腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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32話 バイバイ

 きっとそれは、本能からくるのだろう。友情や愛情をとっぱらった先にある、動物(ムシ)としての生存本能。

 

 櫻は五条の後ろから刀を突き立てた男を見た瞬間、全身に鳥肌が立った。今まさに自分たちがこの男に捕食()されようとしている。

 

 とっさに夏油が呪霊を出し、男を狙う。対し彼女は天内と黒井の前に立った。結界についてから、虫は引っ込めてしまっている。いま一度懐のナイフで手首を切り、虫を出した。傷口から虫が這い出る様はグロテスクであるが、天内や黒井はそれどころではなく、気づいていない。

 

「……! 五条!!」

 

 天内が叫ぶ。腹に負傷を負った五条は、あぶら汗をかきつつ足を踏んばり転倒を防ぐ。「問題ない」と彼は言う。血こそ出ているが、内臓に損傷はないと。

 

「悟!!」

 

「アイツの相手は俺がする。傑は安倍先輩と天元様のところへ」

 

「相手取るなら、二人の方が…」

 

 

 いいだろう──と夏油は続けようしたが、五条の瞳を見て、出かけた言葉を飲み込む。護衛が二人ならともかく三人いるなら、うち一人が天内を送り届け、残り二人が対処すればいい。その方が()()()()、勝算は高い。

 

 しかし相手は五条に一撃を食らわせた相手。五条からいつもの余裕綽々とした面を剥ぎ取っている。

 

 護衛任務のはじめに安倍から聞いた言葉が、夏油の中で再生される。

 

 

(私じゃ「力不足」……か)

 

 

 夏油は飲み込んだ言葉ごと歯を噛みしめ、五条にこの場を任せた。

 

 五条に戦力外通告の意図は無かったのだろうが、この短時間で相手の力量を見せつけられた彼は実力差を感じざるを得ない。

 

 内心では同時に、別のことも過ぎる。

 

 

(理子ちゃんが星漿体の同化を拒んだらどうするかと、悟に尋ねた時──)

 

 

 少し考え込んだ五条は、夏油をまっすぐに見て「覚悟はあるか?」と聞き返した。天元様、ひいては高専と敵対することになるかもしれない。その覚悟が、傑にあるのかと。

 

 夏油は自分の心を整理する時間を要して、「あるよ」と頷いた。

 

 任務の中で刻まれた天内理子との思い出。少女の笑顔、怒った表情、涙……。

 

 夏油は彼女が望むなら、生きていて欲しかった。それでも天内の覚悟が夏油の覚悟を上回っているなら、その時は仕方ない。

 

 

『……オーケイ』

 

 

 五条は不敵と笑い、夏油の肩に手を置いた。

 

 しかし食糧補充のため席を外していた一名が、反対した。

 このような事態になることを見越しての、彼女の存在だったのかもしれない。

 

『アタマが(かて)ェな、パイセン。命令通りにしか仕事をこなせない人材は、社会に出てもそのうちポイされちまうぜ?』

 

『……あなたも、内心では私たちと同じ心境のはずだ』

 

 沖縄での延長観光を安倍も認めていた。認めてしまうほどには、天内に情を抱いている。

 

『確かに天内ちゃんには消えて欲しくないけれど、彼女の犠牲は必要なものよ」

 

 天内が天元と同化しなければ、進化した天元が人類の敵になる可能性も出てくる。

 

 要はトロッコ問題だ。一を救うか、人類を救うか。後者は多少、誇張した表現になっているかもしれないが。

 

 

『……こう見ると、君らがまだ16年と少ししか生きていない子どもだって、理解させられるよ』

 

『『ハ?』』

 

『圧が……圧が怖ッ』

 

 それでも安倍は続ける。

 

『成人していない私が言う言葉じゃないかもしれない。でも、生きていればいろんな出会いや別れがある。君らは一番最初か──あるいは二度目か。もしくはもっと多いかもしれない。その別れに感情が揺さぶられているんだ。その別れが今の君らにとっては一番で、けれど成長したらその一番は二番、三番になっていくと思うよ』

 

『『………』』

 

『…参ったな。二人とも譲れない目ェしちゃって』

 

 安倍は頭をかく。ただでさえ無敵な年齢の彼らは、その力も一級品だ。

 

 この二人の手綱を安倍が制御するのは不可能だ。夜蛾に頼んで、記憶をなくすまで愛の鉄拳を食らえばいけるかもしれない。

「夜蛾センにゲンコツされた場所、タンコブできてらぁ」と愚痴っていた五条の言葉が思い出される。

 

『安倍パイセンはじゃあ、七海が星漿体だった場合、どうするよ』

 

『七海くんは星漿体じゃないよ』

 

『例え話だよ、俺が言ってんのは』

 

『………』

 

 もし、七海が星漿体だったら。彼女はどうするだろうか。

 どうするも何も────答えは実にシンプルである。

 

 

『全人類に死んでもらうしかない』

 

『……私たちより過激じゃないのか?』

 

『そう考えたパイセンは、七海に死んで欲しくない。俺たちが天内に思ってんのは、その思考とほぼ同じことだよ』

 

『………3P?』

 

『どうしてそうなるんだよッ!!?』

 

 つまり、【五条→天内←夏油】の恋の大三角形ということではないのか? 彼女の考えた推理である。

 宇宙人の発言に二人とも顔に手を当てていた。

 

 

『ハァー……二人はもし天元様が闇堕ちしたら、絶対に倒せる?』

 

『モチのロン。俺と傑は────』

 

『最強だから、ね』

 

 

 櫻は頬をかき、またため息をこぼして、自身の携帯を取り出す。それを二つに折って壊し、プリクラが貼られていない方を道路に投げ捨てる。車に轢かれたそれは粉々になり、路肩に転がった。

 

『私の携帯は不慮の事故で壊れてしまいました。万が一の場合があっても、夜蛾先生に連絡することができず、ついでに他の連絡先も覚えていません』

 

『安倍、先輩…』

 

『仕方ないじゃんか。どうしろってんだ、この状況。………まぁ、一応言っておくけどさ。もし君らの行動の結果、巡り(めぐ)って七海くんが死んだその時は………』

 

 

 お前たちを、呪い殺す。彼女はそう言った。

 

 無表情な顔に宿る紅い目は、ひとの温度を感じさせないものだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 帰る、帰る、帰る────。

 

 黒井と一緒に家に帰る。それが夏油から掲示された天内のもう一つの道だった。

 

 

 天内は途中の道で、黒井と最期の別れを告げたばかりだった。

 

 安倍は見ざる・聞かざるのスタンスを取るため、黒井の元に残った。天内が同化を拒否した場合に取る夏油と五条の行動は、二人の独断という形にする。その非を同じ任務にいた彼女も問われそうではあるが、その際は壊れてしまった携帯も見せつつ、しらばっくれる腹づもりだ。携帯の破壊は連絡の遅延を引き起こし、黒井も含む、四人が逃げる時間を稼ぐためでもある。

 

(黒井と、いっしょに…)

 

 天内に差し出された夏油の手は大きかった。安心感を感じる手だ。

 

 夏油たちと過ごした彼女の3日間は、とても楽しいものだった。自分の知らない世界が広がっていた。この楽しい時間が一生続けばいいのにと思いながら、時計の秒針が進むごとに、悠久は存在しないのだと突きつけられるような気持ちになった。

 

(もっと……)

 

 もっと、自分が大切に思う人たちと時間を共有したい。もっと、自分が知らないものを見て、知って、感じたい。

 

 スカーフの前で握られる拳が白くなる。その拳をもう片方の彼女の手が包み込む。

 

 

「ありがとう、夏油」

 

 

 天内は涙を流しながら微笑む。夏油は表情を柔らかくする。ただ、差し出された夏油の手は一向に握られない。

 

「理子…ちゃん?」

 

「世界には私が知らなかったものが、たくさんあった。本当に、すごかった」

 

 

 巨大な水槽の中にいたジンベイザメは、ひときわ天内の心に残っている。

 

 こんなに大きく雄大な生き物が、この世にいたのかと。

 

 

 

 見惚れていた彼女に横を歩いていた安倍は微笑んでいた。二人は絶え間なく変化する、反射した水光の中にいた。

 

『七海くんと来たかったなぁ…』

 

『安倍は本当に彼氏が好きなのじゃな』

 

『うん。世界で一番だぁいすき』

 

 彼氏。天元と同化する天内には縁のないものだ。これまでもエスカレーター式で女子校に通ってきたので、男っ気は本当にない。かといって、自分が恋愛をしたいかどうか考えると、微妙である。天内は『恋』というものをよく分かっていない。

 

『手を繋いだり、ハグをしたり、ちゅーをしたいって思うことよ』

 

『ちゅっ、ちゅー……!!?』

 

 天内の顔が真っ赤になった。中学生の彼女には過ぎた刺激だったらしい。

 安倍は笑い、歩きながら手で水槽を撫でた。

 

『天内ちゃんの一番大好きな人は、黒井さんだったよね』

 

『……そうじゃ』

 

 天内の世界で一番大好きな黒井。姉のような存在でもあり、母のような存在でもあり、家族だった。

 

 そう。大好きな、ひと。

 

 そんな大好きな人もいつか、誰かを好きになり、恋をするかもしれない。黒井は青春時代から今に至るまで、そのすべてを天内に捧げてきた。

 

 

 

 

 

「私は、私が大好きな人が笑っていられる世界でいてほしい」

 

「……その大好きな人が黒井さんのことなら、それは違うよ、理子ちゃん。黒井さんが心の底から笑う時は、君がそばにいる時だ。君たちの笑顔を、私や悟が必ず守るから」

 

「そう言って、誘拐を許しておったのはどこのどいつじゃ?」

 

「……すまなかった。でも──」

 

「私は………妾は決めたのじゃ! せいぜい妾が守る世界で、お前も五条も笑っているがよい!」

 

「………ッ」

 

 天内は夏油の方を向いたまま、後ろに一歩踏み出す。彼女は腕を後ろにまわし、はにかむ。涙が宙を舞い、その小さな世界に夏油の表情を映す。

 

 

「バイバイ!」

 

 

 その時、タァンと発砲音がした。

 

 天内の頭から血が吹き出す。その一連の光景がスローモーションとなり夏油の視界に映る中、血濡れた刀を握りしめる男はこう言った。

 

 

 

「あぁ、バイバイ。この世から」

 

 

 

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