午後2時
ゲヘナ学園の教室
「ソラハー」
「ん...」
「ソラハー、起きろー」
「......寝てた」
ポチポチと頬をシャープペンの頭でつつかれ、ソラハが目を覚ます。
「ごめん、イオリー。意識飛んでた」
夏の気配が強まる季節、イオリとソラハは課題に取り組んでいた。
ペンを片手に寝てたせいか、ソラハの数学のノートにミミズ字が書かれていた。
ごしごしとそれらを消す。
「うぅん、最近バイトのおかげか、ちょっと眠くてね」
「ふーん、そんなにハードなのか?例の新しいバイト。実験だっけ」
「うーん...こう全体的に肉体を使うというか...」
アロヨンとの守秘義務の契約のせいか、ソラハはそれとなく、内容をぼやかす。
「まあほら、労働って基本ハードじゃん...?」
あのラボでの体験を事細かに話したい欲はあったが、そんな事をしようものなら、あの喫茶の美味しい珈琲やデニッシュにありつけなくなる。
「(アロヨンさんとの約束を軽んじてる訳じゃないけど...あの連邦生徒会だし、どこで聞き耳立ててるか分かんないだよね)」
「まあ、そうだな。こっちもヒナ隊長の訓練に付いて行くのに必死だよ...なんか今年の夏休みの合宿で、ヒノム火山に行くみたいだし」
「えっ、イオリ、火山行くの...?夏に...?」
「夏に、だ」
「えぇ...冬に行けばいいのに...」
「暑熱順化訓練の1つだよ。ハードな気温の方が一層訓練になるから」
「うーん、まあそうなるのか。でもなんか惜しいなぁ、せっかく夏休みが来るのに」
「まあ、こればっかりはしょうがないよ、風紀委員ってのはそういう物だ」
「ふーん...じゃあさあイオリ、それ終わったらプール行こうよ!」
「プールか...いいな、それ」
イオリは浮き輪の上でのんびりと涼しむ自分の姿を想像した。
「でしょでしょ。電車でなん駅か行った所にさ、でっかいレジャー施設あるから、行こう行こう」
「うん、いいよ」
イオリがはにかむ。
フフーンとソラハの頬も上がり、脚を機嫌良さ気にブラブラさせた。
「いよぅし、それじゃあこの数学もやっつけちゃうもんねー」
「無理に解くより、じっくり理論を理解した方が近道だぞ」
「はーい」
カリカリと、ペンを走らせる音が響く。
時たま、2人で数学の読解をあーだこーだ進めて、落ち着いたら、また問題プリントに向き直る。
ソラハがノック式シャープペンをシャカシャカと降る。
ちょっとだけ、いい値段のしそうなそれを見て、イオリは「前のバイトより給料上がったのかなぁ」とぼんやりと考えた。
「それでねイオリ、なんかそこのプールに大きなスライダーがあるらしくて、もうそこまで登るだけでも大変らしいよ」
「へぇ、でも私は足腰鍛えてるから余裕かな。ソラハはそこまで行けるのか?」
「むむ、僕もまあ、最近は鍛えてるし...平気だよ、たぶん」
「まあ何となくは察してたよ、最近頑張ってるんだなって」
「フフン、そうでしょう。イオリに言われた通り体幹トレーニングしてるもんね」
「へー、最近ソラハの姿勢が良くなった気がするのそれか。それで射撃の腕はどうだ?向上したか?」
「うん...まあ、ぼっちぼっちだね。ショットガンをちょっとは扱えるようになったんだけど、エイムは...まあ、まだまだです...」
「そっか。でもその内できるようになるから」
「ん、ありがとう。なんたってこの僕だから、ね」
ソラハがドヤ顔をする。
ホント、自己肯定感だけは高いなぁとイオリは思った。
「(コイツは顔がいいだけに、やたら様になるんだよなぁ)」
☆
「イオリはさ、タンスの角に足ぶつけた事はある?」
「まあ、あるよ。生きてれば起きる現象だな」
「僕もあるんだけどさ、その時の痛みを凌ぐ裏技があってね」
「うん」
「ぶつけた事そのものを忘れるんだよ。別の事考えたり、そのまま平然と歩いたり」
「へー効果ある感じ?それ」
「結構イケるよ!これが。逆に痛い痛いって口に出しちゃうとさ、余計痛く感じない?」
「あー、確かに。思い込み効果だな」
「そうそう。所謂プラシーボ効果で、難病患者にお医者さんが、普通の薬を与えて完治するケースがあるね」
「あっ、それ聞いたことがある」
「だから、僕、狙撃する時はいつも自分を百発百中のガンマンだと思い込んでるよ」
「ほーん、で、効果は?」
「見ての通り、さ」
「ぷふっ」
ソラハがペン回ししたシャーペンに息を吹き掛ける動作をしたので、イオリは笑ってしまった。
☆
それからしばらくして、イオリは委員会へ、ソラハもバイトへ赴いた。
電車でD.Uへ行き、喫茶ヘルツの鯨の扉を潜る。
芳醇な珈琲の香りに歓迎されながら、奥の従業員用の通路へ。
パスワードを入力しエレベーターで地下へ降りる。
ラボに着くと、アロヨンが迎えてくれた。
「こんにちは、ソラハさん」
「はい、こんにちはアロヨンさん。最近少しずつ暑くなってきましたね」
「えぇそうですね、ゲヘナの方も」
「はい、こっちも。まあゲヘナは湿度が低いので、まだマシな方ですね」
「D.Uの夏は蒸し暑いですからね~、まあ百鬼夜行に比べたら、ですが」
「あぁ...あそこの夏は強烈らしいですね...」
そんな雑談をしながら、ソラハは荷物を置く。
アロヨンから幾つかの装備を渡される。
「こちらが新開発した、アンダーシャツとサポーターになります。非ニュートン流体が内部に組み込まれており、衝撃を吸収してくれます」
「ふむふむ...つまり、防御力アップの装備という事ですね」
「はい!緩衝材になるので、運動の補助にもなりますよ。ソラハさんの戦闘継続に繋がるので、データ収集の効率もアップです」
「なんかありがとうございます...僕がへにょへにょなばっかりに」
「いえいえ、失敗を元に最善手を用意する。それが研究者という者です!どうかお気になさらず」
「では遠慮なく」
更衣室で着替え、膝にサポーターも装着。
ラックに立て掛けられたパラソルショットガンを手に取る。
「じゃあ今日も傘をお借りしますね」
「はい、お願いします!」
☆
ソラハを戦闘場へ送ると、アロヨンは研究室でモニターを始める。
黒い箱形ロボットが複数体出現。
一斉射撃を青緑の髪の少女がバリアーを貼りつつ緊急回避する。
いくつかこぼれ玉を喰らうが、新装備のお陰か大したダメージになってないようだ。
『この装備、なかなかの性能です!』
「えぇ、設計通り、順調に機能してるようです!」
敵のリロードの隙を狙って少女が反撃へ移る。
ダメージ軽減効果を実感したのか、強気に突撃するのが伺えた。
『そこのけそこのけー!僕が通る!』
サポーターが膝の運動を補助したのも相まって、次々に撃破。
最後の1体のメインカメラに傘を突き刺す姿が見えた。
「1回割りきれると、結構強気に行けるタイプですね...この人」
☆
「あっ...興奮して鈍器として使っちゃった...まあこれ頑丈そうだし...いいか」
『ソラハさん、今度はスナイパータイプが出てきます。頑張って回避しつつやっつけてください!』
「りょーかいです。あとこの傘、近接で使っても大丈夫ですか?」
『問題ありません、ソラハさんの思うがままに利用して頂いて』
巡回してると、赤いレーザー線が突如として伸びた。
「!」
反射的にダッシュ。
スナイパーライフル特有の大口径の弾丸が足元を抉る。
「うわっ!今の装備でも完全には防げないだろうな...この威力っ」
白いブロックの遮蔽物に隠れながら敵を伺う。
遠く離れたビル風のオブジェクトの頂上に、スナイパー仕様の黒い箱形ロボットが見えた。
外したのを認識したのか、ぴょんっと飛び降り、着地すると、素早い逃げ足で別のビル影に消えた。
「ふーん、当然ながらスナイプポイントはすぐに変更すると...厄介だなぁ...でも直前に警戒線が出るだけまだマシか」
再度歩き回ってると赤い警戒線が照射される。
「そこかっ!」
敵の居場所が分かり走りだすが、つんのめって思わず転んでしまう。
なんとか膝で受け止め、前転。
銃弾が背中を掠める。
「わとと...!ミラクル回避っ、流石僕だ」
膝のサポーターが衝撃を分散させてくれたので、その勢いのまま距離を詰める。
上空の敵へショットガンを撃つ。
「むむ...!」
だが外れる。
距離がありすぎて弾が届ききらない。
退避を試みる敵がビルから飛び降りたので、その隙を狙う。
無防備に落下する体へ向けて発砲するが、負けじとスナイパーライフルが向けられ、マズルフラッシュが光る。
こちらの弾丸を、弾丸で相殺される。
「(弾かれたっ!)」
落下しながらの正確な射撃は高性能AI特有の為せる技だった。
「やりおる...!分かってたけど、こいつらの技量ヤバい...!」
着地したロボットが逃走を図る。
こうなれば最終手段だ。
この間のバトミントンで培った経験を意識する。
傘を片手に構え、前足で踏ん張りをつける。
体を弦のように引き締め、体重移動を意識して、腰から回転させぶん投げる。
「僕から逃げれると思うなー!」
ズガンッ!
投擲された傘が小柄な体に命中し、フラフラとその足がおぼつく。
「...ふっふっふっ、かわいいねぇ、かわいいねぇ」
息を整えながら、ソラハがジリジリと近寄る。
なんとなく、黒い箱形の目が恐怖で震えてる気がした。
「キミ、かわいいねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
黒いロボットの悲鳴が、フィールドに響いた気がした。
☆
タオルを片手にソラハがグビグビと水分補給をする。
その横でアロヨンはデータをまとめていた。
「ソラハさん、だいぶパラソルショットガンの扱いにもなれてきましたね」
「ふふん、どうもです。この武器、最悪打突で解決できるんでいいですね」
「えぇ、近接戦闘でのデータも集まったので、新しいマイナーチェンジモデルを開発しようと思いました」
「へー、どんなやつですか?」
待ってましたと言わんばかりに、アロヨンが赤いフレームを指で押し上げる。
「ずばり、槍と銃の複合兵装です!」
「ほー、ゲームとかに出てくる、ガンランスとかですか」
「はい、いっその事、槍としてデザインした方が近接性能を発揮できるかと考えまして」
アロヨンが端末を操作し、モニターに設計図が表示される。
「わ、スゴい。ランス部分、結構おっきい...」
「はい、ここに銃口が内蔵されてますので、自然とメイン基部は大きくなりますね。他にもフィールド発生装置とかもここに入れちゃおうかと。ただその分、重量がかさんで、取り回しが大変になるのは避けられないですね...」
アロヨンはフレーム越しに、ソラハの瞳が不安げに揺れるのを見逃さなかった。
だが、次の瞬間、少女のすみれ色の瞳がこちらに向けられる。
「大丈夫です。この僕が、扱ってみせますよ」
ソラハが胸に手を当て、堂々と言う。
間違いなく虚勢だった、それでもそう言ってのけるのが葉箱ソラハという少女だった。
「...ソラハさんは、プラシーボ効果をご存知で?」
「はい、十分に」
「ふふっ、そうですよね」
「...心の中で思うのに、お金は掛かりませんから。やった方が得です」
「えぇ、えぇ、本当に。ソラハさんの事、また少し詳しくなれました」
普段の自信満々な口振りも、余裕そうな態度も不安の裏返しだと分かると、なんだか味のある少女だと感じた。
だからアロヨンは、ちょっと一息付きましょうか、と上を指差した。
ソラハは珈琲を奢って貰えると分かると、青緑色の髪を揺らし、嬉しそうに付いていった。
☆
バイトを終えたソラハを、喫茶の外まで見送るとアロヨンは研究室に戻った。
赤いフレームの眼鏡をとり、三つ編みをほどく。水色にピンクのインナーの長髪が静かに背中に広がる。
カタカタとキーボードを叩く音が響く。
パソコンの画面から機密指定のファイルを開き、ひとつのファイルを選択した。
『雷底ショットランサー』
エデン条約関連の資料の近くに置かれていた、その設計図が再びモニターに映し出される。
「........」
アロヨンの、水色の瞳が真剣な色を帯びる。
雷の発生装置のデータが添付されている。
「ふむ...ランス基部をタービンとすれば...」
呟きながらさらに詳細を開く。
積乱雲の原理と、ひときわ青みを帯びた空の画像が目に留まる。
「青緑色の空を呼ぶ雲……」
それを見てると、先ほどの少女の言葉が脳裏をよぎった。
『大丈夫です。この僕が、扱ってみせますよ』
「......やはり、私の目に狂いはなかった」
アロヨンの瞳が鈍く光る。
「目には目を、ゲヘナにはゲヘナを」
「雷帝には——雷底を。」
その呟きを聞いた者は、誰も居なかった。