腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
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ある一人の男は、自分の先祖に誇りを抱いていた。
才能に恵まれなかった自分では、偉大な先祖のようになることができない。それでも、その血が繋がっているだけで誇らしい。
男が先祖に固執するようになったのは、思い返せば“平凡な自分”へのコンプレックスもあったがゆえだ。
成長するうちに、彼は「彼の御方の血を次代へ残すことが己の使命」だと考えるようになる。
だが彼の父の代ですでに没落していた家では、
少なくとも男は、あの稀有な御方の血を継ぐ自分には相応しくない女だと思った。
その女はしかし、他の男と駆け落ちしようとした。
許されざる蛮行である。
別の女を──とも彼は思ったが、婚約を解消できる時期はとうに過ぎていた。別の女を見繕う余裕も、すでに彼の家にはなかった。
嫁いできた女は、懸命に彼に尽くした。一度裏切った女に優しくしてやる義理はないと、自分の両親に虐待同然の扱いを受ける女が救いを求めてきても無視した。
やがて時が流れ、ようやく待望の第一子が生まれた。出来損ないの女のせいで、子を授かるのが遅くなってしまったのだ。孫の顔を望んでいた両親も、とっくの前に他界してしまった。
偉大な彼の御方の血を継ぐ子である。きっと素晴らしい子に育つだろうと、男は信じた。
しかしその子どもは『出来損ない』だった。術式も持たない、平凡な子ども。
出来損ないの子どもは、出来損ないの女に似てしまったのだ。
男は家をどうやって存続させるか悩み、養子を引き取る方法に出た。その養子を他家との縁繋ぎに使い、援助を求めるのだ。
本当なら妻の実家から援助を求められればよかったのだが、妻は縁切り同然で捨てられてしまったため、支援は望めなかった。
ならば男の本家に当たる分家筋を頼れれば……とも思うが、こちらとも疎遠になってしまっており、援助は見込めなかった。
そして男は嫁がせるに相応しい力を持つ子どもを探し、一人の少女に行きついた。“虫を操る”という噂の少女である。
不気味な術式ではあったが。見目は
その女の養育はすべて妻に押しつけた。養子を引き取る件を持ち出したのは彼だったが、出来損ないの妻とは違い、彼には当主の仕事がある。
それに、妻も最終的には養子を引き取り喜んでいた。
もし娘が出来損ないだったら、一喝入れてやろうとも思った。とんでもない量を食べ、食費がかかり過ぎることを知った時もだ。
しかし彼女は妻の教育を完璧にこなし、食べる量もすぐに減った。
少なくとも息子や妻とは違い、出来は
それから、チャンスは唐突に訪れた。
五条家との縁をつなぐまたとない機会である。絶対にこの好機を逃してはならない。
しかし結果は五条家から閉め出される形で幕を下ろした。
せっかくあの五条の寵児の嫁探しをしていると聞き、辛抱強く機会をうかがっていたというのに。それをあの出来損ないは、すべて無駄にした。彼の労力を水の泡にしたのだ。その怒髪天の怒りはとどまることを知らなかった。
最近はフラフラと外を出歩いている出来損ないの息子。
育ててやったというのに、それを仇で返した出来損ないの義理の娘。
そしてその出来損ないの娘を座敷牢から出してやって欲しいと懇願してきた、出来損ないの妻。
彼の周囲には出来損ないばかりがいる。
あの偉大な御方の血を継ぐ自分がなぜこんな苦労をしなければならないのか? ──男は切実に、そう疑問に思った。
「──────
その言葉を妻から聞いた時、彼は耳を疑った。
懲りずにもう一度、あの娘を外に出して欲しい、と懇願してきた妻。
これ以上しつこいならば、もう一度教育してやろうと手を上げた彼に、妻はそう言った。
これまで見たことのないまっすぐな目で、妻は彼を見ていた。その中には、ドス黒い何かも渦巻いていた。
「出来損ない、出来損ない出来損ない────ッ!! アンタはいつもそう、
「お前が出来損ないなのは、事実ではないか!!」
「………は、ははっ! ははははは!!」
狂ったように妻は笑った。元々壊れていた女のネジが、さらに吹っ飛んでいくように狂笑した。
懐に忍ばせていたのか、手には包丁が握られている。
「アンタの父親も母親もアタシを「出来損ない」と言ってたが、おかしい話じゃないか! 出来損ないを産んだのは、そっちだろうにねぇ!!」
「おい…! おい、誰かいないか!! この女を捕まえろ!」
「女中は今いないよ。アタシが全員、お暇するように言ったからね」
「い……イかれているぞッ! お前!!」
「アタシが
包丁を手にした妻が、震える彼に一歩一歩と詰め寄る。
「お、俺を殺せば、お前は豚箱行きだぞ!!」
「構いませんよ。アンタを殺してアタシもポッキリと、椿のような最期を迎えてやりますからね。あの子らをアンタのうような男から解放してあげるには、結局、これしかないんだ」
妻が振りかざした包丁が、男のいた柱に突き刺さる。「ヒィッ!」と間抜けな声をあげ、男は転がった。
このままではイかれた女に殺される。そう思い、彼はなりふり構わず近くにあったツボを手に取り、背中を向ける妻に振り下ろした。
直後、ガシャンと、派手な音が鳴った。呻いて倒れた妻に馬乗りになり、彼は首を絞めた。
このままでは殺される。このままでは殺されてしまう。
暴れていた妻は、やがて動かなくなった。
女中が暇から戻ってきてしまう前に、男は急いで死んだ妻を自分の部屋の下に埋めた。畳をひっぺがし、穴を掘って軒下に埋めたのだ。
そのあと包丁や割れたツボを捨て、証拠の隠滅をはかった。
翌日に戻ってきた女中たちは妻がいないことを不思議がったが、彼が「何か機嫌を損ねたようで、ろくな荷物も持たずに出て行った」と言うと、「そうでございますか」と淡白な反応で返した。彼が殺したことは気づいていない。だが死体には腐敗臭が発生する。そのにおいに勘づかれる前に、女中たちをその日のうちに全員解雇した。
この時、蔵に放置していた義理の娘のことなど、すっかり忘れてしまっていた。
そうして一日、二日と日が過ぎていく。妻の死体をこのままにしておくわけにはいかない。腐敗臭は土越しでも日増しに増し、とてもではないが自分の部屋で寝られなくなってしまった。早く放蕩息子が帰ってくる前にどうにかするしかない。悩んだ彼は息子の部屋にあるパソコンんで、『死体 処理方法』などと、調べてもみた。
硫酸で溶かしたり、土の中に遺棄したり、あるいは細かく刻んでトイレに流したり。誰得な知識がネットの中にはあった。
この中で一番現実的だったのが、別の場所へ遺棄することだった。
だが気を振り絞り妻を埋めた場所を掘り返した彼は、腐敗途中の遺体を見て嘔吐し、すぐにやめた。妻だったものが、おぞましい姿へ変身していた。とてもではないがこれに触れる勇気はない。
かと言って、このまま捕まりたくもない。
そんな折、あの放蕩息子が帰ってきた。犯行がばれてしまったらと恐怖心でいっぱいになっていた彼は、朝方でもすぐに玄関の気配に気づいた。
なるべく平静を装い、「なんか臭うな…」と屋敷を歩く息子を捕まえ、「何日も無断でほっつき歩くような息子に帰る場所はない」と、無理やり外へ追い出した。息子は臭いのほかに、母親や娘の姿がないことに疑問を抱いているようだったが、「奴らは二人して出て行った」──で押し通した。
「待てよ? ……そうか!」
義理の娘、義理の娘である。彼は天啓を得た。
あの娘に妻を殺した濡れ衣をかけてしまえばいいのだ。娘は妻に過剰な食事制限を受けていた。それを理由に母親を恨んでいた──というストーリーができる。
そのストーリーをもっと綿密に仕上げるのだ。そうすれば………。
「なぁ、俺の部屋に、母ちゃんの手紙があったんだけど。
アンタ、母ちゃんをどうしたの?」
そのまま家を出て行くかと思った息子の手には、「ごめんね──」から始まる、妻が書いたであろう手紙がある。
とぼけようとした彼は、震える手でその手紙の内容を語る息子の言葉を聞き、固まる。
「俺、アンタなんかの息子じゃないんだ。
どこか嬉しそうに、しかし吐き捨てるように息子は言う。
「ずっとずっとずっとお前は、俺や母ちゃんを「出来損ない」って言ってた!! 蔵に入れたアイツのことだって、どうせ「出来損ない」って言ったんだろ……!! でも、違ったんだ!!! 俺たちが出来損ないだったんじゃない!! お前が、お前が出来損ないだったんだよ!!!!」
堰を切ったように息子は────いや、息子だったやつは、暴言を吐き散らす。「タネなし」「出来損ない」「母ちゃんを殺したんだろ!!」と。
彼は無表情で、息子だったそいつを殴った。何度も何度も何度も、頭を殴りつける。
「死ね、死ね死ね死ねしねェ────!!!!」
そして妻と同じように、息子だったものは動かなくなった。
男は笑う。妻がしたように、狂笑する。
「もう、全部、ころしてやる」
客間に飾ってあった日本刀を抜いた彼は、そのままズルズルと刃を引きずりながら蔵へ向かった。