腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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25話 愛してるんだベイベー

 “愛”とは人をとても好きになることだ──と言ったのは、あの顔も思い出せなくなってしまった女中だった。

 外に出た櫻は声を殺して泣いた。いつの間にか公園に着いていて、ベンチに座って泣いた。すると幼い子どもたちが集まってきて、「おねーさん、どうしたの?」と声をかけてくる。

 

「おねーさんね……失恋しちゃったの…」

 

「えぇ!? シツレンって、あの『シツレン』!?」

 

 今のちびっ子たちは恋愛博士らしい。少女たちはベンチの両サイドに腰かけ、腕を組みながら「うんうん」とうなずく。大人の女性を子どもたちが取り囲む様子を不審に思い、30代から40代ほどの奥様方も集まってきた。奥様方は最初は眉間にシワを寄せていたが、櫻の事情を聞くと態度が変わった。

 

「そうだったの。好きな人に、フラれちゃったのね…」

 

「勇気を出して、告白したんですけど……私のことは、友人としてしか…好きじゃ、なっ………」

 

「いったい誰よ! こんなかわいい子を振るなんて!」

 

 日ごろから溜まっている旦那への愚痴を踏まえ、奥様たちは「男なんて、所詮ね──」と語りだす。その様子を見ていたちびっ子たちも、「〇〇くんはね、いつもようちえんでおかたづけしないの」と大人のマネをし始めた。

 

 涙の止まらなかった櫻は、周囲と会話しているうちにクスリと笑った。

 任務をやっていると、いろんな人間に出会う。いじめや自殺、そういった陰惨な現場の当事者たちに出くわすこともあれば、こういう自分におせっかいを焼いてくる人間に出会うこともある。

 

 かつての彼女の世界には、イイやつらが1%しかいなかった。しかし今はその割合が増えている。相変わらず自分の目を見て不気味がる人間はいる。それでもまったく気にせずに接してくる人間もいるのだ。

 

「あなたまだ10代なんでしょ? 新しい恋なんていくらでも見つかるわよ!」

 

「でもね、スタイル目当てに近づいてくる男はやめときなさいよ。絶対ッ、ろくな男じゃないから」

 

 彼女の人生のひと回り、ふたまわりは上の先輩たちは、色々と体験してきたようだ。

 

「でも私まだ、その人のことが好きみたいです…」

 

「あぁ、純愛……!!」

 

「私達には眩しすぎる……!」

 

 まぁ、と奥様の一人が言う。

 

「まだ好きだっていうなら、どうするかはあんた次第じゃない?」

 

「相手の男の子、たぶん彼女いないんでしょ?」

 

「いや、そもそも告白しちゃったんだから、今後相手と接する時に気まずいでしょ」

 

「「「難しいわねぇ〜……」」」

 

 奥様方の話しあいが続く中、携帯に連絡の入った櫻は席を立った。相手は補助監督で、『安倍さんたち、今どちらにいらっしゃいますか?』というものだった。時刻は5時近くになっている。ちょうど公園に設置されたスピーカーから『夕焼け小焼け』の歌が流れる。

 

「あらやだ、もうこんな時間!」

 

 奥様たちは櫻に手を振り、ゾロゾロと帰って行った。

 

 一方で彼女は今の場所を伝え、迎えを待つことにした。

 

「……あ、待てよ。「安倍さん()()ってことは…」

 

 補助監督はてっきり、彼女といっしょに一年二人もいると思っている。こりゃまずいと、櫻は補助監督に電話をかけ直す。そして、七海たちに連絡して、彼らの場所を聞くよう頼んだ。

 

「ハァー……」

 

 彼女の手には、帰り際に少女から渡されたいちご味の飴がある。自分にとっては小腹にも満たない一粒。その包装を解いて、頭上に向かって投げた。薄ピンクの飴は重力にしたがって落ち、櫻の口の中に入る。

 

「あ、飴じゃなくてキャンディだ」

 

 いちご味は甘い。しかし心は苦い。

 七海に会ったらどうしようかと、櫻は改めて考えた。

 

「………確かに、気まずいな。だったらさっぱりした様子で、友だちとして接しなきゃ」

 

 そうやって考えているうちに、おさまったはずの涙がまた溢れてくる。落ちた粒の中にはゆらめく赤い蜃気楼があった。その世界はあっという間に壊れて、地面に朽ちる。

 

 

「安倍……っ、さん!」

 

「………な、七海くん!?」

 

 

 そんな中、息を切らした七海が、公園にたどり着いた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 七海は補助監督からきた連絡で、安倍が近くの公園にいることを知った。櫻が美術館を出て行ったあと、彼と灰原は注意を受けることになった。『館内はなるべくお静かにお願いします』の張り紙(ルール)を破ってしまったので、これは仕方ない。

 

 それから二人は手分けして安倍を探すことにした。

 

 

「もし僕が安倍さんを見つけたら、そのときは告白するから」

 

 

 灰原は別れる直後、七海にそう言っていた。七海が気づいていなかった事実に、灰原雄はずっと前から気づいていたのだ。

 七海は「もしや?」と思った。

 

(もしや私にも他の呪術師のように、()()()部分がある…のか?)

 

 そのズレた部分が原因で、安倍が寄せる想いに気づかなかったのかもしれない。

 その事実はなかなかにショックだった。自分がまさか、あの五条(先輩)と同類だと信じたくない。パンの付属でついてきたパキッとするやつで、勝手に『╰⋃╯』と描いてきたような男だぞ?

 

 しかしまぁ、一般家庭の中でも普通の家で育った灰原や夏油からすれば、裕福な家庭らしい七海は時折ズレていることがある。まぁそれは、性格どうこうの問題ではない。これまで培われてきた互いの常識に差異があるだけの話だ。だから結局、そこの差異からくる()()は、呪術師のイかれ(ズレ)た部分とは言えないかもしれない。

 

(私にも連絡が来たのなら、同様に連絡の来た灰原も安倍さんの居場所を知るか……)

 

 だったら七海が公園に行く必要もないだろう。着いたら灰原が思いを告げ、うまくいけば付き合うことになる。

 

「………」

 

 ただ、七海の足は止まらなかった。なぜ自分の足が止まらないのかと、彼は考えた。

 

 一番に浮かんだのは、安倍の涙だった。これはおそらく自責の念だ。告白した相手の気持ちを知らず知らずのうちに蔑ろにしてしまったことに対する自責。そう、だから、七海は彼女に謝る必要がある。

 

 次に浮かんだのはケガをして、安倍におぶられた時のことだ。

 自分よりも長身の背。手をおそるおそる回すと、ハッとした。七海は安倍の肩幅の狭さに驚いた。その一方で不思議と安心感があり、疲れもあったことで寝てしまった。理由はともあれ、安倍が運んでくれている最中に寝てしまったのは失態だった。

 

 あと、自分と灰原が安倍の作った弁当を食べている時に、口元を緩ませていたのも印象的だった。心底嬉しそうに彼女は笑っていた。

 

 それと、記憶に新しい美術館で見た忘れ去られてしまった人形のような横顔。彼は一瞬その姿が、『作品』に見えた。

 

 

「ど、どうしたの七海くん? そんなに息を切らして……」

 

 

 公園に先に着いたのは、七海だった。道中で灰原とすれ違ってはいない。まだ向こうは着いていないらしい。それに何故か、安堵を覚える。

 

 彼を心配する安倍の顔は泣いた痕で、少し腫れぼったくなっている。うながされるなまベンチに座った七海は、息を整え、そして謝った。

 

「あなたの気持ちをないがしろにし、傷つけてしまい申し訳ありませんでした…」

 

「いっ、いいんだよ! いきなり告白したのは私なんだし!」

 

 櫻は、「だから、その……」と話し、少しの間を置く。

 

「これからも、私と友人として仲良くしてくれないかな?」

 

「………」

 

「もちろん、七海くんとしては気まずいと思う。私もこの気持ちをまだ諦めきれないけど……でも、ちゃんと捨てるから。だから………」

 

「……捨ててしまうんですか?」

 

「えっ?」

 

 七海の海を宿す目は、夕陽を受けてあの絵画のような、赤い海へと変わっている。彼の真意を櫻ははかりあぐねる。友人でいるには、この七海へ抱く“愛”の感情は、捨てなければならないはずだ。

 

「私は……」

 

 口を開いた七海の手が、彼女の手を握る。彼のその言葉の最後に「?」がついた。

 

 七海の目が丸くなる。すると赤い海がさらによく映える。櫻はその目をジッと見つめる。「やっばり綺麗だなぁ」なんて、思いながら。

 

「………安倍さん」

 

「……ん? 何?」

 

 我に返った彼女は、目に向いていた意識を戻し、七海の顔全体を見た。

 

 

「私も貴女のことが、好きなようです」

 

「…………………………えっ?」

 

 

 長い──それはもう長い間の後に、振り絞るような声が彼女の口から漏れた。

 幻覚? 幻聴? それともスタンド攻撃?

 

「急いで伏せなきゃ! 私たちを狙うスタンド使いが近くにいるかもしれない!! …いや、現実にいるとしたらスタンド使いじゃなくて、呪霊か呪詛師か…!!」

 

「一旦落ち着きなさい」

 

 櫻は顔をつかまれ、七海の方に向けさせられた。至近距離に相手の顔があり、彼女の心臓が爆発しそうになっている。爆発……爆発のスタンド?

 

「貴女のことが好きだと、私は言いました」

 

「ま、ままっ、待って、脳の処理が追いつかない」

 

「ですから、貴女のことが好きだと──」

 

「何度も言わないで死んじゃう!!!!」

 

 陶磁器の如き肌は、過去最高に真っ赤になっている。夕日なんて目じゃあないその赤さ。七海はフッと笑った。自分の無自覚だった感情を理解すると、何ともまぁ今の彼女は愛らしく見えてくる。魔法のようだ。

 

「それで、どうされますか?」

 

「ど、どどど、どうって何が…?」

 

「お付き合いするか否か、ということです」

 

「誰と誰が!!!??」

 

「あなたと、私が」

 

「………………………えええっ!!!?」

 

 櫻は七海の手から逃げ、地面に転がり落ちた。予想不可能な連続でずっとパニックである。そんな状態で「私はお付き合いしたいですよ」と向こうが追い打ちをかけてくる。

 

「ただ一つだけ、先にお聞きしておきたいんです」

 

「にゃっ、(にゃに)かにゃ?」

 

「安倍さんは私が『ナナミン』という人に似ているから、好きになったんですか?」

 

「あっ…」

 

 そう言えば、七海と衝撃的な出会いをしたときに、櫻は「ナナミン」と連呼していた。その『ナナミン』が七海と似ているということを、彼は知っている。

 

「……いいえ。私はナナミンと似ているから、七海くんを好きになったんじゃない。七海くんが七海くんだったから、あなたのことを好きになったの」

 

 イマジナリーフレンドには抱かなかった“愛”を、彼女は七海に抱いた。

 

「…そうですか」

 

 七海が手を差し出す。一瞬悩んだ櫻は、その手につかまり、よろよろと立ち上がった。足が小鹿のように震えている。自分を見つめる七海に、彼女は返事を待っているのだと察した。

 

 

「たいへん誠に不束者ですが…よろしく、お願いいたします……」

 

 

 微笑んだ七海は、「よろしくお願いします」と返す。

 

 ちょうどその時、七海の携帯が鳴った。メールである。灰原からだった。件名はなく、本文のところに二つの絵文字がある。泣いている顔と、その隣に親指が立っていた。

 

「まさかっ……!!」

 

 周囲を見渡した七海は、茂みの上に飛び出ている見覚えのある黒髪を発見した。

 先に着いて、ひっそりと二人の様子を見守っていたらしい漢灰原は、「幸せになれよ…!!」と号泣していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 紅い海から、イカつめの腕時計をつけた無骨な手が伸びている。その手には人さし指が立っていた。それが指し示す方角は、上。

 

 

 その頭上には巨大な物体が浮かんでいた。かぎりなく丸い──しかし、それにはところどころに凹凸がある。その全貌を窺い知ることはできない。ボロ切れのような包帯が幾重にも巻かれているからだ。包帯には墨で書かれた文字もある。黒で流れるようにして書かれた漢字だ。

 

『それ』は、赤ん坊の声で泣いた。この「泣く」は、「鳴く」だったかもしれない。

 

 

 血の海の中にうごめく百蟲。そしてその頭上に広がる暗闇に浮かぶ、巨大な赤ん坊。

 

 

 ────ドプン。

 

 

 そんな音がした時にはすでに、紅い海から伸びていた手は消えていた。

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