腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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六章
34話 花びらは散ってしまったけれど


 喪失感。櫻はそれを、義母と義兄が亡くなった時に感じた。

 

 これまで身近にあったものがなくなる。話すことも、触れることもできない。彼女は幼心に二人の痕跡をたどり、彼らがどこへ行ってしまったのだろうかと考えた。

 

 この世には「三位一体」という言葉がある。それは心・体・魂の三つの要素が一体となり、調和を保つ状態を指す。

 

 死んでいる以上、物を考える精神(こころ)は存在せず。

 

 骨となった二人の体はきっと、人間を成り立たせる『体』には不十分だ。

 

 なら魂はどうだろうか? 彼らの(いのち)は死んだ後、どこへ行ってしまったのだろうか?

 ────彼女には分からなかった。

 

 だからせめて、仏壇にあげた線香の煙が、どこかへ行ってしまった母と兄に届けばいいと思った。

 自分は今日も、勉強に追われる日々が続いていると。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 櫻は天内理子の死で喪失感を抱いた。ただそれは、イマジナリーフレンドへ抱いた喪失感と比べれば、大きな差がある。ナナミンは彼女の人生の中心にもっとも近い場所にいた。一方で天内はわずか三日をともに過ごしたのみ。

 それでも確かに、失った重みが存在する。

 この重みというのは、呪術師をやっていると背中にどんどん積まれていくものでもある。

 

(坊ちゃんも夏油くんも、引きずってるなぁ…)

 

 五条は『術師殺し』の異名を持つ伏黒甚爾との戦闘で、己の力を開花させた。もはや並ぶ者はいない。

 一方で夏油は五条以上に精神的な疲労が見えている。

 

 二人と教室を共にする家入は、二人の変化を如実に感じていた。

 

 

 

「授業の合間の休憩時間のときに、一瞬静かになったタイミングがあったんですよ」

 

 昼の時間。硝子は4年の教室へ赴き、櫻の隣を陣取った。そして溜まっている愚痴をこぼす。

 

「アイツらの会話も終わって、私はメールを見ていて。それぞれが自分の事に手をつけ始めたその一瞬に、お通夜みたいな空気が流れたんです」

 

「硝子ちゃんもたいへんだね…」

 

「こっちまで気分が重くなるっていうか……ハァ」

 

 硝子は櫻の机に突っ伏した。本人の高さに合わせられているそれは、硝子からすると居眠りしにくい高さだった。

 

「ところで、櫻先輩」

 

「なぁに?」

 

「夏油から告白とかされてませんか?」

 

「………えっ?」

 

「『七海よりも私を選んでくれないか!!』──みたいな」

 

「夏油くんには悪いけど……」

 

「ハハッ、アイツフラれてやんの」

 

 硝子は笑い、教室に来る前に買っていたコーヒーに口をつける。

 安倍の反応からして、夏油はまだ事情を聞けていないようだ。

 

(櫻先輩はそもそも、夏油の首のけがの一件は覚えてないみたいだしな…)

 

 それとなく硝子が「そう言えば、夏油の首に──」と櫻に話したとき、「そうなの?」という反応が返ってきた。あのときの安倍の口元を踏まえ、状況証拠が夏油の首のけがの犯人を明示している。

 

(先輩が何か、私たちに隠してるのは確か。肉が食べられなくなってたのも、ここに繋がってきそうだ)

 

 硝子は思い出す。昨年の京都校との交流戦のことを。負傷した安倍と話しているとき、硝子は彼女から『壁』を感じた。言葉で表すのが難しい、重たい壁。

 

 それが安倍櫻の隠す秘密なのかもしれない。

 

 ただ、硝子は本人に詮索する気はなかった。あくまで向こうから語ってくれるのを待つ。少なくとも、待てる猶予があるうちは。

 

 

 ちなみにこの昼の会話からしばらくして、夏油に会った櫻は「夏油くんには悪いけど…」と謝り、そのあと硝子が夏油に頭をぐりの刑にされた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「灰原くんに問題です! 秋といえば何でしょうか!!」

 

「ハイ! 『食欲』の秋ですッ!!」

 

「大正解です!!!」

 

 安倍櫻の『秋といえば』の辞書に、スポーツと読書は存在しない。やつらは焚き火の材料にされてしまった。いやまぁ、実際に焚書を行ったわけではなく。

 

 季節はうだるような暑さを過ぎ、すっかり肌寒い季節となった。

 裏ルートから焼き芋を大量に手に入れた櫻は、それを高専に密輸した。それから1年を巻き込み、焼き芋を蒸そうぜ!という流れになった。

 

 灰原の提案で2年も誘う話が出たが、それぞれ任務やらで都合が合わなかった。

 2年が交ざることで生じる面倒くささから逃れることができた七海は、内心安堵の息を吐いている。

 

 

 して、焼き芋パーリー当日。きちんと学校側に許可をとった上での決行である。

 

「うふふ……」

 

 蒸した焼き芋を想像する櫻の目はすっかりキマっている。ただ七海がいるため、さすがによだれを垂らすようなやらかしはしていない。

 

 早速手分けして落ち葉を集め、山ができたところでアルミホイルで巻いた焼き芋を投入する。事前に火鉢棒も用意してあり、それで時折焼き芋の具合をチェックする。

 

「懐かしいなぁ。幼稚園でも焼き芋を作った記憶があります」

 

「幼稚園で焼き芋?」

 

「たしか僕の通っていた幼稚園では、園がさつまいもを作ってたんですよ。収穫時期になったら、それを園児たちが掘って」

 

「なんか楽しそうだなぁ…」

 

 灰原の園児時代の話を聞いた櫻は、火鉢棒を片手に、火の具合を念入りにチェックしている七海に視線を向ける。

 七海にも当然、幼稚園──あるいは保育園時代があったのだろう。彼女はあいにくと経験がない。

 

(小さい頃の七海くんって、どんな姿だったんだろう…)

 

 二人が付き合ってそれなりに経つが、彼女はあまり七海の過去を聞いたことがない。おそらくそれは自分の過去を知られたくないという意識が働き、過去そのものの話題に触れないようにしているからだ。

 

 聞けば必然と、自分も語る流れになる。ゆえに話を持ち出さない。

 

 そんな彼女の空気を感じ取り、七海もあえて彼女の過去に触れないようにしている。一応『安倍家』で起こった事件は小耳に挟んでいる。

 また、櫻が養護施設にいた期間があることなども知っている。

 

 

「七海はやっぱり、〇〇附属〜的な幼稚園に行ってたの?」

 

「…………一般的な部類ではなかったですね」

 

「そっかぁ。あっ、安倍先輩は────焼き芋たのしみですね!」

 

「ん? うん、楽しみ!!」

 

 灰原の慌てて舵をきった進路は、かろうじて氷山との衝突を免れた。氷山が焼き芋に恋をしていたおかげである。櫻がまともな学校経験がないことを灰原も知っている。七海の返答の奇妙な間で気づくべきだった。この話題は深掘りしない方がよいと、灰原に念じていたのだろう。

 

 まぁ、肝心の本人が施設育ちの話題を平気そうに話す。七海関連の方がよっぽど落ち込むことがあるくらいだ。

 

 それでも七海や灰原にとっては、彼女からポロッと出てくる内容は重いものが多い。避けられるなら避けたいところだ。

 

 

「ゥンまああ〜いっ!!!」

 

 

 そんな空気を地獄にすることもある女は、ハフハフと息を荒げながらできあがった焼き芋を頬張っていた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 吐く息が白い。外に出る時は制服の上にさらに一枚羽織りたくなる寒さだ。

 

 櫻は今年の目標だった等級を上げ、準1級術師になった。ちょうど同じ時期に1年の二人も等級を上げたため、三人で軽いお祝いでもしないかと彼女は提案した。

 

 お祝いときたら、やはり食い物である。よく食べる二人に挟まれている七海は『普通』の量が曖昧になり始め、一回の食事で食べるパンがひとつ……ふたつ……と、()()長皿屋敷の法則で増えている。

 

 

 

 それで、だ。どこで祝うかの話になり、軽い祝いの席ならと、櫻は自分の部屋はどうかと持ち出した。そこで大学生のように集まって、和気あいあいとした空気を楽しみながら飲み食いする。まさしく青春である。

 

 

「ダメです」

 

 

 ただこれは七海に秒で却下された。何なら、「私の部「ダメです」──」くらいの速さだった。

 

 ならば外食にしようということで、いくつか候補が挙げられた。

 

 その結果選ばれたのはカラオケである。何気に、七海には初カラオケだった。ノリノリで歌う二者とは違い、彼は歌うのを渋った。その代わりタンバリンを装備させられたのだが、神妙な面持ちでシャン…と合いの手を入れる様は哀愁が漂っている。

 

「安倍先輩ってロックが好きなんですね!」

 

「うん! グr………ホラー映画(R-18G)で流れてたのがきっかけで、好きになったんだ」

 

 櫻も最初は乙女が歌いそうな曲を歌おうと思った。流行りのラブソングとか。

 しかし、彼女のレパートリーはロックと『君が代』しかなかった。そのため最初は君が代った。これが歌姫とだったら、初っ端からロックを決めて髪を振り乱し大暴れしていただろう。

 

 ただ歌い終わった後に微妙な空気が流れ、その末にロックを解放した。髪をロックンロールさせない50パーセントのロックを決めている。

 

「せっかくだし、七海も歌おうよ!」

 

「私は結構ですと、はじめに言ったでしょう」

 

「じゃあ安倍先輩と僕で、七海を挟んで君が代を歌うけどいいね?」

 

「何が「じゃあ」なんですか……」

 

「灰原くん、私に許可取ってないよ」

 

「安倍先輩は、七海の歌を聞かなくていいんですか? 本当に……いいんですか?」

 

「………」

 

 櫻はタンバリン奏者七海をちらりと見た。それからマイクを見て、また七海を見る。あの低音の声が紡ぐメロディーを聴きたい。その感情が「七海くんが嫌がるかも」の間で揺れ動く。

 

 

「七海くんごめんね、めっちゃ聴きたい」

 

 

 耐久『君が代』が始まった。耐久といっても、三回目で七海が折れ、マイクを持った。

 おのおのマラカスとタンバリンを装備した二人の目が輝く。ただ、七海が選曲したのはそれらの楽器が雑音になる歌だった。

 

 

「──────」

 

 

 Classicな音色に、櫻は「エエ声や……」と感涙した。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 あと数か月経てば、櫻も酒とたばこが合法になる。

 モラトリアム期間をどう過ごすのか、すでに決めてあった。

 

「あんた、冥さんみたいにすぐ呪術師をやる気なのぉ?」

 

 初詣を共にしていた歌姫が呆れた顔をした。歌姫は巫女服ではない、振り袖を着ている。櫻も久しぶりに着物に袖を通した。たんすから取り出したその香りは、懐かしい椿の匂いがして、思わず布地に顔を埋めた。

 

「それって、土日を返上して仕事をするようなものじゃない」

 

「でも、私は歌姫先輩みたいにどこかへ行きたいとか、ないし……」

 

「出かける以外にも、自分の趣味に専念するとか、いくらでもあるじゃない。私はこの一年で存分に楽しんだし、あと残り三か月も謳歌する予定よ」

 

「うーん…」

 

「それこそ、日本各地を巡って美味しいものを食べるでもいいでしょ。今は肉も食べられるようになったんでしょ?」

 

「あ…はい」

 

 櫻は赤ん坊ショックから、肉を食べられなくなっていた。しかし衝動的に「食べたい」と思って以降、普通に食べられるようになった。以前のような吐き気も起こらない。肉の味がとにかく美味かった。噛みしめた時の柔らかさも滲み出る脂も、すべてが美味い。その美味さの前では、雑念が吹き飛んでしまう。

 

 彼女は結局、腹ペコの奴隷なのだろう。

 

 

 

 

 

「ヤァーッ!!」

 

 

 独特なかけ声でお賽銭を投げた櫻は、作法にならって一礼二拍手一礼をする。

 その一礼の前に祈った。

 

 そして祈り終えた後に、おみくじへ向かう途中で歌姫が「櫻は何を祈ったの?」と尋ねてきた。

 

 

「七海くんと、ずっと一緒にいられますように──って」

 

 

 目を丸くした歌姫は、あんたもしかして……な目をする。

 

「あんた彼氏の側にいたいから、モラトリアム期間も呪術師をやるなんて言ったの?」

 

「………えへ」

 

「カァ〜〜〜ッ! お熱いようでいいわね、本当に!!」

 

 私にだって──と、歌姫は口を尖らせた。モラトリアム期間中の彼女は思う存分に楽しんだが、彼氏の気配は一向になかった。

 

「歌姫先輩はビジンなのに、何ででしょうね?」

 

「私が聞きたいわよ!!」

 

「気が強いからですかね?」

 

「………」

 

 後輩から的確な答えをもらった歌姫は、おみくじの結果を見てさらに消沈した。今年は去年より恋愛運がないらしい。

 

「所詮おみくじ如きに、私の人生を左右されて堪るもんですか…!!」

 

 早速気の強さを見せる歌姫に、櫻は苦笑いした。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 春前のことだった。彼女の元に、一通の知らせが届いた。

 内容は『◻︎◻︎◻︎ ◻︎◻︎』の訃報を知らせるものだった。この名前は、院長のものである。

 

 櫻は葬儀に参加した。今年に病気が見つかり余命宣告を受け、そこからあっという間に亡くなってしまったらしい。

 彼女以外にも院長の世話になったかつての子供たちが参列した。すすり泣く声が聞こえる中、櫻は中央に飾られた院長の写真を見る。ひまわりのような笑顔だ。太陽のように眩しい。

 

 焼香の番が来て、棺におさめられた顔を見た。すっかり痩せ、頬が痩けている。肌も彼女のように真っ白だった。髪もほとんど白髪で、一部分だけ灰色がかっている。

 

「………」

 

 棺の中の院長はもう動かなかった。ただ静かに、安らかに眠っている。

 

 焼香を終えたのち、自分の席に戻る。しばらく思考が止まっていたが、緩やかに動き出す。施設にいた頃の記憶が思い出される。あの時は大きかった院長の体は、すっかり小さくなった。それは櫻が成長した証でもある。はじめは人間に牙を剥いていた自分でも、少ないながら大切なひとができた。

 

 彼女は微笑む。ひまわりの写真を見ながら。最期の別れに、涙を流す気はない。見送るなら笑顔でいたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 葬儀を終えて高専の自室に戻る頃にはすっかり夜になっていた。

 

 喪服の上着を脱ぎ、ストッキングを脱ぎ捨てて、テーブルに突っ伏す。冷えたフローリングが下から体温を奪っていく。

 化粧も落とさなければいけないし、風呂にも入らなければならない。ただ、今は何もしたくなかった。キブンが海底に沈んだ船の藻屑である。

 

 それでも腹は減る。何かを作る気力はしかしない。さすがにこの時間は食堂もやっていない。

 

「………お酒」

 

 彼女の脳裏に過ったのはアルコールだった。歌姫が未成年の彼女に何度か勧めてきた代物だ。

 高専にある一部の自販機には缶ビールが売っている。そこに酒が売っているということはつまり、需要と供給が成り立っているということだ。

 

 櫻はサンダルを履き、暗がりの通路を歩いた。非常出口の緑が闇の中で浮かび上がっている。

 そして外に出てしばらく歩き、目当ての自販機に来たところではたと気づいた。

 

「サイフ、忘れちゃったや……」

 

 つっ立ったままの彼女の横顔が、自販機の明かりに照らされる。どこまでも白い肌だった。

 取りに戻るには歩かなければならない。堪えていた涙は詰まってしまって、上手く流れてくれない。涙が流れてくれないと、彼女は沈没したままでいなければならない。そんな自分にはアルコールの力がきっと必要だった。

 

 だから────でも、その場で蹲ってしまう。

 

 

 それからどれほど蹲っていたかはわからない。時計も携帯も、自室に残してきてしまっていたため。

 

 人の気配がした。それが彼女の方へ近づいてくる。そして肩に手が置かれる感触があった。ただ、彼女は頭を起こすことすらできなくなっていた。全身が石になっている。動けない。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「………」

 

 首を左右に振ることもできない。手の感触が消えた直後、代わりに肩に上着が乗せられた。かぎ慣れた匂いだ。彼女が安心する、太陽の匂いとは違うもの。この匂いも沈んでしまった太陽のように、彼女をやさしく包んでくれる。

 

「ッ………」

 

 途端に、脳が沸騰したように熱くなり、目尻に涙があふれた。

 

「すみません、触れますね」

 

 彼女が動けないと判断したのか、優しい匂いの主は櫻のからだを抱えた。片手は膝に回し、もう片方は背中に回して持ち上げる。櫻は己の顔を見られぬように、髪のカーテンで隠した。

 

 相手は、何も聞いてこない。それはしかし冷たい静寂ではなく、柔らかな静寂である。

 櫻は目の前のスウェットに顔を埋めた。

 

 そして声を押し殺して、泣いた。




①事態を察して七海を叩き起こしに行った、男子生徒のだれか。
②叩き起こされて思わず「……ァ゛?」と青筋を浮かべた七海。
③急いで駆けつけた七海。
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