腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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24話 割と理由のある拳が七海を襲う

 腹痛の虫たちが調子を取り戻したのか、『毒蟲』の力が戻った。彼女に同行する術師や補助監督が通る道を一年の二人も通った。

 自傷した腕から這い出てくる虫。あまりにもグロテスクな光景だった。

 

「い…痛くないんですか、安倍さんは?」

 

「痛いけどまぁ、慣れかな」

 

 二人とも顔色が悪くなってしまったが、特に灰原は精神的にダメージを受けてしまったらしい。呪術師を続けていれば彼女の自傷姿なんてかわいく見えてくる。しかし、まだ彼らはひよっこ。凄惨な現場をまだ経験した事がない。

 

「虫たちが呪霊を探してるから、少し休もっか」

 

 彼女のひと言で、三人は一旦休憩を取った。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 櫻の“女の子らしい”アピールは続いている。料理もウケが良く、かんざしを付けた髪も灰原が「すっげぇ美人です!」と褒めてくれたデキだ。

 七海建人は喜怒哀楽の怒は分かりやすい男だが、それ以外の感情が分かりにくい。

 それでも接するうちに何となく分かるようになってきた。

 

(……いつか、七海くんに微笑んでもらえたら嬉しいな)

 

 七海が滅多に見せない笑顔を見せる相手が灰原だ。だから櫻は灰原のことが、うらやましいな、と思う。これが乙女心なのだ。相手が好きなあまり、他人に嫉妬してしまう。ただまぁ、それで灰原を嫌いになったりはしない。灰原は友だちだからだ。

 

 

「あっという間に終わりましたね」

 

「すごかったね! 虫が羊を追い込む犬みたいだったよ!」

 

 イッヌ原は瞳をキラキラさせて語る。心なしか、見えないしっぽも振られている。

 これまでストライキを起こしていたのが嘘のように、虫たちは見事に活躍した。今回の現場は学校で、低級の呪霊が複数体いた。そいつらを虫で誘導してグラウンドに追い込み、袋叩きにした。すばしっこい個体もおり、もし一体一体倒していたらそこそこ時間がかかった。

 また、ケガ人も出ていない。歌姫の言葉を借りるなら、完封試合だった。

 

「任務が早めに終わっちゃったね。どうしよっか」

 

 時刻は2時。日付けは日曜である。

 櫻が七海に視線を送って、七海が灰原に視線を送る。灰原は「うーん…」と腕を組んだ。

 

「ここはズバリ……何か食べに行きましょう!」

 

 灰原の提案で、三人は近くの喫茶店に足を踏み入れた。店内は建ってから数十年は経っていそうな、昭和の名残を感じさせる。雰囲気がいい。そんな店の中にはちらほらと客がいた。その多くは軽食をおともに、ティータイムと洒落込んでいる。

 席は四人席を三人で座った。七海と灰原が隣り合って座り、その反対側に櫻が腰かけた。櫻は注文量が多いので後に頼むことになり、まず灰原がメニュー表を手に取って選んだ。

 

「僕はオムライスとコーヒー……あとナポリタン………っあ、リゾットもあるって!」

 

 お昼にがっつりと食べたはずの灰原。大食いの女がいるせいで七海の感覚も狂ってしまったが、この青年もまたかなりの量を食べる。

 

「私はコーヒーだけでいいです」

 

 七海の注文はあっさりと決まり、最後に大トリの出番だ。

 

「そうだな、私は──」

 

「安倍さん」

 

「……な、何かな七海くん?」

 

「個人経営のようですので、そちらの配慮をお願いします」

 

「う、うん。わかった…!」

 

 櫻は灰原と同じものを頼むことにした。「さすが七海くんは常識人だ…!」と、彼女が感動した一方で、たくさん食べる君の姿を見れなくなった灰原は、少しへこんだ。

 

 

 それから優雅なティータイムを過ごし、時刻は3時を少し過ぎた時間になった。

 補助監督に連絡を入れると、もう少し街をぶらついていても構いませんよ、とのこと。

 

「さすが日曜。人が多いね」

 

 かく言う櫻はその長身と冒涜的な制服のラインで目立っている。異国な容姿の七海もまた目立っている。

 

「二人がいると、僕の影が薄くなっちゃいますね」

 

「あなたの学ランも相応に目立っていますよ」

 

「え、七海が僕のこと褒めてる…!?」

 

「失礼、言葉が足りませんでした。“悪”目立ちしていますよ」

 

「な……七海のドライ人間ッ!!」

 

 仲のいい一年二人だった。微笑ましさを覚えた櫻はふと、「ドライ、ニンゲン……?」と呟く。

 ドライニンゲンとは、人間を乾燥(ドライ)させたものなのだろうか? ミイラ的に想像が浮かぶ。彼女が知らないだけで、この世には食用の「ドライニンゲン」なるものが存在するのかもしれない。宇宙人の思考は、星の彼方へ突き進む。地球に帰ってこい。

 

「────待って、七海くんが『ドライニンゲン』ってことは、七海くんが食べられちゃうってこと!?」

 

「……ハァー…」

 

 いつもの天然に七海は頭を押さえた。灰原は、七海は食べられませんよ、と安倍に教える。それは当たり前のことだぞ、灰原よ。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ビルが軒並み並び、人が点々点とあちらこちらへ奔放に蠢く。人間がその“点”を増やして増やす。どこもかしこも点だらけ。

 三つの点はあてのない旅路に出る。ただその旅路はほんの一時。人生に挟まれるコマーシャルのような短さである。

 

「………」

 

「どしたの、七海?」

 

 七海の足がとある建物の前で止まった。数歩分、自分の歩いた足あとを戻るようにしてバックした灰原は、建物の前に設置された看板に目を留めた。

 

「美術館かぁ」

 

 灰原には馴染みのない場所だ。人生で美術館に訪れた数は、それこそ片手で足りる。

 

「気になるなら行く? 閉館まではまだ時間があるみたいだし。安倍さんはどうですか?」

 

「美術館……来たことないや」

 

 櫻は灰原以上に美術館に来たことがない。というか、一度もない。歌姫に連れて行かれるまで、カラオケにも行ったことがなかったボッチ人生を舐めないでいただきたい。

 ──と、そんなことを思っていた彼女自身が何だか悲しくなってきた。

 

 

「…観に、行ってもいいですか?」

 

 

 七海にそう言われたら、行くっきゃない。

 三人は即日のチケットを買い、館内を回った。常設展示のほかに、期間限定で飾られている絵もある。企画展示の一環らしい。

 興味深々の二人には七海がこの系統に詳しいと知ると、色々と尋ねた。有名どころの作者なら、その作者自身の情報も知っていた。絵の技法についても詳しい。

 

「みやびな趣味って感じがするなぁ」

 

 灰原は感心しながら、絵を一つ一つ見る。

 

「あのりんご美味しそうだね。…あっ、あのブドウも!」

 

 一方でハングリーな女は、ハングリーのままだった。

 

 

 そうして見るうちに、櫻の提案で「それぞれ、どの絵が一番惹きつけられたか発表してみない?」という話になった。この提案に乗った灰原と七海は、館内を回り始めた。チラリと見えた灰原は、『花』の企画展示があるスペースに向かっていった。はたしてどの花を気に入ったのか、お楽しみだ。

 

(引きつけられる一枚、か)

 

 七海として、絵の精巧さと“引きつけられる一枚”というのは、必ずしもリンクするとは思っていない。その時々の精神状態で陽光を感じる絵や、陰鬱な絵に心をつかまれたりと、変わるものだ。

 そんな中で、人生で揺るがない『一番』に出会えたとしたら、それはきっと素晴らしいものなのだろう。

 

「……ん?」

 

 静かな館内で聞こえたシャラリという音で、七海の意識が絵から現実に戻された。あの音は安倍のかんざしの音だ。

 

(あの人はどの食べ物を選ぶんだ…?)

 

 七海が見た中では、リンゴが一番気に入った様子だった。食い入るように見つめ、「みずみずし過ぎる…」とも呟いていた。

 

 ただ、安倍が見つめていたのは食べものではなかった。

 

 

(夕日に包まれた、海……?)

 

 

 横が60センチほどある横長の絵には、夕日に沈む海が描かれている。印象派の一枚だ。細部にとらわれない大胆さを感じさせる。しかして細かい波の動きや空の流れを見ると、描いた人間の繊細さが見えてくるような──そんな作品だった。

 

 紅い玉をそのままはめ込んだ如き目は、真っ直ぐにその世界を見つめる。表情も消えて、おまけにみじろぎ一つしない。飾られていた日本人形が、そこにポツンと忘れ去られてしまったようでさえある。

 

 七海はその姿に、拭いきれない不安を抱いた。

 

「安倍さん?」

 

 七海は目的地を変え、櫻の隣に立った。相変わらず彼女の視線は絵に吸い込まれている。──いや、違う。囚われている。

 

 

「赤い海は、あったんだ」

 

 

 櫻は独り言のトーンでそう言う。

 

 

「でも、人の目に見える海は青いの」

 

「…そうですね。青く見えるのは、光の屈折が原因ですが」

 

「七海くんの海は、青いよね」

 

 赤い海を見つめていた彼女の目が、ふいに七海に向いた。絵よりもよっぽど紅い目玉だ。

 

「あなたの瞳には、美しい海があるから」

 

「…………た、しかに…青みがかってはいます、ね」

 

「五条くんも青いけれど、彼は青空だから」

 

 硝子はやわらかい木の色。灰原はラブラドールレトリーバーの茶毛色だ。夏油は呪霊玉と同じ色をしている。冥冥はミステリアスのぶどう色だ。

 歌姫は………ちょっとよくわからない。

 

「その人の瞳に、その人の世界が秘められていると、私は思うの」

 

「……それで、私は海なのですか」

 

「うん。私は………()()海なんだよ」

 

 どこか自嘲した笑みで、櫻はそう言った。その表情も「っあ、そうだ!」という言葉の後には、いつもの彼女の表情に戻っていた。

 

「七海くんは、心に響いた絵が決まった?」

 

「………」

 

「七海くん?」

 

 七海はジッと赤い海を見つめる。彼が気に入ったのはこの絵なのだろうか? ──と櫻は思った。

 

 

「私は紅い海、素敵だと思いますよ」

 

 

 七海は絵を──ではなく、櫻の目を見てそう言う。彼女の心臓が脈打ったが、勘違いするなと自分に言い聞かせる。七海は彼女の目についてではなく、絵の感想を言ったのだ。「赤い」海と言ったし。

 しかし欲ばろうとするハングリーの部分が、ひょっこりと顔を覗かす。そしてその欲張りな自分に、彼女は負けた。

 

「じゃあもっと紅い……それこそ例えば、血の海だったらどうするの?」

 

「血の海、ですか?」

 

 七海は顎に手を当て考え始めた。そんな真剣に悩まれても困る。心臓によろしくない。

 

「血の海でも、いいんじゃないですか?」

 

「……す、好きか否かの観点で言うと?」

 

「血はさすがに怖いですね」

 

「うっ……そ、そうだよね………」

 

 櫻はガックリと肩を落とした。やはり血の海は恐ろしいのだ。彼女にとってその海が安心感を覚えるものだとしても。

 

「しかし驚きました。「美しい海」は」

 

「だって、七海くんの目は本当に海みたいなんだよ? 太陽を反射して、キラキラ輝いてる感じの!」

 

「フフッ……てっきり告白でもされたのかと思いましたよ」

 

「…!!? 今、七海くんが笑っ──────ふえっ?」

 

「私も笑いはしますよ、人間ですから」

 

「……………あ、う」

 

「……? どうされたんですか、安倍さん?」

 

 いきなり黙り込んでしまった櫻。顔もなぜか真っ赤になっている。首を傾げた七海は、ちょうど戻ってきた灰原に事情を話そうとした。

 

「………」

 

「灰原…? なぜ前を向いたまま後ろに戻っているんですか?」

 

 そろりそろりのバックステップで、灰原は離れていく。その後を七海は追おうとしたので、灰原は顔を下にして、指差しだけで「お前が今見なければならないのはッ! 僕じゃなくてあっち!!」と圧をかけた。

 

「すみません、今灰原が奇行に走っていて…」

 

「……私、好きだよ」

 

「はい?」

 

「なっ………七海くんの、海みたいな目」

 

「はぁ……そうですか」

 

「七海ィ────ッ!!!」

 

 とうとう耐えきれなくなった灰原が叫んだ。ちょっとその鈍さもいい加減にしろよ、な男の、魂の叫びだった。

 そんな大声を出した灰原は、館員に連行されていく。度重なる友人の奇行に七海の眉間の皺が増えていく。

 

 

「七海くんのことも、好き」

 

 

 櫻はか細い声で、なんとか言葉を紡いだ。顔はもう夕日の海なんて目じゃない赤さである。連行中の灰原を天を仰いだ。とうとう失恋しちまったぜ。

 

 細い目を丸くした七海は、「………」と間を置く。そして、言った。

 

 

「えぇ、私も友人のあなたのことは好ましく思っていますよ」

 

 

 この言葉を聞いた直後、櫻は顔を覆って美術館から出て行った。一瞬見えたその顔は泣いていた。「えっ?」となった七海に、割と理由のある灰原の拳が飛ぶことになる。それでもまだ事態を飲み込めていない七海建人。そしてその友人の胸ぐらをつかむ灰原雄。そしてさらに二人を取り囲む美術館員と警備員。三つ巴のカオスだ。

 

 

「安倍さんはッ!!! お前のことが異性として好きなんだよ!!!!」

 

「………えっ?」

 

 

 七海はようやく、櫻の気持ちに気づいた。

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