「これ、食べてみて。おすすめ」
「いいんですか?」
「うんうん。ほら、遠慮しないで、すごいおいしいから」
ソラハは恐る恐る受け取り、一口かじった。
「……! 僕、これ結構好きかもです……!」
甘辛いタレに包まれたお肉の中から、とろりとチーズが溶け出す。
「ふふっそうでしょ。中にチーズが入ってるからね」
アヤメは満足げに笑い、自分のうどんをすすった。
ソラハも海老天うどんに箸を伸ばす。
サクサクの衣と、出汁の効いた温かい麺が胃に染みた。
「……モグモグ......百鬼夜行のおうどん、やっぱ美味しいですね。ゲヘナにも同じのはありますけど、やっぱりダシが違うのかな」
「百鬼夜行の和風ダシは拘ってるからね。私はゲヘナはあまり行かないけど、違うとしたらそこじゃないかなー」
アヤメがお茶を一口飲んでから、会話を続けた。
「それで、日中は観光も兼ねて町を見てるの?」
「ええ。まあ正確には調査も兼ねて、ですけど」
ソラハが少し得意げに強調した。
「ふふっ、そっか。なら、カラクリ屋敷とかおすすめだよ」
ソラハが顔を上げる。
「百鬼夜行の工芸や歴史に興味あるなら、あそこがいい。昔の職人が作った動く人形がたくさん展示されてるの。中には魂が宿ってると言われるほどの代物もあるかもね」
「動く人形……カラクリ、ですか」
魂が宿る......昨夜の和傘や提灯を思い出し、ソラハは小さく頷いた。
「面白そうですね。行ってみます」
「うん、そうしなよ。平日なら人も多すぎないし、ゆっくり見られるはず。入口で簡単な解説もしてくれるよ」
アヤメの言葉に、ソラハは箸を置いて軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。やっぱ現地の人に教わるのが一番ですね。もしアヤメさんがゲヘナに来たら......僕推薦の、美味しいカフェを紹介してあげますよ!」
「そっか、ふふっ。それはそれは頼もしい」
金髪の少女が快活に笑う。
店の外では、桜の花びらが時折風に乗って舞っていた。
昼の百鬼夜行は、穏やかで、ゆったりとした時間が流れていた。
☆
「じゃあソラハ、私は仕事に戻るから。楽しんで行ってね」
「はい、アヤメさんも。また今度~」
アヤメと別れ、ソラハはその建物を目指した。
カラクリ屋敷は、商店街から少し外れた静かな通りにあった。
古い木造の建物で、入口には「からくり屋敷」と書かれた看板が掛かっている。
中に入ると、ほのかに木の香りと油の匂いが混じった空気が流れていた。
「……ほうほう。面白い香り」
広い展示室には、様々な大きさのカラクリ人形が並んでいる。
お茶を運ぶ人形、 何かを引く人形、そして——
「あれは……銃?」
壁際に置かれたカラクリが、ゆっくりと腕を上げた。
火縄銃を構え、カチ、という音と共に空砲を放つ。
白い煙が小さく噴き出し、観客の生徒たちがどよめいた。
「なかなかキヴォトスらしいね……銃を撃つカラクリとか」
その隣では、別のカラクリがポン刀を振り上げ、刀身を優雅に旋回させている。
木と金属の関節が噛み合うたびに、小さく「ギィ……カコッ」という規則正しい音がした。
滑らかに見える動きの裏に、機械特有の一定のリズムがある。
「こっちはサムライロボか......」
興味深そうに回り歩き、一つ一つの動きを眺めた。
精密な歯車と糸で動く仕組みに、思わず顔が近づく。
特に大きなカラクリが方向を転換する際の「ギシッ……」という低い軋みが、印象に残った。
しばらくして、展示の解説をしていた年配の店員が近づいてきた。
「楽しんで頂けているようで、なによりです」
「はい。綺麗に動くの、すごいなって」
食い入る様に見るソラハに、店員は穏やかに微笑んだ。
「百鬼夜行にはね、『仏作って魂入れず』って諺があるんですよ」
「仏作って……魂入れず?」
「形だけ作っても、心が入っていなければただの物だ、という意味です。逆に言えば、真心を込めて作った物には、魂が宿ることもある、と」
ソラハは展示されているカラクリを再び見やった。
「……魂が、宿る」
昨夜の和傘や提灯を思い出す。
使われなくなった物に怨念が宿るのなら、真心を込めて作られた物にも、何かが宿るのかもしれない。
「このカラクリたちも、昔の職人が一生懸命作ったものばかりです。だから今でも動いてくれるんでしょうね」
店員の言葉に、ソラハは小さく頷いた。
「……参考になります。ありがとうございます」
展示室の奥では、火縄銃を構えるカラクリが再びゆっくりと腕を上げていた。
カチ、という音が、静かに響いた。
☆
百鬼夜行の夜は、また静かに訪れていた。
提灯の光が疎らに揺れる路地を、ソラハは番傘を揺らし歩く。
昨夜とは違い、心のどこかで冷静さを保っていた。
「昨日は焦って、肝心な機能を忘れちゃってたけど……今日こそは」
ショットランサーの重力フィールド。
跳躍の強化によって、擬似的な空中機動を可能にする力だ。
「とにかく......囲まれても冷静に、隙をみて抜け出す。うん、これでイケル」
最初の怪異が現れたのは、細い路地の曲がり角だった。
古びた提灯が三つ、歪んだ面具が二つ。
いつの間にか、前後を囲まれている。
「……さっそく四面楚歌だね。けど、今の僕なら問題ない......!」
自分に言い聞かせ、傘を収納し武器を取り出す。
怪異達が襲いかかる。
「とっ!......ていっ、とりゃ!」
ショットランサーで攻撃を捌きながら、タイミングを伺う。
昨夜のアヤメの動きを思い出す。
囲まれた状況でも、焦らずに位置を変えていたあの流麗な立ち回り。
(とにかく、冷静に......辛抱強く.......)
怪異達の連続攻撃に、僅かな空白が生まれる。
「今だっ! ほいっと!」
その隙に、ソラハは軽く膝を沈めて跳躍した。
重力フィールドが瞬間的に働き、体が予想以上に高く舞い上がる。
屋根の縁に着地すると、下で蠢く怪異たちを見下ろした。
「ふふん、上から失礼するね。高地優位は戦闘の基本だからね」
ショットランサーの銃口を向け、正確に引き金を引く。
提灯が黒い煙を散らして消滅し、面具も続いて崩れ落ちた。
「ヨシ」
その後も、似たような状況が続いた。
路地裏で再び囲まれたときも、ソラハは壁を蹴って大きく横へ移動する。
飛行能力の向上により、以前では届かなかった角度と距離が可能になっていた。
囲みを一瞬で崩し、安全な位置から各個撃破していく。
「……フフン、流石は僕。これなら問題ナッシング」
順調に怪異を処理しながら、町を散策していたそのときだった。
ピクリ、とセンサーが反応する。
ソラハは足を止め、スマートフォンを取り出すと、オーパーツ反応が映し出される。
「......どこだろう......あそこに......?」
次の瞬間、頭上の闇が動いた。
月明かりを背に、黒い影がゆっくりと降りてくる。
「......アレは.......おっきなカラス.......?」
翼を広げたまま、音もなく滑空し、屋根の棟に静かに着地する。
三本の足。
普通の烏とは明らかに違う、禍々しい三本の爪が瓦を掴んでいた。
体全体には黒いモヤのようなものが纏っている。
濃い闇が生き物のように揺らめき、月光を飲み込むように輪郭をぼかしていた。
赤い瞳だけが、モヤの中で鋭く光っている。
「このカラス君……! なにか特別に違いない……!」
不気味なオーラに本能的に武器を構え、警戒態勢を取る。
「.......!」
そしてソラハと目が合った瞬間、烏が威嚇するように翼を大きく広げた。
月光を隠すような闇。
羽が一斉に逆立ち、鋭く羽ばたくと真空の刃が幾筋も飛来した。
(エアスラッシュだっ!)
咄嗟に真後ろへ飛ぶ。
次の瞬間、さっきまで自分がいた場所の看板が、鋭い空気の刃に切り裂かれる。
バリバリという乾いた音と共に砕け、破片が夜の路地に散った。
一瞬遅れていたら直撃していた距離だ。
「なかなかやるね……! けど、相手が僕なのが悪かったね!」
ソラハは走りだすと勢いのまま屋根へ跳躍、着地と同時にショットランサーの射撃を行う。
急速に縮まったレンジを広げるように、鳥が空中へ逃げながら回避する。
「残念だけど、空は君だけの物じゃないよ!」
間合いを一気に詰めるべく、重力フィールドの出力を上げる。
「さあ! この僕に、頭を垂れよー!」
槍先を烏に向け、急加速で飛び上がる。
屋根の上を滑るように駆け抜け、ランサーの矛先が迫る。
だが、烏の空中機動力は桁違いだった。
黒いモヤを引き連れながら軽やかに回避。
そのまま旋回すると、再び真空の刃を放つ。
「くっ……!」
刃の一端が服を掠め、衝撃で体がわずかに揺さぶられる。
その隙をつくように、烏が急加速した。
真っ黒な塊が一直線に突っ込んでくる。
「来る……!!」
態勢を整えながら、ソラハはショットランサーを正面に構え、槍先を向けた。
重力フィールドからバリアフィールドに切り替え、衝撃に備える。
展開された六角形のバリア越しに、敵と真っ向に向き合う。
「——いいよ。この僕が受け止め——!!」
金属と何かが激しくぶつかり合う音が夜に響いた。
ランサーの穂先が黒いモヤを切り裂くが、烏の突進は止まらない。
凄まじい質量と速度が、槍を通じて両腕に直撃する。
「っっっあああっ!?」
受け止めたはずの衝撃が、そのまま体を後方へ弾き飛ばした。
背中が床に叩きつけられ、息が詰まる。
ショットランサーを握る手が痺れ、指先の感覚が遠のいた。
「ぐぬぬ......強い……!」
烏は空中で羽ばたいたまま、値踏みするようにソラハを見下ろしていた。
三本の足を揃え、赤い瞳がしばらく彼女を観察するように揺れる。
その瞳が一瞬、ショットランサーへと移される。
そして、何かを決めたように翼を一振りすると、黒いモヤと共に闇の中へ溶けるように消えていった。
「待って……! 行っちゃった……」
ソラハは壁に寄りかかりながら、消えた空を見上げた。
ランサーを握る手が、熱く、重い。
オーパーツ反応は、確かにあった。
あの三本足の烏は、ただの怪異ではないだろう。
「やるね、カラス君.....! 決めた、明日は絶対、僕が君を......!」
闇夜へ向かって決意を口にしようとするも、ゴホゴホと咳き込む。
「うぅ......ちょっと、無茶し過ぎたかな......アロヨンさんから、重力操作は体が慣れるまでは適度に使うように言われてたんだった......」
武器を収納しながら、帰る方向に向かう。
提灯の光が疎らに揺れる路地を、ゆっくりと歩く。
足元の石畳に、時折、散った桜の花びらが夜露に濡れて光っていた。
「......」
立ち止まり、黒いモヤを纏った烏が消えた空を、もう一度だけ見上げる。
月明かりが薄く雲に遮られ、町全体が深い藍色に沈んでいた。
「......明日、絶対に」
小さく呟き、民泊の方角へ足を向けた。
☆
宿に戻ると、昼間とは違う静けさが部屋を包んでいた。
畳の香りと、わずかに残る木の匂い。
玄関で靴を脱ぎ、ゆっくりと奥へ進む。
「......ふう」
ショットランサーのケースを下ろし、肩の力を抜く。
どこか安心する空気。
この民泊の、質素だけれど丁寧に整えられた空間が、体に染み込んでくる。
「ホッとしたら......眠くなっちゃった......でも、僕まだお風呂入ってない」
呟きながら部屋へ入ると、出掛けている間に旅館の人が布団を敷いてくれていた。
白くて清潔な敷き布団と、ふわふわに見える掛け布団。
誘惑的な、その白い塊。
「......」
思わず体がそちらへ流れる。
抵抗するつもりだったのに、足が自然と布団の方へ向いてしまう。
「......お風呂、入らなきゃなのに~」
ごろり、と布団の上に転がった。
柔らかい感触が背中全体を受け止める。
全身の力が、ゆっくりと抜けていく。
「おふ......おふろ......」
意識が沈んでいく。
外で見た三本足の烏の赤い瞳が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
「......」
それでも、瞼はもう上がらなかった。
百鬼夜行の二日目の夜は、そのまま静かに終わった。
☆