腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
「ねぇねぇ、うみはちのうみもあるの?」
「えっ?」
朝起きて早々物騒な質問をしてきた櫻に、布団を押し入れへしまっていた女中は頓狂な声をあげる。
この読み聞かせの女中は彼女のお気に入りということもあり、櫻の身の回りの世話を任されることが増えた。
「海は青色なんですよ。地獄になら、血の海はあるかもしれませんね」
「そうなの? じゃあじごくのえほん、よみたい!」
子どもを恐怖に突き落とすことでお馴染みの、例の地獄の絵本。
後日女中が用意したそれを読んだ彼女は、キャッキャと嬉しそうに笑った。
「それにしても櫻様は、なぜ血の海があるか──なんて、聞いてきたんですか?」
「ゆめのなかで、うみはあおかったの。でも、ちょっとちがうの」
少し緑がかった青い海は、ナナミンの瞳のようで。
“美しい”という感情を、彼女は「わぁ…!」という感嘆で表した。
「おそとにちのうみはないの?」
「自然でいくつもの現象が重なった結果、海が赤く見えることはありますよ。しかし血の海はないですね」
「ほんとにぃ?」
「本当にぃ、です」
地獄の本を投げ出した櫻は、女中の膝を枕にして寝っ転がる。自分の瞳の色をした海はどうしてもないらしい。
「ねぇねぇ、おそとはどんなところなの?」
夢で見た海の一件以来、彼女の“外”への好奇心は高まるばかりだった。
こっそりと人目を盗み屋敷から抜け出し、外へ出ようとしたこともあった。
しかし途中で見えない壁のようなものに阻まれ、押しても叩いても出ることはできなかった。
この壁は彼女だけを外に出さない造りになっている。でなければ、外から来た人間も出入りすることはできないだろう。
「……外には、櫻様の毒になるものがたくさんあるのです。ですからどうか…どうか、「外に行きたい」と、他の人間に言ってはいけませんよ」
「どうして?」
「櫻様のためです」
「…わかった」
女中は優しく彼女を抱きしめる。その体はかすかに震えており、櫻は不思議そうに首を傾げた。
◇◇◇
女中に懇願されてから、彼女は「外へ行きたい」と表立って言うことはなくなった。
依然と呪霊を食べ、信者を作り、食べて、
それでも外への興味は日に日に増すばかりだった。
そんな時は一人の時を見計らい、イマジナリーフレンドに外について尋ねている。
彼女は最近ナナミンに呼びかける時に「へい、ななみん!」と言うか、「おっけー、ななみん!」と言うかで悩んでもいる。
人間の増え方に疑問を持ち聞いた時は、ナナミンは固まり、スッ…と消えていった。
なので仕方なく、彼女はいつもの女中に尋ねた。
「ねぇ、にんげんはどうやってふえるの?」
「ブフッ」
縁側で櫻とともにお茶を飲んでいた女中は口の中身を吹き出し、咳を込んで小さく震える。
「だ、誰からそんなことを? …まさか櫻様の、“
「え、えっと………せ、せんせい!」
先生はこの時、大きな濡れ衣をかけられてしまうことになる。
「…ゴホンッ! いいですか、人間は男と女が愛し合って生まれてくるものなんです」
「どうやってにんげんはうまれるの?」
「女の口から卵として出てきます」
「えっ!!?」
衝撃的な事実に櫻は驚いた。
「じゃあ、くちのなかからたまごがでてきたら、さくらがきゃっちするね!」
「……私が口の中から卵を出したら、ですか?」
「うん!」
無邪気な笑顔で櫻は笑った。
◇◇◇
人間は女の口の中から卵が出てきて生まれる。
それを知った彼女は、救いを求めにきた女性の腹を見て固まる。ちなみに信者の前に出る際は、全身をミイラのように包帯で覆っている。一応目や口元は出ているので、見たり、呼吸はできる。
「何度子どもを妊娠しても、流れてしまうんです…!」
女には複数の魚のようなものを体に張りつけた、黒い異形が腹を締めつけるように巻きついている。
膨れた腹はスイカがまるまる一つは入っていそうな大きさだ。
(くちからだすの、たいへんそう)
場違いなことを思いつつ彼女は早速呪霊をつかみ、食らう。呪いの悲鳴が聞こえる。それと同時に、複数の声も聞こえた。その声の主は、呪霊の体についた魚のようなものらしい。
『ママ、たすげっ』
『やだ! いっしょにい』
『ママッ、ママ!!』
魚のようなものたちは、小さな手足を必死に伸ばし、女性に向かって叫んでいた。
「おいしいっ!」
魚のようなもののスパイスが効いているのか、今日は一段と美味い。
一方で腹を締めつけるような違和感がなくなった妊婦の女は、呆然とする。その直後、女の腹の中から蹴られる感触がした。
「あっ……」
妊婦は口元を手で覆う。元気に腹の中で動く、我が子。それを感じ、自然と涙がこぼれる。
「この子が……喜んでいるんだわ…! 早く、お母さんのお腹の中から出てきたいって…!!」
「がんばって(口の中から)だしてね」
「えっ? ……あっ! 産んで、ということですね! ありがとうございます、アオムシ様!!」
女は彼女の手を握り、感謝の言葉を伝えた。
◇◇◇
子どもの永久機関である「なんで?」。質問に答えても、さらにその答えから「なんで?」が生まれる、大人を恐怖に陥れる攻撃だ。
その「なんで?」をイマジナリーフレンドにぶつける櫻だが、赤ん坊の件のように都合が悪いとはナナミンは消えていく。
そうなると、彼女が次に尋ねるのはもっぱらあの女中になる。
「なんでにんげんはあいするの?」
妊婦の件から、人と人が愛して──の、“愛”の部分に興味を持った彼女。
この質問に対するナナミンの回答は、「愛……?」だった。ナナミンにこの質問は難し過ぎたらしい。
「愛は人間をとても好きになることですよ」
「すきになる、ってなに?」
「そうですね…例えば私は櫻様が好きです。ですからこうして時折、抱きしめて差し上げたくなります」
女中は彼女を抱っこし、背中を軽く叩いた。これが“好きになる”ことなのかと、彼女も抱きしめ返してみる。相手の心臓の音が聞こえた。
「……さくら、これすき!」
「抱きしめられるのがですか?」
「うん! なんか……むねがぽかぽかする!」
「そうですか。それはきっと、素晴らしいことでしょうね」
ナナミンも今度抱きしめてみようと、櫻は思った。
こうして抱きしめてもらうと落ち着く。相手の脈のリズムと、自分の脈のリズムが手を取って、踊っているような気がする。白い頬がほんのりと赤くなり、瞼が落ちていく。
「…ねぇねぇ、ほかにもすきなひと、いる?」
「………いましたよ」
「そーなんだぁ…」
「いましたけれど、過去のことです」
女中はそのままあやすように櫻の背中を叩く。そして、語る。
「私が好きだった家族は、人に恨まれるようなことをしていました。その結果私の家は不幸が続き、私は愛していたはずの家族に売られたのです」
借金の担保として彼女は若くして売られてしまった。その後の人生は悲惨なもので、彼女自身も家族を崩壊させた呪いとは違うが、社会の
生きるも地獄。されば死は、天国であるのか?
「私は、アオムシ様に救われたんですよ」
だから、この女中は櫻に仕えるようになったと言う。
女中は詳しい自分の過去を話したわけではなかったが、大変だったのだろうな、と彼女は漠然と思った。
「ですが私はアオムシ様だから、櫻様のことを好きなわけではないんですよ」
「そうなの?」
「私は櫻様が櫻様だから、好きなんです。……イタズラばかりするのは少し困りますけどね」
「だって、さくらは
「ハハハ、こやつめ言いおる」
これが子育てというものなのか。
育児とは斯様にたいへんなものなのか、と女中は頭を押さえる。
「……じゃあね、もし、だよ」
「…はい?」
「もし、さくらがどうしてもおそとにいきたいっておねがいしたら、てつだってくれる?」
「それ、は……」
未だに捨てきれない櫻の“外”への願望。
きっとこの女中は彼女自身が“外”を嫌っているから、櫻を出したくはないのだろう。
しかしそれでも、一度だけでいいから、櫻は外に行ってみたかった。
「………」
口をつぐんだ女中は手を握りしめ、俯いてしまう。
「ちゃんとね、かえってくるから!」
「世の中に怖いものがいっぱいあったとしても、行きたいんですか?」
「うん」
「……少しだけ、考えさせてください」
そう言い、女中は盆を手にして去っていった。
それからしばたく経ち、女中は意を決した様子で外に“お出かけ”する手伝いを引き受けた。
女中なりに色々と悩み、“外”を知らない櫻を思って出した答えのようだ。
「それで、どのように外へ出るおつもりなのですか?」
「ん?」
「……まさか、
「ん〜〜……えっへへ」
マジでこの幼女は、ノープランだった。
◇◇◇
櫻が外へ出るには、屋敷の周囲を囲う“壁”を何とかする必要がある。この壁は彼女以外の人間ならば、自由に出入りすることができるものであった。
考えられる方法は一つ。一つ目は壁を何らかの手段で壊すこと。
二つ目は、この壁を作っている人間に解かせることだ。
影でこの壁について調べてくれた女中は、この壁がどうやら櫻の先生でもある男が張っているらしい──という情報を入手した。
「じゃあせんせいをたおせばかべきえるかも!」
「ダメですよ! それでは事が大きくなってしまいます!!」
「じゃあさくらががんばってかべこわす?」
「……それが一番いいのかもしれませんね。そもそも櫻様が見えるという壁が、私には見えませんし」
「じゃあきたえなきゃ」
庭の中を走り出した櫻は数分後、飛んできた蝶に自分の目的を忘れ、「まてまてー!」と駆け出す。
花にとまった蝶は背後から忍び寄った彼女に捕まってしまう。
その拍子につかんだ羽がちぎれ、蝶の体が地面に落ちる。
「みてみて! とれちゃった!」
櫻はバラバラになった蝶の羽と胴体を手のひらに乗せ、それを女中に見せる。天真爛漫な表情は、まさに悪意を知らない子どもそのもの。
「あげる! はねきらきらだよ!」
「……そうですね。とても、綺麗ですね」
「さくらにもはねがあったら、かべをこえておそとにいけるのに!」
卵から孵り、芋虫からサナギを経て成虫になった蝶は、幼子に羽をもがれてあっけなく地に落ちてしまった。
まだピクピクと動く蝶の体を、女中はじっと見つめる。
そんな彼女の様子を、櫻もじっと見つめた。
◆◆◆
──語り──
「壺の中に毒の虫と言っちゃあ、呪いの類で『蠱毒』なんてものがありますがね? …えぇ、知らない? そりゃあアンタ、今手の中に持っているスマートな機械でググって見てくださいよ。一発で出て来ますから。
このお話は、『この壺、触るべからず』と書かれた紙が貼られた壺を、女が見つけたところから始まります。気になった女は壺を振ってみると、中に何か入っている。そこで女はあっ、と気づくわけだ。こりゃあ旦那のへそくりかもしれないと。しめしめと思った女は壺の蓋を開けようとして、「あぁ!」と聞こえた叫び声に驚く。旦那だ。
バレちまっちゃしょうがないと、女は旦那に壺を渡した。すると旦那は壺を抱きかかえ、まるで赤ん坊にするように、ざらざらとした壺の表面を撫でる。
それに女は、
『ちょっとアンタ、アタシよりもその壺の方が大事だってのかい?』
『いや違うんだよ、おまえ。この壺にはな、危ないものが入っているんだ』
『危ないものって?』
『そりゃあ、その……ちょいと危ないものだよ』
煮えきれない旦那の態度に、日頃の鬱憤も溜まっていたんでしょう。女は旦那から壺を奪いとり、壁に叩きつけてしまう。
その中から出てきたのは、一匹の虫だった。悲鳴をあげた女はとっさに旦那を見る。
するとね、旦那はこう言うんですよ。
『バレちまっちゃしょうがない』
この女は壺に入っている毒虫、つまり『蠱毒』を知らなかったわけだ。旦那もまた、妻以上に鬱憤が溜まっていたんでしょうね。それこそ、『蠱毒』を作ってしまうほどに。
おやアンタ、随分と顔色が悪いようだ。アタシがはじめに『蠱毒』を調べさせた意味、お分かりでしょう?
えぇ、えぇ。知らないままこのお話を聞いちゃあ、怖さが薄れちまいますからね。
……えっ? 数ある噺の中で、なぜアタシがこの話をアンタにしたかって? そりゃあ、アンタ……。
バレちまっちゃしょうがない」
「────おあとが、よろしいようで」
(誰もいない客席に、頭を下げる噺家)
(微笑む噺家のその、額には)
【壁】
しゃらくせぇ……
【妊婦】
たまごおいしいのかな
【イタズラ】
たのしい
【噺家】
そのあたまどうしたの?
[禊の間]
原作死亡キャラがそのままかは未定。灰原くんはどうすれば生かせるんだ…(3敗)