しんしんと細雪が降る夜。
肌を刺すような寒気、喉を締め付けるような寒気だった。
そんな寒気と視界の悪い森を全力で走る影があった。
身体が熱かった。コートもマフラーもブーツすらも重く邪魔に感じたが少女には走らなければならない理由があった。
身体は機能を保全するためにありとあらゆる努力をする。
だが足はとめない。
この森で足を止めたら死ぬと教わったから。
訂正、森を走る影は少女のものとあともう2つ。
すごい速さで森を駆け抜けている。
それこそ少女以上の速さで。
かなり大きい躰だ。
少女の3倍近い巨体が徐々に少女と距離を詰めている。
薄暗く雲に遮られた月光では全貌は判別できない。
だが人間ではなかった。
赤黒い眼光は線を引いて、薄い月光で犬歯が煌めいていた。
狼だ。
狼の頭に二足歩行。
人狼だ。
その異形は雪の天幕を貫きながら猛進している。
「はっ…はっ…」
カチャリ
金具が擦れる音が鳴る。
少女が腰のベルトから3本あるうちの手斧を抜いた。
薄暗い銀世界を少し照らす燐光が手斧に集まっていく。
「んぅッ!!」
振り向きざま、飛び退きながらの投擲。
細腕からの投擲とは思えないほどの速度で放られたソレは的確に後方の人狼の首を断ち切った。
もう一方の人狼は一瞬にして事切れた骸を見て腹を立てたのか先刻よりも速く少女に迫る。
「くっ」
残りの2本の手斧を乱暴に手に取った少女は足を止める。
戦うようだ。
右手の斧は順手、左手の斧は逆手。
宛ら二刀流のような様相ではあるが。
「ガアウッ」
獣のような声を上げた人狼は自らの指先にある凶器で少女を刺し貫こうと迫った。
だが少女は巧みに躱す。
技巧と暴力。
攻撃を避け反撃の機会を探る少女だが、誰がどう見ても劣勢だった。
これまで全力で走り続け今はこうして針を通すように暴虐の嵐を避けている。
もはや体力は限界だった。
痺れを切らした方が負ける。
そんな戦いだ。
薄暗い雲が動き、月光が強まる。
未だ降り続ける雪に月光が反射しキラキラと煌めいていた。
汗が滂沱のように流れる少女の体は平時よりもはるかに熱され白い湯気が上がっている。
はぁ…はぁ…は
呼吸を外すかのようなタイミングで人狼が動いた。
「ガアアアアアッ!!」
「…!!」
タイミングを外された少女は行動に1拍の遅れが生じてしまった。
だがそんなことは少女には関係なかった。
そもそも、これは受け身の戦い。
ならば狙いはひとつのみ。
そして、コレは痺れを切らした方が負ける戦いだ。
人狼が選択したのは牙による攻撃。
いわゆる噛みつきだった。
そして少女が選択したのは前進。
大口に煌めく犬歯はそのままの軌道であれば喉笛を噛みちぎるものだったが、そうならないための前進だ。
残り少ない体力を使って人狼の股下に滑り込む。
攻撃の空振りを悟った人狼が振り向こうとするが、それは叶わなかった。
なぜなら飛んできた手斧に頭を切り落とされたからである。
一転して静寂を取り戻す針葉樹林だったが少女にその静寂を受け入れるような余裕はなかった。
「母さん…!」
過剰な運動で軋む身体を引きずりながらも、ポーチから出した薬瓶を大切に抱きながら走り出した。
本来の目的をまだ、果たすことができていない。
そして、その目的が果たされることがなく。
少女は天涯孤独となったのだった。
◇ ◇ ◇
僕の名前は
来年には高校入学を控えた中学3年生だ。
受験勉強もバッチリ。
自信の通り試験も上手くいった。と思う。
合否をワクワクと心を躍らせながら待っていた。
だけど、僕、いや僕らは高校入学の未来を奪われた。
僕の合否発表前最後の登校日に、それは起きた。
教室の床に出現した光る模様(魔法陣と言うらしい)が生み出した渦巻きに全員飲み込まれてしまったのである。
僕が目を開けば、豪華な服を着た人達が最初に目に付いた。
天井が高く日光の入りが良い豪奢なステンドグラス。
そして大きな石像。
教会だ。それぐらいは分かる。
最近はやっているらしい異世界転移と言うやつだろう。
要求はテンプレートに則った魔王を討伐して欲しいという分かりやすくそして遂行の難しいものだった。
ステータスプレートを全員分用意され、ステータスを伸ばすことを至上命題として今まで訓練してきた。
ステータスはわかりやすいカーストを生み出した。
元々あったスクールカーストは再構成されもっと分かりやすい力によるカーストとなったのだ。
そして傍観者気取りの僕はスクールカースト底辺に位置してしまっている。
職業は道化師、ステータスは一律20でとても低いものだった。
比べる対象としてはスクールカースト頂点の勇者。
ステータスは一律200オーバー。
10倍である。
世の中理不尽。
そんなことを叫べればどれほど良かったか。
職業が道化師なのをいいことに一発ギャグをしろとかジャグリングをしろとか、無茶振りがよく飛んでくるようになったのだ。
やらなきゃシラケたと言われやっても滑り倒す。
理不尽だ。
こんな状況から抜け出したい。
そう思って、教会の枢機卿の次の地位に位置し僕らに良くしてくれる聖女様に相談した。
その結果、冒険者に斡旋する予定だった簡単な仕事を僕に回してくれるというのだ。
内容は過酷な環境で誰も立ち入らない『万年雪森』を縄張りにしている魔物の調査。
討伐ではなく調査であるのがミソだ。
これなら何とかなるかもしれない。
あわよくば討伐できてしまうかも!
一人で行くのは流石に危険ということで教会の騎士を護衛に着けてくれることになった。
僕に必要なのは切っ掛けだ。
元々高校に入学したら自分を変えるつもりだったのだ。
任務は明日に迫っている。
頑張ろう!!!