多摩川河川敷のとある一角
「・・・・・準備は出来たな?」
「・・・・・ああ。あとは明日、これをばらまくだけだ」
「しかし、日本の警察は平和ボケのザル警備だな。我々が今こうして首都を狙い打ちにした特別作戦を準備しているというのに・・・」
神奈川県側の多摩川の河川敷の一角に張られたテントの中で男達が謀議を行っていた。彼らはグラ・バルカス帝国征統府傘下の暗殺部隊である「シーン暗殺部隊」。
「しかし、東ロウリア王国が我らに味方したお陰で難なく敵国に入国出来ましたな」
「ああ。しかも日本国の暴力団に金を渡せば偽造パスポートも手に入る。ありがたいことだ」
彼らは先に従属した東ロウリア王国に貨物船で入国。その後、西ロウリア王国に密入国した後に、日本側の協力者(かつて中国やロシアと内通していたスパイやIRA残党、旧ロウリア王国残党軍、旧パーパルディア皇国残党軍)が手配したチャーター船にて日本の港に入港。また、この時今回の特別作戦で使用する劇物も搬入していた。
「しかし、日本はかつて東京で我々が使用する毒ガスを散布されたことがあるとのことだが・・・」
「オウムとやらが実行したことがあるらしいな。だが、それは何十年も前のことらしいじゃないか。本気で我々を止めるのであれば、既に失敗している。日本国は平和ボケした愚かな国。この特別作戦が成功すれば、必ずや戦意喪失して従属を申し出るだろう」
暗殺部隊を指揮するシーン部隊長は本国から以下の命令を受けていた。
・日本国の首都東京の地下鉄13路線において、神経毒サリンを散布せよ
・サリン散布実行役は、尖らせた傘にてサリンの入ったパックを開封せよ
・実行日は必ず雨が降っている日とすること
・サリン散布の対象列車と路線、散布開始駅は以下の通りである
地下鉄1号線
羽田空港発京成高砂行:三田駅
京成佐倉発西馬込行:蔵前駅
地下鉄2号線
中目黒発北千住行:国会議事堂前駅
東武動物公園発中目黒行:茅場町駅
地下鉄3号線
渋谷発浅草行:溜池山王駅
浅草発渋谷行:三越前駅
地下鉄4号線
池袋発荻窪行:本郷三丁目駅
方南町発中野坂上行:中野富士見町駅
地下鉄5号線
三鷹発津田沼行:高田馬場駅
西船橋発三鷹行:門前仲町駅
地下鉄6号線
湘南台発西高島平行:白金台駅
西高島平発新横浜行:巣鴨駅
地下鉄7号線
新横浜発赤羽岩淵行:麻布十番駅
浦和美園発湘南台行:西ケ原駅
地下鉄8号線
志木発新木場行:池袋駅
新木場発飯能行:有楽町駅
地下鉄9号線
伊勢原発我孫子行:赤坂駅
北綾瀬発代々木上原行:新御茶ノ水駅
地下鉄10号線
橋本発本八幡行:新宿三丁目駅
本八幡発高尾山口行:大島駅
地下鉄11号線
中央林間発押上行:青山一丁目駅
押上発中央林間行:住吉駅
地下鉄12号線
都庁前発光ケ丘行:上野御徒町駅
光ケ丘発都庁前行:練馬駅
地下鉄13号線
海老名発小川町行:新宿三丁目駅
和光市発元町・中華街行:地下鉄赤塚駅
・各路線の乗車駅、降車駅は各々の判断とする
・散布後は、並行している他社の鉄道路線を用いて、東京駅または品川駅に集結。その後、各々指定された空港から出国せよ
「我々の攻撃圏外にいると完全に油断している日本人は恐れ慄くでしょうな」
「彼らが気付いた時には我々は既に都内から脱出済み。哀れなものよ」
「さて、明日の天気は・・・」
日本国内やイギリスの現地協力者から仕入れたラジオで天気予報を聞くシーン暗殺部隊。
「・・・・明日は大雨らしいな」
「確かに・・・・今にも雨が降りそうだしな」
「じゃあ、我々も準備しますか!」
「ああ。各々、抜かりなく!!」
「「ははっ!!」」
彼らは手際よくテントを片付けると、トラックの荷台にテントやサリンが入ったパックを載せていく。この日は東京都内のホテルに宿泊し、翌日の実行に備える。
翌朝東京都内のとあるホテル
「・・・・素晴らしく雨だ。それも土砂降りだ。これなら作戦を決行するに相応しいな」
隊員らはホテルで朝食をとった後に、各々行動を開始する。日本の公安やイギリスのMI6は彼らの存在に気付いておらず、完全に不意を突かれた格好となるのである。
神奈川県横須賀市
海上自衛隊横須賀基地
「ケント~、ケントはいるか~?」
久々に日本に帰国したヒロシは、何時もの外出のお供として医官であるケントを探していた。
「ここか?」
ヒロシは医務室の扉を開く。患者がおらず、白衣姿で暇そうにしているケントの姿があった。
「ん? ヒロシ先輩、どうしました? 虫歯でも出来ました? 地味に資格持ってるんで治療出来ますよ?」
「虫歯な訳ないだろう。久々に日本に帰国したんだし、外出しようと思ってな。お前を探していたんだよ」
「ああ~、先輩お友達いませんもんね~。唯一の親友は海外赴任中ですし」
「何時も思うんだけど、ケントはいちいち俺を煽らないと気が済まないのか?」
「事実を並べてるだけですよ。ちょっと待っててください、着替えますから」
数分後
「じゃあ、行きますか。三笠記念艦にでも行くんですか?」
「いや、特に決めてない」
「マジすか~。どうしようかな~? しかも雨でしょ~?」
「アキコがいれば、華があったんだけどな・・・」
「ま~たアキコ先輩の話を。いい加減彼女は諦めてくださいよ~」
「シンに負けたなんて・・・認めたくない!!」
京浜急行電鉄京急本線品川駅
「・・・・想像以上に利用客がいるのだな・・・」
都営地下鉄浅草線の車内にてサリンを散布する暗殺部隊隊長のシーンは、京急本線品川駅から列車に乗車した。この日は強い雨が降っており、傘を持つ客が多く、床も濡れている。
「・・・・これなら散布しても、直ぐには分からぬだろうな・・・」
ニヤリと微笑むシーン。一方で、予想以上に利用客が多かったことから、作戦を一部変更する。彼は当初は泉岳寺駅と三田駅の間でサリンの入ったパックを開け、混乱する乗客に紛れて脱出する予定であったが、品川駅の時点で予想以上に乗客が乗っていたことから、品川駅と泉岳寺駅の間で開封することを決定した。
「・・・・・日本人よ、我がグラ・バルカス帝国を敵に回したことを後悔するがよい・・・・」
誰にも聞こえない小声で呟いたシーンは、京急線の電車が泉岳寺駅に繋がるトンネルに侵入したタイミングでサリンの入ったパックを床に落とした。そして、電車が停車する為に速度が落ちたところで遂に・・・・
(グラ・バルカス帝国に栄光あれ!)
心の中で叫びながら、先端を尖らせた傘でパックに穴を開けた。それも複数回刺したことで、大量の液体が流れ出る。周囲の客はスマホの画面に夢中で毒ガスが散布されたことに全く気付いていない。やがて電車は泉岳寺駅に到着し、ドアが開く。シーンは何食わぬ顔で降車し、改札を抜けると、高輪ゲートウェイ駅へ移動する。
「・・・・・作戦は成功した。後は無事に脱出するのみよ」
シーンはその後、山手線で東京駅に移動。予め用意しておいた自由席特急券と乗車券で博多行きの東海道新幹線のぞみ号に乗車。彼は何事もなかったかのように福岡空港から国際線で西ロウリア王国へ出国。その後海軍力が低く、監視の目が緩いローデシア連邦へ移動。待機していた潜水艦にて、本国へと帰還するのである。
日本国東京都港区
都営地下鉄浅草線・京急本線泉岳寺駅
「京急さん、本日もご苦労様です」
「都営さんもこの先よろしくお願いいたします」
この日の泉岳寺駅もいつもと変わらずに、京成線方面に向かう電車では京急から都営の乗務員に交代する。この日の羽田空港発京成高砂行に車掌として乗務するのは、立石良太。皆からはリョータと呼ばれる、眼鏡をかけた若い男性職員である。
「今日は雨がは酷いですから、もしかしたら都営さんに今後ご迷惑をお掛けするかもしれません」
「いえいえ、お互い様ですよ。では、お休み」
京急の乗務員と軽く談笑した後に、リョータは乗務予定の列車に乗り込む。
「・・・・ヨシ、・・・・ヨシ!!」
装置の状態を確認するリョータ。やがて発車時刻が迫る。
「ケントは最近帰国したらしいけど、アイは相変わらず神聖ミリシアル帝国に赴任かあ・・・同じ公務員なのにこんなに違うんだなあ・・・」
かつてのクラスメイトのことをふと思い出すリョータ。京急の乗務員からの引き継ぎや安全確認が完了し、京成高砂行普通(京成3000形)のドアを閉めるべく、アナウンスを行う。
「普通、高砂行発車致します! 次の停車駅は三田です。ドアを閉めます!!」
リョータは列車に乗り込むと、扉を締める動作を行う。
「安全、ヨシ!!」
車側灯が消滅し、電車は次の停車駅である三田駅に向けて走り出す。
都営地下鉄浅草線
京成線直通京成高砂行3号車の車内
「ゲホゲホゴホッ!!」
「き、気持ち悪い・・・・」
「おえっ・・・・な、なんだこれ?」
「水溜まり・・・・?」
「隣の号車に逃げた方が良いんじゃない?」
リョータは気付いていなかったが、この時車内では大混乱が起きていた。泉岳寺駅を発車してから、乗客がバタバタと倒れ始めたのである。混乱した乗客は前後の号車に避難したり、口にハンカチを当て始める。列車は三田駅に到着し、気分が悪くなった乗客が一斉に下車する。一方で、この時はまだ原因がわかっておらず、都営地下鉄三田線からの乗り換え客を中心に多くの客がサリンが散布された3号車を含めた車内に乗り込んでくる。中にはサリンの水溜まりに脚を突っ込み、濡れてしまった客もいた。
「クソっ! ついてねえなあ・・・・」
靴下が濡れてしまったサラリーマンは悪態をつく。やがて列車は三田駅を発車して、都営地下鉄大江戸線との接続駅である大門駅へと向かう。
「おい、運転士か車掌に伝えた方が良いんじゃないか?」
「伝えた方がよい! 誰か非常通報を押して!!」
「非常通報!」
三田駅を発車してもなお、3号車を中心に倒れたり、気分が悪くなる乗客が多発した。窓を開けて換気を試みる者も現れる。やがて誰かが非常通報装置が押し、運転士と車掌に異常事態を伝える。
「非常通報? 一体どうしたんだろう?」
悪戯か、急病人が発生したかのどちらかであると判断したリョータは非常通報装置に話し掛ける。
「車掌です、どうしましたか?」
(車掌さん!! 大変だ!! 3号車で人がバタバタ倒れてる!!)
「え?!」
列車はやがて大門駅に到着する。リョータは駅に着いた為、ホーム側のドアを開扉する。開いたドアからは乗客が一斉にホームに倒れ込み、ホーム上で列車を待っていた利用客は何が起きているのか分からず、パニックになっていた。
「な、なに?!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「きゃあああ!!」
乗客の悲鳴がホームに木霊する。誰かが非常停止ボタンを押したのか、ベルがけたましく鳴り、駅員が続々と駆け付けてくる。
「え? ええ!?」
リョータは車掌室からホームを見つめると、そこには阿鼻叫喚の光景が広がっていた。
「ホ、ホームに人が・・・・倒れてる?! それも何十人も!?」
これは明らかにおかしい。
「そう言えば、3号車で人がバタバタ倒れたって通報が!」
リョータは急ぎ3号車へと向かう。
「皆さん! 救急車を呼びますから!! ホームから改札階に避難してください!! 救急車を呼びますから!!」
到着した駅員が叫びながら乗客を改札階へと避難させていく。やがて浅草線のみならず、大江戸線側からも駅員が駆け付け、救助作業が始まる。
「一体なにが起きているんだ・・・」
リョータはホームを走る。ホームでは完全に意識を喪い、泡を吹いて倒れている乗客や動けずに踞る乗客、他の人に介抱されながら改札を目指す乗客の姿があった。異変を知った他の駅員や、駅長辺りが通報したのだろうか、駆け付けた警察官が続々と救護の為にホームへ降りてきている。リョータはひたすら、原因を探すために走る。
「・・・・なんだこれは?」
3号車に到着したリョータの目の前に広がっていたのは、不自然に流れ出している新聞紙にくるまれたパックのような物と傘だった。
「・・・・まさか、これが原因!?」
リョータの脳裏に過去に起きたテロ事件が過る。
地下鉄サリン事件
1995年3月20日に日本の東京都で発生した、オウム真理教による化学テロ事件であり、一連のオウム真理教事件の一つである。。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件。日本国外では「Tokyo Sarin Attack」と呼ばれることがある。営団地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の車内に猛毒のサリンが散布され、死者14名、負傷者6300人を出し、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。
「あの事件に似ている・・・いや、そのものじゃないか!!」
リョータは急ぎ車掌室へと戻る。道中可能な限り息を止め、ひたすらに車掌室を目指す。道中、負傷者を救護中の駅員や警察官に呼び止められるも、とにもかくにも車掌室を目指した。
「列車の運行を止めないと!!」
リョータは車掌室に駆け込むと、急ぎ輸送指令に報告する。
「輸送指令! 輸送指令! 此方、京成高砂行の電車の車掌ですどうぞ!!」
(此方輸送指令、京成高砂行の電車の車掌さん、どうされましたか? 電車は大門駅に停車したままになっていますが、何かありましたか?)
「3号車の車内に有毒な液体がまかれ、お客様が体調不良を訴えています! 現在、駅員や警察官がお客様を列車やホームから避難させています!!」
(お客様が体調不良了解。救護後に列車の運転再開は可能ですか?)
「列車の運行を全部止めてください!! 全ての列車、駅施設からお客様を待避させてください!!」
地下鉄サリン事件が脳裏に過り、必死に輸送指令に訴えるリョータ。
(お客様待避って、大袈裟過ぎない? ドラマの見過ぎじゃない?)
「本当に危険なんです! 浅草線大門駅は、有毒な液体が電車内にばらまかれ、使用不能です!!」
(車掌さん、落ち着いてください)
「悠長なことを言っている場合じゃありません! お客様も、救護中の駅員や警察官も、皆地下鉄サリン事件のドラマで見た体調不良を訴えているんです!」
この頃の輸送指令は、精々シンナーかガソリンがまかれた程度であろうと考えており、まさか有毒なサリンが散布されたなんて夢にも思っていなかった。しかし、三田駅、泉岳寺駅からも同様の通報が相次いだ。
「此方、浅草線三田駅です! お客様が目が見えない、呼吸が苦しいとの体調不良を訴えています!! 現在救急車を要請すると共に、浅草線三田駅を封鎖しています!! 列車の運行不能!!」
「此方、泉岳寺駅!! お客様が体調不良を訴えています!! 何れも目が見えない、見えても暗い、呼吸が苦しい、また一部のお客様が意識不明!! 駅員や警察官による心肺蘇生が行われています!! 更に泉岳寺駅では、列車が詰まり全ての発車番線が使用不能!!」
それだけでは止まらない。今度は人形町駅から通報が入る。
「輸送指令、輸送指令! 此方人形町駅! 此方浅草線人形町駅!! 人形町駅では、お客様80名程が目が見えない、呼吸が苦しいと言った体調不良を訴えています!! 現在、人形町駅ホームを封鎖し、お客様を駅外に待避中!!」
そして、浅草線だけではなく、他の地下鉄駅からも一報が続々と入り始める。
「此方、三田線巣鴨駅!! 巣鴨駅停車中の新横浜行車内に新聞紙にくるまれた不審物を発見!! この不審物から液体が漏れだしており、乗客や駅員に体調不良者が続出!!」
「此方、新宿線新宿三丁目駅!! 地下鉄サリン事件に酷似した体調不良を訴えているお客様や駅員、警察官が続出!! 新宿三丁目駅使用不能!!」
「大江戸線練馬駅から輸送指令!! 練馬駅は体調不良者が続出し、お客様を駅外に待避中!! 列車の運行を止めています!!」
全ての都営地下鉄の路線から同様の報告が相次ぐ。更に東京メトロ側からも、都営地下鉄側に連絡が入る。
「此方、東京メトロ南北線の白金台駅です。白金台駅停車中の三田線直通西高島平行電車から体調不良者が続出しております。この為、現在南北線、三田線は運転を中止しています」
また、この時東京メトロの輸送指令も混乱していた。銀座線を始めとし、副都心線を除く全ての地下鉄路線から、都営地下鉄浅草線と同様の報告が相次いだからである。東京メトロは、被害報告のなかった副都心線を含め、全ての路線の運行を中止。乗客を駅外に待避させると共に、駅施設の点検や救護作業を開始した。都営地下鉄も程なくして同様の措置を実施した。
「・・・・僕も逃げなきゃ・・・」
待避の指示を受けたリョータは、運転台に残っている運転士と共に待避を開始する。しかし、既にサリンの中毒症状が出始めていた彼は、何とか階段を上がりきったものの、改札前で力尽きて倒れてしまう。
「た、立石! しっかりしろ!! リョータ!!」
「立石車掌、昏倒!! 救急車を!!」
救護作業では、サリンが散布されたとは知らずに突入した駅員や車掌、消防隊員、そして患者が搬送された医療従事者にも二次被曝を引き起こし、被害が拡大することになる。一方で、何故東京メトロ副都心線のみ被害報告がなかったのかと言うと・・・
東京都渋谷区
東急東横線代官山駅改札前
「ない・・・・ない・・・・小川町行が・・・・ない!!」
東京メトロ副都心線の車内でサリンの散布を担当する予定の工作員は目の前の発車標を見てそう叫んだ。彼は相鉄線からの直通である小川町行の車内にて、サリンを散布する予定だったのだが、調査不足で当該列車の停車しない、代官山駅に来てしまったのである。予定の列車が存在せず、彼は混乱していた。
「ん? どうしたんだろう?」
異変に気付いた駅員が彼に声をかける。彼を外国人であると判断した駅員は、列車の行き先が分からずに混乱しているのだろうと、親切心で話し掛けたのである。
「お客様? 如何なさいましたか?」
「く、来るなあああ!! 来たら死ぬぞ!!」
計画がバレた。バレたから当該列車が運休になったんだ。そう勘違いした彼は、駅員を見て自分が逮捕されるのだと被害妄想を膨らませる。
「お客様、落ち着いてください。死ぬなんて大袈裟な・・・」
「く、来るな!! 来るなあああ!!!」
錯乱した彼はサリンの入ったパックを床に落とすと、傘でパックをつついた。穴が一つ空き、液体が流れ出る。
「俺は死ぬんだ! お前を道連れだあああ!!」
「お客様!! 落ち着いてください!! お客様!!」
危険を察知した駅員は直ぐに液体から離れる。液体近くにいた工作員はサリンをもろに食らい、意識を喪って倒れる。やがて気化したサリンが拡散し、周辺にいた利用客や駅員にも影響を及ぼし始め、倒れる利用客や駅員が出始める。利用客は混乱し、一斉に駅の外へ逃げ出し始める。
「輸送司令! 輸送司令!! 此方代官山駅!! 代官山駅は現在、不審者が薬品のような液体を散布した影響により使用不能です!! お客様や駅員にも負傷者が出ています!! 代官山駅に列車を入れないでください!!」
幸いにも、代官山駅の周辺には当駅に停車する列車はおらず、事案発生直後に特急元町・中華街行が通過したのみであった。この影響により、東急東横線は渋谷~横浜で運転を見合わせることになり、副都心線、みなとみらい線、相鉄線との直通が中止となる。
埼玉県和光市
東武東上線・東京メトロ有楽町線・副都心線和光市駅
「・・・・・本当にやるべきなのだろうか・・・・」
和光市駅からサリン散布予定の列車に乗車する予定の若い隊員は悩んでいた。
「・・・・・確かに私は祖国の為に戦う戦士だ。だが、無実の人々を無差別に殺害する為に軍に入った訳じゃない・・・祖国を守るために入ったはずだ・・・」
身体能力と判断能力に優れていた彼は、軍に入隊後、程なくして暗殺部隊隊員としてスカウトされた。厳しい訓練を耐え抜き、祖国の為に尽くす戦士として今、日本国にて作戦を実行しようとしている。簡単な任務のはずだった。最終的には自分たちも殺害される対象であることを知らずに協力する、現地協力者(中国やロシアに内通していたスパイ)を踏み台にして活動する。彼の能力なら、簡単な任務のはずだった。しかし・・・
「・・・・私は、あんな幼い子供を殺さないといけないのか?」
彼は和光市駅のホームを歩く、小さな男の子と女の子の兄妹を見つけた。2人を見ていた彼の脳裏には、祖国で帰りを待つ自身の子供達の姿が過る。似ていないはずなのに、目の前にいる兄妹に投影してしまう。
「・・・・自分は・・・人として許されないことをしようとしているんじゃないか?」
急に彼は怖くなった。上司を、仲間を、皇帝を、そして、祖国のことが信じられなくなってきた。
「・・・・自分に、あんな幼い子供達の命を奪う権利があるのか?」
悩む若き暗殺部隊隊員。やがて散布予定の列車が引き上げ線から入線する。彼は当該列車に乗車する。そして後を逐うように小さな兄妹が乗車する。始めての地下鉄なのか、はしゃいでいるようにも見えた。そして、そんな2人の命を奪うかもしれない。彼の良心が訴えてくる。
「・・・・私には・・・・そんなことは・・・・出来ない!」
彼は地下鉄成増駅で降車する。そして駅前に出ると、周囲を見渡し、警察官を探す。
「・・・あった!!」
彼は命からがら逃げ込むかのように、地下鉄成増駅と東武東上線成増駅の間にある、高島平警察署成増駅前交番へと駆け込んだ。
「どうしました?」
交番で勤務する警察官が彼に話し掛けてくる。
「助けてください!! 日本に亡命させてください!! 今、私の仲間が東京でとんでもないことをしようとしています!! お願いいたします!! 亡命させてください!! 全部話しますから!!」
彼は交番で勤務している警察官に亡命を懇願する。取り敢えず話を聞くから、と座るように言われた彼は、持ち込んだサリンの入ったパックや、東京で同時多発的に地下鉄車内でサリンを散布する予定であること、自分自身も散布の担当であったが、良心の呵責に耐えかねて実行せずに今出頭したこと、自分がグラ・バルカス帝国の暗殺部隊隊員であること等、全部話した。サリンと聞いた警察官は驚き、高島平警察署に応援を要請。証拠品を爆発物処理班が回収し、科捜研へと送られた。また、出頭した暗殺部隊隊員は速やかに拘束されると共に、グラ・バルカス帝国による奪還や暗殺を回避する為にパトカーで高島平警察署へと送られ、当面の間、警察署で身を隠すことになる。後に彼は日本への亡命が認められ、今回の事件で亡くなった被害者の冥福を祈ると共に、罪滅ぼしの為に出家し、その生涯を捧げることになる。
日本国神奈川県横須賀市
三笠記念艦
「結局ここですか?」
「他に思い付かなかった・・・」
「やれやれ。じゃあ、この後三崎口でマグロでも食べに行きますか」
そんな雑談をしていると、一台のパトカーが止まり、中から自衛官と警察官が一人ずつ降りてくる。
「ん? なんだろう?」
「こっちに来ますね」
「羽田1等海佐、未来1佐! 司令部より出頭命令です!!」
「ん? 外出許可は出ていた筈だが?」
「緊急事態であります! お二人を護衛艦いずもまでお連れせよとの指示が出ています!」
「・・・・何かあったのか?」
「詳しくは車の中で。急いでください!!」
2人が車に乗り込むと、パトカーは赤色灯とサイレンを鳴らして横須賀基地へと向かう。
「わざわざパトカーを走らせるなんて、相当な事案みたいだな?」
「お世辞にも、警察と自衛隊は仲が悪いはずですが・・・」
「縄張り争いしとる場合じゃないんですわ!! 自衛隊の皆さんの力が必要不可欠な事案が東京で起きたんですわ!!」
「此方の資料をご覧ください」
ヒロシとケントは一枚の資料に目を通す。そこには、信じられない内容が書かれていた。
「副都心線を除く地下鉄12路線と東急東横線でサリンが散布?!」
「なるほど・・・護衛艦いずもを東京湾に浮かべ、病院船にするのか。医官の二次被曝防止策は?」
「それについては現在、横須賀基地にて準備中です。万全の体制で未来1佐を送り出せますので、ご安心ください」
「承知した。羽田1等海佐、どうやら覚悟を決めなくてはならなそうですよ」
「・・・・・ああ」
「さて・・・・」
それまでの先輩弄りの後輩から、戦場の天使としてのケントに表情が変わる。それに気付いたヒロシは緊張する。
「なあ、ケント・・・」
「羽田1等海佐、今は遊んでいる場合ではありません。今は被害を最小限に抑え、一人でも多くの国民の命を救うための覚悟をしてください」
「・・・・・・・・」
何も言えないヒロシ。1時間後、海上自衛隊横須賀基地から護衛艦「いずも」、「まや」、「むらさめ」、補給艦「ときわ」が出港。東京湾に向けて移動を開始した。「いずも」、「ときわ」には、横須賀基地に所属する医官が総動員され、二次被曝を防ぐための設備やそれを扱う隊員も乗艦している。「まや」と「むらさめ」は万が一に備え、「いずも」と「ときわ」護衛の為に展開する。
海上自衛隊護衛艦「いずも」艦橋
「間も無く患者を乗せたドクターヘリが本艦に着艦する!! 気を引き締めて当たれよ!!」
護衛艦「いずも」艦長のヒロシは、隊員に気を引き締めさせる。同時に自身を律する。
「一体誰がやったんだ・・・・何のために・・・・」
海上自衛隊護衛艦「いずも」飛行甲板
「ドクターヘリ着艦!!」
「除染隊は前へ!!」
「除染完了!!」
「艦内に搬送開始!!」
患者の除染が終わると、甲板側面のエレベーターに向けて患者を乗せた担架が走り出す。艦内では搬送されてきた患者に対する治療が開始される。
「・・・・間違いない・・・これはサリンの中毒症状だ。PAMの投与を開始せよ!!」
「承知しました!」
即座にサリンの中毒症状と断定したケントら医官は、手際よく治療を開始していく。そんな中、続々とドクターヘリや自衛隊、更には海上保安庁のヘリコプターで患者が続々と搬送されてくる。
「未来1佐、新たな患者が続々搬送されてきます! このままではPAMの在庫が足りなくなる可能性が!!」
「構うな!! 在庫なら日本全国からかき集めればよい!! 日英同盟だってある!! 今は目の前の患者を救え!!」
「未来1佐、次の患者です!!」
「わかった。直ぐに向かう!!」
ケントは次に搬送されてきた患者を見て驚く。同時に絶対に救わなくては、と気を引き締め直す。
「・・・・大丈夫だ。かなり症状は重いけど、まだ助かる!! リョータ、もう少し辛抱してくれよ!!」
幼馴染みが搬送されて来るとは思わなかったケント。冷静に症状を見極め、まだ助かると判断。
「この患者は大丈夫でしょうか? 正直、もうダメかと思われますが・・・」
確かに呼吸は弱く、かなりの重傷であるのは明白だった。しかし、ケントにはリョータから生への渇望を強く感じており、今ならまだ助かるという希望が見えていた。
「いや、彼は助かる。今すぐにやればな!!」
「し、しかし! 流石の未来1佐でも無理かと・・・」
「下級医官は黙っていろ!! ここは護衛艦「いずも」の艦内である!! 僕には今ならまだ助かるってはっきり分かる!! 上官である僕の指示を聞け!! これは命令だ!! 従わないのであれば、然るべき機関に叩き出すぞ!!」
医官として、更には海外研修や休暇中密かにウクライナにて、医療活動を行った経験のあるケントは、直感的に幼馴染みのリョータが助かると感じていた。
「彼はかなりの重傷だが、今ならまだ助かる!! PAMを優先的に投与するんだ!! 急げ!!」
「りょ、了解!!」
「未来1佐! 次の患者をお願いいたします!」
「直ぐ行く!! PAMの在庫はいかほどか?」
「まだありますが、1時間程でなくなりそうです・・・」
護衛艦「いずも」飛行甲板
「間も無くPAMを大量に搭載したイギリス軍の輸送ヘリコプターが着艦する!! 飛行甲板を速やかに開けさせろ!!」
「海上保安庁のヘリコプターが間も無く発艦します!! 続けて東京消防庁のヘリコプターが発艦!! 次いで神奈川県警のヘリコプターが発艦予定!!」
護衛艦「いずも」の飛行甲板は、着艦するヘリコプターと発艦するヘリコプターの誘導で大忙しとなっていた。彼らは日頃の訓練の成果を発揮し、適切な誘導でヘリコプターを捌いていく。
護衛艦「いずも」艦橋
「しかし、イギリス軍の対応も早いな。こんなに早く支援を送ってくるとは・・・」
いずも艦長のヒロシは、イギリス軍の迅速な対応に驚く。
「艦長、在日英軍横須賀基地に所属する傷病兵収容艦アーガスが間も無く医療支援の為に東京湾に到着予定とのこと!!」
「アーガスを隊列に加える。陣形を変更するよう指示を」
「ははっ!!」
東京のイギリス大使館から、地下鉄車内に毒ガス散布の情報が伝えられた在日英軍司令部は、本国からの命令を待たずに行動を開始していた。横田基地の英軍病院では、患者の受け入れを開始し、イギリス軍のヘリコプターで続々と搬送。東京湾には傷病兵収容艦アーガスを展開。また、装甲車を皇居周辺に展開する準備を開始し、日本政府からの出動要請を待っていた。
東京都福生市
在日英軍横田基地
「・・・・・諸君、出番だ。日本政府から正式に我が大英帝国政府に対して、日英同盟に基づき支援を求めるとのことだ!! 各部隊、自衛隊と協力し、都内の警戒活動に当たれ!!」
「了解しました!」
後に東京動乱、または首都圏地下鉄ゲリラ事件と呼ばれる事案は始まったばかりである。
(続く)